『仕事とは特に関係ないやつ』


 それを最初に目撃した人も、まさにこんな気持ちになったのだろうか。

 姿だけで終末を描くような、光の巨人。

「アルト……デウス……」

 いつかの日に見た、未来に立ち塞がるもの。

 メテオラの集合体。

 分かることは、多くない。

 その巨人の誕生がなにを意味するのか。説明もなく、事態はどんどんと悪化していく。

 崩壊した指令室に、デイター司令とジュリィの遺体が横たわっている。

 いや……ジュリィは機械の身体を捨てただけで、まだ死んでいない。あいつは、あの巨人と同化するつもりだ。そして、なにかをする。分からないが、どうしようもないなにかを。

 耳鳴りにも聞こえる、波打つ音。それは巨人の……メテオラの歌声なのだろうか。

 なぜだろう、僅かな懐かしささえ感じる。

 聞いていると、不安が和らぐような……温かくなるような。

 その歌が私に向けられているように思えるのは……錯覚なんだろうか。

 壁の裂け目から覗ける巨人を、ただこうして見上げているわけにはいかない。

 指令室に残って事態を多少なりとも把握できているのは三人。ノアもアニマも恐らくは巨人の中だ。それも中枢に位置している。巨人はアニマを中心にして生まれたのだから。

 私と、ヤマトと、アオバ。

 ヤマトは戦うことを選んだ。アオバも、父との決着をつけたいと言った。

「クロエ、お前はどうする?」

 確認するまでもない、と即答はできなくて、考える。

 私の、戦う理由。

 戦うことそのものが今までの理由だった。戦うために生まれ、生きていた。

 だけどもう、ここからは誰も戦いを強要しない。する者はみんないなくなってしまった。

 だから、ヤマトは私に問うのだ。

 私の戦う理由を。

 終末を迎える歌声と、祈りの中で、深く心を覗く。

 心。

 コーコがくれたもの。

 私を温かくして、弱くして、世界を教えて、柔らかくして、弾ませて、豊かにして、傷つけて、苦しめて、もどかしくして、そして。

 コーコを、忘れられないもの。

 そこにはたくさんの気持ちが待っていた。

 理由は一つじゃない。

 今戦えるのは私たちだけだから。

 ジュリィが散々好き放題しているのが気に入らないから。

 取り込まれたノアとアニマをこのままにしてはおけないから。

 そして、なによりも。

 コーコの声が聞こえる。

 私を呼んでいる。

 待ってるって、言ってる。

 じゃあ、どうすればいいのか。

 目を瞑り、暗闇に埋もれて。

 一歩引いて見つめれば、答えはすぐに見つかる。

「……簡単な話だ」

 マキアに搭乗し、メテオラを撃つ。ただそれだけ。

 行き着く先は、私の当たり前だった。



『巨大メテオラは現在、大きな動きには出ていない。なにかを待っているのか、それともまだ完成に時間がかかるのか……』

 コクピットの中でアオバの通信を受け取りながら返事する。

「……アルトデウス」

『クロエ?』

「あれは……アルトデウス。そういう名前なんだ」

 朧気な、夢みたいな記憶の欠片に、その名前が残っていた。

 プロジェクト・アルトデウス。

 命名し、発案し、すべてを推し進めていったのは……私の創造者。

 世界の都合なんて意に介さず、自分の為だけに生きる女。

 恨んでいるようで、許せないようで、でもその感情の置き場に未だ少し迷っている。

 どんなことにも決して曲がることのない、意思と心の強さ。

 それが私にもあれば、また違う景色が見えたのかもしれないって、思う。

『分かった、これからは目標の呼称をアルトデウスとするよ』

「了解」

 通信からは、アオバの動揺は窺えない。父親……デイター司令を失ったばかりなのに。

 心が強いわけじゃない。

 失ったら、じっとしている方が耐えられない。

 私はそうだった。

 なにかを貫き、壊していかなければどうにかなってしまいそうだった。

 アオバも今はそんな気持ちなのかもしれない。

『マキアとの接続を開始するよ』

「ああ」

『ノアみたいにナビゲートはできないけどね』

「それは、あいつが帰ってきてからしてもらうさ」

『そうだね。それが一番だ』

 うるさいあいつの声がないと、コクピットの雰囲気も随分と変わる。

 漂う無機質な匂いさえ変化するようだった。

 ミカリ・リンクを起動する。私とマキア、相容れない形状を繋ぐもの。

 マキアの腕が、私の腕になる。マキアの目が、私の目になる。

 マキア。ジュリィの作った、人型都市防衛兵器。

 つまり、私の兄弟みたいなものだ。

 ジュリィもまた、巨人に自らを接続して待ち構えている。

 同じことをやっているのだ、きっと。

「親子喧嘩……か」

『クロエ、なにか言った?』

「なんでもない」

 接続を終えると、手足の重量が増したように錯覚する。この感覚を操縦桿の代わりとして、全長400メートル近いマキアを動かしていく。……一人で操縦するのは、久しぶりかもしれない。コーコを失ってから二年、コクピットにはいつも、ノアの歌声があった。

 あいつの歌は、たくさんのものを動かす。

 ジュリィに独り占めさせるわけにはいかなかった。

『なぁ、ちょっといいか?』

 アレスマキアに搭乗したヤマトから通信が入る。

『こんな時になんだけどさ……最後かもしれないし』

『どうかしたかい、ヤマト』

『ああ……さっきからずっと悩んでたんだけど』

「なんだ……?」

 声が気負うように真剣なので、こちらも息を呑む。

 そして、ヤマトは言った。

『俺たちってこの戦いが終わったら……無職?』

「…………………………」

 こっちをこんな時に悩ませるな、と言いたかった。

「なんだその心配は……」

『だってよ、俺、これ以外の仕事なんてやってこなかったぜ。マキアに乗って、みんなを守る。今までずっとそれでよかったんだ……それが、これで最後になるかもしれないと思ったらさ……』

 本人はいたって本気の心配のようだった。

 分からないでもない不安だったが、無職という表現が多分おかしいのだろう。

「…………変なやつ」

 不思議なものだ。

 マキアに乗るために生きてきたのは私と同じなのに、感じているものはまったく違う。

 同じものを見て、違うものを見つける。

 だから、他人は必要なのかもしれない。

『確かに、そうだね。アルトデウスを倒しても父さん……デイター指令はいなくなり、ジュリィ博士もプロメテオスには戻ってこないと思う。マキアが満足に運用できるかも怪しいね』

『だよな……』

「失業保険もないぞ」

『ひでぇ職場!』

 私の軽口にヤマトが笑う。自分で言っておいて、意外だった。

 友達みたいな会話が、できるじゃないか。

『戦って、それからどうするか……難しい問題だね』

『アオバでもそうなのか?』

『僕は正直に言えば、こんな地下に追いやられた時にはもう、人類という種は終わりを迎えたんだと思っている。たとえ今、滅ばなかったとしても先は長くない……ってね』

 既視感めいたものが掠める発言だった。前にどこかで聞いたのだろうか……思い出せない。

 アオバの悲観的な物言いに、『でもよ……』とヤマトがなにか言いかけたものの、続きがあることを感じてか口を噤む。アオバは一呼吸置いて、私たちに言った。

『だからヤマト……クロエもだけど、周りのことはこの際いいんだ。自分の都合というものにだけ向き合って、答えを見つけてほしい』

 僕はもう、そうしたから。

 言外にそう付け足したような気がした。

 父親との、個人の感情の決着。

 アオバはこの戦いとその先にそれだけを見ている。

『うー……そういうの、苦手なんだよな……』

「戦いが終わったら、か……」

 考えたこともなかった。終わるとも思っていなかったから。

 終わる前にどこかで、どうでもいい攻撃で死んでしまうだろうって。

 コーコの仇を討つ時でさえ、憎悪に炙りつくされている時さえも、根底に諦念はあった。

 その見えるはずもなかった終わりにこんなにも近いことに、戸惑う。

 マキアに乗らなくてもいい自分。

 コクピットという居場所を失う私。

 残っているものは……やはり一つしかなかった。

「私は、全部終わったらコーコに会いに行こうと思ってる」

『……クロエ、それは……』

 アオバの遠慮がちな声から誤解を察して、少し笑ってしまう。

「勘違いするな、別に死んで天国で会おうとかそういうのじゃないんだ……」

 説明は難しい。漠然としていて、私にだってはっきり分かっていないのだ。

 でも私は、コーコを感じている。

 近づいているのか、それとも初めからずっと側にいてくれたのか。

 形容しがたい未知の感覚が開いて、コーコを観測しているようだった。

『分かんねぇけど……それは、前向きな話なんだよな?』

「ああ」

『じゃあいいと思うぜ! なんならみんなで会いに行くか? もちろん、ノアやアニマも連れてよ!』

 分からないけど、いい。ヤマトらしい前向きさに、肩が揺れる。

「そんなにうるさいのばかりだと、コーコがびっくりするかもな」

 コーコの、びっくりした顔。

 ……見てみたいな、私も。

『発進用意、完了。クロエ、ヤマト。マキアの移動を頼む』

「了解」

『了解!』

 無駄話の時間が終わる。貴重な、無駄な時間が。

 マキアを前進させて、所定のリフトの上へと動く。

 そのリフトから地上への上昇が始まる。

 メテオラが確認された日から、天国と地獄に一番近い場所は地上だった。

 その地上が、かつての私の居場所だ。

 地上へマキアを駆って立った時だけ、私の生まれた意味があると思っていた。

 それは格別、間違ってもいなくて。

 だけど、まったく別の意味を与えてくれる人に出会った。

 また、出会えたんだ。

 ………………………………また?

『クロエ、そろそろ地上に出るよ』

「ああ」

 シャッターが肩に直接下りてくるような、重力と衝撃。

 マキアとの疑似神経の接続が、どんどんと高まっていく。

 せり上がっていくリフトの轟音に意識を傾けるように、目を閉じる。

 途方もなく、長かった気がする。

 何度も何度も、繰り返してきた気がする。

 破滅の夢。戦いの記憶。閉じこもった箱舟の匂い。

 経験ではなく、感覚だけが知り得ている存在しない道程。

 その全てがあって、私は今、導きの糸を手繰り寄せている。

 あいつと……ジュリィと、対峙するために。

 これがきっと、最後の戦いになる。

 戦うために生まれてきた私の行き止まり。

 その先に、お前の望んだ未来があるなら。

 お前がそこにいるなら。

「今行くよ、コーコ」

『アルトマキア発進! 目標、アルトデウス!』



 不思議と、恐怖は感じなかった。

 近づく度に増していく鼓動は、まったく別の感情と予感からもたらされていた。

 うねるようにせり上がる、光の頂点。

 マキアからでさえ遥か高みに位置するそこに、忘れるはずもない顔がある。

「……コーコ」

 巨人は、コーコそっくりの顔を象っていた。

 特徴的な十字を描く瞳が、私たちなど眼中にないように彼方を捉えている。

 コーコ。

 私のすべては最初から最後まで、お前と向き合うことになるんだな。

 望むところだった。

 巨人、アルトデウスに反応してか、コクピット内の計器に異常が生じる。不可思議に変動する数値を測定しきれないことによるアラートが次々にポップアップしている。

『マキアの装甲を撫でられてる感じがずっと続いて、気味わりぃ』

 ヤマトの感想と同意見だった。今にも、その光に取り込まれてしまいそうな気分だ。

 アルトデウスの上空に、先ほどまで見かけなかった光の輪が生まれていた。

 時空を歪曲させた空間。

 メテオラが現れて、そして消えていく光の扉だ。

 あれを開くのが、アルトデウスの……ジュリィの目的なのだろうか。

 あいつは、どこへ行こうと言うんだ?

 アルトデウスの位置は、よく知っている。

 コーコがメテオラに捕食された、あの場所だ。

 それは偶然なのか、なんらかの意思が働いているのか。

 レールキャノンの射程内に迫ると、実感する。今までのメテオラと比較にならないほど、あまりに大きい。

 勝負になるのか? マキアは創造主に逆らえるのか?

「……いや」

 いや、通じるはずだ。

 だってあの博士は、天才かもしれないがバカだ。

 自分の創造したものの出来栄えが悪いことに我慢のできない女だ。

 だから最高の物を作る。

 最高なら、なんとでもなる。

 そうだろうって、自分の胸を叩いた。

『おやァ、結局来たのかい。頭悪いねェ、どいつもこいつも』

 アルトデウスの方角から、ジュリィの声が届く。

 その声だけでマキアの表面を震わせる。

 大きくなろうと、耳障りな声に変わりない。

「諦めが悪いのは親譲りだ」

『そうかいそうかい。じゃあこっちもたまには、頭悪くなってみようかなぁ!』

『アルトデウスから、ソーンウェーブ確認!』

 普段のメテオラと比較しても圧倒的な音の質量。

 警告も、オペレートも、あっという間に緊急を告げる。

 初めて聞くジュリィの歌は、ただ全てを刈り取るように、拒絶に満ちていた。

 世界に逆らおうとする意志だけが、伝わってくる。

『よっしゃ、任せろ! ちゃんと整備しとくんじゃなかったな、ジュリィ!』

 前衛を務めるアレスマキア、ヤマトがソードを振りかぶり、ソーンウェーブを叩き切ろうとする。しかしその衝突に弾き飛ばされたのはマキアの方だった。更に、巨大剣がただの一撃の接触で欠けて、終いにはその刃を叩き折られてしまう。

 接触により僅かに後退したソーンウェーブが、こちらへ再度迫る。

「ミラージェネレータ、起動」

『あっはぁ~。頭が悪くなっちゃうねェ、こんな簡単にバカみたいな力が出ると』

『一発で剣が……信じらんねぇ』

「いや、助かった。一旦後退してくれ」

 相当な衝撃を受けてコクピットを揺らしながらも、軽減されたソーンウェーブなら、こちらのミラージェネレータで受け止めることができた。

 メテオラからのエネルギーが、マキアの前方に漂っている。

 後はこれを……どうする?

『クロエ、判断は任せる』

「……いくらデカくたって、特別だからって、こいつはメテオラだ。解析しろ!」

 変換ではなく、ソーンウェーブを、メテオラの歌を解析することに回る。

「アオバ、情報を受け取ってくれ! なにか……なにかあったらだけど」

 事態が既に私たちの理解を大きく超えているのだ。

 仮になにか情報があっても、意味を成すかは……分からない。

 ソーンウェーブを完全に受け流し、ミラージェネレータの展開を閉じる。一撃でマキアが行動不能になるような攻撃を、向こうはエネルギーの心配もなく放ってくる。

 レールキャノンを悪戯に撃ったところで、この巨体のどこを狙えばいいのか。

 頭部? 心臓? そんな概念が、このメテオラにあるのか?

 手をこまねいている間にも、アルトデウスが次のソーンウェーブを溜めているのが装甲越しに伝わってくる。撃たれたら、次は無事では済まない。かといって後退も無意味だ。

 アルトデウス上空の時空の輪が、どんどん広がっている。

 あいつに入り込まれたら、もうこちらからはなにもできない。

 今が、最後なんだ。

 と。

 アオバが、驚きの声を上げる。

『これは……アルトデウスのコアの位置? 一体、誰が……』

「コア……?」

 そんなことを、メテオラが教えてくれる……? いや。

 メテオラのソーンウェーブに合わせて、情報を送る者。

 内部から、自分の歌を届けた者。

 そんなことができるのは、一人しかいない。

「そこなんだな、ノア」

『そうか! あいつらか!』

『情報を送るよ!』

 すぐさま、アオバからこちらへと情報が渡る。

 巨大人型メテオラの、丁度胸元。

 心臓の位置。

 随分と、分かりやすい位置にあるものだ。

 コーコの外見を真似たことといい、これは、もしかすると。

「お前が……やっぱりいるのか?」

 お前は、メテオラのなんなんだ?

 メテオラとお前は、今、なにを見ているんだ?

『コアの位置が……あいつは、どこまで鬱陶しいんだろうねェ!』

 アルトデウスが咆哮する。先ほどより更に上乗せされた、力をこの段階でも感じ取る。

『ソーンウェーブ確認!』

「来たな……」

『アルトマキア、ミラージェネレータを!』

「レールキャノン、装填開始」

 アオバの指示を無視してレールキャノンを起動する。展開されたジョイントに合わせて宙に表示される疑似トリガーを掴む。相手の攻撃に合わせて防御していたら、間に合わない。

 こちらのチャージが完了するのと同時に、アルトデウスもまた攻撃を重ねて相殺してくる。

 それじゃあ、届かない。

「お前の歌は趣味じゃないんだよ、ジュリィ」

 だから私には、響かない。

 装填を終えたレールキャノンを、アルトデウスの中心に構える。

 チャージ開始と同時に、極大のソーンウェーブが無防備なマキアに訪れる。マキアの巨体さえも足元から掬われて吹き飛ばされそうな、隙間のない衝撃。

 マキアの表面装甲が軋みを上げた直後、間髪なく吹き飛ばされる。花火のようにアラートが火を噴き、全面を埋め尽くしていく。左脚部が訴えるように無数の悲鳴を上げた。

コクピットも当然、無傷ではいられない。前面の端が叩き割れて、残骸が内部へと飛んでくる。装甲の破片が直撃したら私はたちまち押し潰されて終わりだろう。そうでなくても小石のような物体が次々に、凄い速度で飛んできては私の肌を切りつける。

 構うものかと、トリガーを掴んで、前だけを睨み続ける。

 ノアを助けるんだ。アニマを助けるんだ。

 コーコが、待ってるんだ。

「邪魔を……するなぁ!」

 吠えて、折れるくらいに歯を食いしばり、引き下がらない。

 引けない。

 ここで逃げたら二度とコーコに届かない気がする。

 もう逃げたくないんだ、あいつから。

 飛び交う装甲、フレーム、歌声、光。

 永遠に続くようなその嵐も、いつかは途切れる。

 音と、視界が戻ってくる。

 コクピット内部は崩壊寸前で、酷いものだった。

 ソーンウェーブによる被害……甚大。けれど、まだ動く。

 よくも頑丈に作ったものだよ。マキアも、私も。

「……傑作だよ、博士」

 お前の作ったものは、神様にだって勝てるんだ。

相次ぐ異常のアラートを全部無視して、チャージを続ける。70、90、110と出力が上昇する度に、コクピットに火花が走る。私自身も傷を負ったのか、身体のどこかが熱を帯びている。

『クロエ! 大丈夫!?』

 通信にもノイズが混じっている。

「なんとかな」

『左脚折れかけてんぞ!』

「まだ立てるさ……こいつも、私も」

 制限警告をまるで厭わず、出力を跳ね上げていく。見たこともない数字に至り、景気が表示しきれなくなってしまう。弾け飛んだ火花が私の頬を掠めた。肌を裂かれるような痛みと熱。

 まだ生きている。痛みが教えてくれる。

痛烈に、笑う。

 すべての数字が意味を成さなくなった時、制限を超えた、チャージの本当の限界に到達する。

 星を携えるような強い光が、マキアの先端に集う。

 かつて、この星に姿を見せたメテオラは、流星のように人の目に映った。

 その流れ星たちは、瞬く間に星の光を奪った。

 今度は。

「流れ星は好きか? ジュリィ」

『……嫌いだねェ!』

 お前が、その星の一つに還れ。

 さぁ、その銃で。

 私の胸を撃ち抜いて、クロエ。

「……コーコ!」

 叫びに応えるように、光が走る。

 前に、後ろに。

 トリガーを引いた瞬間、疑似トリガーの表示が消える。次いで、衝撃。コクピット内で直接爆発でも起きたような大震動が襲ってくる。とても立っていられず、膝をつく。

 天地がひっくり返るような中、コクピットの隙間から、その光を見届けるしかなかった。

 光はアルトデウスの放った不完全なソーンウェーブを巻き込み、崩壊させて、走り続ける。

 雲を貫くように。

 星を目指すように。

 マキアの全てを込めた一閃は、ノアとアニマの指し示した地点へ導かれるように走り抜けた。光の巨人の心臓を、刺し貫くように。

 光が、別の光を塗り替えていく。

 ジュリィの濁った悲鳴が聞こえた気がした。

 なにかに噛みつき続けて、抗ってきた生き方さえ呑み込み、消し飛ばしていく。

 アルトデウスを突き破った光は、頭上の光の輪を呑み込んで、空の果てへ消えていく。

 巨神の胸に、埋まりきることのない空洞を残して。

 空気の焦げた臭いが、コクピットに充満する。

 途切れていた呼吸が、まさしく、息を吹き返す。

 アルトデウスはまだ動かない。私は、動ける。

 急に訪れた静寂の中、立ち上がり、ゆっくりと、息を吐く。

 生きている。

 急激な鼓動に乱された吐息さえ、その証拠だった。

 発射の反動で電源系統に異常を来したらしく、コクピット内のアラートが段々と消失していく。

 最後は主電源が落ちて、カメラも機能しなくなる。

 コクピットハッチの隙間から、アルトデウスを見上げるしかなかった。

『どうなんだ……?』

 ヤマトが恐る恐るといったように様子を窺っている。

 マキアがあの位置なら……あいつは、巻き込まれないな。

 確認して、少し安堵する。

 アルトデウスは空洞の胸を埋めるように、腕を動かそうとして。

 その動きを支えることができず、前のめりに体勢を崩していく。

 悲しげにも聞こえるような、歌声を残して。

『アルトデウスが前方へ転倒……アルトマキア、退避を! 急いで!』

『クロエ!』

「……大丈夫だ」

 レールキャノンを手放したマキアと共に佇む。

 光が、コクピットを塞ぐ。

 恐怖はない。私の知っている、星の光。

 彼女にずっと見ていた輝きが、やってくる。

『クロエ!』

 クロエ。

「ああ」

 随分と、待たせてしまった。



 暗闇の中、私はいくつかの夢を見た。

 花になる夢、蝶になる夢、猫になる夢。

 前にも見た、偽物の世界に囲われた、寂しい景色。

 側にはいつも、もう一つの花が咲いていた。蝶が飛んでいた。猫が、私に触れていた。

 まったく同じ毛並みの白い猫。

 同じでなければいけないそうだ。でも区別がつかないと困るから、博士は私の方に目印をつけていた。猫の時は、黒いリボンを尻尾に巻いていた。

『そのリボンを見ると、嬉しくなるわ』

『どうして?』

 私たちは声以外の繋がりで会話していた。花でも、蝶でも、猫でも。

『あなたがそこにいるって思えるから』

『ふぅん……』

『でもそろそろまた、お別れね』

『そうなのかな……』

『そして……いつか、また出会う』

『そうなんだ……』

 疲れ切って眠いからか、彼女に反応するのが難しい。

 また出会えるなら、このまま死んでもいいかって気になる。

 でもその度に彼女のことを忘れてしまうのは、とても寂しいと思った。

 ああ、そうだった。

 花の時も、蝶の時も。側にいたのは、彼女だったんだ。

『……ねぇ』

『なぁに?』

『次の時もこのリボンを巻いているだろうから、また見つけてよ』

『……もしも、今度はリボンを巻いていなかったら?』

 それだと彼女が困ってしまう、と思った。

 私はそれを、嫌だと感じた。

 初めてのことだった。

『その時は、きみがこのリボンを巻いてくれたらいい。私が見つけるから』

『どこにいても?』

『どんな場所にいても、絶対に』

 私が、そうしたいから。

 彼女の前足が伸びる。私はいじくり回されて感覚を失った前足を同じように伸ばす。

 触れても、なにも分からないはずだった。

 だけど温かい塊が、そこにあった。

 確かに、それに触れたのだ。



 光が消える。消えた先で、咲き乱れる花が私を迎えた。

 真っ赤な、ダリアの花。

 風が香りと共に、花弁を横薙ぐ。

 不安定な、赤い色合いの空が、更に真っ赤に染まった。

 マキアのコクピットからいつの間にか出ていた私は、そんな花畑に立っていた。

 地上とも異なる、見覚えのない地面は花に包まれて。

 その花畑に立つ、一つの背中が正面にあった。

「あ…………」

 一瞬でも気を抜くと、膝から崩れ落ちそうだった。

 予感はあって、でも現実はもっと、本気で、私をぶん殴ってくる。

 メテオラの向こうに消えていった、その華奢な背中。

 淡く、長い髪。

 お気に入りの黒いリボンが、蝶のように、羽ばたく。

「ほん、とうに?」

 つまづいたような声は、地面に跳ねて、彼女に届いたのだろうか。

 私の足はがくがくとみっともなく震えていた。

 乾ききった喉が、裂けそうだ。

 ゆっくりと、その背中が振り返る。

 言葉に、声にならなかった。



 コーコ。



 振り向いたコーコは自分の足で立っていて。

 目を開いていて。

 見つめ合えて。

「クロエ」

 私の名前を呼んで。

 気づけば抱きしめていた。走っていた。手を取っていた。泣いていた。

 理解できる順番が、バラバラだった。

 抱きつきながら、足が崩れる。地面に膝をつく私に合わせて、コーコも屈む。

 縋るように、震える腕にありったけの力を込めて抱き続ける。

 ほんのわずかな隙間さえ、作りたくなかった。

「まだ挨拶も済ませていないのに。私、なんて言おうかたくさん考えていたのよ。今度会えたらこう言おう、今度会えたら、こう言おう、こう言おうって……」

「なんでもいいよ……なんでも……お前が、いてくれたら」

 波打つ下唇のせいで声がまともに出てこない。

 涙を吸い込んだコーコの服が、温かい。

 下を向いていないと、いつまでも泣き喚いて、死んでしまいそうだった。

「コーコ……ここに、いる……コーコが……」

「クロエ、あなたも……見つけてくれた」

 コーコの腕が、私の背中を抱き返す。コーコの腕が、私に触れている。

 コーコの体温を感じる。コーコの身体がそこにある。

 コーコが、いる。

「ごめん……ごめん、コーコ」

「どうしたの?」

「お前と出会わなければよかったって……嘘、嘘なんだ……ずっと会いたかった……」

 ずっと謝りたかった。二年前に、コーコがいなくなる前に。

 そんなことを言ってしまった自分を、いつも殴り飛ばしたかった。

「会いたかったよぉ……」

「知ってる。クロエのことは、よく分かってるもの」

 コーコは自分のリボンに触れて、万感を込めたように、微笑んで。

「クロエなら会いに来てくれるって、信じてた」

 声が優しく染みる。ずっと聞きたかった、コーコの声。

 ずっと、なにもかもが、ずっと。

 立っていても寝ていても、戦っていても、誰かと話していても。

 コーコのことばかり考えていた。

 素敵な未来。

 私の望む未来なんて、一つしかなくて。

 それが今、ここにあって。

 歩いてきてよかった。

 戦い抜いた意味を、やっと、見つけられた。

 この光景は、夢じゃない。



 散々泣いて、ようやく立ち上がる。まだ足下がぐらぐら揺れていた。

 コーコが私の正面に立って、包むような笑顔を向けてくれる。

 離れると急に信じられなくなって、その肩を掴みながら尋ねる。

「本当に、コーコなんだな? コーコでいいんだな?」

「もちろん、私は私だけだもの」

「足は? 目は? 大丈夫なのか?」

「ちゃんと見えてるわ、クロエが」

 ほら、ってコーコの手が私の頬に添えられる。また、すぐに泣きそうだった。

「あ、は……そっか。見えてるんだ、みっともないか? 私の泣き顔」

「素敵よ。この世界の誰よりも」

 臆面もなくそんなことを言われて、どんな反応すればいいのか心が追いつかない。

「泣いてる時以外に、言ってほしいよ」

「……ごめんね」

 コーコの手が離れる。微かな指先の熱を頬に残して。

 それだけで、コーコを取り上げられたみたいに心細くなってしまう。

「それでえぇと……え、なんだったかな……え、どうしよ」

「クロエ、いい?」

「ああ、うん。なに?」

 今はなにを話されても、頭に全然入ってくる気がしない。

「ごめんね、本当はもっと話したいんだけど、時間がなくて」

「コーコ?」

 受け答えの調子はそのままに、コーコが、なんてことのないように問う。

「拳銃、持ってる?」

「は?」

「二年前に渡した拳銃よ」

「あるけど……」

 いつか、メテオラに撃ち込んでやろうなんて言って携帯していた拳銃。

 こんなものでも、コーコの形見だと思っていたから。

 でも、これが?

「ありがとう、ちゃんと持っててくれて」

「コーコ? ……こんなのじゃなくて、サンルーム。そう、あそこにあるものはちゃんと置いて、手入れも欠かしてないんだ。ダリアだって、こんなにたくさんじゃないけれど、ちゃんと咲いたんだ」

「うん」

 コーコの穏やかな声が、怖くなる。

「コーコ、」

 踏み込んだのに、距離ができる。

 コーコが、離れる。

 私の手の中からすり抜けたコーコが、促すように腕を広げて。

「さぁクロエ、二年前の続き……始めましょう」

「なに言ってるんだ、お前……」

 声と足のどちらが先に震えただろう。

 コーコは、まるで動じないように言う。

「その拳銃で、私の胸を撃ち抜いて」

「…………前も、言っただろ。そういう冗談は」

「前も言ったけれど、本気なの」

 コーコが目を細めて、私を睨む。攻撃の意志を剥き出しにしたコーコの瞳にたじろぐ。

 その目つきは、最初に向き合った時のアニマに瓜二つだった。

「二年前、本当はあなたがメテオラに取り込まれて、ジュリィ博士の実験が完了するはずだった……。博士は、引き合う二つの存在があらゆる隔たりを越えて繋がる方法を求めていた。それこそ、時空さえも超えて」

「私が……?」

 コーコが頷く。

「あなたを吸収したメテオラは、私を求めるように現れる。法則が生まれる。それはメテオラを制御し得る可能性を生む。博士はそう考えていた。でもそれは、クロエが完全なる死を迎えるということ。それだけは、避けなければいけなかった」

「あ……」

 脳裏に浮かぶ、別離の光景。

 二年前、一人で地上へと出てメテオラに食い殺されたコーコ。

 何故そんなことをしたのか、ずっと、分かっていなかった。

 私の代わりに?

 コーコが、犠牲になった?

 なんで。

 なんにも、相談してくれなかった。

「でもコーコは、生きてる……生きてるんだろ?」

「ええ」

「どうして……」

「それは多分……私たちの弄り方が違ったから」

 コーコが自分のリボンに触れる。

「博士の研究室にいた頃、クロエは身体的な部分を実験させられていたわ。博士に連れて行かれたあなたは、帰ってくる度に花弁の数が、羽の形が、目の色が変わっていた。そして、その度にあなたは反応を失っていった……。でも私は、感覚的な部分の実験に使われていたの」

 花、蝶、猫。

 私の覚えている、夢のようで、夢じゃない記憶。

 感覚の実験と聞いて、はっとするものがあった。

「視力と足は……まさか……」

 コーコが肯定するように少しだけ笑う。

「私が消えて、あなたは生きる……そのはずだったのだけど、メテオラは、私を消化できなかった。理解し、溶け合うことができなかった。実験の副産物として、時空を曖昧な感覚として観測できる私を同種とみなしたのか……それとも、もしかしたら、あんまりクロエのことばかり考えていたから、呆れてしまったのかもしれないわ」

「なんだよ……なんだよ、それ」

 話が、ぜんぜん分からない。頭に入ってこない。聞きたくもない、どうでもいい話。それなのに、コーコは一方的に続けてしまう。

「私は死ななかった……その上、メテオラは私の影響を受けてか、クロエの元を目指し始めた。これでは博士の計画が続いてしまう。だから私は、時を超えるメテオラの一部として、クロエに……そして、過去の私にメッセージを送り続けた。たくさんの可能性の中で、どこかのあなたがいつか、私の下に来てくれるように」

 メテオラが、歌っているように聞こえる。

 そんなことを話す人もいた。

 それは、時空を超えたコーコの声だったのだろうか。

「だからね、そういうことなの」

「なにが、そういうことなんだ」

 握ったままの拳銃を持つ手が、抑えきれないくらい揺れている。

 肘から先が言うことを聞かない。手汗がただ、ただ不快だった。

 コーコは言う。歌とは程遠い、淡々としたリズムで。

「死んでは生まれ直す私たちは、メテオラにとって世界のエラーでしかないの。私とあなたが生きている限り、メテオラはいつまでも訪れるわ」

「全部倒す!」

 咄嗟の叫びを、コーコが緩く首を振った。なにがだよ、なにが駄目なんだ。

「だって……おかしいよ。私は、倒したんだ。ジュリィを倒したんだ。それから、コーコがいたんだ。コーコが生きてるんだ。喜ぶことしかないはずなんだ、なのに、なんで……みんな待ってるんだ。コーコ、撃つとかそんなのじゃなくて、帰ろう。帰ったら、なんとか……なんとかなるさ。みんながいるんだ」

「私を撃たなければ、そのみんなも犠牲になるって言ったら?」

 私の縋るような言葉を、コーコは静かに払いのける。

「ジュリィ博士はまだ死んでいないわ。彼女は、自分の目的を果たそうとこの状況からでも動くはず。そうしたらきっと……この世界は消える」

 コーコが空を仰ぐように眺めて、ダリアの花に微笑む。

「ここはアルトデウスの一部。中というのも少し語弊があるけれど、それに近いわ。私が死ねばメテオラはクロエと引き合う理由を失い、この世界に留まる意味がなくなる。メテオラが消えたら、博士もなにもできなくなる。……私から話せるのは、これくらいかしら」

 コーコが話を終えようとする。終えてしまう。わけの分からない話ばかり押しつけて。

 どうしてこうなるんだ。

 歯を食いしばって、耐えて、上を向いて。

 そんな話を聞くために、戦ったんじゃない。

「クロエ……拳銃を構えて」

「いやだ……」

「逃げないで」

 逃げる。逃げたんだ、前は。

 撃つことも、拒否もできないで。

 後悔が、胸を支配する。

 命じられるように、腕が、動いてしまう。

 拳銃を構えても銃口は地震に巻き込まれたように震えて、まったく狙いを絞れない。

 コーコを撃たなければ、世界が消える?

 なんだ、それ。

 コーコの集めていた、お伽話じゃないのだから。

「私は死に、あなたはやっと普通に生きることができる。メテオラも、博士も関係ない、本当の人生を。私はそれをあなたに与えたい。それが、私の生きる意味だって思うから」

 どうして自分が死ぬのに笑っているんだ。

 叫びたいのに、声が出てこない。

「これでやっと、クロエが幸せになれる……」

 満ち足りたようなコーコの呟きに、頭がどうにかなってしまう。

 幸せってなんだ。

 こんなにも心が引きつっていることが、幸せってことなのか?

 知らない。

 そんな幸せは、知らない。

 コーコか、世界か。

 コーコは生きている。ここにいるんだ。

 でも私が撃ったら、コーコは今度こそ本当にいなくなる?

 本当に?

 ずっと、いつまでも?

 駄目だ!

 でも撃たなかったら、それ以外のすべてが消える?

 ノアの歌声も。

 アニマの歌声も。

 ヤマトも、アオバも。

 そんなことを、私に決めさせるのか。

 そんなことのために、撃たれるために、私を待っていた?

 長く長く長く、こんなところで、独りぼっちで。

 誰に訴えても、誰も応えてくれない。

 寂しいのは嫌なのに。

 寂しいねって、いっつも、言ってたのに!

 感覚が濁っていく。

「さぁ、クロエ……全部、終わらせて」

 コーコの声も届かないくらいに、暗く、狭く。

 みんな消えていく。

 逃げないで。

 逃げてない。

 繋ぎ止められない自分が、拡散していく。

 散り散りになって、私がどんどんいなくなって。

 自分でさえ見ることのできない心が、バラバラにされて、声のない悲鳴を上げた。

 花になり、蝶になり、猫になり、人になり、行き止まりに辿り着いて。

 最後に残ったのは。

 コーコのあまりの身勝手さに震える、怒りだった。

 急速に世界が冷えて、凍り、散らばっていた私が固まる。

 そして、噴き上がったもので溶けていく。

 拳銃が鳴る。

 重たい音を残して、横たわる。

 私が拳銃を地面に落とす音だった。

 ぽっかりと、腕ごと捨ててしまったように、握りしめていた右手が頼りない。

 その右手でなにかを取り戻すように、ぎゅっと、ぎゅぅっと、握りしめる。

「いやだ」

 身体のどこもかしこも震えて、声をやっと絞り出す。

 握り拳の爪先が手のひらに食い込んで、皮膚が破けていく。

 微かな血の流出を契機に、それは爆発する。

「嫌だ! 嫌だ、嫌だ! 絶対に! 嫌だ!」

 全身から汗のように、感情が噴き出る。

 自分のどこにそれだけの心なんて宿っていたのだろうと、信じられないくらい。

 コーコを睨み返す。

 コーコは、さっきまであんなに偉そうだったのに、今はなんて、弱く見えるんだ。

「お前は私の気持ちを全然考えてない! 思いやってるようで……違う、違うんだ」

 何度も、むしるように、自分の胸を叩く。

 こんなにも、こんなにも、こんなにもって。

「私にだってもう、心はあるんだ……」

「クロエ、それはよく知って」

「お前のせいなんだ! お前と出会って、お前が全部、私に与えるから! こんなにも苦しくて、泣きそうで、嫌になって、どうしようもなくて……お前は、そんなものしか私にくれないのか? そんなコーコだったのか?」

 涙より先に声が泣いていた。水分を含んだ、溶けそうな声を、必死にコーコに届ける。

「みんな私に言うんだ、笑ってって。笑えって。……でも、できないよ。お前を殺して笑って生きていくなんて私にはできない。できるわけないだろ! バカか!」

 話していたらどんどん腹が立ってくる。

 涙のように、怒りが溢れてくる。

 なんでそんな、当たり前のことが分からないんだ。

「一番っていうのは、代わりなんて利かないから一番なんだ。一番大事って、そういうことなんだ。その一番を失って、普通に? 幸せになって? ……私は嫌だ。そんな普通なら、いらない」

 空には無数の星があるかもしれない。どれも光り輝いているかもしれない。

 だけど私の探していた星は、一つだけなんだ。

 他の星がいくら輝いていたとしても……関係ない。そう、それじゃあ、意味がないんだ。

「私を笑わせたいなら、本当のことを言ってくれ。コーコ、知ってるんだ。私は知ってるぞ、死ぬのが怖いくせに。誰よりも怖いのに、嘘ばっかりつく……大嫌いだ」

 嘘なんかじゃない。

「だいきらいだ!」

 ここまで鷹揚を装うように振る舞っていたコーコが、びくりと肩を跳ねさせる。

 ほらやっぱり、泣きそうだ。

 怖がっているじゃないか。

 なんで! なんで、私にそれを隠すんだ。

 人の都合なんて考えるな。

 自分のことを、自分で考えればいいんだ、お前は。

「私に、嫌いにさせないでくれ。……好きでいさせてくれ、コーコ」

 お前を好きじゃない私なんて、もう、私じゃないから。

 私は生きていたい。

 今の私として、コーコと、生きていたい。

「……クロエ」

 改めて、落とした銃を握る。

 そして。

「二年前は、なにも選べなくてただ逃げたよ。後悔しかない。だから今度は、選ぶ」

 思いっきり、誰の手も届かない場所に、ぶん投げた。

「撃たないって、選んだんだ」

 手ぶらになって、コーコに歩み寄る。

 そして、迷うことなくコーコの手を取って、抱き寄せた。

「全部分かった気でいるな。分かってるなら、私がこうするのを避けられたじゃないか」

 また距離を取らなければ、撃つことはできない。コーコは、逃げないといけない。

 どうするんだって、間近でじっと見つめる。

 コーコは困ったように、堪えるように、目尻を固く結んでいる。

 私はなにも言わない。なにもしない。ただ側で、コーコを待っている。

 ここまで散々待たせた私が、今度は、コーコを待っている。

 私たちはお互い、なんて面倒くさいんだろう。

 思いやろうとして、身勝手になって、傷つけてしまって。

 それなのに、離れられないのだから。

 やがて。

 コーコは毅然と歩き出そうとして、前につんのめるように。

 くしゃりと、表情が崩れた。

 私と同じように、その全身から気持ちが溢れ出る。

「逃げられる、わけないじゃない」

 コーコが波打つ声を懸命に、形作る。その必死な様子に、胸が、痛む。

 でもその痛みは、私に影を作らない。

「クロエから逃げるなんて、できない」

「……うん」

 コーコの頭を、髪を優しく、あやすように撫でる。

 それだけでどうしてこんなに、生きているって気がするのだろう。

「もし逃げても、絶対に追いかける。そのリボンを探して、ずっと」

 繰り返しだ。何度でも、何回でも、諦めない。

 でもそんなことより、他に楽しいことがたくさんあるんだ。

 やりたいことが、まだいっぱいあるんだ。

 だから。

「私が、このままだったら」

「だったら?」

「……どうなるかは、本当に分からないの。みんな、消え去ってしまうかもしれない」

 みんな。知っている顔が、たくさん浮かぶ。

 いいやつばかりだ。私には眩しくて、真っ直ぐ向き合えないくらい。

 あいつらがみんないなくなるのを想像したら、身体の骨が一つずつ外れていくようで。

 でもその光景さえ、今目の前にあるものを見つめる限り、消えていく。

「たとえそうだとしても、私はもう、決めたから」

 出撃前にアオバが言っていたこと。

 周りの都合ではなく、自分の都合に向き合えって。

 そうさせてもらうよ。

 これが私のわがままだ、ヤマト、アオバ。

「この空間も、今に崩壊して……私たちごと、消えるかもしれない」

「それなら尚更、もう、離れない」

 どこに消えても、最後まで一緒であるように。

「もう、どこにも行くな。独りで、行くな」

 お互いに握りしめた手を、コーコが見下ろして。

「……うん」

 コーコが深く、私の胸元に寄りかかってくる。しがみつくように私を掴む指先が、震えていた。

「…………怖かった……怖い……」

「最初から、そう言ってくれ。私には、そう言っていいんだ……」

 コーコが怖がっているなら、怯えているなら……私は、戦う。

 どんな無謀でも、なにもできなくても、自分の意思で戦える。

 戦えるんだ、コーコの為なら。

 こうやって、今でも。

「離さないで」

「うん」

 返事と共に、世界が鳴動する。

 空間に割れたようなヒビが入っていく。

大地が崩落して、あっという間に、裂け目に呑まれていく。

 無数のダリアが、散っていく。

 確かなものがなにもない場所に放り出されて。

 私は、離れないようにってコーコだけを感じ続けていた。



 足下が失われたはずなのに、途中で落下が終わる。

底についた衝撃もないのに落ちていかない。

 訪れた真っ暗闇が剥がれていく。

 その先には、淡い夕焼けのような、赤色の空。

「花?」

 包んでいたものの端が、徐々に元の形へ戻っていく。

 集った花びらが繭を形作るようにして、私たちを守っていた。

 その花びらが、役目を終えたようにゆっくり周辺に散っていく。

「青い花と、赤い花……」

「あいつらだ……」

 ノアと、アニマ。アルトデウスに取り込まれていたあいつらが、私たちを。

 そうだ、あいつらは……無事を確認することもできず、散った花が、足並みを揃えるように遠くへ流れていく。赤い花びらと、青い花びらがじゃれ合うように。

「……は、は」

 それを見ていると、根拠はないけれど。

 ありがとうって言葉が、自然と口をついて出た。

 花の繭の向こうには、雲海のような景色が、果てまで広がっている。それを、二人で浮きながら眺めていた。ここは地上とか、重力とかそういうものと無縁の空間なのかもしれない。

 そういう存在に私は心当たりがあった。

 メテオラ。

 時空を超越するもの。

 今も、どこにでもいるように感じられる。

 上手く説明できないけれどここは、メテオラそのものなのかもしれない。

 私たちが時間と名づけたものの、正体なのかもしれなかった。

「きっと、もう戻ることはできない」

「そうだな……」

 あいつらと違う流れに乗ってしまったのを、なんとなく感じる。

 もうそれが交わることはないというのも。

 私たちは元々の居場所から弾き出された。そしてそのまま当てもなく放り出されてしまいそうだったのを留めてくれたのがあいつらなんだ。多分、だけど。世話のかかるやつだ、なんて今頃は悪態でもついていそうだ。

「……コーコ」

 その名前を呼ぶ度、私の寂しさとか、心細さとか、目を伏せたくなるものが温かくなる。

 どんな感情も一度生まれたら消えはしない。

 すべて、私の心の中で一生懸命に求めている。

 コーコを、ずっと求めていた。

「コーコはさっき、私とコーコがいればメテオラに狙われると言ったけど……あれは間違ってるのかもしれない」

「……え?」

「だって今もこうして二人でいて、メテオラがすぐそこにいるはずなのに、攻撃の意思を感じない」

 むしろ、今までと違う流れを指し示して、私たちをそこに導いているような。

 そんな気がしてならないのだ。

「コーコ、お前だって間違える。分からないことはたくさんあるよ。だから……一人は、だめだ。一人だと、傷つかないかもしれないけど……誰かを傷つけたことも、分からないんだ」

 コーコが私に教えてくれた一番大きなものは、痛み。

 大事な人を思いもかけず傷つけたことへの後悔。

 当たり前の中にあったものの喪失。

 痛いのは嫌で、苦しくて、臆病になりそうで。

 それでも、一緒にいたい。隣にいて、傷つけあいながらでも、コーコをそこに感じていたい。

 痛みの中で生きていく意味を、コーコは教えてくれた。

「クロエ」

 なにか言いたげなコーコの呼び声を、遮るように。

「知ってるか? 約束って、決して忘れないで、必ず叶えるってことなんだ」

 誰かが、そんなことを言っていた。

 コーコがはっとしたように見つめてきて、私は、それに応える。

 声で、態度で、気持ちで。

 約束で。

「星を見に行こう、コーコ」

 お前との最初の約束だ。最初から守れないなんて、先が思いやられる。

 だから、絶対に、叶えないと。

「……うん」

 コーコと抱きしめ合いながら、時の流れに導かれていく。

 この先、どれだけの暗闇を歩くとしても、星は世界を照らす。

 その明かりを、二人で目指そう。

 一緒に、どこまでも、いついつまでも。











 光の巨人、アルトデウスが世界を包むほどの輝きと共に消失した先に残っていたのは、激しく損傷しながらも原型を留めたアルトマキアと、そして無人のコクピットだった。

 周辺の探索も何度か行われたけれど、搭乗者であるクロエの姿はどこにも見当たらなかった。

 メテオラの影響から脱して、障害なく広がる青空。その下に来るのもこれで何度目になるだろう。何度訪れても当たり前のように地上にいる自分と、人工ではない風の流れに指先が痺れる。

「なんつーか……まだ警戒しちまうな」

 一緒に地上へ出てきたヤマトが腰に手を当てながら、放棄されたマキアを見上げている。

 ヤマトもこの空と、開け放たれた景色に順応できていないみたいだ。

 僕たちの心はまだ、地下都市の天井を見つめているのかもしれない。

「結局なにが起きたのか、俺半分も分かってねぇ」

「僕もだよ」

 事実として残ったのはデイター司令が死に、ジュリィ博士とクロエと、そしてメテオラが消えて。人類が地上に出るという、久しく失われていた『当たり前』を取り戻したということだった。

「知っているとしたら……」

 多くのものが吹き飛んだこの地表を、自由に飛ぶもの。

 ノアが、僕たちの頭の上を軽やかに飛翔していく。

『クロエたちは……無事だ。多分な』

 作戦終了からほどなくして、アルトデウスの倒れた地点からノアは帰還した。アニマを伴い、状況が不透明な僕らに対してノアはそう告げた。

『たち……?』

『でも、二度と会えないだろうな。……まったく、大馬鹿クロエめ、手がかかる……』

 言葉の割に、腕を組んで目を瞑るノアの声には、寂寥が混じっているように思えた。

 ノアは起きた出来事について、子細に話すつもりはないみたいだった。それはノア自身にも説明できないのかもしれないし、或いは、誰かに遠慮して心に秘めているのかもしれない。

「しかし本当にいなくなったんだな……メテオラ」

 遮るもののない空に、ヤマトが答えを見つける。声に喜びは決して多くない。

 実感が湧かないのだろうか。それとも、今までを振り返って気が抜けてしまったのか。

「またすぐに来ない保証はないけどね」

 メテオラが地上へ最初に出現した時もきっと、予兆なんてなかった。

 ……メテオラは結局、なにを目的としてやってきたのだろう?

 僕たちはそんな始まりさえ理解できていない。

「メテオラが狙っていたのはジュリィだ。あいつがいなくなったから、もうメテオラはここには来ない」

 僕たちの話を聞いていたノアが口を挟む。

「博士を?」

 やつが時の摂理を乱したから、と続けかけたノアは思い直したように口をつぐみ、隣のアニマに目をやる。アニマはどこかに消えたなにかを探すように、空をじっと見上げていた。

「結果として被害は甚大になったが、メテオラに人類を滅ぼす意思などなかったということだ」

「……そうかもしれないね」

 メテオラが本当にただそれを目的として動いていたら、地下都市もこんなには保たなかっただろう。出現の傾向から、クロエとコーコさんを狙って動いているという予測はあったけれど……探していたのは博士だと、ジュリィ博士自身は知っていたのだろうか。

「メテオラは……敵じゃなかったって?」

 ヤマトが思うところあるように呟く。犠牲になった人たちを思えば、ヤマトには納得できないところがあってもおかしくない。それは親子二代でメテオラと直に向き合って戦い続けた、ヤマトにしか分からないものかもしれなかった。

「でも俺は……もしもまたメテオラが出てきたら戦うぜ」

 遮蔽物のない地平を踏みしめるような、ヤマトの低い声と決意。

「たとえ、マキアが満足に動かせなくても?」

「ああ」

 ヤマトの返答に迷いはない。聞いていると、こっちの心も真っ直ぐ引き絞られるようだった。

「メテオラならまだここにいるぞ」

 ノアが促す先にいたアニマを見て、ヤマトが「う」と言葉に窮する。

「みんなアニマのような見た目になってやってきたらどうするんだ? 困ったなぁ」

 ノアはからかうようにヤマトに問う。そのヤマトの顔が面白いのか、アニマも覗き込んでいる。無垢で、稚気に富み。人と生きる可能性を見つけたメテオラ。

 これからも彼女は、人の側に寄り添うことを選ぶのだろうか。

「そうなったら、ノアに面倒を見てもらうよ」

 困っているヤマトに助け舟を出す。「お、おお、そうだな!」とヤマトも明るく同意する。

「私が?」

 ノアがアニマを見下ろして、段々と渋い顔つきになる。

「流石のノアちゃんでも、これを三人も四人も無理だ……」

 そう言いながらも、ノアとアニマが一緒に離れていく。向かう先には、もう動かす予定もないアルトマキア。開いたままのハッチの奥には、大きな空洞だけが広がっている。きっと中は、風で入り込んだ砂だらけになっているだろう。

 そのアルトマキアを、ノアとアニマがそれぞれの方法で上っていく。

「おいおい、外からマキアを登ってるぜ……」

「器用だね」

「そういう問題かぁ?」

 アニマは登山のようにマキアの突起を掴んでは飛び上がっていく。ノアはそれを見守るようにゆっくりと浮遊している。僕とヤマトもまた、その様子を地上から眺めていた。

「落ちたら危ないぜ……大丈夫かよ、ああなんかそわそわする」

「もうすぐコクピットまで行くよ、早いな……」

 コクピットハッチの先端に到着したアニマは、眼下に広がる景色を楽しむように頭を振っている。前屈みになって落ちないようにと注意するみたいに、ノアが側でなにかを言っているみたいだった。

 ああしていると、本当に姉妹かなにかのように似ている。

「不思議だな」

「あん?」

「メテオラを倒す為に生まれたマキアに、メテオラの女の子が立っている」

「ああ……」

 ヤマトもその様子を見据えるように、目を細める。

 デイター司令……父さんなら、なにを思っただろう。

 僕は……強く吹く風に、肌寒さを覚えるだけだった。

「なぁ、アオバ司令」

 ヤマトが正面を向いたまま、改まったように僕を呼ぶ。

 司令なんて柄じゃないから、すぐにでも辞めたいのが本音だ。

「これからどうする?」

 戦いの終わった日から、毎日続く問答。

「どうしようね」

 僕たちに限らず、地下都市で生活していた人たちも急な平穏を受け止め切れていない。もう遮るものはないのに、地下に留まっている人たちもいる。メテオラを前提にした生活を根底から見直していくには、まだまだ時間が必要だった。

 だけど問いかけてきたヤマトは、もう答えを見つけているようだった。

「これからの俺はさ、人類を守るぜ」

 白い歯を見せつけるように、ヤマトが宣言する。

 釣られて、ふっと、頬が緩む。

「大きく出たね」

「おぅ!」

 ヤマトの握った拳は、簡単には解けそうもない。

「このままだと人類、きっと駄目なんだろ?」

「僕はそう思ってる」

「俺は駄目にしたくねぇ。だってよ、俺がメテオラと戦ってきたのは、みんなが安心して暮らせるためだぜ。いっぱい考えたけど、そこなんだ。メテオラを倒す意味って、俺にとってはそこだったんだよ。そのメテオラがいなくなって、でも俺のやることは変わらねぇ」

「……………………………………」

 思わず、目を瞑りそうになる。

「やることないなら、アオバも一緒にやろうぜ」

「……いいね、それも」

 僕の悲観を気にもしないように誘ってくる友人が、ただ。

「眩しいな」

「ああ。今、真っ昼間ってやつなんだろ?」

「……眩しいよ」

 その発言も含めて、ヤマトの生き方全てが。

 遥か頭上を走る風に、別の音が混じる。歩幅を合わせるように並んで訪れる、二つの歌声。

 ノアと、アニマの歌。

 人ならざるものの、二つの魂が歌詞という形を得て世界に姿を見せる。

 誰かに向けるように紡がれていく歌声の行き先を追いかけるように、僕たちは地平の彼方と向き合う。

 荒野の先にはなにもなかった。

 そこになにかを見出せるようにしていくのが、僕たちの『これから』なのかもしれない。

「元気にやってるなら、いいよな」

 ヤマトが自分を納得させるように、ふと呟く。

「そうだね」

 僕たちの小さく、短い祈りも、歌と共に風に巻かれていく。



 胸に開いた大きな穴から、いつまでも、なにかが流れていく。

 縫った糸を引っ張られるように、肉体がほつれていく。飽和するように巨体に広がりきっていた感覚が戻ることなく、溶けるように失われていく。地面に倒れ伏した身体が物理を越えて、どこまでも沈んでいった。

 これまでに、何度も死んできた。肉体を捨ててきた。脳さえ交換してきた。

 そのどれよりも痛みはなく、抵抗もできなかった。

 どれくらい溶けていただろう。

 いつしか、自分から発せられる光によって周囲が色づく。崩壊を続ける中、周囲の景色が自動的に情報として取り込まれていく。その光景は、死に浸っている私の意識を微かに呼び覚ました。

 天に届くような、無数のビル。

 そのビルの先に広がる群青。

 大通りを、有象無象の人間たちが動いていた。

 そこに降り立ち、崩れ落ちたことで、悲鳴が湧き上がる。

 巨躯が大地を割り、人を、建造物を巻き込んでは押しつぶしていく。

 そして、動けなくなる。

 ミニチュアのように転がり、動かなくなった人間を眺めて、はっとする。

 ここは、渋谷だ。

 全てが崩壊する前、爛熟した人間社会が築き上げられていた、土の上。

 ああ、と肉体と脳を失い続けた中で、バグのように浮き上がる過去の記憶。

 私はこの日を知っている。

ここに私もいたから。

野球。

将棋。

 全ての始まりの日。

 メテオラが初めて、地上で観測された日だ。

 上空に顕現し、光を放った巨神を、この時代の私は。

 私は、待ちわびていた。

 時だ。

 遂に私は、時を超えたのだ。

 ずっとそれだけを願って、生きてきて。

 歓喜と、達成感と、疑問が同時に波のように押し寄せる。

 なぜ、この時代に?

 私の意思じゃない。私が願うなら、もう少しだけ、過去に。

 なにが作用した?

 ちぎれて風に吹かれそうな脳裏に唐突に蘇る。

『双対性』

 あらゆる法則を超越して引き合う力。

 ああ、と脳に僅かに残った科学者としての見識が答えを見つける。

 メテオラの集合体と融合しきった私はもはや、完全に『人間』ではなく。

 人であった私とは別の存在となり。

 そして、過去の私と引き合う定めになったということか。

「く……ひひ、きひひ…………」

 まったく同じものを求め続ける、まさしく、合わせ鏡。

 なるほどねェ。

 そして、時の摂理に矛盾する私を追って、ほどなくメテオラが現れる。世界は崩壊して、人類は滅びる瀬戸際に追い詰められて、私は、メテオラを追い求める。

 あの日、メテオラが突如として出現した明確な動機だけは、当時の私にも分からなかった。

 こういうこと、だったのだ。

 ふざけるな。

 あと、少しなんだ。

 あと本当に少しだけ、時を、遡れたら。

 会えるのに。

 誰に?

 だれに?

 だれに。

 だれだ。

 だれか。

 他のだれでもない、その、だれかに。

 会えるのに。

 声も顔も会う意味さえも思い出せなくなった、彼女に。

 私はこれから肉体を取り換え続けて、脳まで弄って、なにもかも失いながら。

 また、ここに戻ってくるのだ。

 永劫の時間の輪。

 メテオラを呼び、メテオラになり、メテオラを呼び、メテオラになり。

 どこにも、行けなくなる。

 そんなことも知らない『私』は、やっと訪れた可能性に今頃、歓喜しているだろう。

 永遠の夢を見ながら。

「本当に……頭が、悪いねェ……」

 脳が、消えていく。

「……………………………………ァ」

 脳の最後の一片に残っていた名前は、時に容易くすり潰された。



 見上げた空には確かな雲の動きと、手のひらで阻めないほどの光があった。

 遠くへ飛んでいく鳥が、地上に影を残す。

 強い風が背中から吹くと、私たちを囲う花畑がお辞儀する。

 旅立つ鳥を見送るように。

 そして彼女の、蝶を描く白いリボンも優しく羽ばたいていた。

「もうなにも」

「寂しくないね」

 一輪の花のように笑う彼女を見て、私もきっと、笑っている。

 風にざわめく草花が肌にくすぐったい。小さい虫が私の膝に上ろうとしていた。指を伸ばすと軽やかに飛んでいって、少し残念な気持ちになる。残された指が、膝の上に落ちる。

 日差しが温かくて、気持ちいい。

 そうしてたくさんの『命』を見つめる度。

 自分たちが、なぜここにいるのか。

 どこから来たのか。

 段々と思い出してくる。

「本当に、寂しくない?」

 彼女は少しだけ、不安そうに尋ねてくる。

「どうして?」

「ここには、私だけだから」

「寂しくないよ」

 彼女の手を取る。太陽の光とは違う、淡い熱。

 私が生きているって分かるあたたかさ。

 彼女がそこにいるって教えてくれる、あたたかさ。

「ずっと感じていたい。傷つけても、傷つけられても、いつまでも」

 隣で、繋がる手で、腕の中で。

 もう二度と、離れたくない。離したくない。離さない。

 それが……私の選択だ。

「だから、笑って」

 いつか、自分に言われた言葉が跳ね返る。

 言葉はお互いの間を無限に跳ねて、広がり、彼方に届けられる。

 そこに込められた気持ちと共に。

 彼女が微笑む。私の、一番見たかったもの。

 その瞳の端には、小さな心の粒が浮かんでいる。

 拭わないで、じっと、向き合う。彼女のすべてに、出会いたい。

「夜が来たら、ここから綺麗な星が見えるの」

 指し示すように、彼女の指が空を捉える。

「赤色と、青色の、二つの星」

「赤と、青か……」

 もしかしたらその星からは、音が聞こえるかもしれない。

 言葉を越えて、心に。まるで歌うように。

「一緒に見よう」

「ええ」

 彼女と私。

 白いリボンと黒いリボン。

 その目印さえあれば、どこに行ってもお互いを見つけられる。

 どこにでも行ける。

 どこまでも、二人で。

 気持ちのいい風がまた吹く。暴れそうな髪を彼女が優しく抑える。

 私は飛んでいかないようにって、彼女と繋いだ手に少しだけ力を込めて。

 白い花びらが踊るように空へ舞い上がるのを、ただ見送った。

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