第76話 万命寺と万命拳

「あぁ、あの子たちには、何か事情があったんだ……」

 コウエンは、自分を責めながらつぶやいた。


 頭をさすりながらタカトが病院の外門へと帰ってくる。

 コウエンの側を通りすぎながら、つぶやいた。


「いまさら返せとか言うなよ」


「あぁ」

 通り過ぎるタカトの後を追うコウエンは、解衣推食かいいすいしょくすなわち、人を深く思いやる教えを、このちゃらんぽらんな男から授かったかのような気がして少し恥ずかしそうであった。

 おそらく、自分の御仏に仕える心の修行がまだまだ足りぬと恥じたのであろう。


 しかし、タカトは決して、そんな高潔な男とは、違うと思うぞ……

 たぶん、あいつは、自分が面白いからやっているだけだと思う。


 仰々しく蘭華と蘭菊にお金を恵んでやって、感謝されたいわけではない。

 どちらかと言うと、お金を渡しているのはタカトの勝手な行動なのだ。

 そんなことで、蘭華と蘭菊に引け目に感じられては、余計に困る。

 そんなの全くおもろない!


 ただただ、蘭華と蘭菊が辛そうな顔をしているのがタカトにとって面白くないのだ。

 日々、幼いながらも母のために必死に頑張っている。

 タカトは母のために何もできなかった。

 なのに、あの二人は頑張っている。

 皆に馬鹿にされても働き続ける。

 でも、誰も救いの手を差し伸べない。

 母がいなくなるかもという不安と絶望が、蘭華と蘭菊の笑顔を奪っていく。

 ――そんなの全くおもろない!

 頑張っているんだから、笑っていいじゃないか。

 いや、笑うべきなんだ!

 それが、ほんのひと時だったとしても。

 そして、それが、一時しのぎだと分かっていても。


 自分たちが腹を空かそうが、蘭華と蘭菊の二人がちょっとでも長く笑っていれば、それだけで十分だったのだ。



「このどあほ! また、盗まれたのか!」


 ドアを開けたタカト達に向かって、テンプレのような権蔵の怒鳴りごえが響き渡る。

 慣れたタカトは、右小指で耳の穴をほじりながら、部屋へと入ってくる。

 ビン子も慣れてきたのだろうか、以前までのうつむき姿とは異なり、手を後ろに回し普通に入ってくる。


 大きな耳あかでもとれたのだろう。小指をシャツにこすりつけながら、タカトは言う。

「ちぇっ、いいじゃんかよ。大銀貨の6,7枚大したことないだろう」


「アホか。明日からの飯はどうしたらいいんじゃ」

 腰に手を当てた権蔵は、あきれた様子で肩を落とした。


 耳垢が、しぶとく指からとれないのだろうか、シャツにこすりつけた小指を左手の親指でこすっているタカトは、まるで人ごとのように、あっけらかんと答える。

「とりあえず、森にでもいって何かとってくればいいだろ」


「それなら、お前が行くんじゃろうな……・」

 うなだれた権蔵の目が、鋭くタカトをにらみつける。


 しまったと思ったタカトは、軽く後ろにのけぞると、傍らのビン子に目を向ける。


「へっ……ビン子ちゃんお願い」


 助けを求めるように、ビン子に手を伸ばす


「ちょっ、汚い!」

 ビン子は、タカトの右手を嫌がるかのように払いのけ、身をよじる。


 タカトたちの後を追って部屋に入ってきたコウエンが話をさえぎろうとした。

「実は……」


 ビン子がとっさに振り返り、コウエンの口をそっと指で押さえる。

 その顔は、にこやかに片眼を閉じ、分かっているでしょと言わんばかりであった。


「お前は学習と言うものが……っと、そちらの方はどなたじゃ?」

 割って入ったコウエンに気づいた権蔵は、だらだらと続く愚痴を止めた。


 コウエンが両手を合わせ、丁寧に丸坊主の頭を下げた。

「万命寺の見習いでコウエンと申します」


 タカトが思い出したかのように身を乗り出し、権蔵の前で真剣なまなざしで敬礼をする。

「そうだそうだ。こいつから食料をいただきましたが、不肖タカト、それも盗まれました!」

 しかし、その顔に反省の色が全く感じられないのは、日頃のタカトの行いのせいなのか、いや、その口元に全く反省の色が現れていないからなのだろう。


 もう、怒る気力も失った権蔵は、大きくため息をつく。


「何を人ごとのように……この馬鹿者が!」


「こいつに何か代わりになるものをあげてくれないか。寺に帰ったら、きっと怒られるからさ」

 コウエンのことを心配するタカトは、権蔵にお願いする。タカトの気持ちを汲んだのか、権蔵は顔の横に手を振ると、しょうがないというような雰囲気を漂わせながら部屋の奥へと消え、ごそごそと何かを引きずり出してきた。


「あげたいのはやまやまだが、ご覧のとおり我が家にも食料がほとんどない。せめてこれでも持って行ってくれ」

 権蔵は干した野菜、いや木の根っこだろうか?細く黒くてごわごわと干からびたものの束を持ちだした。

 そして、権蔵は、それを静かにコウエンへと差し出した。

「今はこれしかないが、わしらではこれで精いっぱいなんじゃ」


「これをいただくわけにはまいりません。これがなくなれば、あなたたちが食べるものがなくなります」

 コウエンは、身を後ろに引き、両手を突き出して断った。


「いやいいんじゃ。こいつが世話になったのじゃから、これぐらいはせんとな。ましては神仏へのお布施じゃからな」

 権蔵は干し野菜を持っていない手で、かるくタカトの頭をはたく。

 いてっ

 頭をおさえるタカトが、ペロっと舌を出した。


「こちとら、こいつらが来てから貧乏生活にはなれとる。気にせんでええ。明日には森にでも行って動物でも狩ってくるから安心せい」


「それでも結構です……」

 かたくなに断るコウエン、根負けする権蔵はそうかと言って、干し野菜をひっこめた。




 コウエンは出口で振り返ると、権蔵たちに深々と頭を下げた。そして、夕焼けの道を万命寺へと帰っていく。


 それを見送る権蔵たち三人。権蔵は静かに、そして少しうれしそうにタカトに語り掛けた。

「やっと、友達ができたんか?」


「俺は友達なんかいらん!いるのは愛人のみ!」

 胸を張るタカト。

 しかし、小さくつぶやく。


「……ただのおせっかいなやつだよ」


「そうか、そうか。かわいいお嬢さんじゃないか」

 振り返り、家の中に入ろうとした権蔵は嬉しそうに、タカトの頭に手を置いた。


「えっ! 女だったの」

 驚くタカト


「気づいてなかったの!」

「!?」

 驚くビン子と権蔵が一斉にタカトを見る。


 万命寺の住職であるガンエンのもとに、お礼を言いに行くように権蔵から言われたタカトとビン子は、昨日のなんだかわからない干し野菜を携え、家から森の奥へと歩いていた。

 森を抜けると、山のふもとに古びた万命寺が立っているのが見えた。

 森から万命寺までのびた道沿いには、仕事に就けない罪人や、納税できない国民がその日その日を生き抜くために集まり、スラムが形成されていた。

 スラムの中には、棒に布を張っただけの粗末なテントが無数に広がっていた。

 テントの中を覗くと、やせ細った女が、黒く汚れた乳を、乳飲み子に吸わせている。

 そしてそれを吸う乳飲み子もまたやせ細っている。

 よくよく見ると乳飲み子の干からびた唇は、黒く乾いた乳首から離れている。

 冷たくなった我が子を抱きながら、女はすることもなく、ただただ子守唄を歌っていた。


『ここもひどいものだ』


 スラムの中を通り抜けるタカトは、住人たちをなるべく見ないように通り抜ける。

 もし、見つめてしまうと、自分の足が二度と動かなくなってしまうような気がした。

 今度は、本当に何もできない、何もできないとわかってしまうから、何も見ない。

 言い聞かせるようにすすめる足は自然と早足になった。


 テントの前で、炊き出しをするコウエンを見つけた。

 タカトはコウエンに声をかける。


「お前女だったのか?」


「女で悪いか」


 炊き出しで一生懸命なコウエンは、タカトを見ることもなく、住人たちから突き出される粗末なお椀へと、雑穀のスープをよそい続けた。


 そうかそうかと納得をしたタカトは、そんなコウエンに両手を突き出し、深々と頭を下げる。


「いやぁ、それなら、おっぱいもませてください」


 ビシっ!


 ビン子のハリセンがテニスのアンダーストロークさながら、タカトの垂れた顔面を真ん中にとらえる。

 タカトは分度器が0から180度を測るかのように、天を仰いだ。


 今日も天気はいいようである。


「馬鹿言ってないで手伝って」

 そっけないコウエンがタカトとビン子に手伝いを頼む。


 コウエンのかげで一人の男が一生懸命に手伝っていた。その男はオオボラといった。

 オオボラは何も言わずに、炊き出しを手伝っている。オオボラの顔をまじまじと見ながらタカトは手伝う。そのため、手は先程から無駄に同じことを繰り返し続けていた。


 どこかで見たことあるような……


「手を動かせ」

 オオボラはタカトの顔を見もせず、黙々と作業をしながら命令する。


「アッ、道具屋でハンカチを持って行った男か!」


 ひらめいたタカトは嬉しそうに手をたたく。


「だから、手を動かせって!」


 オオボラはタカトに向かって吠える。


 皆の懸命な働きの甲斐があってか……若干一名を除くが、何とか炊き出しを無事に終えることができた。コウエンはビン子を伴って水場に鍋を洗いに行く。

 その場にへたり込んでいたタカトは、ふとオオボラを探すが見当たらない。


「ここはひどいだろう。上に立つものが悪いせいだ」


 タカトの背後の岩の上からオオボラの声がする。

 頭だけ後ろに反り返り、岩の上を見上げるタカト。


「上に立つものが変わらなければ、ココの生活は変わらない。俺はきっと変えてみせる」

 オオボラは岩の上からスラムを見渡し覚悟を決めるかの如く強い言葉を発した。


 空を見上げるタカトは、今日は無駄に天気がいいなぁと思っていた。



 ここ万命寺は万命拳の発祥の寺である。

 万命拳は、修羅の国で生まれた拳法が融合の国に伝わり、融合の国で独自に進化したものであった。

 万命寺の前には古い大きな門があり、二人の鬼神が門を守護するようににらみを効かせていた。

 コウエンに連れられ門をくぐるタカトは、全ての罪を見透かされるような鬼神の視線が気になった。

『僕は何も悪いことはしてませんよ』

 思い当たる節が多すぎるタカトは、ビン子の影にそっと隠れた。


 コウエンはタカトたちをガンエンのもとへと案内した。

 ビン子は、ガンエンに面会すると、コウエンの先日の行いに感謝し、権蔵からの干し野菜の束を手渡した。

 その間、タカトは、古い建物の構造が気になるのか、寺の中を落ち着きなくきょろきょろと見まわしていた。

 ガンエンは両手を合わせてお辞儀をすると、干し野菜の束を受け取りコウエンに手渡した。そして、タカトとビン子を昼ごはんに誘う。

 大喜びをする二人は、二つ返事で食卓に招かれる。


 食堂ではコウエンとオオボラが、タカトたちのために食事の準備をしていた。準備と言ってもそんな仰々しいものではない。先ほどの炊き出しの雑穀のスープを木のお椀に注ぎテーブルに並べただけであった。


 共に席に着いたガンエンはタカトたちにこの万命寺の状況を話し出した。

「ここ万命寺に集まる人の数は、日に日に増えている。もう炭を売って得ただけの食料だけでは、足りなくなってきている」


 コウエンは自分の力が至らないことを恥じ入るように下を向く。その様子をちらっとオオボラは見ながら、スープを口に運んだ


「暴動でもおこれば、役人が乗り込んで、ほとんどの人が収容所送りになってしまう」

 スープを飲み終わったオオボラは、木のお椀を机におき、つぶやく。


「俺らにも何かできることはないかな」

 口が干からびた乳飲み子の影が頭から離れないタカトはつぶやいた。


 ガンエンは待ってましたとばかりに口を開いた。

「タカト君、森で動物を狩って来てくれないか」


 ビン子は不思議そうに尋ねた。

「お寺は殺生禁止ではないのですか?」


「村人を救うための殺生じゃ、神仏も許してくださるじゃろう、ナムナム。」


「ご都合主義やな」

タカトは笑いながら突っ込む。


「その代わり、万命拳を教えてやろう。万命拳は、最強の拳だぞ、万命拳の奥義、『奉身炎舞』を極めれば、魔人騎士クラスとも渡り合えるぞ」


「本当か!」

「本当だとも」

「やります!」


 半ば諦めかけていた家族の復讐。獅子の魔人に対抗する手段が目の前に広がった。しかも、タダで教えてくれるという。こんなラッキーな事は有りはしない。しかし、この時のタカトは拳法の修行を甘く見ていた。一朝一夕に身につくモノなどないというのに。


 寺の前の石畳の広場で、昼ご飯を食べ終わったタカトは、ガンエンからオオボラと共に万命拳を習い始めた。


「まずは、受け身じゃ!」

「いてぇ!」


「こらぁ! アゴを引け!」

「ギョべぇ!」


「こらぁ! 両手を広げ腕で地面を叩け!」

「ポゴぺぇ!」


ガンエンの容赦ないしごきが飛ぶ。

今更ながら後悔しはじめたタカトであった。


「ひえー。俺はか弱いんですよ」


「冗談は顔だけにしろ」

 一緒に練習をするオオボラの冷徹な突っ込みがタカトを貫く。


「ぴげぇぇぇぇ!」


 その様子をビン子はコウエンと共に階段に腰かけて楽しそうに見つめていた。


 しかし、そんな楽しそうな時間は長くは続かなかった。寺の門から、取り乱した男の声が駆け込んできた。


「ガンエン様、うちの息子が倒れて動かないんです! 助けてください!」


 男から話を聞いていたガンエンの表情が険しく変わった。


「タカトや、今日の修行はここまでじゃ!」


 いつの間に寺の中に入ったのだろうか、コウエンが何か箱を持って駆け出してきた。ガンエンが、男に案内しろと命じると、コウエンと共に走り出す。


 あっけにとられるタカトとビン子。

 オオボラが、ガンエンの背を心配そうに見つめながら説明した。


「ガンエン様は、昔、第七の駐屯地で医者をしていたからな……」





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