『私の初恋相手がキスしてた』×『安達としまむら』コラボSS
「あ、先輩だ」
声が後ろ髪を撫でてきた気がして振り返る。
「多分」
なんで振り向いた後の方が自信なさそうなんだ。
学校からの帰り道、中学時代の後輩だった。一つ下だから、今高校一年か。制服は近くを歩いていれば目にする機会も多い、私と別の学校のものだった。改めて近くで見るとリボンが少し大きい。
バスケ部に入ってきた新入生の中では一番生意気そうなやつだった。
実際、そうだった。だから今でも覚えている。
「久しぶり」
「はい」
おほほほ、と後輩が適当そうに笑う。見かけてつい声をかけてしまったけど、別段話すこともないしまいったなぁというのがその困った笑い顔から滲み出ていた。
こっちも似たようなものだ。会話もろくに始まってもいないのに、早くも目を逸らす。歩道橋、柱の陰に放置されたような自転車、午前中の曇りをまだ肩にかけたような青空。
生温い空気が夏服の隙間から入り込み、鎖骨を撫でてくる。
ゆっくり逃げてから、また後輩を見る。後輩の目は私の頭を見上げていた。
「相変わらず、先輩は町中で目立ちますね」
「まーね。お陰で悪いこともできない」
「昼間は特に光ってる感じ強いですねぇ」
話しながら、こいつこんなに丸かったかなと不思議に感じる。容姿の意味ではなく、性格の話だ。ボールを弾ませる音が部の誰よりも強い、尖ったやつだった記憶がある。とにかく何もかも不満そうで、目つきは鋭く、他人を近づける気のしない声と態度の印象が今でも強い。
部活を引退してから会っていないので、丁度一年ほど時間が経っている。まだ中学生を残す顔立ちは温和なものとなり、そこを彩るように髪の色も大きく変わっていた。今気づいた。
「染めたんだ」
これ、と私の頭を指して、目の動きで後輩の髪を見る。後輩が「ああ」と金色のそれを摘まみながら、「なんとなく」と答えた。
「あ、先輩に憧れてとかでは一切ないです」
照れ隠しなどもなく、本心からの一言だと伝わるお断りだった。
「いいけどさ」
「むしろ今やっと先輩のことを思い出しました」
笑いつつ、ああ本質的なとこは変わってないかもと思った。他人を踏み込ませない性格は健在で、その対応の仕方が変わっただけなのかもしれない。
「ちょっと大人になったのかね、あんた」
「へぇ? そうですか?」
髪の分け目を意識したように指で直してから、ふふんとやや得意気になる後輩に笑う。
柔らかくはなったらしい、確実に。
笑ってるやつは、他の笑いも呼ぶ。いいことだと思う。
「なんかあった?」
「なんの話です?」
後輩がきょとんとしている。
「ちょっと雰囲気変わったから、高校行って、なんかあったかなってね」
出会いとか、環境とか。自分だけが進行してなにかが変わっていくことは、あまりない。
人は良くも悪くも、誰かとの関係を命綱みたいに掴んで生きている。
話している横を、制服の女子が通っていく。黒髪の、少し猫背の女の子。制服は後輩と同じで、一瞬映った冷めた横顔が少し印象に残りそうだった。後輩は向かい風のようにすれ違うその女子に一瞥もくれない。
「それがなんにもないんですよね」
「へぇ」
「あんまり変わり映えなくてちょっと飽きてきたから、夏休みがほんと助かる」
後輩が溜息交じりにそんな不満を口にする。ああこいつ、結構飽き性だったもんなと思い出す。部活の練習も好きにやっていて、顧問から嫌われて大会ではろくに出番がなかった。嫌いなやつにはパスもしなかったからよく喧嘩して問題を起こすし……と並べると割と酷いやつだった。なにもなかったと言うなら、なにがあってこんなに呑気そうになったのか。
肩肘張るのに疲れたのだろうか。
「夏休みの後は……どうなんだろ。なにかあるのかな」
目前の夏休みを前に、塀の先でも覗くように背を伸ばして、そっと覗き見て。
なにかを探すように、後輩がさっきの私みたいに道路の方を見る。後輩の金髪が、駆け抜ける自動車がもたらす風に雑に揺らされる。そうして笑顔も引っ込んだ横顔は、後輩のどこか熱を失ったような態度をそのまま表していて……ああだから、他の後輩は朧気なのにこいつのことを覚えているんだって感じた。
きっと、他の誰かが見ても、つい気になってしまう。
その誰かが、今はまだいないみたいだけど。
「あれだ。あるといいな」
それくらいしか言えなかった。
私はこいつの『なにか』じゃないからだ。
「そーですね……」
後輩の生返事の途中、向かい側からやってきた女が私の隣をすり抜けていく。思わず、意識するより先に目が行く。私と同じ制服の、小柄な女。女はこっちに見向きもしない。
「……………………………………」
ふん、とか。分かりやすく言いそうになってしまった。
私がじっと見ていたからか、後輩が首を傾げる。
「友達?」
「いや……うん……うんな感じ」
なんとも説明しづらくて言葉を濁す。しようと思っても、上手く言い表せない気がした。
客観的にはできても、私の表面以外から言葉を持って来ようとすると、きっと、とても難しくなる。
「ふぅん、なるほど」
後輩がうんうん頷くことに、むっとする。
「なにがなるほどだよ」
「なにかになるほど」
なにも分かってなさそうな、後輩の適当な発言だった。
ここから用事もなさそうな後輩から、先に離れていく。
「それじゃ、さよなら」
「うん」
さよならで締めてくるのがいかにも私の知っている後輩だった。
そして本当にもう会うこともない気がした。
精々、お互いのこれからを他人事として祈るくらいである。
麻婆豆腐だけを売る店の横を通り、住宅街の道に入ると、あいつが曲がり角の先に立っていた。私を待つように、こちらを認めてから家の方へ歩き出す。珍しいこともあるもので、なにか用かとその背中に追いつく。そいつはこちらを一瞥して、その理由を語った。
「鍵開けるの面倒やから待ってた」
「ああそういう……はいはい」
待っていたのは私じゃなくて鍵ね。まぁ私だって、用もなくこいつに待たれていたら気味が悪いというか。悪いよ。悪いってことにする。だから今、ちょっと面白くない気分なんだ。
「友達?」
本当に短い言葉での質問で、意味を理解するのに少しだけかかった。
「後輩」
「ふぅん」
興味もないだろうに、とりあえず聞いてみた。こいつはいつもそんな雰囲気だ。私だってこいつに興味はない。ないけど近くで動くから時々、そう、時々そいつの方に目が行ってしまう。今もそうだ、小さな頭がちょっと揺れていたから見てみたら、目がしっかり合った。
背丈の差による斜めの線が、私とそいつの間に引かれる。
じっと見上げてきたそいつに、なにって言いかける途中。
「こっちの金色の方が綺麗やな」
努めて涼しく、淡々とした物言い。
顔色一つ変わらず、そいつは評してそのまま前を向く。
こっちに寄せた波なんて、気にも留めないように。
他意もなさそうなその発言。そう、こいつは、こういうやつだ。
目の前にあって、思ったことを、ただ伝えてくる。
関節のない褒め言葉に、しかし私はそれだけで、頬と指の付け根が痺れる。
こいつは、美人だ。認める必要もないくらい、素直にそう感じるような段階の、美人だ。
その美人が顔と声と意識が二つの惑星の接近みたいに、一瞬だけ距離を詰めてくる。
そんなことが最近度々あるから、私は。
私という惑星の表面は、荒れっぱなしだ。
不用意に近寄り、そして躊躇いなく遠くに消える星は、まるで振り向かない。
私はその星にかき乱された地平を整地する間もないまま、追いかけるしかなかった。
これは、そういうお話。
二つの星が、ぼろぼろに、壊れそうになるまで近づいて、壊れてもまだ近づこうとする。
ありふれたなにかに引き寄せられた、そんな夏のおはなし。
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