第50話
「わあああっ!」
手綱をしっかり握りしめていた僕は、一緒に上に飛ばされた。ウニルは厩舎の屋根をロケットのように突き破ると、黄昏色の空へと飛び出した。そして、凄い速さで、学園上空をめちゃくちゃに飛び回った。その水平に広げられた翼はほんのり光を放っていた。尻からは何かが噴射されているような音が聞こえてきた。
こ、これが、軍用レ・ヌーってやつなのか……。
目を回しながら、振り落とされないように必死にウニルの体にしがみついた。まるでジェット機だ。
やがて、ウニルは学園の中庭に降りた。彼女が地面に足をつくと同時に、僕の体はそこに落下した。痛い。けど、それ以上に気分が悪い……。上体を起こすと、目の前に広がる景色のすべてがぐにゃぐにゃに見えた。
「すごいな、お前! ウニルに乗れるなんて!」
「ワッフドゥイヒ以外は無理だって話だったのに」
近くから生徒達が集まってきて、僕を褒めちぎりはじめた。「そ、それほどでも、にゃい……」気分が悪かったので適当にあしらった。
すると、その中から聞き覚えのある声がした。
「あんた、意外とやるじゃない」
「ヨッちん、すごーい! もう乗れちゃったんだ」
アニィとルーだった。「お、おう……」と目を回しながらうなずいた。
「もしかして、ヨッちんなら優勝出来ちゃうかもね?」
「こいつが? まだウニルの背中の乗れたばっかりって感じでしょ。無理無理」
相変わらずアニィは手厳しい……。
「まあでも、まるっきり期待できないってわけでもないかしらね……。さっきの、
「すごかったよねー。あんなに速く飛ぶなんて」
そうか。僕があの銀のプレートを叩いたことにより、
「軍用レ・ヌーの
「それ以外は?」
「さあ? そこは自分で何とかしなさいよ」
「ヨッちん、がんばってね。アタイも応援するから」
ルーがそう言うと、周りの生徒達もいっせいに「がんばれよ」と僕を励ました。ワッフドゥイヒの件のことは知らないだろうし、きっと学園の代表選手としての激励だろう。僕はちょっと照れ臭くなりながらも、彼らにうなずいた。本当に、がんばらないとな……。
やがて、彼らは去り、僕はウニルを連れて厩舎に戻った。すると、厩舎の入口に二人の女性が立っていた。一人は地味な外套に身を包み、フードを頭に被っていて、どういう人物なのかよくわからなかったが、もう一人は凛としたたたずまいで腰に剣を差していて、いかにも女性騎士という感じだった。
「あ、あの、ヨシカズさん……」
フードを被ったほうがおずおずと僕に話しかけてきた。その声は聞き覚えがあった。フェトレだ。
「学園長とクラウン先生から事情は聞きました。ワッフを助けるために、ヨシカズさんはレースに出るそうですね。私のせいでワッフが大変なことになったのに……」
顔はよく見えなかったが、その声はひどく弱弱しく儚げだった。きっと、彼が捕まったことを聞いて、胸を強く痛めているのだろう。
「だ、大丈夫。僕がこいつの乗って頑張るから!」
ウニルの背中をぽんぽんと叩いて、努めて明るく言った――ら、すぐに、ウニルにくちばしで攻撃されてしまった。痛い痛い。
「あの、これを……」
と、フェトレは外套の下から何かを出し、僕に差しだした。見るとそれは、紫の生地にピンクの花柄模様がついた、非常に悪趣味な手袋だった。こ、これは……。
「結局、ワッフに渡しそびれてしまって。ヨシカズさん、ぜひレースで使ってください」
「う、うん……」
断ることはできなかった。まさか自分が使うことになるなんて。
「変な手袋ねえ。お姫様って私達と趣味がずれてるのかしら?」
山岸が不思議そうにつぶやく。違う。ズレてるのは趣味じゃない。いろんなタイミングだ。本来ならこれはあいつがレースで使って赤っ恥をかく予定のものだったのに……。
「この手袋は、ヌーに乗るためのもので、魔力をよく通すそうですわ。
なるほど。機能性は高いんだ。デザインはアレだけど……。「ありがとう」とりあえず礼を言った。
「あ、あの……ヨシカズさんは本当によろしいんですか?」
「え、これ? まあ、自分で選んだものだし……」
「違いますわ。軍用レ・ヌーのレースに参加することです。ヨシカズさんがワッフを助けようとしてくれるのは、わたくしもすごく心強いです。でも、レースはとても危険なものでもあると聞きます。ヨシカズさんにレースの経験がまるでないことも……。本当に、それでよろしいのですか? 下手をすると、命を落としてしまうかもしれないのですよ?」
フェトレの声は震えていた。もしかすると、自分の暗殺未遂事件のせいで、ワッフドゥイヒだけではなく僕も死ぬのではと恐れているのかもしれない。
「でも、僕はやらなくちゃいけないんだ」
きっぱりと答えた。
「どうしてですの? ヨシカズさんはワッフとは知りあってまだ日が浅いでしょう? それなのに、彼のために命をかけるなんて……」
「僕は彼を助けたい、それだけだよ」
そうだ。今までずっと「助けなきゃいけない」と頭で考えていた。でも、それは本当じゃなかった。そう、僕はあいつに死んでほしくない。だから、「助けなきゃいけない」じゃなくて「助けたい」んだ。
ふいに、過去の彼の様々な言動が目に浮かんできた。宵闇の陽炎が現れた時、あいつは真っ先に僕やフェトレを守ろうと前に出てたっけ。文句なしのイケメンだ。でも、そのくせ、その前の
そういうちぐはぐなところは、彼が僕の前では、飾らないありのままの彼であったと証明しているようだった。それに、彼は何度も僕を助けてくれた。最初に会った時、僕が焼いてしまった紙を一度だけ元通りにしてくれた。宵闇の陽炎の時もやっぱり僕を助けようとしてくれたし、暗殺者に襲われた時はあいつが来なかったら大変なことになっていた。第三詰所で兵士達に見つかった時は、電撃魔法を無理やり使って助けてくれたっけ……。そして、同時に彼は僕を、勇気ある奴だとちゃんと対等な一人の人間として認めていた。感謝もしていた。時にその言葉づかいや態度は素直じゃなかったけど。
僕はバカだ。
瞬間、はっきりそう思った。嫉妬や劣等感にとらわれて、僕は今まであいつのそういうところ、何も見えていなかったんだ。
「あいつはいいやつだ。何度も僕を助けてくれた。だから、今度は僕があいつを助けるんだ」
自然とそんな言葉が口から出ていた。
「ヨシカズさん……」
と、フェトレの声がいっそう震えた。見ると、指で目元を懸命にぬぐっている。泣いているようだ。
「わかりました。わたくし、ヨシカズさんのこと、頼りにしてますわ。なんとしても優勝して、ワッフを助けてくださいね!」
涙をぬぐいながらも、元気よく言うと、やがて彼女はお付きの女性騎士と一緒に向こうに去って行った。
「フェトレは確か、竜蝕祭が終わると同時に、王竜都に戻るはずよ」
山岸がその後ろ姿を見ながらつぶやいた。
そうか、例えワッフドゥイヒが処刑をまぬがれたとしても、二人はもう二度と会えないんだ。だから、あいつは絶望して……。
でも、それでも僕はあいつを助けるんだ。そんな絶望だけがあいつの世界の全てじゃない。僕もフェトレも、そしてみんなも、あいつに死んでほしくないと思っているから……。
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