第141話 逃亡者(2)

 第六の門がゆっくりと閉じられた。

 何事もなかったかのように静かに閉まっていく。


 しかし、騎士の門の前の広場には、辺り一面に血の香りが立ち込め、おびただしい数の魔物の死体と、守備兵たちの死体が散乱していた。

 今は亡き戦士たちの魂が天に迎えられるかのように、夜空へと、うっすらと青白い命気が無数に地面から立ち上っていた。

 どこから沸き起こっているのか分からないぐらい悲鳴とうめき声が響き渡っている。

 叫び声とも怒声とも分からぬ声が、いたるところから飛び交い、男たちがあわただしく走り回っていた。


 守備兵たちが、転がる魔物たちに槍を突き刺している。

 一体一体に確実にとどめを刺しているようである。

 低いうめき声と共に動きを止める魔物。

 その傷口から青白い命気が揺らめき立っていく。


 タカトが城壁にもたれるように倒れていた。

 その膝に、荒い息をするビン子が横たわっている。

 二人とも動けないようであった。


 そんなタカトに一人の男が歩み寄ってくる。

 タカトの頭を何かがこづく。

 うっすらと目を開けるタカト。

 ぼやけた黒目でその男を見上げた。


 そこには手をさし伸ばすオオボラが立っていた。

 タカトは力なく微笑む。

 ――今度は、助けてくれたのか……


 立ち上がろうとするが、膝の上のビン子が重しになって動けない。


 ――何でビン子が倒れているんだ?俺が気を失っている間に何かあったのか?


 ビン子の頭を両手で抱き上げる。

 ビン子の黒髪がゆっくり揺れる。

 息は、浅いが確実に吸い込まれている。

 その顔は辛そうだが、特に目だった外傷は無さそうだ。


 ――まぁ、たぶん、腹でも減ったんだろう。


 ビン子を横の地面へとゆっくりと寝かす。


 そして、待たせたなと言わんばかりにオオボラの手を取る。


「お前……無事だったんだな……」


 タカトは、オオボラの手を頼りにふらつきながらも立ち上がった。

 何も言わないオオボラ。

 タカトは、懐かしむかのようにオオボラの肩に手を回そうとする。


「この野郎……心配したんだぞ……」


 オオボラは、そんなタカトの手を汚いものかのように、さっと払った。


 ――えっ……

 タカトは一瞬、なんで手を払われたのか分からず、声を詰まらせた。


「もうお前たちとは住む世界が違う……」


 オオボラは、服のポケットから高級そうな財布を取り出した。


「これはアルテラさまを守ってくれた礼だ」


 タカトの目の前に大金貨3枚を放り投げた。

 アルテラを守ったというだけで、大金貨3枚とは、大盤振る舞いである。日本円にして約300万円。常識的に考えても多いような気がする。

 おそらく、オオボラにも、少しながら後ろめたさもあったのだろう。小門の中でタカトたちを置き去りにしてきた。その場で死んでいれば、オオボラも忘れる事も出来たかもしれない。しかし、今、目の前にタカトが、いるのである。助かっのか!と安堵する気持ちよりも、後ろめたい気持ちが先立ったのかもしれない。


 チャリーン

 雑然と騒音が響き渡る中、タカトの耳にその大金貨の落ちる音だけがハッキリと響いた。

 石畳の上の大金貨を見つめるタカト。

 タカトもまた、何も言わない。

 ――何だよ、これ……


 オオボラは、財布をポケットの中にしまうと、タカトに背中を向けた。

 そして、何も言わず去っていく。

 ――ふざけんなよ……

 タカトは、大金貨を見つめたまま動かない。


「大丈夫……」


 いつからその様子を見ていたのであろうか、横たわるビン子がつらそうに頭をあげる。

 そして、自分のことはお構いなしに、心配そうにタカトに声をかけた。


「あぁ……」


 タカトは、力なく膝まづき、大金貨三枚をゆっくりと拾いあげた。

 やっとのことで立ち上がったビン子は、膝まづくタカトの背を優しく包み込んだ。


「大丈夫だよ……」


 タカトは肩にあるビン子の手を優しくつかみ、そっと肩から離した。

 立ち上がったタカトは、ビン子に手をさし伸ばす。


「立てるか?」


「うん……ちょっとふらつくけど大丈夫」

 ビン子の黒色のコンタクトが微笑んだ。

 タカトの膝の上で倒れている間にビン子の赤い目は、その影を潜めていた。

 すでにビン子の息は小さいが、整っていた。

 タカトの手を取り、立ち上がるビン子。


「タカトの方こそ大丈夫?」

「あぁ、今のところどこもケガしてないみたいだ」

 まぁ、実際には、したたかに打ち付けられた背中は、痛みが引いていなかった。

 額にある傷も、意識すればそこそこ痛い。

 しかし、ビン子の手前、タカトは少し強がって見せた。


 お互いの無事を確認しあう二人のもとに守備兵が声をかける。

「これで今すぐ検査しろ」

 人魔検査のキットが差し出される。


 慌てて検査をする二人。

 陰性である。

 検査の結果を守備兵に見せる。

 守備兵は、タカトの背中に青い丸を書く。


「これ取れるの?」


 お気に入りのアイナちゃんのシャツである。

 少々、ゾンビみたいな顔色になってはいるが、それでも愛するアイナちゃんである。

 タカトは不満そうにつぶやいた。


「人魔収容所に行きたいのだったら、構わないがな」

 慌てて手を振るタカト。

 守備兵はビン子の背中にも青い丸を書くと、次の生存者を探しに走り去っていった。


「おそろい!」

 タカトは、背中をビン子に見せる。

 お互いの背中の青い丸を見ながら笑う二人。

 魔物の死体をよけながら、老馬がゆっくりと歩いてやってくる。


「イマワノキヨシコ、お前……無事だったのか」

 ちなみに、イマワノキヨシコとは、老馬の名前だよ。


 そんな老馬の背の上に青い塊が見えた。

 どうやら、飛び降りる時に取り残されたタマが老馬をここまで連れてきてくれたようであった。

 しかも、タカトとビン子のカバンまで探して持ってきてくれている。

 タマもまた、タマにできることを頑張っていたようである。


「ありがとよ」

 タカトはタマに手を伸ばすと、優しくその体をなでた。

 タマは、甘えるかのようにタカトの手に体をこすりつけると、するすると、右手に巻き付いていった。


 はわわぁぁ

 緊張が解けたのかタカトが大きなあくびをする。


「なんかすごい眠いし、さぁ、帰るか……」

「そうだね……」


 えっ!

 突然、ビン子はタカトに担ぎ上げられた。

 タカトは、ビン子を抱きかかえると、老馬の上に押し上げた。


「お前、腹へり過ぎて、まだ歩けないんだろ……馬に乗って行けよ」

「いいの……」

「いいって! いいって! その代わり明日のお前のおかず半分寄こせよ」

「分かったわよ」


 馬の手綱を引いてゆっくりと歩き出すタカトたち。

 まだ、騒がしい広場を後にしていく。

 二人の背後には、むせかえる血の香りが漂っていた。

 暗い闇を照らす炎の光の中を青い丸が二つ揺れていく。




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る