第150話 み・みずをくれ・・・(6)

 雑穀のスープを食べ終わったエメラルダはタカトにもたれて寝息を立てていた。

 ビン子もまだ寝たりなかったのだろうか、いつの間にかタカトにもたれて眠っている。


 そんな二人に挟まれたタカト君はまさに両手に花の状態!

 うらやましい!

 うらやましすぎるぞ! タカト。


 だがなぜだか、そんなタカトは苦悶の表情を浮かべうめき声を漏らしていた。

 もがいているが、どうやらこちらも眠っているようである。

 楽な体勢で眠りたいと思っていても、両サイドから女の子に挟み込まれているために左右どちらにも身動きが取れなくなっていた。

 そんなタカトの頭は、さきほどから船でもこぐように右に左に行ったり来たり……一所にとどまる様子を見せない。本当に寝ていてもせわしない奴である。


 よほど疲れていたのであろう。静かな暗い食堂の中で暖炉の火に揺らしだされた三人の影が一つに固まり揺れていた。


 食堂の外で中の様子をそれとなくうかがっていた権蔵とガンエン。

 中の気配が静まったことを確認すると部屋の中に静かに戻った。


「よほどのことがあったんだろうな」

 ガンエンは、エメラルダを起こすまいと、そっとその体に毛布を掛けた。


 ガンエンは、穏やかな寝息を立てるエメラルダを見る。

「男たちに、ひどい乱暴をされたようじゃな……」

 そして、横で眠るビン子の体に毛布を掛けた。


 しかし、二人がかけた毛布は少々小さかった。

 エメラルダとビン子に挟まれたタカトには毛布が届かなかったのだ。


 それを見る権蔵は、仕方ない様子で頭をかいた。

「まぁ、風邪はひかんじゃろ……」

 少々小さくなっていた暖炉の火に権蔵は薪をくべた。


 ――体が痛い……

 目を覚ましたタカトは一人食堂の机に突っ伏していた。

 食堂の窓から差し込む朝日が、暗い食堂の中に明暗のコントラストを作り出していた。

 そんな窓越しに鳥たちの軽やかな鳴き声がする。

 今日も爽快! 天気がいい!


 

 だが、それに対して起きたばかりのタカトの体は爽快とは言い難かった。

 体のあちこちが固まって、無理に動かそうとすると痛みが走るのだ。

 しかも、熱い!

 熱いのだ!

 体中が燃えるように……いや、焼けのこった炭のように熱がこもっているのだ。


 ――あぁ……喉乾いた……

 この暑さ……せめて、ガラガラに乾いた喉だけでもうるわしたい……

 そう思う、タカトは体をよいこらしょと起こした。

 そんなタカトの肩から、毛布が2枚するりと滑り落ちてくる。

 それを見るタカトは思う

 ――普通に考えて毛布2枚って……暑すぎるだろ!


 だが、暑さの原因はこれだけではなかった。

 目の前の暖炉はいまだに赤々と火が入っているのである。

 毛布だけでも結構暑いのに、さらに暖炉とは。

 どんだけぇぇぇぇぇぇぇ!

 ――マジで、嫌がらせかよ!


 水気が抜けて干からびかけているタカトの体は、自然と炊事場へ水を求めた。

 万命寺で修業をしていたタカトである。

 炊事場の場とトイレの場所ぐらいは、ボーっとしていても体が覚えている。

 万命寺の廊下を、まるで干からびた雑巾が生乾きの臭い匂いを漂わせるかのようにゆっくりと動いていた。


 早朝の炊事場は忙しい。万命寺の僧たちの朝食の準備をしなければならないのである。慌ただしく男たちが出入りする。そんな炊事場の入り口の奥では包丁が立てる音が小気味よいリズムを刻んでいた。むわっとする水蒸気とともに、おいしそうな香りが外にまで広がってくるではないか。


 すでにタカトの口からはよだれが垂れ落ちている。

 だが、今は食い物ではなくて水だ……

 水が欲しい!


 入り口近くの炊事場で権蔵が包丁を振るっていた。

 それを見つけたタカトは、最後の力を振り絞る。

「じ・じいちゃん……み・みずをくれ……」


「なんじゃ、ほれ!」

 権蔵は、忙しそうにお椀をタカトへと差し出した。

 

 ――水だぁ……

 タカトの震える手がお椀を受け取る。

 まるで椀は、ぼろ雑巾に吸い込まれていくかのように自然とタカトの乾いた口へと引き寄せられていった。


 干からびたタカトの目が潤んでいく。

 ――あぁ、やっと念願のオアシスだ……

 今、タカトは至福の笑顔を浮かべていた!


 しかし、お椀がタカトの口に引っつくか引っつかないかといったところで、動きをピタリと止めた。

 

 というのも、お椀の中になにやら赤いものがうごめいていたのだ。


 途端に引きつるタカトの顔。

 タカトは、お椀を権蔵へと突き返した。

「爺ちゃん! これ! なんだよ!」


「ミミズじゃが……なにか?」

 野菜の皮をむぎ続ける権蔵は忙しいのか、手を止めることもなくそっけなく答えた。

 しかも、まるで、まさかミミズも知らないのかと、少々、バカにしたような物いいでもあった。


 ――いやいやいや……ミミズぐらい知っとるがな!

 固まるタカトは、再度、権蔵に問うた。

「いや、だから、なんでこんなところにミミズがってことだよ!」

「先ほど洗っていた芋にちょうどついておっての。やっぱり朝、掘ってきたばかりじゃから、ミミズの奴も寝ぼけておったんじゃろうな」

 あいかわらず手を休めぬ権蔵は、アゴで脇の芋の山を指し示した。

 そこには、今朝、掘られてきたのであろう芋たちの表面に、大量の土がこびりつき床に泥をこぼしていた。


「いや、だからなんでミミズがお椀に!」

 そんなことはどうでもいいんだよ! と言わんばかりにタカトがまくし立てていた。


「はぁ……お前が欲しいというたからじゃろが!」

 ついに権蔵は、いい加減にしろと言わんばかりに、タカトをにらみつけた。


 その怒ったかのような目にビビったタカトは考える。

 よーく、よーく考える。

 俺が言ったのはミズだったよな?

 いや、み・みず……だったか?

 うん?

 いや! いや! いや! いや! だけど、これはない! 断じてないでしょ!


「アホか! ミミズじゃなくて水だ! 水!」


「なんじゃ、水か! てっきり精力でもつけるのかと思っとたのじゃがな!」

 手を止めた権蔵は、タカトに向きを変えて大きな笑い声をあげた。


「この不謹慎ジジイ! 今、この寺でその精力は、どこにぶつけるんですか! いってみろ!」


「決まっとるじゃろが! ガンエンじゃろ! 聞いとるぞ。『憧れのマイハニー!』じゃろ!」


 権蔵は、ここぞとばかりにバカにするようにウインクをした。


「アホか! あんなジジイに欲情するか!」

「安心せい! 今、ビン子が、水を汲みにいっとるわい!」

 飽きた権蔵は、作業に戻った。


「はぁ、ところで、じいちゃん、ここで再就職か」

「どアホ! お前の厄介ごとで、寺の皆に迷惑かけたんじゃろが!」

「俺、関係ないし……」


 タカトは、水を探しあたりを見回した。

 しかし、水は全くない。

 目の前のミミズが入ったお椀をよくよく見るが、水気は全くなかった。


 ――精力剤か……

 ミミズを押してみる。

 だが、当然、ミミズから水など出るはずもない。

 

 ……はぁ

 ため息をつくタカト。


 そんなタカトを権蔵がイラつきながら腰に手を当てにらみつけているではないか。


「はぁ? 厄介ごとを持ち込んだのがお前じゃなかったら、誰が持ち込んだというんじゃ!」

「ビン子じゃね」


 突然、ビン子が怒鳴り声をあげた。

「私じゃありません!」


 ちょうど外にある井戸から水を汲んで戻ってきたところのようだった。

 ビン子が両手にもつ木のバケツから歩くたびにピチャピチャと水滴が飛び散っていた。

 目一杯に水が入ったバケツを重そうに持って、食堂の勝手口から中へと入ってくる。


 そんなビン子にねぎらいの声をかけることもなくタカトは、

「ところでエメラルダさんは、どこ?」

 などと、権蔵に声をかける。

「もう一度、温泉に行かれた」

「ふーん」

 そして、こともあろうか、お椀の中のミミズをポケットの中に押し込んだのだ。

 だが、これで、お椀はフリーになった。

 そう、お椀の中は何もない。

 水を入れることを邪魔するものは何もなくなったのである。

 といういことで、ビン子が手に持っていたバケツに無造作におわんを突っ込んだのだ。


 水をすくうタカト。

 だが、それを良しとしないものがいた。

 ビン子である。

 せっかく自分が汲んできたきれいな水に、お椀をいきなり突っ込んだのだ。

 きれいなお椀なら、まだいい。

 だが、奴の持っていたお椀には、何か怪しげなものが入っていた。

 目ざといビン子はタカトがポケットに何かをしまうのを見逃していなかったのである。

「ちょっと! 今、そのお椀に入ってたのは何よ! 見せなさいよ!」


 怒鳴るビン子に構うことなく、タカトは、もう一度お椀をバケツに突っ込んだ。


 水をごくごくと飲み干すタカト君。

 ――はぁ……生き返るぅ~♪


「ちょっと! タカト! 聞いてる?」

 不機嫌なビン子は、再度、大声をあげていた。


 はぁ……

 水分を取って一息ついたタカトは、それはもう面倒臭そうにポケットから取り出した。

「ほら……」

 そして、指で掴むミミズをビン子の目の前に。


 ビン子の鼻先でプランプランと揺れるミミズちゃん。

 ……これは何?

 自然とビン子の黒目が鼻先へと寄っていく。


 その凝視に耐えかねたのか、ミミズがもがき始めたではないか。

 ――イヤン! そんなに見ないでぇ


 ミミズの頭がビン子の鼻先に軽くタッチ!

 その瞬間!


 ギヤあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!


 ビン子の大きな悲鳴が炊事場に響く。

 何事かと炊事場にいる者たちの視線がビン子の元に集まった。

 だが、すでにそこにはビン子はいない。

 手に持っていたバケツだけが宙を舞っていた。

 もう、脱兎の勢いでビン子は外に駆け出してたのである。


 そして、その場に残ったのは、バケツをかぶったずぶ濡れのタカト君。

 ビン子が放り投げたバケツの水を頭からかぶったようである。


 そんなタカトを、権蔵はあきれた目で見つめた。

「タカト……お前……着替えてこい」


「えー! 面倒くさいよ。朝シャンと洗濯が同時にできていいじゃん! あとは、自動乾燥だけだし」

「風邪引いてもしらんぞ!」

「風邪どころか、こちとら、毛布2枚に暖炉の火! 完全に脱水症状や! 一体こんなことしでかすのは、どこのアホやねん!」


 それを聞いてあきれる権蔵。

 こいつは人の好意というモノが分からんのか!

 だが、タカトである……それは無理からぬことかもしれない。

 そう思う権蔵はため息一つ。

「はぁ……アホが……まぁ、好きにせい」


 だが、そんなタカトの表情がスッと変わった。

「なぁ、じいちゃん、エメラルダさんの傷を治してやることはできないかな」


「なんじゃと!」

 その突拍子もない言葉に権蔵は驚いた。


「いやね……心の傷はいやせなくても、体の傷が癒えれば、少しでも楽になるじゃないかなって……」

 びしょびしょのお椀を机の上に戻したタカトは、側にあった椅子を引きずり出すと前後逆にして座り込む。

 背もたれに両手をかけ、その上にのせる真剣な表情は、その言葉が決して冗談ではないことを表していた。

 椅子からポタポタと滴り落ちる水滴。

 そんな水滴が、椅子の足元に水たまりを作り、外から差し込む朝日をきらびやかに揺らしていた。



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