『「ファミレスに行く話」「ありふれて永遠」』【再掲載】
※この作品は「入間の間」に過去掲載された小説の再掲載になります。
『ファミレスに行く話』
「女々たんとー、エリちゃんとー、マコくんはファミリーね」
「え」
そうなの? といきなり話題を振られて思わず本を置く。
「だからファミレス許可証も貰えたので外に食べに行こうぜ!」
女々さんが高笑い混じりにそれをひらひらとなびかせる。
それは状況によっては焼肉許可証にも寿司屋許可証にもなるものだった。
普通は紙幣という。
「もふ?」
頭まで布団の中に引っ込んでいたエリオが話を聞いて出てくる。もぞもぞとモグラのように布団を掻き分けて、外にぼてっと落ちた。額を床につけて、ばさぁっと水色の髪が散らばる。
うーん、布団から出てきたところをカットすれば実に神秘的である。
広がった衝撃なのか、水色の粒子まで埃を吸い込むようにして舞い上がる。
「さぁ行くわよエリちゃんズ」
「え」
俺までエリオなのか、といきなり認定が進みすぎて追いつけないまま、エリオを起こす。
で。
「女々たんの汗と水と時間をぎゅーっと凝縮した結果、こんな立派なものになったのよ」
近所のファミレスの席に案内されてからお札の端を持ちながらそんなことを言い出す。
向かい側に女々さんが一人で座り、俺とエリオが並ぶ形だ。
女々さん曰く、これが『あぁんファミリー!』らしい。意味分からん。
「例えがちょっと」
ていうか、水ってなに。汗水なら偉大だけど、分離するといまいちありがたみが。
「ぺたんこ」
「ぎゃあ」
首筋に張りつけてきた。ただのお札と分かっていても仰け反らざるを得ない。
心なしか、お札に触れた部分が湿り気を帯びた気がした。
しかしここ、ファミレスか? と今更ながら店内を見回す。メニューとして掲げられているのはサンマの塩焼きに、鶏と野菜の黒酢あんと来る。渋いファミレスもあったものだ。
「うーん、二人ともファミってるわよ、いい感じね」
女々たんご満悦、とばかりに頭を振る。なんだ、ファミってるって。
多分、ファミリーしているということなんだろう。
そんな日本語はない。
やがて注文した料理が届く。最初はエリオの頼んだうどんのセットだった。
「エリオさん一番乗り」
なぜか俺に勝ち誇る。鎖鉄球でも振り回すような勢いつきで。
「いち」
「分かった分かった」
立てた人差し指を鼻に押しつけてくる。払うと、エリオが得意げに箸を握る。
「イトコ、後でイトコのご飯と少し交換してあげよーか」
「んー、そだな」
「あ、わたしもわたちも」
自己主張の強い四十歳が混ざろうとする。
「エリオと同じもの頼んだんですけど」
「やーん、じゃあ違うのにする」
そう言いながら、女々さんの指の間に幾つもの調味料が握り込まれていた。
どうやら注文を変えるのではなく、料理そのものを変えてしまうつもりらしい。
うどんにソースとドレッシングを注ぎ込んだものと交換したくはない。
そんなやり取りの間に女々さんの分も来て、エリオも食事を始める。
エリオがうどんを掬おうとして俯くと、左右の髪がこぼれて邪魔をする。危うくつゆの中に飛び込みそうな髪を慌ててすくい上げて、エリオが改めてうどんを食べようとする。
当然、特に対策もしていないのでまた落ちる。
「むむ」
自分の髪を摘んで眉をひそめる。もう一回試す。髪が落ちる。親の敵のように睨む。
「結んで」
箸を置いて、エリオが背中を向けてくる。左からにょきっと、ゴム紐を摘んだ手が生えてくる。ゴム紐だけを取ろうとしたら、指が捕食するように絡んできた。えぇい、と剥がして逃げる。なぜ一々捕食されないといけないんだ。そして、しないと気が済まないのだ。
「髪、伸びたというか増えたな」
普段は色合いの統一感にごまかされているけど、手に取ると茂っているのが分かる。
「ふさふさ」
「もさーって感じ」
奥で妖精が巣作りしていても不思議ではない。妖精が巣を作るか知らんけど。
でもああいうのって、イメージ図だと羽虫っぽいしなぁ。
エリオの髪を結んでそこから編み込み、団子状にして纏める。普段は自分で髪をどうこうすることなど一切ないので、髪を下ろしていないエリオを見るのは大概新鮮である。そしてそういう場合、日頃は怪人スマキンとして麻痺しつつあるエリオへの感覚が揺らぐのだった。
「………………………………………」
首の後ろ、綺麗だよなーって思ってしまう。
「ん」
エリオが髪に触れて出来映えに納得するように頷く。
まぁこいつは、髪が落ちてこなければなんでもいいのだろう。
髪が長いといえば女々さんもそうなのだが、平気なのだろうか。
……はっ。
流れから嫌な予感がして、向かい側を見る。
「ひぇ」
露骨に女々たん(40)の髪が増えていた。顔が前髪で覆い尽くされている。
「うどん食べてるのか髪すすってるのか分からないわー」
とか言いつつずびずび吸っている。よく見ると口もとには髪がほとんどかかっていない。
滝が意思を持って左右に分かれるかのように。ひぇぇ。
「あーんたべぢゅらいからわたちもむちゅんでー」
引っ込めれば、と思わず言いたくなる。およそこの世の理屈では割り切れないが出し入れ自由なんだろう、きっと。毛玉女々たんが催促してきて、非常に怖い。近づいたら食われそう。
「おかーさん、わたしがやったげる」
エリオが席を立つ。とてててとテーブルを回り込んで、女々さんの隣に座る。
「まぁ、エリたん優しい」
おねがーい、と、多分背中を向けた。肩から上だとどっち向いているのか正直分からない。
しかし、独りでに動き出さないだろうな、あの髪。危惧していたら案の定、エリオが髪を束ねようとした直後に『わしゃしゃ』と暴れ出す。エリオが思わずビクッと反応した。
「ちょっとしたお茶目よ」
うふふ、とか髪を獣の顎みたいな形にしながら女々たんが上品に笑う。
笑えるか。
そうぼやくような自分の頬と顎が緩んでいることを、少し経って自覚する。
「今日はしっかりファミっちゃってるわね」
「そんな日本語はない」
だって英語だもの、と言われたらもう反論できないのだった。
『ありふれて永遠』
朝起きたら真っ暗な上に息苦しかった。ついでに柔らかい。
なんだなんだと暗闇を摘むと、思いの外容易く剥がれた。
「起きたか」
乗っていたのはヤシロの腹だった。首を摘まれて大人しくしている。
パンダパジャマを着ているが、そうしていると手足を伸ばして猫だった。
かぶっているフードのせいか、丸のみされているようにしか見えない。
「なにしてんだお前」
「起こしてこいと言われた」
そう頼まれてなぜ、のしかかるという選択が出てくる。
離してやると、人をまたいで飛び越えた上に腰を押してきた。
「さぁ行くぞ、朝ご飯だ」
ごはんごはんとせっつく。まぁそんなところだろうと思った。
食べ物絡みの行動は常に素直で自由極まりない。
しかしまぁ、食べさせていない子みたいに。
「すぐ行くから先行ってなさい」
「わー」
両手を前に突き出して、ぺったぺったとご機嫌に走っていく。
「うーむ」
当たり前のように朝からいる。それとあのパンダを模したパジャマは娘用に買ったはずなのに、いつの間にかヤシロが着るようになっていた。フードの部分に顔があって、なんかこう、かわいらしいやつなのだが。気に入ったのかいつも着ているように思う。
「うーむ……」
台所を覗いてみると、娘の隣にも椅子があって当然の如くヤシロが座っている。
「まこくんきたー」
「はーいー、来ましたよー」
娘とにこやかにご挨拶する。うーん、朝から格別かわいい。
「ははは、イトコはお寝坊さんで困るなー」
「そうかそうかそりゃあすいませんね」
「もふ」
偉ぶっているエリオを二回ほど転がしてから食卓に着く。
ヤシロはその瞬間に、誰よりも先に食べ出す。遠慮などという懐に隙間を作るような行為の一切と無縁なのであった。
ご飯をぱくつき、お代わりまでする。
「お代わりは一杯まで」
「分かってる分かってる」
ぺたこんぺたこんと、自分で茶碗に飯を盛る。一杯だけど、こんもりと山を築いていた。
「うーむ」
飯の後、こいつはどこから来てどこへ帰るのだろうと気になり、後ろについていく。周りを本当に気にしないやつなので一切振り返ることなく、てこてこと歩いていった。そして行き先は思いの外近い。階段を上って、二つある部屋の奥へすたすた入っていくのだった。
「……知らなかった」
昔、俺が使っていた部屋に住み着いていた。布団まで敷いている。更に言うと小型冷蔵庫まで持ち込んでいた。ヤシロはそのまま布団の上に寝転び、タオルケットにくるまる。
「ぐぅ」
「……寝付きのよろしいことで」
これではパンダではなくコアラだ。
冷蔵庫を開けてみる。カルピスの桃味しか入っていない。閉じる。
枕元にはおかしばこと書いてある、恐らく元はあられの入っていた円柱の箱があった。この字は、娘の字だな。ときめく字だ。開けてみると、ソフトサラダせんべいの袋が見えた。五枚ほど重なって入っているが、その隙間から見える箱の底に字が書いてある。せんべいを退けて覗いてみた。
『そこがみえると、かなしー』
やかましいわ。
蓋を閉じる。お菓子箱を元の位置に置いてから、布団の脇であぐらをかいた。
「……うーん……」
ヤシロの寝顔を眺めながら、悩む。
なんなんだろうね、こいつは。
行動は本能に従っているというかめっちゃ浅いのに、何一つ謎は解けない。
そんなやつと十年前に出会って、今こうして同じ家に住み着いている。
なにも成長せず、むしろ小さくなって。
こいつに絡まれていると、自分が大人になったことを忘れそうになる。
時間の尺度が途方もないものになって、こんな時間が永遠に続くような……そんな錯覚さえ引き起こすのだった。そうしたヤシロの存在は俺にとってなんと表現すればいいものか。
間違いなく友達ではない。かといって、他人とというわけでもなく。
十年来、外に居着いて顔を合わせる猫か犬。
そんな感覚を持つ相手なのだった。
「もふえり」
その日もいつものようにスマキンがお出迎えしてくれた。
挨拶が中途半端なのは、途中から布団の外に顔を出したからだ。
「ただいま。……まー」
エリオの後ろを覗いてみる。いない。布団の中にも隠れている様子がなかった。
「あら、娘ちゃんは……」
昨日は帰れなかったので今日は少し早めに帰ってきたのに、お父さん寂しい。
「友達と遊んでいるから、気づいていないもふ」
「友達? ヤシロか?」
「通っているとこの友達」
「へぇー」
この時間に帰ってくることが滅多にないので、お友達を目にする機会はあまりない。
「一個下の男の子もふ」
「………………………………………」
思わず靴を落としながら沈黙してしまう。男、だと。あの歳で早くも男を連れてきただと。
「友達がいっぱいでいいこともふ」
「いやまぁ、そうなんだけどね」
しかし友達は選びなさいと大人は言うじゃないか。
「イトコもエリオさんという偉大なる友に導かれて大きくなったのさ」
脱いだ靴を揃える。
「さ」
忘れ物はないかなーと鞄を覗く。
「さー」
「聞こえてる聞こえてる」
だから耳たぶをこねこねしないの。
「ではエリオさんは晩ご飯の支度に戻るもふ」
「ん、おぉ。がんばってね」
すてててー、とスマキンが走り去っていく。……あの格好で料理しているのかな?
まぁスマキンの謎は今に始まったことじゃないので見なかったことにして。
廊下に上がって、賑やかな声の方、居間に吸い寄せられるように向かう。
着替える前に、娘に相応しい男か確かめようと、覗いてみると。
「ん、んー……?」
なんかすっげー、見覚えのある子がいた。
「てやー」とソフトビニール製の玩具の刀を娘と振って遊んでいる子がいる、のだが。
「あ、まこくんだー! まこくんかえりだー!」
覗いている俺に気づいて、娘が駆け寄ってくる。きゃー、かわいい。娘が笑顔で走ってくるだけで大体のことが後回しになってしまう。屈んで、飛びついてくる娘を抱き上げる。
「きょうはちょっとはやいねー!」
「会いたくてちょっと早く帰ってきちゃった!」
「さみしかったぞー!」
「おぉ、娘よー」
うじゅじゅ、とほっぺを擦りつけ合う。いざやってみると素敵なものだった。
「あ、まこくんのおひげがちくっとするー」
「おっと、今朝は剃ってないからな」
でもそのまますりすり。
堪能した後、大人しく待っていた子が「やーやー」と声をかけてくる。
「あなたがまこくんどのですか」
なぜかちょっと時代がかっていた。
「えぇっと、きみは娘のお友達?」
「ですぞ」
にこーっと娘と笑い合う。なんとも、柔らかそうなほっぺだ。
顔と髪と肩周りを眺めてから本人に聞いてみる。
「男の子?」
「さむらいにござーる」
声も柔らかい上に音が高いので、まったくそう思えない。髪はふわふわで目もくりくりだし。
というか髪型が長さといい、ふんわりした感じといい、見覚えいっぱいだ。
なぜか室内でも帽子をかぶっているところも含めて。
「その帽子は?」
「おかーさんりすぺくとにござる」
「……そうでござるか」
ちょっとうつった。顔つきもお母さん譲りなのだろう、多分。女の子にしか見えない。
「ゆーこちゃんっていうの」
抱っこされたまま娘が教えてくれる。ゆーこ、ちゃん。ほぅ、ほぅ。
「ちゃんではないですぞ、さんさんゆーこさん」
刀をくるくる回して訂正を求めてくる。それから、刀を肩に載せて腰を落とした。
「ゆーこさんがたちをかついだら、よーじんせーっ」
間延びした口上を述べてくる。迫力、まったくなし。
「してくださいな」
お願いされてしまう。「しましたよ」と言ってみると、「やーっ」と柄の端っこを握って刀を振ってくる。顎を狙ったみたいだけど届かなくて、空振りする。
「とどきませんぞっ」
「短いからねぇ」
手とか足とか。
「むねんでござる」
こて、とその場で倒れた。でも即座に「むむん」と胸を張って復活する。
「まこくんどのはおおきいですのー」
「ふふふのふ」
なぜか娘が自慢げだった。それから、娘が紹介してくれる。
「ゆーこちゃんはね、くだものだいすきっこなの」
ゆうこちゃん? この子の名前か。……女の名前なのに、とか思ったらなにが悪いと殴られるのだろうか。
「あ、そういう繋がりのお友達か」
うちの娘も肉類は敬遠気味なのだ。
「ふるーつさむらいにござる」
「取りあえずサムライくっつける路線なのか」
通っている先で流行っているなら娘もやりそうなので、この子独自の嗜好らしい。
こっちはおかーさんりすぺくとでは……ないのかな? あったかな?
「おっと、そろそろおむかえのじかんですぞ」
時計を見上げたゆうこちゃん? がそわそわするようにその場で足踏みする。
おむかえ? ああそりゃあ、一人で家に帰すわけにもいかないか。
「ゆーこちゃんのおかーさんはたらいてるから、おむかえくるまでいっしょにあそんでるの」
「ほーぅ」
働いているとは、知らなかった。
刀を腰にくっつけてから、ゆうこちゃん? が娘に一礼する。
「こよいはここまでにいたしとうござりまする」
「古っ」
俺の世代ですらない。どこで習ってくるんだろう、こういうの。
ゆうこちゃん? が通園鞄を肩にかけて、小走りに玄関へと駆けていく。
迎えか。迎えってことは、つまり。
若干、緊張のような重苦しいようななにかを抱きながら娘と一緒に見送りに行く。
玄関先に迎えに来たのは、最初、逆光で誰か分からなかった。影しか見えなかった。でもその頭に帽子の輪郭がなくて、あぁ、違うなとすぐに分かった。
やってきたのはお祖父ちゃんのようだった。……働いているのだから、そりゃ、来ないか。
「おせわになりましたぞ」
お祖父ちゃんの隣に並んでから、ゆうこちゃん(仮)がぺこりとご挨拶する。
その頭が上がるのを待ってから、どちらにするか迷っていたが声をかける。
「あーそのー、ゆうこちゃん、だった?」
「ですぞ」
「えーっとね」
色々と伝えたいことが頭に浮かんで、でも、そうすると雑多になって。
大体、いっぱい言っても全部覚えて帰れそうもないなぁと思うわけで。
頭を掻いて苦笑いして。それから、一番言いたいことを見つけた。
「お母さんに、よろしくね」
帽子のうえに手を載せて、言い表せない気持ちが手のひらから届くよう祈った。
「こころえましてござる」
満面の笑みで請け負う、幼子の歯の眩さに頼もしささえ感じた。
「ゆーこちゃん、またねー」と娘が手を振って見送る。俺はそれより一足早く部屋へと戻る。
顎を上げて、口を少し開いて。自分の中を巡るものに、酔いしれる。
高校を出て会っていない人が大勢いる。
見えなくなったもの、繋がらなくなったもの。否応に意識させられるときがある。
でも。
けれど。
近くに、いたんだなぁと。
「そうか」
そうかぁ、と一度深く頷く。
「まこくん?」
ご挨拶が済んで戻ってきた娘が、足もとに走ってくる。
「うむ。お父さんちょっとセンチメンタル」
娘を抱っこして、窓の側に立つ。
窓は、開いていた。光が小さな遮りも取り除かれて、足もとへと来る。
穏やかな日に焦がされた空気は生温く、胸をかき混ぜる。
室内に溜まって精彩を欠いていた熱気は、ともすれば気を澱ませるようで。
だけど、予感がする。もう少しで、強い風が吹く。
きっと数秒後には、吹き抜けるほどに爽やかなものを吸い込むことができるだろう。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます