『きみがきみでいたころ』【再掲載】
※この作品は「入間の間」に過去掲載された小説の再掲載になります。
ぼくは今年も当たり前のようにチョコレートを貰ったから、翌月にお返しをしなければいけなかった。彼女の家はすごくお金持ちで、貰ったそれと釣り合うお返しを用意するのは、ぼくのお小遣いだと厳しいものがある。でもなぁ、安いのはなぁとスーパーの棚の前でうろうろしながら悩んでいる最中だった。ホワイトデーの特集コーナーの周りにはぼくしかいない。
みんな貰っても返したりしないのだろうか。棚には多様なクッキーが色とりどりに並んでいる。クッキーを返せばいいんだな、というのが分かりやすくていい。
まだ背も低くて(これからぐんと伸びる予定)一番上の棚を覗くことができない。飛んで掴んで引っ張って大惨事になることを恐れて、大人しく下の棚だけを見ることにした。あの子はどこで買ったんだろう、駅の方のデパートかな。スーパーではないよな、と顔が険しくなる。
結局、散々悩んでホワイトチョコレートのコーティングされたクッキーを買った。ホワイトデーだし、ホワイトだろうやっぱり。我ながらちょっと安直である。買える範囲で一番高いのを選んで、貯めていたお小遣いはほとんど消えた。そしてレジに持っていったら知り合いのおばさんがいてからかわれた。
「いつも一緒にいる子にあげるの?」
「うんそう」
ぼくは大きく頷いて、あの子の名前を口にする。
果たして一日に何回、その名前を呼ぶだろうか。
「まーちゃんにあげるんだ」
本当にいつも一緒だから、一人で買い物に来るのも結構、苦労したのだ。
知り合いのおばさんは、クッキーを特別丁寧にラッピングしてくれた。リボンが多分倍ぐらいになっていてふりふりで、なんだかうわぁとなってしまった。持つのが少し恥ずかしい。
田舎は嫌だな。ほんと、どこ行っても知り合いばっかりだ。……なんて、町のせいにしてみるけど本当は違うのだろう。田舎町はぼくからすれば広大に思えて、行ける範囲は限られていて、だから、同じ顔にばかり出会す。ぼくの知っている世界は本当に狭い。
遠く高く、そして大きな人が地球を覗けば、ぼくらの町なんて砂粒にも満たない。その砂粒の上も満足に歩けていないのが、今のぼくだ。でもそうした小さな世界で、まーちゃんと出会えたのは運命といっていいのかもしれなかった。
外に出てから横断歩道の信号に早速引っかかる。いつもなら走って渡るところだけど、雑に扱ってクッキーが割れるのも嫌なので大人しく待つことにした。外は夕方も色濃くなり、同じように待っている大人から伸びた影がぼくを塗り潰す。見つめていると、影からざわめきが聞こえてくるようだった。肌寒さも忘れてしばらく見入った。
「お……」
顔を上げると、向こう側の歩道に知っている顔が見えた。同じ学校に通うやつだ。向こうは気づいていないみたいだけど、待っていて暇なので少し観察してみる。遠い家の子供で、いつも暗い顔をしているやつだ。ランドセルは背負っていない。名前はなんだったか……外で見ても俯きがちで、表情に精彩がない。特に目玉が顕著で濁ってはいないけど、光ってもいない。平坦に映るその瞳は虫のそれを連想させた。
その目に夕暮れの光を吸い込んで、吐き出そうとしない。
学校でも一度も話したことがない。話して面白そうじゃないし。
きっと、これからも友達になるなんてことはないだろう。
そうしていると側を通りかかった車から歌が聞こえてきて、「おっ」と反応する。知っている歌だった。ドラマの主題歌で、そのドラマは見たことないけど歌だけは結構聞く。
「そーらーとーきーみーの~ほにゃらら~」
途中から歌が聞こえなくて歌詞も忘れたので、鼻歌でごまかした。
そうこうして信号が変わり、ぼくは歩き出す。そいつもこっちへやってくる。
横断歩道の中央で側をすれ違い、お互いに見向きもせず離れていく。
その際、掠れた小さな声で、歌の続きが聞こえてきた。
きーみーが笑ってくれるーならー、ぼくはー。
聞こえたのはそこまでで、その後は大人の群れに紛れて消えていく。
振り向きそうになったけど、大人の流れにどちらも呑まれて、反転は許されない。
そうして。
偶然だろうけど、入れ替わるように。ぼくたちは、交差した。
こんなに大きい家に三人で住んで、寒くないだろうか。
ていうか大きい家に住む理由が分からん。ゆとりあるくらしなのか?
まーちゃんのお父さんたちは優しいというか、ほけーっとした感じの人だけど。
門からまーちゃんの家を眺める。でけー。門から庭の間だけで、ぼくの家が二軒は入ってしまう。ちゃんとテントを張れば、庭に住むのも悪くないぐらいだ。ゴルフボールとか転がっているし、犬のジョンあたりもそこらへんに走っていそうだ。うーん、かんとりー。
いいとこのおじょうさん、とまーちゃんが言われていたのを聞いたことがある。
確かにこの家はいいとこである。
家が近いだけでこんなに仲良しになっちゃっていいものか。
「……ま、いっかー」
気にしないでおこうと思った。家が大きいから人間が大きくなるわけでもない。
家は家、人は人。
ぺぽんとチャイムを鳴らすと、まーちゃんのお母さんが顔を覗かせた。
「あらあら」
いつも柔和な表情で、慌てないお母さんだ。ぼくの顔を見ると振り向いて、「マユー」と家の中へ向いて手招きの仕草をする。するとすぐ、小さな足音が玄関までやってきた。
あれだけで分かるものかなー、分かるか。分かるよな、と順々に納得していった。
「みーくーん」
お母さんの後ろからまーちゃんが飛び出てくる。にへーっとしていて、思わずこっちもにへっとしてしまう。学校で会って、教室で別れてからあまり時間が経っていないけど、懐かしい感じもあった。
「はいはいやっほー」
手を振ると、両手がぶんぶん返ってきた。なんか楽しい、と思っていたら手を握られる。
「いらっしゃーい」
「あらら」
玄関先で渡して帰ろうと思っていたけど、家へ引っ張り込まれる。まーちゃんはいつもにこにこして優しい子だけど、ちょっと強引なところもあった。でもそういうところもいい。
「晩ご飯食べていく?」
靴を脱いでいると、まーちゃんのお母さんに聞かれた。
「えーっと、どうしよ」
まーちゃんを一瞥すると、「食べよーよ」と握った手を上下に振ってきた。
動きに合わせて長い髪も揺れる。きれーだなと、いつも目を惹かれる。
「じゃ、食べる」
今度はまーちゃん本人が飛び跳ねた。小さく頭を下げると、まーちゃんのお母さんが笑う。
「連絡したいから電話借りていいですか」
「はいどうぞ、そこよ」
目の前にある電話を紹介された。言葉通り下駄箱の上に置いてある電話を借りる。やっぱりどこの家も、下駄箱に一台は電話があるのだなぁと変なところに感心してしまう。しながら、家に電話して晩ご飯をまーちゃんの家出食べると伝えた。やったぜ今夜は外食にしようと、母親の手を叩く音が聞こえた。うちの母は正直者である。
電話が終わってから、まーちゃんに手を引かれて部屋に向かう。まーちゃんのお母さんはそんなぼくたちを微笑ましそうに見送った。以前、『マユと仲良くしてあげてね』と頭を撫でられたことがある。まーちゃんはお金持ちだしびじんだしと来て、クラスの女子に密かに嫌われている。友達も多くない。そういうことを踏まえて、ぼくにお願いしたのだと思う。
柔らかい手からはやっぱり柔らかいものが出ていて、ぼくはその手が好きになってしまった。まーちゃんのお母さんもすごくいい人だ。お父さんも多分いい人だ。
まーちゃんとずっと、仲良く暮らしていてほしい。
まーちゃんの部屋に案内される。言うまでもないけどこの部屋も広い。
だからまーちゃんは、『いつでも来てね』とぼくを歓迎してくれるのだった。
ぼくはちょううれしい。
「あ、そうだ」
いきなりまーちゃんが離れて、すってて走って机に向かう。そしてその上に広げていた画用紙を隠してしまった。その周りにある色鉛筆とボールペンを見て、なにをやっていたか察する。
「絵本書いてたの?」
「へへー」
見るとまーちゃんの手の横が色鉛筆で汚れていた。ピンク色が多くを占めていた。
「書けたら見せたげるね。だからー、いまはないしょー」
「楽しみにしとくよ」
ピンク色……花? 桜かな? と予想してみる。当たったら密かに喜ぼう。
それから、割らないうちに渡しておこうと、クッキーを差し出す。
「はいこれ」
受け取ったまーちゃんが目を丸くする。
「なんかいっぱいひらひらしてる!」
え、そこ。注目するのそこ。いや喜んでくれるならいいけど。
「ん、まぁホワイトデーなので」
ふふふ、と少し大人びてみた。
プレゼントの意味を理解してか、にかーっと、まーちゃんの顔に喜びが満ちる。
これは来るかな、と受け入れる姿勢となった。
予想通りまーちゃんが腕を大きく広げる。でもハッと悟るような表情になって、持っているクッキーを机に置いた。過剰なラッピングのリボンが机の端から垂れる。赤いそれは、切り取られて固まった血のようにも見えた。まぁそんなことはどうでもいいけど、まーちゃんが来る。
どうやら、クッキーを割りそうなことに気づいて一時中断したらしい。
「みーくん、みーくん」
「わぁ」
まーちゃんがぎゅーっと抱きついてくる。ので、ぼくもぎゅーっとする。
「ずーっとなかよしねっ」
胸にすりすりされる。
「うん、ずーっとだよ」
ちょっと照れくさかったけど、ぼくもそうでありたいと思ったから素直になる。
髪、さらさらだなぁ。
大好きだなぁ。
あいしてるなぁとまで思っちゃう。
ぼくはまーちゃんと固く約束する。
そして声に出さないけれど、密かに決意する。
この子との約束だけは全部守る。
嘘つきにならないと、誓う。
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