『かつて近所のおねえさんだったものへ』

「というわけで、えーっとですねー、帰ってきましたけど……こう、辛いですな! 向こうは気にしてないというか、色々聞いてくるのですがわたくしまだそんな売れてないわけで……うほほ。もうおうちかえりたいよぉ。おうちここなんですけどねがはは。えーまー、明後日くらいには帰ると思います。じーちゃんに送ってもらえるといいなー。でででですねー……いや、でが多かったですねー……あの、帰ったら……会います? なんかあれなんですよね、会うと自分のなにかが……あーってなるんです。あぁーかな? 分かります? 分かるわけないですね。え、なんとなく分かる? すげー。それで、うん、はぁ、はい……はべ? おぱ? あいやいやいや触らせてくれ、くれる? くれると来ましたか! いえこう、あたしお、おっぱい、なんてですね……いやあのー……す、好きなのかなぁ。でもあのそっちも……え、えっと、えと、み、みやび? ぐわぁゾワゾワゾワっときた! 人を呼び捨てにしたこと、ほとんどないもので抗体がないのですな……本当に同い年です? ですよね。あ、そっか……正確な年齢謎ですか。謎が謎を呼びますな! え、話戻す? 戻しちゃうかー、そっかー。おぺぺぺ。触ってるとあのー、耳がね、耳がちぎれそうなんで怖いです。あついの、めっちゃ。溶けるかな? ってくらい。頭ぼわーってなるし……いえ! でも……あの……はい、触らせてくだ、しゃ、さい。しゃす! しゃすしゃす! じゃあっす!」

「…………………………………」

「は、はっはっは」

 電話を終えたおねえさんが急に上ずった声で笑い出す。

 動揺しているみたいだ。

 で、振り向く。

 緩い笑顔が、わたしを認めてくにゃっと更に頼りなく折れた。

「はぷぁ!」

 同じく帰省中の、お隣のおねえさんが飛び跳ねる。祖父母宅のお隣のおねえさん……昔は帰省の機会が重なって、よく遊んでもらったものだった。その頃から割と時間は経っているのだけど、おねえさんの方は見た目が変わってないというか、印象が逆転しているというか……成長しなさすぎでは? 中学生にしか見えない。背もそのままだし。

 正直、もうおねえさんと言い難い。そして頭にはなぜか、研修中と書かれた名札を髪留めのように載せている。年始の夜に恐らくは似たような理由で家の表に出て……で、これである。

 両宅から漏れる灯りを背負って、わたしとおねえさんが固まる。なんでわたしまで。

 外に出た途端、声がし始めて引くこともなんとなくできなくて側で聞いていたのだけど、第三者は聞かなかったことにした方が優しさを感じる内容だったかもしれない。そんな話を表で堂々とするのはいかがなものかと思うが。

 そういうわけで、おねえさんとの間に妙な緊張感が漂うのであった。

「つ、つきよちゃんだったね」

 当たらずとも遠からずの名前だった。わたしを見上げるおねえさんが、「こんなんだったかな」と首を傾げている。こんなんだったかはお互い様である。勿論、どちらもこんなんではなかった。

 おねえさんが握りしめた電話をちらりと一瞥する。ぐえーと手で目もとを覆う。指の間からちらちら見たり、左右に飛び跳ねたり忙しい。忙しいのになにも事態が進まない。

「あのー」

「きゅええええ」

「は?」

「勘違いしないでいただくたい」

「いただくたい?」

「今のはだね、えっとね、いやあのね、こう、電話なんだ」

「はぁ」

 もしかするとこの人、話が凄く下手なのかもしれない。

「き、聞いてたのかえ?」

「き、聞いてました」

「ぜんぶ?」

 正直に答えて、内心しまったと悔やむ。知らないふりして引き返せばよかった。

「は、半分くらいかな?」

「半分ってどっちじゃろ」

 前半か後半かで確かに大分変わる気がする。

「前半……ですねうん」

 冷静に考えると最初だけ聞いていて今ここに突っ立っているとか矛盾している。

「ぜ、前半なら……ぎりぎりおっけ?」

 わたしに聞いてどうするのだ。

 幼少期に遊んでくれたおねえさんが、変な隣人と化していく世界の不条理を嘆きそうになった。

「し、幸せかぁい?」

 目を回しているおねえさんが、いきなり怪しいことを聞いてきた。

 ひょっとして、これで話を逸らしてごまかしているつもりだろうか。

 色々大丈夫かと感じつつも、なんとなく、割とまじめに考えて。

「んー……まぁまぁですかね」

 まだ生きているあの子と、今年も出会えたから。

 まぁまぁどころか、多分、もっと。そして同じくらい、鼻の奥が痛くなる。

「そりゃあよかったぜー」

 ぐるんぐるんとコマみたいに回転しながら、おねえさんが家の中へ逃げていこうとする。

「おねえさんは?」

 意識したわけではないけれど、昔と同じ呼び名を口にしていた。

 おねえさんは回転を中断して振り返り、構えて、両方の手で指パッチンに失敗して、へちょっとした音を立てた。

「だぜぇ」

 どっちだ。

 そのまま逃げて、少し経った後に家の中から、きゅあああと小動物が苦しい時に上げるような悲鳴が聞こえてくる。苦しんでる小動物を見かけたこともないのだけど。

「なんというか……おねえさんも色々あったんだなぁと」

 思いました。

 しかし、話を聞く限り彼女持ちか。違ったらそういう関係じゃない人の胸を触りたがる人になってしまう。そっちの方がヤバいな。

 ……彼女。

 みーとぅーと言ったら、どんな反応を頂戴したのだろう。

「……おっと、今度はわたしか」

 短く反応した電話に目をやる。電話していいかって、毎回事前に聞いてくる。気にしなくていいのにと思う。

 それとも、いきなり電話してわたしが出なかったら不安になるのだろうか。

 いつだって奥ゆかしい安達の電話に出る。

 そして開口一番、聞いてみた。

「はぁい、幸せかい?」

『え? え、えー……今、大分幸せになった!』

 そりゃけっこう。

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