『しまむら家の謎』
最近おかしいと思うことが三つある。
一つ目は抱月が毎日楽しそうにしていることだ。
「どう思うお母さん」
「にゃにが?」
床に座り、背を丸めて足の爪を切る妻の耳には話が半分も入っていないようだった。
「楽しいならいいじゃん」
「そうなのだが」
年末の連休の抱月は毎年眠そうというか実際寝てばかりなのだが、今年は動いている姿をよく見る。その廊下を歩く横顔に笑みを浮かべている抱月に、こうしてちょっとした疑問を持ったというわけだった。
高校生になってからのあの子は、小学生の頃に持っていた和やかな雰囲気を取り戻しているように見える。中学生時代は反抗期をなかなかに拗らせていて、少々心配したものである。
「私はいつも楽しいぜぇー」
「なるほどそれはうらやましいね」
妻は今、頭を使っていない時間のようだ。諦めかけたが、その妻から話しかけてくる。
「彼氏でもできたんじゃない?」
「彼氏……なるほど」
そういうのか、と思った。……そういうのか。
「もしくは彼女」
「……なるほど?」
それは一体? と首を傾げる。妻がケッケッケと気持ち悪く笑う。
「安達ちゃんはちょっと怪しいなあれ」
「あやしーですか?」
「怪しいですねぇ、あんたも超」
「安達……この間の子か」
「そうそう。大人しい子」
あの子が抱月と。……うーん。うーん?
「難しい世界だな」
「ま、分からんけど。よしこれで謎が解明されてしまったな」
妻のいい加減な一言で締められてしまった。こちらとしてはほーとか、はーとか言いながら部屋を見回したり、遠くを見たり、やや落ち着かない。でもしばらくしたら、まぁいいかと思った。妻ではないが、楽しいならいいのだろう。
で、二つ目。妻の脇にずっと抱えられている子。
「とても光っているように見えるのだが」
「光ってんねぇ」
「きらきらですぞ」
光っている子が呑気そうに答える。気づけばいつもいる、不思議な子だ。
「もっと輝くこともできますが」
「眩しいからやめな」
ずっと抱えたままなので、爪が実に切りにくそうだ。
「こいつ捕まえとかないとすぐ冷蔵庫開けに行くから」
「台所はたのしーですな」
光っている子の手足がビタンビタンと活きよく跳ねる。
「なぜみなさん冷蔵庫を見ないのですか」
「開けると中身が減るからじゃい」
「しかしなんで……光っているのかな?」
「知らんけどたまーに便利よ。夜中でも光ってるから周り見えるし」
「ぺかー」
やる気のなさそうな声に合わせて、より光った……ように見えた。
しかしこの水色の輝き、前もどこかで見たような……そうでもないような。
「ちょっと喋る猫が居座ってるとでも思っときなさい」
「それは良い感じだが、いいのかな?」
猫は好きだが、他所の家の子である。家族は何も言わないのだろうか。
「取りあえず悪党ではないよ」
「そうなのかい?」
「娘たちが信用してる」
妻は淡々とそういうことを言う。
そういう人なのだ。
「それは、大丈夫そうだな」
「んむ」
「あ、ヤチーいた」
娘が顔を覗かせると、妻が光っている子を放り投げる。
「ほら連れて行きな」
投げ出された子がそのまま飛翔して……宙を飛んで? 娘の頭を中心にゆっくり一回転した後、音もなく着地した。その間、軌跡に水色の粒子がばらまかれて、空間を漂っている。
思わずほげ、と口を閉じられなくなる。
「ではしょーさん、さっそく台所に行きましょー」
「いきませーん」
「おや?」
娘が光っている子の手を引いて、すぐに走って行ってしまった。
「……あっちも楽しそうだな」
「いいことじゃん」
「まぁ、そうなんだろうな」
「私も楽しいぜぇー」
「それはもういい」
よくねーだろと妻がケラケラケラと笑う。笑い声がいつも独特で、こればかりは娘たちに継がれなくて良かったとひそかに思っている。
「三つ目は?」
「うん?」
「おかしなことが三つあるって言ってたじゃん」
自由になった左手の爪を、妻がぱちんぱちんと切り出す。
「意外だな、ちゃんと聞いてたのか」
「意外性のある女ってよく言われてきました」
それは多分意味が違う。生えるように竹藪から飛び出してくるとか、そっち系だ。
「さぁ最後の願いを言うのだ」
「そんな趣旨ではなかったはずだが……きみも、楽しそうだと思ってね」
「楽しい言ってるじゃん」
もっかい聞きたい? と振り返った妻が笑う。
「いや普段よりもはしゃいでいるように見えたから」
「そう? 自分ではよく分からんね」
まるで心当たりのないことさえ、楽しそうに。
いつも若干おかしい妻は、鼻歌混じりに爪を切り続けるのだった。
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