『訪れる冬』【再掲載】

 ※この作品は「入間の間」に過去掲載された小説の再掲載になります。



『その1』



 廊下に出てきたところで、布団からひょこっと頭が飛び出してきた。きょろきょろと目だけが左右に動き、周囲の状況を確認している。それから頭を引っ込めて、てててーと前に走る。

 途中まで移動すると、またひょっこり頭が出てくる。そしてきょろきょろしたところで、二階から下りてきた俺と目があった。見た目はアレだけど小さいので、中身は娘のようだった。

「あ、まこくんだー」

 娘が走り寄ってくる。布団を巻いたままてってこと走る姿は小さいエリオそのものだった。せがんできたので担ぐような形で持ち上げる。さすがにこの状態で肩車することはできない。この抱き上げづらい格好、なんというか非常に既視感がある。お姫様抱っこの形を取ってから、娘に聞いてみる。

「なにしてんの?」

「えりちゃんごっこ」

 そのままだった。

「楽しいかい?」

「ぬくぬくだぞー」

 えっへんと、娘が得意げな顔になる。

 廊下も冷え込みが厳しくなり、気持ちは分かるけど。いいのかそれで。

「えりちゃんごっこかぁ……んー……んーむ……まーよし」

 これが女々たんごっこだったら大問題だけど、できるならやってみろ人類という感じだけど、これぐらいならいいだろう。娘(あったかい)を抱っこしたまま居間に入ると、大きい方も布団を巻いて転がっていた。こっちは足まで布団の中に引っ込めて、筒みたいである。時折、左右に微弱に転がりかけて、しかしその場に留まる。

「えりちゃんのほうがじょーきゅーしゃか?」

「そういうのないから、目指さなくていいからねー」

 娘を説得していると、「むむ」とエリオの頭が出てきた。亀みたいだ。

 それを見てか、するりと布団から抜け出した娘が床に着地して、エリオの布団に飛び込んでいく。もごもごと背中側で動いて、やがて頭が飛び出してきた。同じ色の髪が混ざり合う。

「こっちもぬくぬくー」

「ふふふ、そーだろそーだろー」

 布団を巻いたエリオ、の間に入り込んだ娘が暖を取り、ほんわかしている。微笑ま? しい?というか余所の家庭では絶対に見ることの叶わない、親子での絵面といえる。鏡餅のように重なっている親子はいいのだがその下の段、エリオが俺に向けてにやーっとした顔となっている。

 『娘のハートはわたしががっちり掴んでいるみたいだな、イトコー』とか思ってこちらに勝ち誇っているんだろうなーと考えると、ちょっと悪戯したくなる。

 ぴろっと、既に暖まっているこたつ布団を持ち上げて誘ってみた。

「こたつの方がぬくいぞー」

「わーい」

 娘があっさりと布団から抜けて、てってこと走ってこたつに飛び込んできた。

「ぬぉおおおお」

 一人残ったエリオがじたばたと暴れている。そして娘を奪われたことへの怒りに燃えるスマキンが転がってきて、こたつに体当たりする。そして丁度、こたつの脚が脇腹に激突したらしく「のももももも」と足をばたつかせて悶えている。

「……そりゃ、尊敬されんわけだな」

 娘の通っている先で自己紹介文? プロフィール? みたいなものを作ってきたのだが、その項目の一つにそんけいするひとというのが混じっていた。そんけいという言葉は子供にちょっと難しかったのだろう。子供たちにどういう意味だと聞かれた先生が『すげー! って思う人』みたいな砕いた教え方をしたようで、いやまぁ合っているのだけど、そう聞いた娘が書いた名前は『めめたん』だった。凄いのは確かだけどな、神経の図太さとか。五十歳で女々たんを自称はなかなかできませんよ。その五十歳は外出中なので、静かでよろしい。

 しかし、そんけいするひとにまこくんがいないのはどうなんだろう。いやそんけいよりはだいすきーとか言われる方が嬉しいので、まったく満足しているのだけど。なんとなく、えりちゃんのとばっちりを受けているような気がするのは、俺だけだろうか。

 ちなみにまこくんやえりちゃんはお友達の欄に混じっていました。

 うちの娘の中ではみんなお友達らしい。いいのかなぁ、まぁいいか。

「えりちゃんもいっしょにはいろーよー」

「むぅ」

 娘に誘われてこたつへの敵愾心が緩んだらしい。すすす、とエリオがこたつに歩み寄ってくる。娘が一旦こたつから出た場所にエリオが座る。それから娘がエリオの足の上に収まる。エリオはその娘を見下ろし、ずぼっと布団から手を出して窮屈な姿勢で頭を撫でる。

「まーよし」

 大体よくなったようだ。こたつくんとスマキンの和解が成立したのでそれはいいとして。

 こたつの窓側の方向から刺さっている宇宙服はぬいぐるみのように身動きしない。なんでこいつはいつも、当たり前のようにこの家のどこかにいるのだろう。そいつが唐突に、ぴこーん、ぴこーんとヘルメットのバイザーが音つきで赤く点滅し始めた。

 二日ぐらい姿を見せなくなったと思ったら、変なものを身につけて帰ってきたな。

 山に籠もって修行でもしていたのだろうか。

「む、エネルギー切れの警告だ」

 がばっとヤシロが起き上がる。そしてヘルメットを「あちぃ」と脱ぎ捨ててから、「燃料補給に移らねば」とこたつから抜け出す。両手を前に出す独特の走り方で、どこへ行こうとしているのかすぐに見当がついた。

「行くぞ小さいの、私に続けー」

「わー」

 うちの娘を従えて、台所へ走っていこうとする。えぇい、寒いからこたつ出たくないのに。

「待てちびっ子たち」

 廊下の途中で二人の首根っこを掴んで捕獲した。「わーい」と、なぜか娘は喜ぶ。

「ナ ニ ヲ ス ルー」

 ヤシロが猿のように暴れて抗議してくる。それを見て娘も身体を揺らす。やめなさい。

「お前、三十分前におやつ食べただろ」

 娘の隣でなぜか一緒に。冷静に考えるとおかしいんだよなぁ、色々と。

「タ リ ヌ」

「自分の家で食べてこい」

「ケ チ メ」

「そーだぞー、イトコはケチだぞー」

 いつの間にか隣にやってきていたエリオが便乗して俺を貶めてくる。

「……お前な」

 この間、アンパンマンごっこのときに『たまにはエリオさんもアンパンマンやりたい』とか言い出して娘と喧嘩していたやつにケチ呼ばわりされるとは。俺もまだまだだねー、はははー。

「じゃーえりちゃんにおねがいするー。おかしちょーだい」

「ク レー」

「だめ。ご飯食べなくなるから」

 エリオがぶんぶんと首を横に振る。そういうところはしっかりしている、気もする。

「むー。えりちゃんもけちー」

「イトコよりはケチじゃないし」

「私は食べるぞ。タ ベ ル ゾ」

「お前は食い過ぎだ」

 自己主張の激しいヤシロの頭を押さえつける。

 疲れる。まるで子供三人に囲まれて対応しているようで、目が回る。

 改めて思うがヤシロ→悪ガキ。エリオ→これで二十代後半。娘→かわいい。女々たん(50)→違う。絶対に、違う。こうなってくると、自分で言うのもなんだがまともな大人というのはこの家に俺しかいないのではないか、と愕然とする。

「……なんか、ね、もう」

 子供のお世話ばっかりしている気がするのは、気のせいじゃないだろう。



『その2』



 特に観たいものもなくテレビを点けてみると、科学の番組が放送されていた。丹羽なんとかという博士っぽいポジションの人が子供向けの科学番組に出演して、なにごとかを解説している。隣のマスコットキャラクターはなぜか宇宙服を着ていて、ぐりんぐりんと上半身を捻っていた。博士の説明よりもそっちに目が行ってしまう。

 ぼーっとしばらく観賞して、番組が終わったところでまたテレビを消した。

 ビーズクッションに深く背中を預けて、天井を向く。まだ下校中の子供たちが家の前を通るには早く、騒々しいほどの賑やかさや、甲高い声が聞こえてこない。室内を包むのは時計の秒針が動く音だけだった。反った喉の奥が張りつき、停滞している、と空気の淀みを感じる。

 私はなにをするつもりで帰ってきたのか、とどうにも回らない頭が目玉だけを回して、やることを探し始める。そんなものはなければいいと思う頭は靄がかかり、どことなく重い。

 冬が始まろうとする深秋は肌寒くなり、同時に頭痛の酷くなる季節でもあった。冷たさが身体を縛り、重力を増したように感じさせる。吐息すら重苦しい冬が、またやってくる。

 冬は嫌いだ。いずれ見上げて吐き出す息の白さに辟易として、ただでさえ怠惰に塗れて動こうとしない身体が一層、気力をそがれる。寒さを凌ごうと厚着をするのも、腕が重くなって好きになれなかった。そんなことを考えていると、やることなんてなにも思いつかない。

 足を壁に貼りつけてVの字を描くような姿勢で無為な時間を過ごす。正面に見える窓の外の景色は、昔と変わらないのだろうかと想像する。昔々、この部屋で父さんが暮らしていたらしい。そう考えるとなんとも微妙な居心地になる。たとえば、赤面というかうげーな気分になるけれど、父さんがこの部屋でエロ本を広げたり、ネットでエロ画像を検索していたりしていたかもしれないのだ。私は父さんの澄ました、というか二、三回ほど精気でも抜けたような顔しか知らないので、どうにも結びつかないけれど。ないかなとも思う。この部屋に初めて入ったときから、以前の生活臭というものがまったく感じられないからだ。教えられなければ、誰かが住んでいたなんて気づきもしなかっただろう。父さんは、亡霊のようだ。

 私はそんな父に似ているらしい。母よりも、父似。女としてそれはいいのかと思うけれど、父がそもそも中性的でやたらに女ウケのいい顔立ちなので、今のところ不都合はなかった。鏡を覗く度に父の顔を思い浮かべることになるので、私自身はすぐに嫌いになったけれど。

 両親のことばかり考えていたら胸に綿のような柔らかいつかえが生まれたような気になる。色々と嫌になって目を瞑った。自分を取り巻くものは生まれたときから少し薄暗く、石の表面のように冷たい。私はその石を抱くのではなく、私が覆われているようだ。そこに冬が加わるなんて、最悪だ。もやもやとしながら、少し意識が遠くなった。


 軽く寝入っていたのか、目を開けたときには室内が真っ暗となっていた。立ち上がって手探りで電灯の紐を掴み、引っ張ると窓の外の鉄塔が赤く点滅しているのが見えた。もうそんな時間か、と意識した後、「あっ」と気づき、部屋を出る。早歩きで廊下を歩き、階段を降りて台所を目指した。この家では食事の時間が決まっているのだけど、急がないといけない事情がある。

 台所に勢いよく入ると、やはり既に夕飯が始まっていた。叔母と大叔母が向き合いながら黙々と箸を動かしている。入ってきた私を一瞥するものの、声をかけてくることはない。二人の頬や口は食事のためにもごもご動くので忙しくて、私の相手などしている暇はないのだ。

 ご飯だよー、なんてこの家では呼んでくれない。そしておかずを取り分けるなんてこともしない。つまり出遅れると悲惨なことになる。たとえば、酢豚の豚肉だけが真っ先に食べ尽くされて、ただの赤酢野菜炒めが残っているとか。何とも言えない敗北感と共に席に着き、タマネギを囓る。ぴりっと舌にくるものがあり、そこで完全に眠気が覚めた。

 茶碗を取りながら斜め右に座る女性を一瞥する。個性的に跳ねてぼさついた髪型のせいか、とても三十代には見えない幼さを残している。この人は父さんの妹で、私の叔母に当たる。全体として淡泊な父さんより愛想がない人で目つきが凶悪なほど歪んでいるが、悪い人ではない。多少、食い意地の張っているところはあるけど概ね悪い人ではない。二度も強調すると逆に胡散臭いけれど、まぁ多分。私より悪くはない。

 その叔母さんがこの家での調理を担当している。掃除、洗濯は大叔母さん。私は特になにもしていない。それも高校を卒業するまでの話で、その後はどうなるかあまり考えていない。実家に帰るつもりはないけれど、具体的にどういった進路を選択するかも未定だった。

 食卓で一番うるさいテレビに目をやると、丁度知り合いが歌っていた。厳密に言うと前に出ている歌手の方ではなく、後ろで時々映るピアノ伴奏している人と顔見知りなのだけど。この人がまた、不思議というか奇天烈な性格をしている。そして私や父によく似ている。

 最初にあったときは父さんがこの人と浮気してできたのが私かと思ったぐらいだ。

 多分ないだろうけど。

 食べ終えて、お茶を飲み、一息吐く。そうすると少しだけ、胸のつかえが取れる。

 今日はもうすぐ無事終わる。

 明日もなにごともなく過ぎていけばいいと思う。

 そして摩耗して日々への感覚を失い、最後は気づかない間に消えてしまいたかった。

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