『むあざあ』

 ホテルのベッドに転がりながら、雅はカナを見上げていた。そのカナは電話中である。カナの膝枕の上で、雅は揺れる髪を目で追う。カナの声は珍しく、少し角張っていた。

「はいというわけで、はいー大丈夫。多分、うん、うん」

 最後はカナが一方的な形で電話を切る。切った後、電話を片手にカナの足がぶらぶらと揺れた。怒られた後の子供めいた仕草に合わせて、雅の背中も揺れた。

「なんかすいませんねほへへへ」

「謝ることではないと思うけどね。お母さんからの電話なんだろう?」

「えーまー、そうなんですけどー」

 げへー、とカナが付け足す。意図は本人にも分かっていないがつい口から出る。

「私よりよっぽど大事にした方がいい相手だと思うよ」

「えーまー、そうなんですけどー」

「不仲なのかい?」

「そういうのではない、んじゃないっすかね」

 カナが言葉を濁すのを受けて、雅が目を細める。複雑に重なった光に目をやるように。

「母親か……話してるとどんな気持ちになるんだろうね」

「はい?」

「親がいたことないから、少し気になった」

 ああそんな話も聞いたな、とカナが思い出す。目を右に左にと動かして、よしと呟く。

 ばばっと、カナが両腕を広げた。包容力を出しているつもりだった。

「では今日はお母さん味を出していきますか」

「うん?」

「いやあたくしをお母さんと思ってですね……えぇと……」

 思いつきにすぎないので、カナが続きに困窮する。その間に、雅が露骨に訝しむ。

「うーん……」

 雅の視線がカナの顔、胸元、だらしない着こなしの服の順に動く。

「うーん……?」

「いえ無理があるのはわたくしも重々承知ですが」

 力を失ったように、カナの両腕が下りる。

「私もお母さんというものは分かっていないから、漠然とした印象なんだけどね」

「それは極めて正しい印象だと思われます」

「ふむ、でもせっかくだし……」

 よし、と雅が両手を合わせる。

「ママおっぱい」

「ぼへ」

 カナが噎せる。雅が指をわきわき動かすと、更に目を回す。

「お、お母ちゃんのおっぱ、おっぱぱ、欲しいんだも?」

「ほら早く吸わせて」

「えぇぇぇぇべべべべべべ」

 雅が手を身体に向けて伸ばすとカナが奇声をあげる。その様子に、雅は満足そうだった。

「冗談さ、お母さん」

 雅が手のひらを返して笑う。そうですよねごへごへごへとカナが挙動不審の塊になりながら笑い飛ばそうと苦心して結果、唇がのたうつ。そうこうして、カナの目が雅の豊かな胸元に注がれる。

 吸うならこっちだよなぁとカナが思った。

 思ってから、もっと恥ずかしくなった。

 その間に雅はあくびをこぼして、浮かんだ涙もそのままにカナを見つめた。

「子供が寝る時、お母さんはどうしてるのかな?」

「え? えっとー、えー、がんばれーって応援したり?」

「……じゃ、それでいいや」

 混乱気味のカナの発言を丸ごと受け入れて、雅が目を瞑る。いいのかな、とカナが若干の責任を感じつつ首を傾げる。カナ本人には勿論、布団の横で大声援を送られながら就寝した経験はない。

 大人しく待つように動かない雅を見下ろして、カナはほけーっとした後。

 取りあえず、本当に応援してみることにした。

「そこだー、いけー」

「………………………………」

「がんばれー、もうちょっとだぞー」

「遠退いた気しかしない」

「ですよねー」

 母親は難しいなぁとカナがしみじみ思っている間に、雅は寝てしまった。

 カナは眠る雅の額からそっと髪を除けて、お母さん度を稼ぐのだった。

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