『バレンタイン的なアレだよ、アレ』【再掲載】


 ケース1、ある青年の場合


「というわけでさぁ、可及的速やかに僕にチョコくれる人を探してほしいのよ」

 事務所のソファにふんぞり返っている男が、なんか頭の緩いことを言い出した。その男の頭にはいつも通り魔女の帽子があり、長いツバに指をかけてくるくると回して遊んでいる。

 時は二月十四日。ばりばり平日で、ぼくには勿論仕事がある。

 自営業(?)の殺し屋ぐらいだ、暇なのは。

「おぅ探偵、頼むぜ探偵」

「分かった分かった、調査に一ヶ月ぐらいかかるから気長に待っていろ」

 適当にあしらって自分の机に戻ろうとする。ぼくには浮気調査という仕事があるのだ。

 バレンタインデーに浮気を調べてくるというのも皮肉というか、面白みがある。

「オイチョットー」

 裏声で引き留めるな、耳にくる。事務所内には同僚のエリオットもいるが、こちらのことはほとんど無視していた。あいつの場合は相手なんか探さなくても、道を歩いていれば募金感覚でチョコレートが集うだろう。もっとも世に氾濫するババ……熟年の情愛など、ぼくにとってはなんの価値もないので羨ましさなど微塵もない。そんなものを探せと言い出す目の前の男、木曽川の考えがまるで理解できなかった。

「一ヶ月後じゃあホワイトデーじゃないか。出してもいないやつにお返しするとねぇ、白い目で見られちゃうからねー」

「やったことあるのかよ。当日に調査して結果出せとか、無茶をおっしゃる」

肩をすくめる。ソファの背もたれに乗りかかるような姿勢のまま、木曽川が頭を左右に振る。

「ここは美人秘書とかいねーの?」

「零細事務所にそんなものを期待するな。それに美女なんか雇ったら違法だよ」

 まことに口惜しいが。

「そりゃあ太郎君の基準で美女を雇うなら違反しちゃうよなぁ。ちぇーっ」

 つまらんとばかりに腕を伸ばして、投げ出した姿勢を取る。道路で潰れるカエルに似ていた。

「太郎君はアテあんの?」

 学生のノリを引きずるようにそんなことを尋ねてくる。「あるに決まっている」と答えた。

「帰ったらもらえるから。……多分恐らく、いやきっと」

「じゃあそれをくれ」

「コンクリートの破片でも食ってろ」

 荷物を纏めて席を立つ。事務所を出ようとすると、なぜか木曽川もついてくる。

「お、早速調査か。アズスーンアズポッシブル太郎だな」

「異世界に飛ばされそうな名前にするな。別件の浮気調査だよ。それとなぜついてくる」

「そりゃあ、僕は事務所の所員じゃねーし。いつまでもいたら困るだろ」

 一見正論だが、ついてくる理由を説明できていない。鞄を振ってあっち行けとやってみたが離れる気配がないのでもう放っておくことにした。そんなことより、寒かった。昼過ぎで日差しは高いのに、吐息が白い。暖かくしていた事務所との温度差に軽く震えながら、雑居ビルを出て外を歩く。隣を歩く魔女帽子の男が、すっげー邪魔だった。

「同業者に声かけてもらってこいよ」

「男女比の偏った職業でねぇ。いてもまともなのに出会ったためしがない」

「そりゃあ、そうだろうな」

 殺し屋なんだから。普通のはずがない。木曽川との付き合いも考えた方がいいのかも。

 そのまま歩き続けて繁華街の洋菓子屋の前を通りかかると、木曽川がおどけて騒ぎ出す。

「チョコ買ってー、買って買ってー」

 服の袖を引っ張るな。 「自分で買え」

「うわぁつまんねぇ」

そう言いながら本当に店に入っていった。そして女共を押しのけて買ってきた。包装されていないチョコレートケーキを手づかみしたまま出てきて、歩きながら食べ始める。

 囓りながら二歩目のところで、木曽川が立ち止まる。洋菓子屋に振り向いた。

「めっちゃうまい」

「へぇ。そりゃよかったね」

「ちょっと待ってろぃ」

 残っていたケーキを口に放り込んだ後、木曽川がまた店に入っていく。そしてまたも帽子を振るようにして女共を蹴散らし、またケーキを買って戻ってきた。今度はちゃんと箱を持っている。しかも二つも。その内の一つを、ぼくに差し出してきた。

「なにこれ、くれるの?」

「きみんとこにいる女の子ちゃんの分も入ってるよ」

 口周りのチョコクリームを指で拭いながら、木曽川が笑う。ついでにその指を舐めた。

「そりゃあお気遣いいただいてどうも」

「僕っていいやつだな。そうともそうとも、いやー言われたくてこういうことしているわけじゃあないんだけどね」

「分かったいいやつありがとう」

 棒読みで期待に応えてやる。ま、殺し屋であるという前提を忘れなければ、それなりに気のいいやつだ。

 これからもそれを見失わない程度に、友人でいよう。



 ケース2、ある女子大生の場合


「はいチョコレート」

 俺がチョコレートの包みを差し出すと、彼女が固まった。

「なにこれ」

「デパ地下で買ってきたやつ」

 駅の時計台から見えているデパートの入り口を指差す。2月にもなると大学はとっくに休暇に入っているので、彼女と会う機会が少なくなる。侘びしい。2月に会うのは今日が初めてだ。

 誘って、来てくれるかなぁと心配だったけど悪態をつきながらも来てくれて嬉しかった。

「チョコレート、は分かるけど。買った場所も分かるけど。なにこれは、と聞いている」

 今日も厚着で身を隠している彼女が、受け取った包みをひらひらと振る。

「バレンタインデーだから。女の子からしか愛を送れないなんて不公平じゃないか」

「……あ、そ。愛、ね」

 彼女が目を逸らす。それから早速、包みのリボンを外す。

「もう食べるの?」

「持って帰る前に溶けてもつまらないでしょ」

 包みを外した後、マフラーをずらして口もとを露出させる。そしてチョコレートを一つ、口に放り込んだ。

「おいしい?」

「甘い」

「チョコレートだからね」

「甘いもの嫌い」

「あらー」

「だから私がいつまでも持っていてもムダだし、あげるわ」

 彼女が鞄から、俺の送ったチョコレートと似たような包装がされたものを差し出してくる。

 受け取るとき、つい厳粛な気持ちになる。ついでにゾンビが浄化されるような声も出た。

「おぉ……おぉおお……」

「甘いもの嫌いだから、適当よ。味には期待しないで」

 ちょっとは期待していたけど、本当に貰えるなんて。喜んで諸手を上げようとしたらその手を彼女に掴まれて「やめなさい」と注意された。まだ手を上げていないのにこちらの動きを察するなんて、彼女の洞察力も大したものだ。俺が単純で、理解もクソもないのかもしれない。

 貰ったチョコを見せびらかすように持ったまま歩き出して少し経つと、彼女がマフラー越しにぼそぼそと言った。気づいたけど俺の手をまだ掴んでいる。指摘するとすぐ離しそうだから、もう少しだけ見なかったことにしようと決めた。

「本当は、好きよ」

「チョコレート?」

「……それ以外に、なにがあるの」

 なにがあるのだろう。一緒に歩きながら、少し考えようと思った。



 ケース3、ある少年の場合


「きゃぁぁぁきゅいいいいい、カス野郎くぅーん、私の気持ちを受け取ってー」

「いやだ、絶対にいやだ!」

 肘と膝を突き出して飛び込んでくるバカ女を押し返そうとするが、この女、伊達に身体を鍛えていないのか異様に力強い。あっさりと押し負けて突き飛ばされたあげく、冷たい廊下を寂しく転がる羽目になった。俺は一体、誰を相手にすれば勝てるんだろう。

 家にやってきたのはシラサギである。今日は変装もしていない。露出が多く真っ白な服の上に、更に白いコートを着ている。お供も連れてきていないようだが、こいつ、俺の家をなぜ知っている。調べたのか。両親が不在で助かった気もする。こいつが来たと知れば狂喜乱舞して、その叫び声でますますご近所からの評判を悪いものとしただろう。

 土足で人の家の廊下に上がり込む、非常識な神を相手にしてもう少しは粘ってみる。

 また三段オチの担当にされてたまるか。

「カスの分際で選り好みとは、強気ね」

 腕を組んだシラサギが鼻で笑ってくる。お前の気持ちって殺意ぐらいしかないだろ。立ち上がりながら、その小綺麗な包みを受け取るのを断固拒否する。

「これ絶対チョコじゃないだろ。チョコレート入りの異物だろ」

「なにを言うの、リボンのところにべるぎーのごでぱって書いてあるじゃない」

「あんた、字が下手なんだな。しかもすっげー丸文字」

「カス野郎くんひどーい」

「セリフと表情があってねぇよ」

 口を逆に曲げて舌打ちばんばん飛ばす女の猫なで声に一体、なにを思えばいいのか。

「疑り深いやつね。世の中、私の唾に大金出して喜んで買う輩もいるのに」

「うぇー」

 どん引きしてしまう。気色悪いにもほどがある盲信だ。そもそも、言っちゃあなんだが売り出しているその唾が本当にこいつのものなのかも保証ないんだぞ。いや、きっと違うだろう。

 唾を売ろうという発想も非常に馬鹿馬鹿しい。

「頭おかしいよこの人、助けてー」

「黙れおっぱい野郎」

「その呪いは既に克服した! 残念だが効かんよ」

 右手を意気揚々と突き出す。あれ、左手だったか? まぁどっちでもいいや。

 あんな小事に惑わされていた過去の自分はここにいない。

「浅薄なのだ、あんたは!」

「あ、そう」

 シラサギが俺の手を取る。「お?」手を引き寄せる。踏み込む形で距離が縮まる。

 そしてシラサギは俺の手を自分の胸もとへ導き、自身の胸の胸の谷間に手首まで突っ込ませた。生で。直接。服の内側。ずぼっと、ずぼ? う、うぉお、おほぅ。ひ。

 ひ、ひっひひ?

 む、むねのなか、なかに、てが、てが! くわれた!

 言葉にならない。頭の中と目の奥で火花が散り、なにかがずたずたに切り裂かれる。

「う、うぉお、ひ、ひぃ、ひひっひっひひひひ」

「はい呪い追加ね。おっぱい星人に返り咲きー」

 ほちゃっとしている。指を曲げても、手の甲が引きつっても。どこもかしこも。

 意識が切れ切れになる。心臓の鼓動にあわせるように、認識が細切れとなる。三半規管が狂ったように世界は巡り、立っているという感覚が曖昧になる。ぐにゃぐにゃ、家が歪む。

「手が冷たすぎるわね、カス野郎」

 文句のような感想を呟き、シラサギが勝ち誇るように唇を歪める。そして言葉通りに上半身を寒気に震わせた。俺の手首を掴んだまま、操作するようにその手を振る。すると俺の手のひらが更にシラサギの胸の横側に密着し、深く回るように入り込む。その動きだけで発狂しそうなほどの狂おしい衝動と目眩に襲われかかるが、更に、ぐにょんと、上へ塊が動く感触。それを手のひらで感じた瞬間、目の前で赤い光が弾けた。緊張と理性と衝動の限界が訪れて、血管の一つでもぶち切れたのだろう。

 シラサギが俺の手を引っこ抜いて、軽く押してくる。それだけで、糸が切れたようだった。

 足が簡単に滑り、いともたやすく身体が傾く。

 尻から廊下に倒れ込んだあとも、痛みはない。意識も血も右手にしか集っていなかった。指先を凝視する。折り曲げる。ほんのりと桜色の血色をした指と爪。食われてどろどろに溶けたはずの指は、恍惚としていた。どうしようもなく幸せに浸って、色ボケしていた。

 一気に押し寄せる、自己嫌悪の波。

 俺は、なにを!

 なにを、満ち足りているのだ!

「う、ひぎ、ぎぎぎっぎぎぎっぎぎぎ」

「あ、壊れた」

 廊下に額を叩きつける。ガンガン叩きつける。三回目あたりで額が熱くなった。

 頭が熱くなって煩悩を沈めるどころか逆効果になるとみた。中断して顔を上げると、目の前にシラサギが屈んでいた。その顔が間近にあって、言わずにはいられない。

「あんたは、卑怯だ」

 シラサギの手が俺の顎をなぞる。爪に輪郭を撫でられると、寒気がほとばしった。

 その指もまた、俺と同じように冷たい。

 正面の余裕を持った笑みに対して、せめてもの虚勢を張る。

「大っ嫌いだ」

「嘘おっしゃい」

「嘘じゃない」

 目の前の『敵』を睨む。だがその敵は、俺を嘲笑っている。相手にもしていないように。

「そんなに嘘をつくのが下手じゃあ、私みたいになるのは無理ね」

 シラサギが俺の額に指を当てる。傷口を爪で突かれて微かな痛みを感じた。離れるシラサギの指には俺の血が思いの外、多く付着している。真っ白な指先と相まって、美しかった。

 シラサギはそれを舐めた後、「これは売り物にならないわね」と笑った。

 そして、ケーッケッケッケ、と笑いながら去っていく。

 血を舐めて笑って、ただの悪魔だ。なんでこんな一般家庭に悪魔が来るのだ。

 色魔め、とその後ろ姿に呟いたがやつの背にはそれをはねのけるように、翼があった。

「……なんなんだ、あの女は」

 ラスボスなのにフットワークが軽すぎる。ひょっとしてあいつ、ラスボスじゃないのか?

 まさかのヒロインだったらどうしよう。いや、そんなはずはない。ないんだ、と手を握る。

 握った指先が感じるものは、固い。実に味気ない自身の手のひらだ。……違う、なにと比較してがっかりしているんだ。アホだ、俺は。あんな色仕掛けが、またも効果抜群じゃないか。

 本当に一度、滝にでも打たれてきた方がいいかもしれない。

 やつの置いていった包みをやけくそ気味に開く。もう爆弾でも毒でもなんでもこいの心境だ。しかし中は普通のチョコレートだった。ただし、小さい。手にとって囓ってみると、ぐんにゃりした。噛みちぎってから咀嚼すると、昆布の出汁の味がじわじわと滲みだし、チョコの甘味と溶け合うことなく舌の上で共存する。地獄だった。

 チョコで表面を加工したコンニャクだった。

 どんな気持ちだ、これは。単なる悪戯じゃねえか。

 飾りの翼を持つ女がイミテーションを俺によこす。深い話になりそうで、ならない。

 ……さっぱり分からんが、理解はする。やっぱりあいつは、俺のラスボスだ。



 ケース4、ある新キャラの場合(宣伝)


 もし片想いの女の子と付き合えたら、という想像の中にはバレンタインの情景も含まれていた。あとは藤と山崎なんて書くとなんだかおいしそうだなぁとか。5月の教室で授業中になにを考えているのだろうという話だが、これは数学教師の話があまりに退屈だから頭の中が寒いことになっているという事情も、あるはずがない。

 単に俺がおめでたいだけだ。しかし季節を好きに飛び越せる、空想とはなんと自由なのか。

 想像の中で、人はどんな敵も相手ではなくなる。エネルギー波は打ち放題だし、空は飛べるし、巨大怪獣も片手で持ち上げられる。

 嫌なこと、不満だらけのこと。それさえも、強い味方となることができる。

 世界のどこよりも平和な理想郷は、きっと人の頭の中なんだろうと思う。

 心をそこに置き続けることの、なんという幸せか。

 ……そんなことを考えていた。

 大体のことはぼぅっとしている間に流れていく、平和の中にいた。

 これから十秒後、十二時きっかりに『それ』と出会うまでは。

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