創造に対する情熱
日が傾き、日光が弱まってくると、僕達はいよいよ、ミラノに繰り出す。
「まずは、定番の<ドゥオーモ(ミラノ大聖堂)>からかな」
セルゲイの案内で、ホテルからさほど遠くない場所にあるドゥオーモ(ミラノ大聖堂)へと向かった。
「わあ!」
「すごい……」
夕焼けに浮かび上がるドゥオーモ(ミラノ大聖堂)は、全長約百六十メートル、全幅約九十メートル、全高約百十メートルの巨大なゴシック様式の建築物で、いくつもの尖塔を持ち、外壁にはびっしりと細工が施され、何とも言えない荘厳な威容を誇っていた。
実は吸血鬼もこれの建築には関わっていたものの、デザインや設計といった本質的な部分はあくまで人間の手によるものであり、生物としてあまりに強すぎるために本質的に虚飾を好まない吸血鬼では生まれない発想だと言われてる。
もちろん、吸血鬼にもこういう装飾を好む者はいないわけじゃないけれど、そのほとんどは人間が作ったものを享受しているだけというのも事実なんだ。
対して、人間は、弱いからこそこうやって自らを立派に見せる必要があっての発想なんだろうね。
それは時に<権威主義>などとして弊害も生みつつ、同時に、こういう素晴らしいものを生み出す原動力ともなっているんだから、必ずしも悪いものでもないんだと僕も思うよ。
そしてドゥオーモ(ミラノ大聖堂)は、外観もすごいけど、中に入るとさらにそのすごさに圧倒される。人間の、狂気じみた情熱そのものが形になってそこにあるかのようだ。
現在のような重機もなかった頃から、約五百年の歳月をかけて(途中、何度も中断もしつつ)作り上げられ、今に至っている。
聖堂の上に上がるためのエレベータを付けられたりもしつつね。
それでも、壁面を埋め尽くす壁画や、眩暈さえ覚えそうな緻密なステンドグラスは、吸血鬼である僕にとっても圧巻だった。
<創造>に対するに人間の執念がそこには表れているんじゃないかな。
多くの苦しみと悲しみと憎悪を生み出しつつも、その一方で人間はこういうものも生み出すんだ。
その事実がある限り、僕達吸血鬼も、人間を簡単に見捨てる気にはなれないだろうな。
吸血鬼が血を吸ったことで生まれる<眷属>からは、こういう<創造への情熱>が失われる傾向にあるとも言われてる。吸血鬼に次ぐ力を得ることで、創造に対する情熱が薄れてしまうのかもしれない。
だとすると、アオも、眷属になると今の<ラノベ作家>という仕事への情熱が失われてしまうのかもね。
僕は、そんなアオを見たいとは思わないんだ。
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