どこか景色の綺麗なところで
その男性に向けている視線を見て、ミハエルは察した。
『ああ、今は幸せなんだな……』
と。
日本で彼にストーカー行為を繰り返していた頃の彼女は、決して幸せではなかった。幸せになりたいからこそミハエルを欲したのがその証拠である。
すでに幸せであるなら、何もストーカー行為をしてまで彼を求める必要もないのだから。
幸せな人は、自身の幸せを壊してまで何かを欲することもない。
『今の幸せを手放してもいい!』
と思うのは、本心では<幸せだという実感>を得ていないからだろう。
だからあの頃の彼女の表情は、とても殺伐としていた。まるで飢えた獣のように殺気にさえ満ちていた。
『自身の邪魔をするものはどんな手を使ってでも排除する』
という殺気に。
けれど、いるはずのないミハエルを追ってアゼルバイジャンにまで渡航した彼女は、彼の姿を求めてさまよい、それまでずっと日本に暮らしてきた自身の常識がまったく通用しない地で、何度か強盗や誘拐といった命の危機にまで曝され、自分がいかに非力で愚かであるのかを思い知らされ、打ちのめされ、絶望し、自暴自棄にもなったところで、今の彼女の隣にいる男性と出逢ったのだった。
その男性は、アゼルバイジャンでも有数の観光地で個人経営の宿泊施設のオーナーを務めていて、そこに彼女が、
『どこか景色の綺麗なところで死にたい……』
と考えてやってきたことで出逢ったのである。
男性も、最初は珍しいアジア人女性だということで興味を持っただけだった。けれど、あまりにも悲壮な気配を放つ彼女に危機感すら覚え、
『死ぬつもりで来たのかもしれない』
と察し、思いとどまらせようと精一杯のもてなしをしたのだそうだ。
そんな男性のことを、最初は、
『鬱陶しい……放っておいて……!』
などと考えた彼女だったものの、彼が作る郷土料理の美味しさとあたたかい人柄に触れているうちに気持ちがほぐれていき、ミハエルに比べれば凡庸とも言える程度かもしれないものの一般的に見れば<イケメン>と呼んでも差支えないその容姿に気付く余裕も生まれた時に、
「あ……」
と胸がときめくのを感じたのだった。
それは、確かに彼の容姿の良さが大きなポイントにもなっていたものの、しかし来たばかりの頃の彼女にはそこに気付く余裕がなく、あくまで彼の人柄に冷え固まっていた心がほぐされたことで顔を上げることができたというのも紛れもない事実なのだ。
しかも彼自身、姉を自殺で亡くしており、苦しんでいた姉を救えなかった後悔もあって、一層、彼女に対して親身になれたというのもあったのである。
そうして二人は打ち解け、手持ちの金も尽きた彼女が彼の経営する宿泊施設を手伝うことになって、さらに結婚を決意、晴れて永住権を得て今に至るということなのだった。
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