一路、頂上を

標高四千五百メートル。振り返れば文字通り雄大なパノラマ。圧倒的な解放感。まるで空を飛んでいるような錯覚にさえ陥る。ここまでで三十分。これから先は、人間と同じ登山ルートを辿る。


基本的に許可がないと入れない山なので、登山客がひっきりなしに訪れるわけでもなく、今日はそれこそ一人も見かけなかった。


まだ一般的な登山シーズンには早いというのもあるのかもしれない。雪が多く残っていて、経験の浅い人間には危険だからだろう。登山シーズンにガイドと一緒なら、ほとんど初心者同然の人間でも登れるとは聞くけど、さすがに不慣れな人間には辛いだろうな。


雪が残る登山道を、僕達はゆっくりと歩く。あくまで。吸血鬼の感覚としての『ゆっくり』だけど。それこそ人間がハイキングに来たようなペースかな。


ちなみに、


<ノアの箱舟が流れ着いた場所>


という言い伝えのあるここには、それを基にしたオブジェなんかも展示されてたけど、その辺りは人間がそう言ってるだけで、僕達吸血鬼にはそんな伝承はない。だからと言って、その言い伝えを、


『迷信だ!』


と切り捨てるつもりは僕にはない。<信仰>というものは、人間が正気を保つには必要な場合もある、


<メンタルヘルスの手法>


の一つだからね。ただ、扱いを誤ると<狂信>を生み、現実と向き合うことができなくなるから注意が必要なだけだ。


そんなことを考えながら、淡々と登山ルートを進む。


「こうしてると、やっぱり、吸血鬼やダンピールも、ちっぽけな存在なんだなって感じるね……」


少し疲れは見せつつ、でも気持ちはしっかりと保てているのが分かる悠里ユーリが、雪を踏みしめつつ笑みを浮かべながらそう言った。


「そうだね。僕達もこの地球の自然の中に存在する小さな<点>にすぎないのは事実だと思う。僕は、その事実を実感するために、こういう場所に訪れるんだ」


安和アンナを抱いてもまったく疲れを見せずに淡々と歩くセルゲイが、応えてくれた。


すると、安和が、


「私も、歩く」


そう言ってセルゲイの腕から降りた。彼女自身、何か思うところがあったんだろう。それを『無理だ』と僕達は言わない。彼女がやると言うのなら、やって見せればいい。


悠里もそうだけど、見た目には三歳くらいの子供をこんなところで歩かせているのは、人間であれば<虐待>にも当たる行為かもしれない。


でも、僕達は吸血鬼でありダンピールなんだ。その事実は揺るがない。


酸素が薄いので、安和もすぐに「はあはあ…」と息を切らせ始めるけど、その表情にはしっかりと強い意志が漲っている。


こうして僕達は、一路、頂上を目指したのだった。


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