第2話

 十六歳になったばかりの春の日というものは、きっと多くの人にとって輝かしい時間なのだろう。


 けれど、僕にはそれは当てはまらなかった。そう、僕にとって、高校一年生に上がったばかりのその春の日は、孤独で、鬱陶しいものだった。春らしい陽気や、木々の若葉の萌えいずる様が、その気持ちをかきたてるようだった。心は冬のように凍てついているのに周りの景色は春だ。これはなんという置いてけぼりだろう。


 端的に言うと、僕、早良義一(さわら・よしかず)は新しい高校に進学して、誰ひとり友達を作ることができなかった。いわゆるぼっちだ。五月にもなるとクラスの他の連中は、みんなそれぞれ気の合う仲間たちと徒党を組み、休み時間や放課後などにそれぞれ群れをなすものだったが、僕はそのいずれにも属さなかった。いや、属せなかった。そして、集団の中でぼっちである自分を知るということは、とてつもなく孤独なものだった。


 だから、五月の初旬という変な時期に転校してきた彼女が、二週間経ってもまったくクラスの他の女子たちと打ち解けてない様子なのは、僕のささやかな救いだった。


 彼女は山岸かなえと言った。黒い長髪に、眼鏡という、いかにも孤独が似合いそうな、地味な風貌だった。しかし、肌は白く、よく見ると顔立ちは整っていて、清楚な雰囲気があった。


 僕は彼女を見た瞬間、ぼっち仲間であることを直感した。そして二週間、こっそり彼女を観察した。その直感が裏切られないように。それは本当に僕が孤独であることを証明するから。


 果して彼女は、気さくに話しかけてくる他の女子を愛想のない言葉で次々と退け、ぼっち街道を突き進んでいた。ああ、ああいうふうに人は孤立していくんだ。勉強になった。僕も入学当初はそうだったんだろうか。胸に手を当てて考えてみるが記憶があいまいだった。なんせ、知らない人間に話しかけられると頭が真っ白になる、コミュ障タイプのぼっちだったから。


 彼女は少なくともコミュ障ではなさそうだった。ただ、他人に興味がないだけのように見えた。そして、その様子はちょっぴりかっこよかった。僕もそういうふうに生きて行きたいと思った。人に話しかけられるととたんにテンパるから、無理だけど。


 やがて、彼女を観察していくうちに、一つの事実に気付いた。授業中、時折、彼女は熱心に何かをノートに描いているふうなのである。そう、明らかにノートに絵を描いているのだ。


 絵が好きなのかな。ふと、初めて彼女にぼっちシンパシーを超越した興味が湧いた――が、当然コミュ障である僕は、彼女の趣味に気付いたところで、話しかけることはできなかった。


 だが、そんな近いようで絶望的な距離のあった僕達にも、ついに口をきく機会が訪れた。彼女が転校してきてからちょうど二十日目の日のことだった。僕はその日の放課後、たまたま、忘れ物を取りに教室に戻っていた。そして、彼女はその日の放課後、たまたま、一人教室に残っていた。時刻は午後五時四十分ごろ。五月の元気な青い空もそろそろ黄昏色をまとい始める頃だ。


 僕が後ろの入り口から教室に入った時、彼女はまるで僕の気配に気づいてないようだった。ちょうど教室の真ん中にある自分の席に座って、前かがみになって、ノートに向かって熱心な様子でシャーペンを走らせていた。絵を描いているんだな、と、すぐに気付いた。


 いつものように興味は湧いてきたが、さすがに向こうがこっちに気付いてないのに、話しかけるわけにはいかなかった。それがコミュ障ぼっちのサガというやつなのだ。僕は、教室の後ろを忍び足で通って、窓際最後列の自分の席に行き、机の中から忘れ物である英和辞書を取ってかばんに収めた。


 そして、そこで山岸の方を見ると、まだ僕に気付いてないようだった。もしかして、僕は気配を殺す能力が高いほうだったのかな。ちょっぴり、得意な気持ちになった。


 僕はそっと、背後から山岸に忍びよってみた。気分は標的をロックオンした暗殺者だ。目標まで三メートル、まだ気付かれない。目標まで二メートル半。まだ大丈夫。よし、これは、一気に間合いを詰めて――と、そのときだった。近くの机の脚が僕の足に引っ掛かった!


「うわあっ!」


 すっかり調子こいてた僕は、瞬間、ダイナミックに前のめりになった。ちょうど、山岸のすぐ後ろに来たところだった。


 山岸も瞬間、僕の気配に気づいたようだった。「え?」という声を発してこちらに振り向いたが、それはちょうど僕のダイナミックダイブが迫ってくる瞬間でもあった。


どんがらがっしゃん!


僕はそのまま前に倒れ、山岸はそのまま後ろに倒れ、机といすがぶつかり合う派手な音と共に、僕は山岸を教室の床に押し倒す形になってしまった……。

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