We are the WORLD

 僕はいつだって、この世界を憎んでいた。

 

 僕は農夫だ。空を読み、地を耕し、命を育む自然の輩だ。

 それがどうして、海を渡り、山を越え、魔神を滅ぼす殺戮の徒になってしまった?


 全ては、この世界が狂っているからだ。

 かの伝説の宝剣は、清く正しい心を持ったものにしか振るうことはできないのだという。

 けれど僕は、とっくにそれが出鱈目であることを知っていた。


 確かに、初めてあの剣を抜いた時ならば、僕にその資格はあったのかもしれない。

 あの時の僕は確かに純真だった。それはもう、目も当てられぬほどに純粋だった。

 しかし、世界とやらを救う旅路に追い立てられ、仲間と共に敵を殺すたび、僕の心はどんどん腐っていった。


 戦う。

 傷を負う。

 治される。

 敵を殺す。

 呪いを受ける。

 癒される。

 敵を殺す。

 自分を励ます声が聞こえる。

 助けを呼ぶ声が聞こえる。

 敵を殺せと、囁く声が聞こえる。


 救いを求める民がいる。

 それを聞くと、勇気が湧いてくる。

 敵を滅ぼす、勇気さついが湧いてくる。


 頼りになる仲間がいる。

 彼らのおかげで、僕は戦ってこられた。

 彼らのせいで、僕は戦いをやめられなった。


 敵の肉を裂き、骨を砕く感触は腕の中にいつまでも残り、その記憶を反芻させる。

 断末魔の悲鳴と、呪詛と怨嗟の声。

 僕を憎む、敵の声。

 もうこの手の中に、故郷の土を耕したときの感覚は残っていなかった。


 だからだろう。

 僕が負けたのは。


 最後の敵、悪しき混沌の顕現、魔神王との戦いの最後。

 もはやどうしてこの敵と戦っているのかもよく分からないままに、僕たちは殺し合った。

 歪な翼を穿ち、爪を砕き、尾を引き裂き、その代わりに片目を奪われ、腕を折られ、腸を焦がされて、僕たちは愚かな争いを続けた。そして、その最後。


『オマエハ、ワタシダ』


 喘鳴にしか聞こえぬその掠れた敵の声を聞いた時、自分でも驚くほどすんなりと、僕はその事実を受け止めていた。

 片や秩序の世界を守る伝説の戦士。片や混沌の世界を支配する魔神の王。

 僕たちは、ただの合わせ鏡だったのだ。

 いつしか僕の体の中に、の意識が入り込んでいた。


 傍から見ればそれは、最後の力を振り絞った邪悪の化身が、彼を追い詰めた戦士の体を、呪いによって乗っ取ったように見えたかもしれない。

 けど、違った。

 僕の体が乗っ取られたんじゃない。

 僕が、奴の精神を奪ったんだ。


 煮え滾るような憎悪と、魂までも凍てつくような恐怖。

 壊し、殺し、犯し、喰らい、滅ぼせ。

 朱い衝動。真白い憤怒。黒い慟哭。

 その全てがどろどろと混じり合い、一つに溶けた。


 僕は最後の最後で、自分に負けた。


 そして、僕は封印された。

 新たなる魔神王として、かつて仲間であった聖女の手で、この地に封じられたのだった。






 それから、どれほどの時が経ったか分からない。

 昏い地の底は暖かく、僕は微睡むような意識の中で、ひたすら世界に向けた呪詛を放ち続けていた。

 どうして僕がこんな目に合う。

 あんな古ぼけた剣に眼を着けられたばかりに。

 腹を抉られた。指を折られた。酸を被った。目を凍らされた。

 その度に、僕は立ち上がり、敵を殺してきた。

 僕に救いを求めたものどもよ。お前たちは知っているのか。混沌の獣のはらわたの色。呪怨の泣き声。血飛沫の温もりを。


 昏く寂しい地の底で、聞こえるのは己の内から滲み出す怨嗟の声ばかり。

 ああ、憎い。

 憎い。

 何もかも、烏有に帰せよ。

 地平の彼方まで滅び去るがいい、秩序の民たちよ。

 

 やがて、僕の意識に青い光が降り注ぎ、気づけば僕は、春風のそよぐ平原へと顕れていた。

 封印が弱まったのだ。

 虚ろな意識が、世界の色彩を取り込み徐々に明度を増していく。


 そして、の後姿を捉えた。


 かつて見飽きるほどに見慣れた旅の仲間、その、見違えるほどに変わり果てた姿に、僕は声をかける。


 また、来てくれたんだね、トワ。


 何年かに一度、こうして封印が弱まる度に、彼女は僕を封じるためにこの地を訪れる。

 けれど、今回の彼女の様子は、いつものそれとは少し違っていた。

 得物だ。

 いつもの長剣ではない、古ぼけた両刃の直剣。


 見間違えるはずもない。

 それはかつて僕が振るい、数々の敵を討ち滅ぼした秩序の世界の希望の剣。

 僕をこの地獄に叩き落した忌まわしき呪いの剣だ。


 そうか。

 トワ。

 ついに僕を、殺してくれる気になったんだね。


「いいえ、クオン。これはあなたを、生かすための力よ」


 え?


 剣が、光を放った。


 それは、かつて僕が持っていた頃のような、敵を消し去る殺戮の真白ではなかった。

 赤、橙、黄、緑、青、藍、紫。

 緋、茶、金、碧、蒼、黒、菫。

 澄んだ色。濁った色。暖かな色。冷たい色。綺麗な色。汚い色。柔らかな色。激しい色。

 全てが渾然一体となった、混沌の色。


 それが、僕の腹に突き刺さった時、僕の魂に、風が通り抜けた。


 遠い。

 遠い記憶。

 陽の光をたっぷりと浴びた藁の匂い。

 土の匂い。花の蜜の味。湯気の音。木の温もり。


 風は渡る。

 輪を描く鳥の歌。山頂から見る日輪の煌き。夜露が宿す星の影。赤い月。

 綿菓子の食感。嬉し涙。冷やりとした掌。

 焼けるような酒。焦げ付いた脂の滴る肉。笑い声。

 

 赤子の頬の柔らかさ。見つめ合う夫婦の合間。重なり合う肌の熱。

 金色の長い髪。青い眼。小さな手足と、美しい歌。黒い髭の男。力強い声。甲高い声。優しい声。

 

 ぴゅいぃぃぃぃぃ。


 何処までも突き抜けていくような、指笛の音。

 

 生きている。

 みんな、生きている。


 食べて、笑って、泣いて、歌って。

 生きて、生きて、生きて――。


 それは、僕が久しく忘れ去っていた、人間の感情だった。


 僕の意識が、極彩色の光の中に、ゆっくりと融けていった。



 ……。

 …………。



「つまりね、伝説の宝剣の力とは、ただの増幅器ブースターに過ぎないんだよ」


 金色の瞳を細めながら、エルフの女は語った。


「私の叔母の研究資料を繙いて、ようやく分かった。清く正しい心を持ったものを選ぶのは、剣じゃない。


 それを聞くのは、かつて一党で斥候を務めた少年……いや、騎士となった青年。


「悪しきものが持てば悪しき力に、清らかなものが持てば清らかな力に、それは変わる。敵を憎む心でそれを振るえば、敵を滅ぼす兵器になる。だから、決して混沌のものたちの手にそれが渡ることのないよう、鞘によって剣を封印していたんだ」


「今、クオン君の体は、魔神王の精神と深く結びつき、分かちがたくなっている。彼の存在を占めるのは、飽くなき殺戮の衝動と世界の破滅を希う呪いの言葉だ。だが、逆に言えば、クオン君の精神がそれと別たれることがあれば、魔神王の力を引きはがすことも可能なはずなんだ」


「だから、この宝剣を使う」


「これに込めるのは、純真無垢の聖なる心ではない。ましてや、敵を滅ぼす殺意でもない」


「『生きる意思』だ」


「殺戮と破壊の対になる力。それは、我々一人一人が当たり前に有している、根源的な欲求だ。だからこそ、人一人の持つそれを剣に乗せても意味がない。そんな当たり前の感情とは別に、人は様々な欲求や願望を持っているからね。だから、必要なのは数なのさ」


「清いもの。純朴なもの。あくどいもの。狡いもの。貧しいもの。富めるもの。幸あるもの。嘆きあるもの。世界中の人間の力を少しずつ、少しずつこの剣に集めれば、その総体は平均化され、誰しもが共有して持つ一つの形を現わす。つまりそれが、『生きる意思』なんだ」


「分かるかい? 私たちは旅に出る。かつて私たちが往き、彼が救った世界の人々から、彼を救い出すための力を集めに行く。正直、何年かかるかは分からない。それまでにトワ君の体がもつ保証もない。だから君には、その間の時間稼ぎをしてもらいたいのさ」



 そして――。



 ……。

 …………。



 どこまでも抜けていくような青空が、窓の外に広がっていた。

 部屋の中に吹き込む風は冷たく、それでも春の精の息吹を含んだそれは、柔らかく彼女の髪を撫ぜる。

 花の香が、淡く色を持ったように室内に満ちていく。


 彼女はすっかり冷えてしまった指先でそっと窓を閉じると、僅かに残った春の匂いの余韻に浸って、しばらく目を瞑った。

 大きく目を開いて、深呼吸。

 古ぼけた姿見に、自分の全身を映す。

 今日のために切り揃えた髪。

 上から下まできっちりと整えたコーディネート。

 お化粧、良し。

 アクセサリー、良し。

 笑顔、良し。

 準備は万端。

 さあ――


 玄関に近づく足音。

 それを、迎えに行く。


「ただいま、トワ」


 その胸に、勢いよく飛び込んだ。


「おかえりなさい、クオン」



          めでたし、めでたし。




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ファイブ・ストーリーズ lager @lager

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