第16話

 やがて、僕達はそのまま教室に戻ることになった。だが、みんなでぞろぞろと移動し始めた途端、空の向こうから黒い影がすごい速さで飛来してきた!


 それは僕達のすぐ目の前に降り立った。細長い、大蛇のような形だった。だが、その輪郭は煙のようにぼやけていた。頭と思しき部分に二つの青い光があった。口のようなものも見えた。どうやら、生き物に間違いないようだった。


「バカな、なぜこんなところに……」


 クラウン先生の動揺する声が聞こえた。周りの生徒達も驚きと恐怖をあらわにしている。中には悲鳴を上げる女子生徒もいる。


「これはいったい……?」

「宵闇の陽炎だ」


 ワッフドゥイヒが僕の疑問に答えた。その顔はとても険しかった。


「宵闇の陽炎? あの生き物の名前が、それ?」

「ああ。君は故郷で聞いたことはないか? あれは、世界竜の竜魔素ドラギルを残らず吸いつくすタチの悪い寄生虫のようなものだ。あれに寄生されたが最後、世界竜は死に、竜都は――落ちる」

「え――」


 なんと! すごくヤバイものじゃないか。


「普通はここには現れないはずのものなんだ。ラーファス学園竜都には結界が何重にも張られてる。それがなぜここに……」

「でも、世界竜はめちゃくちゃ大きいのに、あんなのが一匹だけ現れても大したことないんじゃない?」

「あれは竜魔素ドラギルを吸いながら世界竜の体内で増殖するんだ。一匹だけでも極めて危険だ」

「じゃあ、早く退治しないと!」

「それがなかなか難しい話でね……」


 と、ワッフドゥイヒがつぶやいた瞬間だった。


「こ、こっちに来るな、化け物めっ!」


 一人の男子生徒が宵闇の陽炎に向け、魔法の火の玉を発射した。


「よせ!」


 クラウン先生がとっさに叫んだが、火の弾は残らず宵闇の陽炎に命中した。一瞬、その黒い体は炎上した。


 だが、次の瞬間、それは大きく膨張し、なんと二つに分裂してしまった!


「ふ、増えた……」

「あれが厄介なところなんだ。あいつに、竜魔素ドラギル付与系の攻撃は一切効かないどころか、逆効果だ」

「じゃあ、どうやって、倒すの?」

「こうするのさ」


 と、彼はにわかに左の手首から腕輪を外した。たちまちそれは剣に変わった。おそらく、彼の愛用の剣、竜頭鱗螺鈿竜魔素陶剣ヘッドスケイル・ハイブリッドソードだろう。略称は竜頭剣だ。竜魔素陶磁器ドラギルセラミックをベースに、世界竜の鱗の中で最も硬い頭の部分のものが、柄と刃に使われてるのが特徴だ。


 彼は竜頭剣を軽く一振りすると、身を低くして、一気に二体の宵闇の陽炎のところまで疾駆した。燕が空を切って飛ぶような動きだった。


 そして、その近いほうの一体に竜頭剣を突き刺した。だが、突き刺したと言っても、宵闇の陽炎というだけに、手ごたえは一切ないように見えた。一体何をするつもりだろう。魔法も物理攻撃も効かない相手に見えるけど……。


 しかし、ややあって、彼の竜頭剣が淡く光ると同時に、剣に突き刺されたほうの宵闇の陽炎は霧が晴れるように消えてしまった……。


 た、倒した!


 残りのもう一体も、ただちに駆けつけてきたクラウン先生が直接手で触れ、同じように消してしまった。


「宵闇の陽炎にはこうするしかない。直接、あるいは間接的に触れ、竜魔素ドラギル干渉によって、宵闇の陽炎の体内を循環する竜魔素ドラギルを逆流させるんだ」


 ワッフドゥイヒの額には汗がにじんでいた。呼吸も荒かった。見ると、先生も同じように疲れているようだった。肩で息をしている。


「もしかして、今の、すごく大変な術なの?」

「当たり前でしょ! 強い集中が必要だし、下手をすれば術者のほうの体内の竜魔素ドラギルが逆流して死んでしまうのよ」


 アニィがワッフドゥイヒの額の汗をハンカチでぬぐいながら言う。見ると、その足元には一羽のアヒルがいる。


「あれ? なんでこんなところにアヒルが?」


 その前にしゃがみこむと、


「アヒルじゃないよ、ヨッちん。アタイ、ルーだよ」


 アヒルがしゃべった! しかもルーだって?


「いや、お前、どう見てもアヒルだろう……」

「ルーだよ、ルーフィー! 信じてくれないとダメなんだからね!」


 げしげし。くちばしでふくらはぎを連打された。痛い痛い。


「ルーは何かあるといつもこうなの。こういう体質なの」


 アニィはこちらに振り返り、アヒルを懐に抱え上げた。


「体質って?」

「ルーのご先祖様に自分の体を使ってキメラの人体実験をした人がいるそうなの。それで、その呪いなのか血なのか知らないけど、感情が高ぶったり、とても怖い気持ちになると、動物になってしまうそうよ」


 なるほど。これも山岸が考えた設定なのかな。


「じゃあ、どうやったら元に戻るの?」

「アタイに豆をくれればすぐ戻るよ」

「豆は教室にあるけどね」


 アニィはため息交じりに言う。さらに、時間が経てば自然に戻るとも付け加えた。そして、足元に落ちていたルーの服を拾い始めた。相変わらず紐みたいな服だけど。


 もしかして、今元の姿に戻ると裸なのか?


 ルーの大きな胸を思い出し、ドキドキした。なんで僕は今豆を持ってないんだろう。しまったなあと思った。


 と、そのときだった。再び生徒たちの悲鳴が聞こえてきた。


 悲鳴を上げた生徒は一様に空を見上げていた。見ると、上空にいくつもの細長い黒い影、宵闇の陽炎が飛んでいた。

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