『有人惑星モリクラ』

「なんか用?」

 向かい側の友達が急にそんなことを言ったので、思わず手を止める。

 私に言ったのかと思ったけど、視線はやや上を向いていた。

「ううん、べつに」

 こちらも反応せざるを得ない声だった。でも私が振り向くころには、教室から出ていく姿があるだけだった。廊下へ完全に消えてから、前に向き直る。食べかけのお弁当を箸で少し突っつきながら、正面の友達を見た。

「どうかしたん?」

「あいつがこっち見てたから」

 まさか私を見ていたのだろうか。まさか、と思った。

 かれこれ一ヶ月くらい、なにも話していない。保健室で話して、それだけだしそこまでだった。特別なにかあったわけでもないしそんなものだろうと思いながら、それでもこうやって僅かに何かあると反応してしまうのが、変に悔しかった。

「名前なんだっけ」

「守倉でしょ」

 つい答えてしまってから、前につんのめるような失敗を感じた。

「前にちょっと話したことあるから」

 聞かれる前に言ってしまったのも、失敗を重ねただけかもしれない。

 噛んでいるものの味が遠くに行く。

「あ、わたし小学校一緒だったかも」

 横に座る別の友達がそんなことを言う。意図してないだろうけど、いい助け船だった。

 いや、別に守倉と友達と思われたってなにも問題はないけれど。

 でもなにかが焦ったように、肩を押してくる。

「話したこと多分ないけど」

「あたしもない。地味だしなあいつ」

 教室内で派手に属する友達二人から見ればそうなのだろう。人のこと言えない程度に私も派手で、比較すると確かに守倉は地味だ。髪型大人しいし、背も胸も控えめだし。

 でも話してみると割と変なやつだったりするので、見かけでは分からないものもある。

「あ、でも一つだけ知ってる」

「なに?」

「あいつの家、カレー屋だって」

「カレー? 売るの?」

 それ以外のカレー屋があるのだろうか。

「本当か分かんないけど」

「それ知ってる話かぁ?」

 向かい側の友達がからかうように笑う。私も合わせるように適当に笑って、本当の反応を隠す。すぐに話題は守倉から、この世の気怠さに戻った。梅雨も近づく中で存在を大きくしていくそれを、友達と適当に笑ってやり過ごしていく。そんなことを繰り返すのも何年目だろうか。

 取りあえず、毎日クッソダルイ。

 でもその怠さがなかったら、何かすることあるのかというと答えに詰まる。

 そんなありふれた高校生やっている中にいきなり見え隠れする、ご近所宇宙人。

「……ふぅん」

 カレー屋ねぇ。町を歩けば珍しいものでもないけど、同級生としては出くわす機会はそうそうないかもしれない。それが更に守倉と来る。完全に離れかけていたのに、ここで来る。

「ふーん」

 守倉がねぇ。

 そして。

 昼休みの終わり頃、私は教室から出て廊下の壁際に立つ。時間に合わせて教室に戻ってくる連中の流れから少し外れて、そいつの小さな頭を探す。べつに、大した意味はない。

 なんでこんなことしてんだろうって自分でも不思議だけど。

 守倉よりはカレーが好きだし。

 そんな理由だった。理由になっているのかも分からない。

 やがて、恐らくは学食から帰ってきたであろう守倉が階段を上がってきた。一人だった。丁度いい。誰かと一緒だったらさっさと教室に戻ろうと思っていた。いやこれ丁度いいのか?

 余計なことから逃げられなくなっただけな気もした。

 守倉もすぐに、私に気づく。守倉は目を細めて、推し量るように私を見つめる。見つめ合うのが嫌で顔を逸らすと、守倉の視線も消えたのを肌で感じる。それからもう一回、守倉を見る。

 守倉が目の前を通り過ぎるのとほとんど同時に、口を開いた。

「おいカレー屋のせがれ」

 控えめな声で適当な方向を向いて言ってみた。

 間違っていたら無視して教室に入るだろう。

 守倉は、すぐに振り返った。

「せがれじゃないけど」

 ムッとしながら、守倉が否定する。ひょっとして、せがれって子供とかそういう意味じゃないのか……。言ったら恥かきそうなので黙っておくことにした。

「なに、皮肉?」

「え?」

 そうなの? 守倉が厳しい目をしてくるけど、元の意味が分かってないので繋がらない。

 でも言ったら恥かきそうなので黙略。

 守倉が私の前まで戻ってくる。近くで向き合うと、頭半分くらいは目線に差があった。

「わたしの胸が薄っぺらくて男みたいですねって」

「………………………………」

 せがれって男って意味だったのか。まずい、バレると無知を笑われて逆転される。

 そして誰もそこまで言っていない。

「ひがいもーそーってやつよ、それ」

 めちゃくちゃ気にしているのか、守倉の目の端が吊り上がったままだ。

「いやその……ごめん?」

 首を傾げながら謝った。誠意なんてあったものじゃない、抜け殻みたいな対応だ。

 それを受けた守倉が、じとーっとした目で人を見上げて。

 いきなり、私の胸をビンタしてきた。右から左へ、手首のスナップを利かせて本格的に。

 いったぁ、とまず感じた。

 不意を突かれて頭が真っ白になりそうだった。

 最後に、こんなところでこんなやつにいきなり胸を触られたことに憤った。

「あ」

 咄嗟に声が出ない。衝撃は思いのほか大きい。

 喉に詰まっているものを、深呼吸を挟んでゆっくりと飲み込む。

 そうしてようやく、低い声が出る。

「殺すぞテメー」

「できると思わなかった」

 守倉はまったく悪びれず、舌打ちまでしてくる。こいつ……と胸ぐらを掴みかけたところで視線を気にして踏みとどまる。私が守倉に因縁つけていると誤解されかねない。普段の生活態度と外見が状況判断の七割を占めていると言っても過言ではないのだ。

 真面目に生きるって、こういう時に得をするのかもしれない。

 生きる気ないけど、そう思った。

「なんていうか……今のでおあいこにしてやる」

 大人の対応をしてやると、守倉がビンタした自分の指先を見つめて、「まぁ」と小さく呟いた。

 どういう意味を含んだ『まぁ』なのか、いまいち分からない。

 こっちは左右に揺らされた胸と下着の位置を気にしながら、右を見たり、左を見たりした。

 その間に守倉の胸倉、とくだらないことを考えている間に少し落ち着いた。

 教室に戻るやつらに取り残されるように、私たちだけが廊下の隅に留まっている。

 そいつらを見送るように眺めながら、守倉に言った。

 私は別に、守倉と乳の話をしに来たわけではないのだ。

「カレー屋は本当なんだ」

「そうだけど。誰かから聞いたの?」

「まぁ」

「……で、なに?」

「べつに……」

 歯切れ悪くそう言うしかなかった。友達相手だともっと饒舌になるのに、守倉は友達じゃないのでさっぱり喋ることが思い浮かばない。守倉がなんだこいつ、と訝しむようなきつい目つきで私を睨みつけてくる。いきなり夢の話とかしてきたやつに、そんな目で見られるなんて。

「その……あんたも将来カレー作るの?」

「知らない」

 家の話をされるのが嫌なのが、その短い言葉の切れ味から伝わってくる。

 私だって自分の家の話なんて学校でされるのはものすごく嫌だ。……どうしてだろう。

「守倉んちってどこ?」

「絶対教えない」

 そう言い切って、守倉がさっさと教室に向かった。入る直前に振り向いて、への字の口を見せつけてくる。さっきよりは怒ってないな、となんとなく比較する。

「本当はカレー屋じゃないから」

 守倉が否定だけ残して消える。

「嘘つけ」

 流れに無理があった。嘘は下手な方らしい。そして人情というものも読めていない。

「絶対教えてくれないのなら、絶対行ってみたくなる」

 人間とはそういうものなのだ、守倉。



 調べものが簡単な世の中なので、ちょっと町の名前とカレー屋を検索したらわんさか出てくるし、その中でああこれだろと思うような名前を見つけたら行ってみるのは容易いことだった。

「なんで行くんだ?」

 動機がまるで見つからないまま、流れに乗るように動く。

 休日、訪れた店の名前はカタカナでモリクラだった。

「分かりやすい」

 これで無関係だったら逆に笑う。

 大通り、自然食品の販売店の隣にその店はあった。うちからは自転車でそれなりの距離だ。奥は自宅らしい。逆三角形のような店舗はやや狭く、外から覗けるだけでも三、四席しか確認できない。店の外観は白い壁に観音様と象が描かれていて、『カレーを食べて行カレーてはいかが』とか言っていた。

 その辺は見なかったことにして入ってみる。扉を開けると、すぐに薬のような香りがした。

 店内は昼の光に頼るように薄暗く、壁の代わりとばかりに本棚が並んでいる。紙の本に囲われているせいか、空気がやや乾いた感じだ。冷房が利いているのでまずはホッとする。

 表からは見えなかったけど、奥に二席ほど座敷もあった。座敷には一組、観光客らしきおばさんたちが入っていた。紙袋を椅子の脇に置いているのは、大体観光客だ。

 本棚の近くの席に座る。その本棚を横目で見てみると、小難しそうな背の高い本ばかりで漫画の類は一切なかった。ほとんどの人間にとってはインテリアとしての価値しかなさそうだ。

 中年男性が注文を取りに来る。コックの格好をしているけど、守倉の父親だろうか。守倉父らしき人物は背が高く、眉毛が濃い。そしてその眉毛に二本、やたら長いのが混じっていた。

 その眉毛を気にしながら、勧められるままにランチセットを注文する。高校生の客が珍しいのか、特に顔をじろじろ見られた気がした。単に自意識過剰かもしれない。

 しかし、と待つ間、頬杖をついてぼんやりとする。

 ああそうか、守倉の家だからって店に本人は出てこないのか。……まぁいいか、会っても話すことないし。

 大人しくカレー食べて帰ろう。

 本当にそれだけなら、何をしに来たって感じが酷いけど……なんというか……守倉はこういう場所で育った……かは定かじゃない。よく分かんないな、全部、特に守倉。

 あいつは間違いなく宇宙人だ。

 そして、その宇宙人の親が作ったカレーは、私には少し辛かった。



「ちょっと来て」

 週明けの校門で、待ちわびるような守倉に腕を掴まれた。

 いきなりわっと来たので、展開的に、ひょっとしてこれまた夢か? と疑った。守倉との関わりはどうも現実味が薄い。守倉の小さな体躯に引っ張られて、学校外へどんどん離れていく。

「ちょっと、遅刻するよあんた」

 時間ぎりぎりにしか来ない私を門から遠ざけて、そういう嫌がらせだろうか。

 人の流れから十分に距離を取って、有料駐車場の近くまで来てから守倉が振り返る。

「なんで来たの」

 手を離した守倉が問い詰めてくる。なんでって月曜だし、と言いかけて、そっちじゃないことに気づく。そんなことは流石に怒らないだろう。

 足りない言葉を補って、守倉の言いたいことを理解する。

「なんでって、なんとなく」

 知るかよと髪を弄ってごまかす。実際、知らないのだ。なんで私は守倉の店に行ったのか。

 どうして守倉なのか。

 守倉は間違いなく私にとっての宇宙人で、だから……分からない。

 宇宙人を相手にしているから、翻訳の難しい感情ばかりだった。

 ……でも宇宙人に興味のないやつの方が、少ないんじゃないだろうか。

「ていうかなんで知ってるの。あんたいたの?」

 言ってから、その場にいたらその場で詰め寄ってきそうだとは思った。

「父さんが言ってた。多分その子じゃないかって」

「ああ……」

 じろじろ見てたもんな、恐らく守倉父。あれはそういうわけだったんだ。

 ………………うん?

「え、あんた、親に私の話してるの?」

 それは多分、守倉にとって大きな失言だったのだろう。

 ばぁっと、守倉が赤く塗り替わる。

「ばっ!」

 なにか言いかけた守倉の声は裏返っていた。

 守倉が赤面するのを初めて見た気がする。ていうか多いんだけど初めて。

 だって、一か月前まで話もしたことないから。

 その守倉が今、リンゴみたいになっていた。

 鞄の紐を握りしめた守倉が、逆恨みのように唸って私を睨んできた。

 面白いけど、これ以上弄ると本気で噛みついてきそうだった。

「……あのさ、守倉」

「うっせ」

 守倉が逃げる。

「カレー、もう少し甘口のやつない?」

「二度と来んな!」

 周囲のことなんて無視した守倉の大声が私に突き刺さる。

 傍から見ると友人同士の大喧嘩みたいになってしまったかもしれない。

 友人でもないし、喧嘩でもなく。何もかも、定義に収まらなくてあやふやなのに。

「あいつ結構怒りっぽいな……」

 遅れてこっちも腹が立ってきた。なんでそんなに怒られないといけないんだ私が。

 でもその怒りをぶつける相手が、私にはいない。逃げた守倉を恨み、うろうろして、諦める。

「学校行こ……」

 無駄に強制された遠回りを、気怠く歩き出す。

 それから、結局私はしっかり遅刻した。

 走ったのか、守倉はしていなかった。

 ムカッと来た。



「ごめん言いすぎた」

 帰る前の守倉が立ち止まって、謝ってきた。また話しかけてきたのが意外だった。

 守倉はやや俯いて、目を逸らしている。当たり前だけど顔色はすっかり元通りだ。

「忙しいやつ」

「ごめん」

 そんなにしっかり謝られると、こっちの方が落ち込みそうになる。

 教室にはまだ同級生たちがそこそこ残っていて、視線も少し感じるけど、まぁいいかと思った。私が無理に守倉に謝罪させている、と勘違いされる方がまだマシかもしれなかった。

「いいよ、私も悪かった」

 本当に悪いところがあったかは問題でなく、そう言えば丸く済むだろうと思った。

「うん……ていうか、井上が悪いだけだし」

「待てや」

 全然丸くならなかった。半々なら許すがオンリーは看過できない。

「それは冗談だけど」

 守倉が少し笑う。その目の動きを見ていて、気づく。

「眼鏡」

「え」

「かけっぱ」

 指摘すると、守倉が指で触れて確かめて、「ほんとだ」と外す。

「外すの忘れてた」

 もしかすると、謝るので頭がいっぱいで気が回らなかったのだろうか。

 可愛げも少しはあるみたいだった。

 それから、帰ろうと言ったわけでもないのに一緒に教室を出て、靴を履き替え、校舎を出る。

 その間、無言だった。

 少しは喋ってみるかと思ったのは、暮れだす空を見上げてからのことだった。

「カレー、辛いけどおいしかったわ」

 本当は最後に出てきた自家製ヨーグルトが一番おいしかったのだけど。

「あ、そう……それは、どうも」

 守倉がぎこちなく抜け殻の礼を返す。そして、釘を刺す。

「でも来ないでね」

「へー、そんなに嫌?」

 嫌なことは進んでやる性格なんだけど、私。弱味見せんなよ。

 歩きながら、守倉が俯く。

「だから、井上がまた来たとか、親に話されるの……嫌じゃん」

 だからがどこから来たか分からないけれど、守倉の不満は、まぁ分かるものだった。

 私だって親に同級生の話とか振られるの、マジで無理だろうし。

 親と話とかしないけど。マジで、一切。

 守倉のとこはちゃんと親子が機能しているらしい。なるほど、それらしいと本人の印象に一致する。

「分かった、もう行かない」

「ん……」

「二度と行くか」

 言われたので、言ってみた。守倉は腹が立ったのか、口がまたへの字になっていた。

 やっぱり怒りっぽいよな、こいつ。

 多分、クラスの連中の大半はこんな守倉を知らないのだろう。

 その事実がまるで月の裏側でもちょっと覗いてしまったように、落ち着かない。

 ぞわぞわしながら、二人並んで歩く。

 きっと明日は一緒に帰らないし、もしかするとこれから卒業までずっと、一度もないかもしれない。

「…………………………………」

 守倉とは、間違っても友達じゃない。

 すべてが噛み合わないような、異星の住人。

 だけど隣り合う星に住んでいる人に、興味を抱かない方がおかしい。

 だからまた、ふとその星を見つけた時、関心を思い出すかもしれない。

 守倉とは、それくらいの関係だった。

「……あ、そうだ」

 気になっていて、どうしても試してみたいことがあった。

「なに?」

 無防備な守倉に狙いを定めて、腕を短く振る。

 すぱーんと、守倉の胸の上を手のひらが駆け抜けた。

「ほんとだ、できないっ」

 なだらか、丘陵ですらなし。

 どこまでも続く惑星守倉の大平原を疾走する。

 そして守倉の腰が入った反撃が飛んでくるのに、時間はかからなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る