『休日 Nice Sols』


 1


「またヤシロサンタがやってきたぞ」

「ほほぅ」

 前は確かトナカイの格好だった。クリスマス当日、今回はちゃんと赤白の格好である。

 ヒゲは滝のように真っすぐつるんつるんに伸びて、長すぎて自分で踏みそうだった。その白金の輝きが電灯の下だと強すぎて、太陽を見下ろすような感覚で眩しい。太陽を見下ろすって、なかなかできない体験ではある。

「ところでサンタ、プレゼントは?」

「む?」

 手ぶらのヤシロサンタが首を傾げる。

「サンタはいい子にプレゼントを持ってくるものだが」

「おお、わたしはいいやつだぞ」

 なにかくれ、と逆にねだってきた。まぁ、こんな小さなサンタに期待する方が間違っている。

「じゃあ遅いし、明日ね」

「うむうむ」

「ほーらヤチー、おいしいみかんですよー」

「わー」

 サンタが諸手を上げて娘の方へ駆けていき、そのままこたつに飛び込んだ。

 前もこんなことあった気がする。

「はー」

 背中側から聞こえて振り向くと、エリオがこちらへ両腕を突き出していた。

 なんとかブルーを見て以来、髪の色だけで『ワンチャン?』と考えて日々練習を欠かしていない。かめはめ波の。変なところだけ熱心なやつである。

「はー」

「人に向けて撃たないの」

 出たらどうするんだ。

「はーっ」

「う、つ、な」

 頬を引っ張ると、むぃーとエリオがじたばたする。

「手からなにか出せばいいのか?」

「お前は本当に出そうだから駄目」

 大人しくみかん食べてなさい。そんな感じで、いつも通りのクリスマスだった。



 2


『あんた売れてきたし他所で暮らしたら?』

「などと割と隠さず出て行けと言われてしまいました」

 のっほほほ、と岩谷カナが表情は変えず笑い声だけあげるのを、向かいの新城雅は微笑ましそうに眺めていた。太陽の輪郭のように輝く金髪は健在で、伸ばした前髪が額の古傷を上手く隠していた。お互いに歳月を経たものの、カナの外見と実年齢との乖離は健在だった。

 駅にほど近い大通りのオープンカフェで、二人は向き合って座っていた。

「君のお師匠さんは一人で暮らすのが性に合っていそうだからね」

「人間が好きじゃないですからなーししょーは」

 わたしも意外と人間だったらしい、とカナがほへほへ今度はちゃんと笑う。

「ということで住処を探さねばならないのですが!」

「ふむ」

 雅が一考するように顎を撫でてから、口を開く。喋り出すまで、少し間を置いて。

「私は、今でもいつ危険な目に遭ってもおかしくないし、お世辞にも真っ当な生き方をしてきた人間ではないんだ」

「はぁ」

「きみは怖がっていないけれど、人を殺したこともある」

「ほ、ほほ……ぉ」

 雅が堂々と言うものだから、カナの方がきょろきょろ周りを窺う。そのカナの髪と、研修中という名札が揺れるのを雅の目が真っすぐ捉えていた。そして。

「そんな相手でもいいなら、一緒に暮らさないかい?」

「……ど、どうせい、っすか?」

 どうせいと、と言いかけたがカナが珍しくちゃんと口をつぐんだ。

 カナが知る中でもっとも美しい女性は、やや緊張した硬い面持ちで返事を待っている。ほへ、と思うところが百個ほど頭に浮かんだもののカナの思考では一つずつ対処するのがやっとで、その行列をさばいている間にカフェの営業時間が終わると判断してすべてを投げ捨てた。

「いいよ!」

 謎の勢いと共に、カナが了承する。そのカナの気前がよく、向こう見ずでさえある返事に、雅が肩をくすぐったそうに揺らした。

「よかった。カナちゃんと一緒にいたいとずっと思っていたんだ」

「ほ、ほほへ」

 カナの頬が淡く色づく。

「これで毎日きみにセクハラできるね」

「おばばばば」

 カナの口元が泡を噴く。

「きみといると、日の下にいてもいいんだ、って思わせてくれるよ」

 雅が頬と目をほころばせることに美しさを覚えながらも、カナは首を傾げる。

 言葉の意味を少し考えて、頭の奥に難解の熱が高まる。

 文学的な表現がカナは苦手だ。

 太陽。当たる。お外。一つずつ、空から納得を持ってきて。

「いぇーいプンカフェ!」

 両方の親指を立てると、雅はグラスの中身を噴き出すように笑い出すのだった。



 3


 太陽が彩る昼間よりも、空気の沈むような夜の方がなにか落ちてきそうな気がする。

 真っ暗闇に小さな希望を見つけたい、その願望がそんな気持ちにさせるのだろうか。

 そんなことを時々……いや、いつもかな。考えながら、朝の体操を続ける。

「おいっち、にー、おいっち」

「テンポ三つくらい遅いよ」

 指摘すると、猿子が遅れを取り戻すように高速で動く。五秒くらいで力尽きて、膝に手をついてしまったけど。

「あんたよりエビの方が体力あるんだけど」

 私の隣ではエビが一緒に柔軟体操をこなしている。……エビが陸上で。猿子といつも一緒にいるそのどう見てもエビは、地上を高速で走る姿が大学内で幾度となく目撃されている。しかも今褒められたのを感じてか、若干胴体が赤みを帯びた。……んんー、ファンタジー。

「しかし休みでもがんばるねぇ、キャナーエは」

 誰だよ。

「長生きしないといけないからね、私は」

 いつかまた、空から落ちてくるものを掬い上げる日まで。

 太陽を射抜くように、強く、空を真っすぐ見上げた。



 4


 こいつ本当にうるさいな、と耳と意識に蓋をするように思う。

「この後うちにおいでよ。どうせクリスマスにやることないでしょ?」

 一方的に喋り倒しながら、髪の水滴もついでのように飛ばしてくる。ウザい。

「クリスマスってなにかしないといけないの?」

「いけないが……」

 なにを言っているんだこいつはみたいに目を丸くしてきたので少し殴りたくなった。

 ジムの帰りの更衣室でアレと鉢合わせた途端、自身を包む静謐の壁が瓦解する。

「あ、分かった! プレゼント用意してないから申し訳なく思ってるんだね!」

 頭にいつもサンタがいそうなアレの発想にはとてもついていけない。

「気にすんなよ、友達だけど気にすんなよ!」

「あなたには私のストレスを気にしてほしいんだけど」

「すべてを許すぞ!」

「許してほしいんだけど」

 離せ、と肘を掴んでいる指先を振りほどこうとする。ぬみみみ、と粘ってくる。無駄、人生の無駄。アレが絡んでくると必ず生じるもの。アレはその無駄を、本当に楽しそうに味わっている。

 大きい溜息をまるで返事と解釈するように、アレは眩しいほどに笑う。

 今年も、ずっとそうだった。

 こんな表現で正しいのか分からないけれど。

 真夏の太陽のようにやかましい女だった。



 5


 着替え終えてからでは明らか遅いのだけど、この格好はなんなのだろうと考える。

 クリスマスなのだけど、とテーブルに用意したものを眺める。一部の隙もなくクリスマスだ。聖夜だ。そして私はチャイナドレスだ、と裾を引っ張る。年々、このスリットの部分が気になる。学生時代の気の迷いが今でもこうして形を成していることに、時々人生というものを想う。

 だけど。

 待ちわびていた呼び鈴の音で、そうした疑問は溶けるように消える。

 私の太陽が、帰ってくる。

「あ、あいやー、おかえりねしまむらさーん……で、いい?」

 前に話したなんだっけ……『らしさ』? を意識しながら出迎えると、しまむらは一拍置いて、降り積もった厳寒を払うように、ばぁっと笑顔を輝かせる。

「おけおけ素晴らしいのココロね」

 心から楽しそうなしまむらからは、丸く、温かい光がゆっくりと迫ってくるようだった。

 その光に吞まれていく、私は。

「あはっ」

 いつかのしまむらを真似るように、そんな笑い声が思わず漏れた。



 6


「あんた、手を出してる女何人いるの?」

「希望を多分に含んで四人くらい?」

 実際は六人か七人かもしれない。

「で、なんでクリスマスにキャバクラ来てんの」

 客を客と思わない態度のキャバ嬢に乾杯する。

「似合うよミニスカサンタ」

「ありがとうサイズ合わないの」

 季節柄の衣装に身を包んだ、背の高いキャバ嬢がスカートの端を摘んで嘆息する。

「他の女の子に誘われたりしないわけ?」

「え、されるけど普通に仕事忙しいから無理だよって」

 実際、キャバクラに来る前はちゃんと仕事してきたので嘘ではない。終わったら? 仕事終わる時間いくらでも待つよ、とそこまで派生されると、嘘が必要になる。

「嘘ついてクリスマスにキャバクラ通いとか、顔の良さで生きてる女のやること?」

「やること」

 ちろちろと、グラスのお酒を少しだけ舐める。

 眩しいほどの好意、相愛。

 そんな太陽から身を隠すように、キャバクラの奥に潜むくらいが……今日という日には丁度いい。

「なんていうかさ……特別な人と特別な日を……みたいなのはあれじゃん」

「あれってなに?」

「……まるで、お互いが相手を特別に思っているみたいじゃん、って言っていい?」

「ゲス、カス、クズ」

「たのちいからもっと言って」

 冷めた目線が心地よかった。私を楽しませたくないのか、すぐに罵倒が止んでしまう。

「なんでこんな女に夢中なやつがいっぱいいるんだろうね」

「見た目がいいからだが」

 自分でも、そこ以外に取り柄を一切見つけることができない。

「ま、見た目がいいのは……そうね」

「ミニスカサンタ公認ってこれからは広めていくわ。お前こそいいの? クリスマスだし上客にお愛想しないで。稼ぎ時ってやつだろ」

「そういうイベントはクリスマス前の週とかでやっちゃうの。それに」

「それに?」

 キャバ嬢が俯いて、頬にかかる髪を払いのけるようにして。

「あんたの相手が一番気を遣わなくていいから楽なの、タカソラ」

「いや気くらい遣って」

 客だぞこれでも、一応。

「というわけでクリスマスを満喫できる、いいとこ頼む」

「はぁ?」

「いいとこ」

 気を遣わなくていいと言われたので、早速遣わせてみた。クリスマスらしさをサンタ以外に要求して手拍子で囃し立てると、キャバ嬢が「めんどくせ」とまったく隠さない。

「だったら…………んー……トナカイの鳴き真似聞く?」

「なにそれ超聞きたい」

 喉を整えて、すぐに実演してくれた。なかなかの低音の呻くような鳴き声なんだけど、これが似ているのか分からない。そもそもトナカイの鳴き声なんて本物を聞いたことがない。

 うちに来てくれたサンタは、寝坊して朝にプレゼントを渡していたなとふと思い出す。

「素敵よ」

「でしょ」

 自信満々なので、多分、似ているのだろう。……本当か?

「ではお礼にこちらはサンタの鳴き真似を」

「なにそれ超聞きたい」

 私が思い描く最強のサンタの鳴き声を、喉の奥を捻るようにして披露する。

 なにそれとミニスカサンタが頬をほころばせたので、調子に乗って、喉が潰れかけた。



 7


「助けてぇ! 変な人に絡まれてるんです!」

「奇遇だな僕もだよ」

 速度をいくら上げても、おどける余裕すらあるらしい。

「だれかぁ! 男のひとぉ!」

「僕の逃げる方に走ってくるな!」

 魔女のような三角帽子を被った男が延々、隣に並んでくる。理由は分かっている、後ろから異様な形相で追ってくる女がいる。女だろう、多分。生物学的には。どう見ても一般人や景色と馴染まないそれに追いかけ回されているらしい。僕ではなく隣のやつが。僕には一切関わりがないのに、こっちをたまたま見つけたそいつがなぜかこうして追いかけてくるのだ。

「いやなんかこっちを見て逃げるから、つい」

「お前からも逃げてるんだよ」

「ああそうなんだそりゃ悪い。でもなんか逃げてるから、つい」

「誰か助けてぇ!」

 男の人ぉ!

 こいつら日の下に誘えばどっちも溶けるか死ぬかしないかと期待したのに、平然と大通りを走っている。ハロウィンとでも勘違いしているような帽子のやつと並んでこんな人気の多い場所など走りたくない。が、速い。まったく息が乱れる様子もない。早く追い抜いてどこか行け。

「きゃあああああひとごろしぃぃぃ!」

「お前もだよ!」

 仲間と思われたくないので、懸命に走った。

 左に曲がった。

 不意をついて右に折れた。

 仲間は予知でもするように、楽しそうに、乱れることなく正確にくっついてきた。



 8


 太陽が沈むころ、私はもう一つの太陽を昇らせる。

店の表の明かりを点ける時間もすっかり早まって、吐息が白くなる前に冬を感じる。

 私が実家の居酒屋を継いで何年経ったか。思いの外順調で、人手が足りなくすらあるので最近、都合のつく人を雇った。礼儀正しいしどれも丁寧で、そこに料理の腕もあるので助かっている。

「でもいいのかい。クリスマス当日にも来てもらって」

「いいんです。今度の土日に合わせていっぱい色々しようって約束していますから」

 店員さんが仕事の合間に、控えめな笑顔でそんなことを言う。

「それは楽しみなことだね」

 私には関係のないことだけど、作業中だとついそうした気のない喜びが浮かぶ。

「店長さんこそ、予定は」

「ははは、これくらいかな」

 一笑して流しながら、注文された唐揚げの用意を始めた。今日はよく唐揚げを作る日だ。

 クリスマスをほんの少し感じながら、揚げ物の匂いを嗅いで。

「いらっしゃいま……せー」

 店員さんの困惑の混じったような声を聞いて、入り口に目をやると。

「おや」

 珍しいことに、サンタが来店してくれた。とても小さなサンタが。

 転校生が自分の娘とサンタの手を握りながら、店を覗いていた。顔ぶれから見て、私に用事といったところだろうと判断して厨房を店員さんに任せて入口へ向かう。

 前にも一度預かったことのある、転校生と藤和の子供。藤和と瓜二つなんてものではない容姿と、髪の輝き。その隣には小さなサンタ。こちらの髪は純白、いや白金が近いのか。

 そして転校生の髪は黒であり、まだまだ健在だった。うむ。

「まえかわさんだー」

「こんばんは」

「のぼっちゃえー」

 わー、と子供たちが人をよじよじ上ってこようとする。こらこらと、転校生が娘とサンタをすぐに抱っこして回収した。

「お仕事中だからねー」

「そっかー。おしごとがんばってねー」

「はぁい」

 なかなかにやる気の出る応援だった。効果がちゃんとある応援は、ただ生きているだけでは出会うのは難しいものだった。

「それで、どうかしたのかい?」

 わざわざクリスマスにサンタ同伴で。

「いや、こいつがいいやつにプレゼントを届けてやろうって言い出してね」

 ほら、と転校生が抱えていたサンタを下ろす。うむうむ、とサンタがこちらにやってきて、気づいたけどヒゲが長すぎる。そして、いいやつとは私のことだろうか。らしい。

「この前キュウリを貰ったからな」

「貰ったというか、いつの間にか食べていたんだけどね……」

 置いておくと一瞬目を離した隙に現れてぽりぽりかじっていたので、面白くて三本ほどあげてしまった。そのときはパンダの格好をしていて、私もそういう格好をしていた時期があったなと回顧を誘う。

 大人になってからは、割烹着を毎日着るようになっていた。それは一つの道を自分が選んだことの答えなのかもしれないと、時々思う。単に忙しいだけかもしれないとも、時々思う。

 なんにせよ、サンタにプレゼントをもらうなんていつ以来だろう。

 クリスマスがこんなにも近づいてくるのは、いつが最後だっただろう。

 小さなサンタと、転校生と、転校生の娘が、私にクリスマスを運んでくる。

 それは温かい大きな球の側面を撫でるような、そんな手触りを心にもたらす。

 そのささやかなプレゼントを手にする前から、殊の外、満足してしまっていた。



 9


 今年も大変お世話になりました。

 ここに来てくださった方々の来年にも太陽が昇り続けることを祈ります。

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