第89話 青いスライム(1)9/16改稿

 タカトとビン子は岩の上で、おびえながら下を眺めるだけであった。


 岩の下のクロダイショウとオオヒャクテの群れは、更に数を増し足の踏み場もなくなっていた。

 タカトたちが岩から落ちてくるのを、今か今かと待ち受けている。

 岩肌の薄緑の光が黒い波を怪しく映し出す。

 どこか逃げられるところはないかと、二人はあたりをきょろきょろと見まわした。


 ドームの中心の地面から青い塊が這いあがってくる。


 あれは……なんだ……いや……女の子?


 タカトには、それが女の子のように見えた。

 錯覚なのか、真実なのか分からない。

 ただ、その女の子は一人、ポツンと寂しそうな、いや孤独ですでに心を失ったような表情をしているように見えた。穴からロープを登るたびにクロダイショウがその頭を小突く。手を地面に伸ばすたびにオオヒャクテが、その手を踏みつける。その行為がまるで面白いことのように何度も何度も繰り返される。コイツらがたてる物音が、まるで笑っているかのように聞こえてくる。


 その光景はタカトにとって不愉快きわまりないものであった。

 町へと道具を運べば、女たちからは、汚いやつ、臭いやつと陰口を叩かれる。オタクの弱弱しい風貌のせいなのか、男たちからは、以前町で歩いていた半魔の犬たちのように小突かれる。何度も何度も。さも、余興を楽しむかのように何度も。


 タカトの体中の毛穴が逆だった。体をめぐる血液が沸騰する。

 考えるよりも早く、たいまつと小剣をもって、クロダイショウとオオヒャクテが渦巻く黒い海へと飛び降りた。

 たいまつを振り、クロダイショウとオオヒャクテの群れをかき分ける。

 権蔵に直してもらった小剣を開血解放し、とびかかってくる魔物を切り伏せていく。


「ちょっと! どこに行くのよ!」

 岩の上で、ビン子が叫んだ。


「女の子がいじめられているんだよ!」

 タカトは叫びながら、青い女の子の方向に向かって黒い海をかき分けていく。

 しかし、ビン子にはタカトの目指す青い女の子といった塊が、ただの小さな丸い塊にしか見えなかった。


 えっ……女の子……あれって、どう見てもスライムよね。


 タカトが何を言っているのか分からないビン子は、石の上で戸惑っていた。




 青いスライムは、いつからこの穴の中にいたのであろうか。


 スライムが気づいた時には、真っ暗であった。

 光も届かぬ深い闇の中、スライムはゆっくりと体を進めた。


 しばらくすると、何かつるつるする壁のようなものにぶつかった。

 その壁のようなものに沿って進む。


 いつかどこかにたどり着くだろう……


 しかし、暗闇の中でその壁は終わることなく続いていた。

 それでもスライムは進みつづけた。

 いや、この暗闇の中では進むしかすることがなかったのである。


 さらに、どれだけの時間がたったのであろうか。

 上空にうっすらと緑色の大きな月が浮かんでいるのに気が付いた。

 それは月ではなく、穴から見える天上のようであった。

 スライムは、初めて、自分が穴の中にいることに気が付いた。

 穴の壁には、スライムの体がこすれた跡がうっすらとへこみ輪を描いていた。


 穴の中はスライムだけの世界であった。


 スライム以外には何もなく、ただ、壁がキラキラと輝いているだけであった。

 徐々に天空の緑の月は明るさを増していった。

 その月が孤独なスライムを憐れんで涙を流すかのように、穴の中に水滴を落とし始めた。

 スライムは不思議と腹は減らなかった。

 しかし、その月が落としてくれるしずくがとてもおいしく気に入っていた。

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