『The Noes of Elephant』
『でさぁ、久しぶりに水族館行ったんだけどいやぁ楽しかったー! ていうか私の記憶と比べて進化しすぎてびっくりした。今時の水族館ヤバいわ』
「へぇ」
『もうちょっと近かったらもっと行くのになー』
「ふーん」
『あ、凄く興味ある感じだ』
「時々思うけど、あなたと会話する意味を感じない」
『なぜだい?』
「話伝わってないから」
『伝わってるよー。あれでしょ、実は泳げないとか』
「プールで会ったこと覚えてないのあなた」
『ということで動物園も行こうと思うんだけどさ』
「あ、そう」
『きみも行こうぜ!』
「は?」
「楽しく行こうぜ!」
「うるさい」
その後も話している間に、なんとなくそういう雰囲気になって結局、行く流れになっていた。この鬱陶しいの一歩手前の態度と話術にどんな魔力があるのか。もしかすると、商材でも渡して売りに行かせたら凄い記録を残してしまうやつなのかもしれない。
私と無関係……とも微妙に言い難い島村家までやってくると、島村一家は既に車の近くで私を待っていた。あれと、あれの旦那さんと下の娘と……もう一人?
私に気づいて、あれがうるさくなる。それから、あれの旦那さんが和やかに声をかけてきた。
「おはようございます」
「おはようございます……すみません、家族での行楽なのに」
「いえいえ。これに付き合ってくれて感謝しています」
「なになになにこれってどれ? 分かってて聞いてるけどどれ?」
割り込んでくるそれをどちらも無視して話を続ける。
「アレは普段からアレなので、とはいえアレが楽しそうなのでまぁ、アレです」
「ははははは」
大体伏せてるのに概ね意味が分かってしまう。
「家族等々についてはお気になさらず。こんなのもいますし」
旦那さんがひょいっと、家の猫でも見せびらかすように子供を持ち上げる。動物の着ぐるみ……パジャマ? を着た小さな子が、短い手足をわちゃわちゃ振っていた。
前から思っていたけど、この子はなんなのだろう。髪水色なのだけど。
「今日のその格好はなんだい?」
「虎ですぞ」
ぎゃおーんと鳴いている。虎ってそんな鳴き声なのだろうか?
「ちょっと色の濃い猫に見えるねぇ」
旦那さんが猫、ではなく虎の子をぽいっと放ると、あれの娘さんがキャッチした。そのままはっはっはわーいと虎の子を振り回して遊んでいる。どちらも実に楽しそうだ。
「はしゃいで子供だなぁハハハ」
あれが偉そうに笑っているけど、そういう問題だろうか。
「お宅の子じゃないでしょどう見ても。なんでいつもいるの」
「あーあいつねぇ、宇宙人なんだって」
あれがこともなげに言う。旦那さんの方もちらりと見ると「そうらしいですねぇ」と既に気にも留めていないように肯定する。
「……なんで宇宙人が?」
「上の娘が連れてきた。で、なかなか愉快なやつだから一緒に暮らしてる」
「軽すぎないあなたたち一家」
「買い物に行くとくっついてくるんだけどさ、宇宙の話とか聞けるし楽しいよ」
また人の話を聞いていない、と呆れる。宇宙人って。目の前のあれも私からすると異星人ちょっと入っているのは否めないけど。
「宇宙人って人間の形してるじゃん? そのへんの池の魚よりは仲良くやれそうじゃない?」
「……あなたなら魚ともよろしくやってそうだけどね」
水槽で泳ぐ魚の苦労話を勝手に受信して盛り上がる姿が容易に想像できた。
挨拶? も済ませて出かけることになる。動物園……一体、何年ぶりだろう。あれよりおかしな生き物ははたしているのだろうか。そのあれは、元気よく挙手して後部座席の扉を開ける。
「私後ろの席ね!」
「普通あなたが助手席じゃないの?」
「いやぁ助手席はね。運転手にちょっかいかけると命の危険があるので」
「かけなきゃいいという考えには至らないの?」
「暇じゃん」
言い切ってさっさと乗ってしまう。となると、私が助手席なのか。ま、あれの隣よりはマシだろうと扉を開く。車に乗るのも、助手席に座るのも、随分と久しぶりかもしれない。
色々なことを思い出すかと正面を向いてみたけど、別段、感傷的なものはなかった。
後ろは真ん中に宇宙人? の虎の子を挟んであれと下の娘が収まっている。その虎の子に早速、「一個だけだよ~」と娘さんがお菓子を与えている。虎はやはり猫にしか見えないくらい、頬がゆるゆるだった。
「私にもくれ」
「一個だけだよ~」
同じノリで適当にお菓子を貰ったあれは、かなり浮かれているようだった。
頬がもちゃもちゃ柔軟に動いている虎の子と目が合う。
「安達さんのママさんですな」
「はぁそうですが」
髪だけでなく瞳もキラキラと宝飾のように輝き、なんなら爪や歯までうっすらと水色だった。
なるほどこれなら地球人よりは宇宙人の方が信じやすいかもしれない。
「そちらは……えー、随分と変なので」
動物園に行く前に宇宙人と会話できるとは思わなかったので、混乱してよく分からないことを言ってしまう。
「わたくしですか?」
「お前以外に変なのがいるかーい」
「おかしいのはいるけど……」
「言われてるよお父さん」
「娘がおかしいなんてお父さんは悲しい」
「酷いよぉ……」
よよよ、とビリヤードの球みたいに跳ねた冗談の嘘泣きが私に返ってくる。
「……なにこの家族」
「わははは」
「ははは」
「くっくっく」
実はおかしいのはあれだけではないのかもしれない。恐怖の一家だった。
動物園までは結構な移動時間だった。市内には目当ての動物園はないらしい。ついた先の動物園は園内に植物園も整備された、大型の動物園だった。
ここまでではないけど、昔、こんな動物園に家族で訪れたことがあった。
動物特有の匂いを車の外に出て早速感じながら、そんなことを思い出す。
あの頃はまだ、旦那も一緒に暮らしていた。娘もいた。
今は家に一人になって、でもさして問題を感じない。孤独は性に合っているのだろうと思う。そんな私が一時期、家族を作って、でもなにかを失敗して今がある。後悔は、さほど多くない。
後悔するほど、たくさん積み重ねてきたわけでもなかった。
園内を島村一家と一緒に回る。昔の動物園よりもずっと、色んな動物が揃えてあるように思えた。タヌキにカモシカにペリカンに……こんな種類がいたら、世話も大変だろうと思う。私は娘一人の世話も半ば諦めてしまったので、飼育員というものを尊敬してしまう。
ライオンが豪快に肉を噛んでいるのを眺めながら、こっちの虎の子はお菓子を貰っていた。ライオンの目に、謎の宇宙人はどう映ったのだろう。そしてライオンと宇宙人はどっちが強いのだろうと、益体もないことを考えていた。
たくさんの鳥たちが住む環境を再現した空間に、鳥よりうるさいのが子供を連れ立って乗り込んでいく。私は付き合う気はなく、外の空気を吸いながら待つことにした。
待つ間に飲み物でも買ってこようかと考えていると、旦那さんがやってきて、私に小さく頭を下げる。こちらも、会釈を返すと、「どうぞ」と買ってきたのであろうお茶を譲ってくれた。もう一度頭を下げて受け取る。
「すみませんね、あれは動物を見るとはしゃぐ生き物でして」
「童心を忘れない方なんですねぇ」
冗談で言ったら、「いやまったく」と穏やかに笑っている。
「あれはねぇ、動いていないと落ち着かない性分なんです。歳を取れば少しは変わるのかと思っていましたが、まったくそのままだ」
苦笑交じりに、旦那さんが妻を評する。なんだかんだと、私もあれに出会ってから十年経つけれど同じような感想だった。本当によく動き、私の前を飛び跳ねている。ウザいの線を半分越えてイラっとした瞬間に足を引っ込めるくらいの距離感を常に維持していた。
「あんな性格なので慕われることも多い反面、嫌われることも少なくない。でもそれは面倒くさがらず、物怖じもしないでたくさんの人に関わっていくということでもあって……そのあたりは見倣うべきかもしれないと時々思います」
「……かも、しれませんね」
あそこまで初対面から馴れ馴れしいのは、もう才能の一種なのだろう。
私からするとあれは、嫌いではないと、嫌いが半々くらい揃った生き物だった。
鳥の住処から帰ってきたあれと娘と宇宙人は、どれも満足そうに頬がほころんでいた。子守を入れ替わるように、旦那さんが私から離れて、あれがこっちに軽快に寄ってくる。
「旦那となんの話してたの?」
「あなたの話」
「そいつぁ照れるな」
旦那さんは今、例の水色の子を高く持ち上げて「キリンっぽいかい?」と娘さんに聞いている。なにをやっているのか。
「うちの旦那、けっこう天然でさ。そのあたりは上の娘が大分受け継いでる」
「上の……ああ」
娘と暮らしている方。あの娘が、寄り添いたいと思った相手。
「で、楽しんでるかい?」
「ふつー」
「あげていこうぜぇ」
本当に私を持ち上げようと腕を伸ばしてくるあれの頭を小突いてから、息を吐く。
「昔、動物園に来た時のことを思い出したわ」
「ほぅ、安達ちゃんと?」
「その時は旦那も一緒だった……あの時、娘はぬいぐるみを欲しがっていた気がする。あれを言われなくても汲んで、買ってあげれば、少しはなにか変わっていたのかもしれない」
言われなくても、私はもう少し、思いやりを押しつけてよかったのかもしれない。そういうのが苦手だから、娘もそうなのだろうと考えてしまっていた。私は私で、娘は娘だった。
娘はその求めていたものを、あれの娘に見出して惹かれたのかもしれない。
で、そんな話を聞いたあれは、こともなげに言う。
「ふぅん。じゃあ今から買って渡せばいいじゃん」
「……もう大人よ、あの子も」
「子供の時に渡そうと、今プレゼントしようと同じじゃん?」
……じゃんじゃんうるさいな、こいつ、と日差しが眩しくて目を細めながら思った。
「私は何歳になってもなに貰っても嬉しいぜ! なんかくれ」
「うるさい」
「キリンさんもぞうさんも好きです」
「あなたって」
「でもトラは流石に近くで見ると迫力ありすぎてビビったねぇ。うちの虎もどきの猫とは違うよ。目がね、やつは獣の目をしてる」
「……そりゃあ、虎は獣でしょうね」
会話が意味をなさない、ウザく絡んでくる、声が大きくてうるさい。
およそ私が好意的になる部分の一切ないこれが、どうして心を揺さぶるのか。
その素直さは時折、太陽よりも鋭く私を射抜く。
胸を貫き、力が抜けて、生まれ変わらせるように。
……それから。
帰る前に売店のコーナーで、娘の少し泣きそうな顔を思い出しながら、ぞうのぬいぐるみを買った。
抱き上げたぞうのぬいぐるみの向こうで、良香があどけなく笑って大きなクマのぬいぐるみと戦っていた。
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