第140話 逃亡者(1)

「そこをドケっ!」


 一人の女魔人の拳が宿舎内に残っていた守備兵の顔面に炸裂する。

 鼻血を出して倒れこむ守備兵。


 女魔人は、手薄になった第六の宿舎内の廊下を駆け抜ける。

 壁を蹴り、兵士たちから繰り出される剣をひらりと避ける。

 着地ざまに、くるりと身を回すと、守備兵たちが宙を舞う。

 しかし、女魔人は、止めを刺さずに走り出す。

 走り去るその背中は、まるで、時間を惜しむかのようであった。


 廊下から地下に降りる階段に迷うことなく飛び込む。

 一気に半階飛び降りたかと思うと、すぐに身をひるがえし、地下へと飛び降りた。


 女魔人は、地下の牢の一つで足を止めた。


「これは……ひどいな……」


 女魔人の口から出たのはその一言であった。

 牢の向こうには、裸で震えるエメラルダが横たわり膝を抱えて震えていた。

 髪はボサボサに縮れ、何かが絡みつき固まったかのようにダマになっていた。

 体は、黒く汚れ、先ほどまで男たちに弄ばれていたのであろうか、太ももにはしずくがとめどもなく流れ落ちていた。

 エメラルダの目は力なく涙を浮かべ、既に焦点があっていない。

 その口は何か言っているようであるが、よく聞き取ることができなかった


 女魔人は、牢を掴み声をかける。


「エメラルダか?」


 声に反応するエメラルダ。

 いきなり頭を抱えて震えだす。

「ごめんなさい……ごめんなさい……ごめんなさい……」


 女魔人はあたりを見渡す。

 目の前のテーブルの脇に鍵が無造作に置いてある。

 いつでもエメラルダをもてあそぶことができるように、近くに置いているのであろう。


 女魔人は、鍵を開け牢の中に入る。


「私は、ミーア。ミーキアンさまの神民魔人だ。お前をここから連れ出す。いいか!」


 頭を抱えていたエメラルダが、はっと顔をあげる。

 そして、ミーアに抱き着いたかと思うと、子供のように泣きじゃくった。

 すでに、エメラルダが何をしゃべっているのか分からない。

 しかし、ミーアには、エメラルダを慰めている時間は残されていなかった。


 エメラルダを自分のマントで包むと、傍らにいだき、ゆっくりと立ち上がらせる。

 エメラルダの足が震えている。

 牢から出られる、しかし、見つかればさらに酷いことをされてしまう。

 及び腰になっているエメラルダの手を引きミーアは牢から出ていく。

 エメラルダの素足が震えながら、牢の敷居を超えていく。

 エメラルダにとって牢以外の場所に出るのはいつ以来であろうか。

 牢から出た瞬間、安心からなのだろうかエメラルダの力が抜け、その場に座り込んでしまった。

 しかし、ミーアが力任せに引き起こす。

 そして、無理やり歩かせて地上への階段を目指した。


 一階の廊下には先ほどやられた守備兵が鼻を押さえている。

「侵入者だ!」


 しかし、誰もかけつけてこない。それもそのはずである。

 今、宿舎の外はガメルの襲撃によって、それどころではないのである。


 エメラルダに肩を貸すミーアは守備兵をにらみつける。

「お前! ルパンが盗んだというオイルバーンのありかを言え!」

 ひっぃ!

 守備兵の顔が引きつったかと思うと、入り口に向かって逃げ出した。

 オイルバーン?

 そう、ガメルが第六に攻め込んだ時に探していたものも確かオイルバーンであった。

 尾根フジコから買った情報では、そのオイルバーンは第六に運び込まれたという。

 だが、門外フィールドにある第六の駐屯地にはそれらしきものは見つからなかった。

 ならば、その在処は聖人世界の第六の門内。

 そう、この宿舎の中のどこかにあるはずなのだ。


 ガメルがエメラルダ救出の依頼を受けたミーキアンから受けたあの日。


 ガメルの前で膝まづいたミーキアンは頼むのだ。

「……一つ頼まれてくれないだろうか……」

 その様子を見たガメルは気づく……ミーキアン一人でいかんともしがたい事情が発生していることに。

「お前は、あいつにとって大切な女だからな……そのお前の頼みとあれば、聞かぬわけにはいくまい……」

「すまぬ……かなり危険なことを頼むことになる……」

 神妙な面持ちで顔をあげたミーキアンは続けるのだ。

「聖人世界の第六の宿舎内にエメラルダという女が拘束されている。その女を助けるのを手伝ってもらえないだろうか……」

 その言葉に訝しがる表情をみせるガメル。

「その女は人間なのだろう? わざわざ聖人世界にまで乗り込んで助ける必要があるというのか?」

 ミーキアンは黙ったままうなずいた。

 ガメルもまた黙ったままミーキアンの目を見つめつづけた。

 無音の時間がしばらく続いたのちにガメルは口を開いた。

「よかろう……だが、条件がある」

「条件?」

「そうだ、第六の宿舎内にはルパンが盗んだというオイルバーンがあるという。それを探してほしい」

「オイルバーン?」

「ああそうだ……それがあれば、月に行けるという噂だ……」

 その言葉を聞いた瞬間、ミーキアンの目に驚きの色が浮かんだ。

「ガメル……まさか、お前……」

「あぁ、そのまさかだ……月に行ってアイツを一発ぶん殴らなければ気が収まらないのだ……お前をこんな寂しいめに合わせたあいつを……」

 すでに目に涙を浮かべていたミーキアンは、やっとのことで絞り出す。

「ガメル……すまない……すまない……」

 そこには魔人騎士としての威厳もなく、ただただ友の前で泣く女が一人いた。


「クソ! ガメルさまから依頼されたオイルバーンはどこだ!」

 ミーアはエメラルダの肩を抱きながら宿舎内を辺りを見回していた。

 だが、宿舎内の守備兵は既に逃げ出した後。

 脅して聞き出そうにも誰もいないのだ。

 だが、このまま宿舎内にとどまっていればミーキアンさまに命令されたエメラルダ救出が不可能になってしまう。

 ならばこの際、優先すべきはエメラルダである。

 焦るミーアはエメラルダと伴に入口に向かい外に出ようとした。


 そんなミーアの目の前には一方的な殺戮の風景が広がった。

 城壁からの一斉砲火を浴びる、ガメルとガンタルトたち。

 この槍と矢の嵐の中をエメラルダを連れて行けと言うのであろうか。

 立っていることがやっとのエメラルダである。

 とてもではないが無理である。


 激しい攻撃に徐々に後退し始めるガメルたち。


 ――このままでは、またエメラルダを取り返されてしまう……


 ミーアはすぐ目の前にある騎士の門へ向かうことをあきらめた。

 宿舎の中に戻り、裏口へと向かう。


 裏口を抜けたミーアは、そのまま闇の中へと駆け込んだ。

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