第4話 いつもの朝のはずだった(1)

 あの後、どうやって助かったのかタカト自身は覚えていなかった。

 しかし、今こうして生きているのは確かな事実。

 おそらく、あのお姉さんが命を救ってくれたのだろう。

 だが、それ以来、あのお姉さんを見かけることはなかったのである。

 

 ――だけど……あのお姉さんの瞳……

 それは、まるで私を忘れないでと言っているような切ない目であった。

 ――絶対に、忘れるわけがない! 忘れるもんか!

 そう、あのふくよかな胸の感触だけは絶対に忘れない。

 おそらくあの豊満な胸はFカップ! いや、Gカップなのかもしれない!

 あの素晴らしいオッパイを、もう一度!

 いまや、お姉さんの顔はハッキリと思い出せないが、あのオッパイをもう一度さわれば確実に思い出す自信がタカトにはあった。

 ――そう俺の求めるオッパイはあのお姉さんのオッパイなのだから!


 だがそんなオッパイと共に思い出さざる得なかった獅子の冷たい緑の目。

 タカトの体は自然と硬直し無意識に震えだしていた。

 ――怖い……

 かつてタカトの目の前で、月下に赤き大輪の花を咲き散らした父は、獅子の魔人の口によって噛み砕かれたのだ。

 ――あの魔人だけは許さない!

 震えるタカトの心に復讐の怒りがこみ上げる。

 あの頃の幼きタカトは確かに何もできなかった。

 しかし……

 今のオタクのタカトも大して何もできない。

 ――ごめん……母さん……

 悔しさが込み上げるタカトは、拳を強く握りしめるのが精一杯。

 だが今できなくとも、必ずきっと!

 ――殺す……殺す……アイツを殺す!

 そんな荒む心の奥底から小さき赤黒い声が這い上がろうとしていたことにタカト自身は気づいていなかった。

 ――殺せ……殺せ……すべてを殺せ!

 

「何ぼーっとしてんのよ!」


 バキ!

 我に返ったタカトの視界が一瞬、天井の梁にかかる蜘蛛の巣をとらえた。

 反りかえるタカトの足元には、先ほどまでベッドの上でビン子が抱きしめていた枕がポトリと落ちている。

 

 そう、この枕はビン子が投げたものである。

 というのも、先ほどから目の前でタカトが怖い顔をしながら物思いにふけっているのだ。

 しかも、よく見ると小刻みに震えているではないか。

 ビン子はタカトの過去を詳しくは知らない。

 だけど、かなり辛い経験をしたのは聞かずともよく分かった。

 そんなタカトが過去の記憶を思い出す度に徐々にもちまえの明るさを失っていくようなきがしていたのだ。

 それはまるで別の何者かがタカトの身体を徐々に支配していくかのようにも思えたのである。

 ――イヤ……タカトをとらないで……

 ビン子はそんな恐怖からタカトを引き離すかのように、枕を思いっきり投げつけた。


 「いてえぇぇぇぇ!」

 タカトは枕が直撃した鼻を押さえて叫び声をあげた。

 これは相当のダメージ。

 押さえる鼻は赤鼻のトナカイのごとく腫れあがっていた。

 だが、鼻血は出ていない! まだイケる! 俺はイケる! イケてるんだァァ!

 ――ということで、今度は俺のバトルフェイズ!

 反り返った背骨を力いっぱいに元の位置まで引き起こすと、タカトは禁断のカードを引き抜いた。

 ――俺のターン! ドロゥ!

 そう、それはビン子が最も気にしている呪いの言葉!

「断じて、お前のような『ド貧乳』は俺が探し求めるオッパイではないわ!」


 ビン子の胸は同じ年頃の女の子と比べてかなり小さい、いや……まな板並みと言ったところだろうか。

 そのため、ビン子はことあるごとに巨乳の女を目の敵にしていたのである。


 当然、それを聞いたビン子の堪忍袋の緒はブチッと切れた。

 ぶッちーーーーーん!

 いや、緒が切れるどころか、堪忍袋そのものが風船のように爆発したのだ!


 奴は『貧乳』にわざわざ『ド』までつけよったのだ。

 ――タカト! マジで許すまじ!


 ビン子のバトルフェイズ!

 間髪入れずにベッドの上に飛び上がった体が、きれいな弧を描いていた。

 それは荒川静香さんも驚くほど美しいイナバウアー。


「朝から、下劣なことを叫ぶな!」

 怒号と共に空中より振り下ろされたハリセンが、鋭い半円を描ききる!


 ビシっ!

 ハリセンがタカトの頭をクリーンヒット!

 これは会心の一撃だぁぁぁぁ!


 首からカクンと前のめりに折れたタカトの視界。

 そんな視界が、足元に落ちていた小さなネジを発見した。

 ――あっ、団扇のネジ、こんなところにあったのか……


 仁王立ちのビン子は顔を真っ赤にしながらタカトを見下ろしていた。

「これは貧乳ではない。発育途中だ! 言い直せ!」


「いてぇな! そんなに叩くなよ。あぁ分かった! 分かった! 発育途中だよ発育途中ぅっ!」

 片目をつぶるタカトは頭をこすりながら仕方なしに答えた。

 やむえまい、ここはいったん引き下がろう。

 だが、これは敗北ではない、戦術的撤退というものだ。

 こうでも言わないと、ビン子の怒りは当分、収まりそうになかったのである。

 だが……

 だがしかし……

 なんか腹が立つ!

 このままでは引き下がったのでは、俺のイケてるプライドが納得いかない。

 もうこの際、ビン子を責める理由など何でもいいのだ。

 とりあえず、奴にゴメンと言わせれれば勝ちなのだ。


 ということで、再び俺のバトルフェイズ!

「でもなぁ、いつも自分の部屋で寝ろって言っているだろ!」


「ベッドがあいてるんだから、別にいいじゃない」

 すでにビン子はタカトをハリセンで叩いたことで気がすんだ様子、もう何事もなかったかのように落ち着いた声で答えた。


「大体、タカトは道具作りに熱中するとベッドで寝ないんだから、問題ないでしょう。昨日だって、道具作りで、そのまま机でグーじゃない」


 ベッドから降りたビン子は、タカトの顔を下からまじまじとのぞき込むと、さも、その様子をずーっと眺めていたかのように額についた道具の跡を指さした。


 ビン子は夜な夜なタカトが作業机に向かって真剣に道具作りをしている姿を眺めているのが好きだったのだ。

 一見ちゃらんぽらんなタカトであるが、道具作りの際に見せる真剣な一面。

 そんなタカトを知っているのは自分だけだと思っているのだろう。

 だがそんな思いも、恋のライバルでもいれば優越感にどっぷりと浸れるのかもしれないが、残念ながらそんな偏食家が現れることはありえない。


 しかし、ビン子にとってベッドから眺めるタカトとの距離は手を伸ばせば届く距離でもあるのにも関わらず遠く離れているように思えた。

 神と人間の恋だから?

 それとも、タカトがビン子のことを妹としてしか見ていないからなのだろうか。

 いやいやいや、こいつは目の前の道具作り以外、目に入っていないのだ。

 恋愛小説のように燃え上がるような恋をしたいと、ビン子が夜な夜な小説を読みながら妄想に励んでいるが、目の前の朴念仁ぼくねんじんのとうへんぼく野郎は、そんなことに気づきもしないで、今夜もドライバーを握っているのである。

 おそらく、こいつが興味があるのは道具作りとおっぱいだけ!

 実際にこの部屋にある本棚は、道具作りの参考書が半分、なんでこんなものに興味を持つのか全く意味が分からないが『乳房画像解像学にゅうぼうがぞうかいぞうがく』『乳房検査実践にゅうぼうけんさじっせんガイド』などの、おっぱいの専門医学書がその半分。

 残りは巨乳のグラビア写真集で、そのほとんどが巨乳アイドルのアイナちゃんが占めていた。

 そう考えるビン子は、なんだか無性に腹が立ってくるのが自分でもわかった。

 もうこの際だから、ベッドの下のムフフな本をまとめて捨ててやろうかと真剣に悩みはじめていたのである。


「いやいや、お前がベッドの上で寝ているから仕方なしにだな」

 負けじと自分の正当性をアピールするタカトであったが、正直なところビン子がいつ部屋にやって来たのか全く見当がついていなかった。


「タカトのほうが先に寝てたんですぅ」

 イライラが募ってきたビン子も簡単に引き下がるのが許せなくなっているようで、タカトの言葉に応戦しはじめた。

 もうすでに、そこに真実など関係ない。

 あるのは不毛なバトルのみ。

 どちらが先に相手をいいくるめることができるのかを、ただただ争っているだけだった。


 そんな時、廊下の奥から年老いた男の声が二人を急かすように呼び立てた。

「おーい、お前ら朝めしできたぞ。じゃれてないで早く来い!」


 声の主は権蔵ごんぞうと言う老人であった。

 権蔵は、腕のいい第1世代だいいちせだい融合加工ゆうごうかこうの道具職人である。

 融合加工とはこの国独自の技術で、魔物の組織と物質を融合し、その物質に特殊な能力を付与する技術のことなのだ。


「はぁーい」

「分かったよ」


 二人は互いの肩を小突きあいながら部屋を出ようとしていた。

 そんな時、タカトが、とつぜん笑いながらビン子の鼻頭を指さしたのだ。

「オイオイ、貧乏神のビン子さま、お鼻に何をつけられておられるのですか? もしかして、それが神の恩恵ってやつですかい」


 ちなみに、神の恩恵とは、神が起こす常人ではなしえない奇跡の事である。まぁ、強いて言うなら魔法みたいなものだ。


「もしかして、ビン子さまの神の恩恵は真っ黒なお鼻のトナカイさんですか! トナカイ様! 俺にハーレムください! 愛人ください! オッパイください!」

 タカトは頭を深々と下げると、頭上で合わせた手をパンパンと叩いた。


 ――えっ? 何がついているの?

 ビン子は、懸命に自分の鼻頭を見ようと両目をプルプルと震わせた。

 その鼻頭についている黒いシミは、どうやら先ほどタカトが鼻をつまんだ際についた油の跡。

 口をすぼませて両目を寄せるビン子を見ながら、タカトはさらに爆笑していた。


「タカトのバカァ! サイっテイっ!」


 といういか、プレゼントを配るのはトナカイではなくてサンタだろうが。

 そもそも、こういう乙女心を傷つける男のところにはサンタが来てくるとは思えない。

 いや、サンタではなく地獄のサタンなら、もうすぐそこまで来ているのかも。

 今日一日、無事に生きていられるかな? タカト君!




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