第162話 赤き目の謀略(4)

 人魔たちは、自ら失った生気を取り戻すかのように手あたりしだいに噛みついた。

 噛みつかれた人たちが次々と膝をつく。

 魔の生気が体に回った者たちも、地面から湧き出るかのようにムクリムクリと起き上がる。

 そう、人魔が人魔を呼んでいた。

 まるで、その光景は、雪崩でも起きたかのように連鎖していく。


 今だ状況の整理ができぬカルロスの前へ、人魔が口を開けて近づいた。

 赤々と深い洞穴さながら大きく開かれた口からは、狂った犬のようによだれだ垂れ落ちている。

 タカトは泣き叫ぶ。しかし、なぜだか、その目にはだらしない笑みを浮かべていた。

 すでに、タカトの意識は完全崩壊。自己防衛のために脳内イメージは都合よく、人魔を女の子へと変換していた。

 真っ赤な唇! 襲い来る女の子!

 そう、ここは、ハーレムや! えへへへへ

 ビン子もまた、おびえ、カルロスへとすがりつく。自然とその手に力がこもる。

 なすすべがないタカトとビン子。

 二人を守るカルロスにとって、人魔ごとき武器があれば敵ではなかった。

 しかし、今は何もない。手元には武器となるものはなかったのである。

 移転中のカルロスは、剣すらも持ち合わせていなかった。

 己の円刃の盾は第六の駐屯地に置いてある。

 それならばとエメラルダの黄金弓をちらりと伺うも、すぐさま目をそらした。黄金弓の開血解放には大量の血液が必要だ。カルロスごときが使える代物ではなかった。


 魔装騎兵となるか……

 一瞬その考えが頭をよぎる。

 しかし、魔血タンクを持たぬ今の身では、すぐさま自分が人魔となってしまう。

 目の前の人魔を倒したとしても、自分がこの子たちを襲ってしまうではないか。

 苛立ちにも似た焦燥感がカルロスの額から油汗を呼び起こす。

 さらに近づく人魔の歯。

 庇うカルロスは後ずさる。


 ただ、食うため。

 身を焼くような渇きと飢えが、人魔の体を突き動かした。

 目の前のものは獲物でしかない。

 大きく開けた口から、白い唾液が糸を引く。

 何を言ったのか分からない奇声を脳天から発したかと思うと、カルロスめがけてとびかかる。

 咄嗟にカルロスは、左腕に荷物を巻き構えると、人魔の開いた口へと突っ込んだ。

 そして、腕を引くととともに繰り出された右こぶしが人魔の顔面を砕き割る。

 白き歯をまき散らしながら吹き飛ぶ人魔。

 地面を削っていった人魔の足は、解剖後のカエルの如くピクついていたが、ほどなくして、ゆっくりと立てられた。

 人魔は、不自然に体を弓のようにしならせながら起き上がる。人間では無理だと思われる体勢で。

 やはり、右こぶしだけでは弱かったのか、いやいや、普通の人間なら気絶していたに違いない。

 その、ほほの骨は砕け、歯のない顎はすでにかみ合っていないのだ。

 それでも人魔は立ち上がる。

 そして、ゆっくりとカルロスへと近づいた。

 無造作に落ちた両の手が、振り子のようにフラフラと揺れる。

 カルロスはもう一度握りこぶしを構えた。


 その瞬間、人魔の首から血しぶきが舞い上がった。

 咄嗟に、カルロスはビン子とタカトをその大きな体で覆った。


「血をかぶるな!」


 魔血が二人にかからぬように体の下に隠したカルロスが上目遣いで状況を確認する。

 魔血で赤く汚れていくカルロスの顔は、倒れゆく人魔の後ろに、赤き魔装騎兵の薄ら笑いを見てとらえた。


 赤き魔装騎兵は、ほほについた魔血を親指でこすりとると、上気した舌でなめあげる。

 そして、その恍惚の笑みは、次々と起き上がってくる人魔たちの首を、何の躊躇もなくはねていく。

 人魔から噴き出す噴水が、赤い魔装騎兵の周りに輪のようになしていく。

 噴水から噴き出す魔血は、周囲の人々にまるで雨のように降り注いでいった。


 赤の魔装騎兵は、次の獲物を探すかのように、楽しそうにタカトたちの横をステップを踏みながらすり抜けていく。

 赤の仮面の左側が割れている。

 割れ目からのぞく赤色の目は、先ほどタカトが魅了された眼であった。

 しかし、今のタカトは体の底から湧き上がる恐怖で震えていた。

 その恐怖で女の目を伺うことは、とてもできなかった。

 その赤き目は、魔血の降り注ぐ中、快楽に身を任せ何も考えていないかのようにフワフワとした満面の笑みを浮かべていたのである。


 赤き噴水の数は増えていく。

 エンターショーの如く次々と舞い上がる。

 広場は、赤き雨に覆い尽くされていた。

 赤き雨を避けることができない人々は、絶望にうちひしがれながらその身に受けた。

 この血は人魔の血。

 魔の生気を含む血である。

 体に入れば、自分も人魔化するだろう。

 人々は手についた、赤い魔血をなすすべもなく眺めることしかできなかった。


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