ドラマのテンプレのような幸せな家族像

ミハエルもアオも、悠里ユーリから目を離すようなことはしなかった。


もっとも、


『見ているだけで嬉しくなるから、目を離したくなかった』


と言った方が正しいか。


そんなわけで、睡眠時間が満足に取れなかった頃はさすがに辛かったものの、それが過ぎればただただ楽しかった。


けれど、笑顔の絶えない蒼井家であっても、きっと、


『ドラマのテンプレのような幸せな家族像こそが<幸せの形>と信じ、それから少し外れただけで『異常だ!』『不幸だ!』と考える』


ような者達からすれば、


『夫は吸血鬼で息子はダンピール』


などというこの家庭のことは、<異常>であり<不幸>であり、<嫌悪するべき対象>に見えるのだろう。


それを承知しているから、ミハエルは元よりアオも、SNSに自分達のことをアップしたりしなかった。


他人を攻撃するための<ネタ>を探している者達に絶好の口実を与えてしまうから。


だから、悠里の可愛さを世間に自慢したいという願望もありつつも、アオはそれを自制する。


もうこれだけでも、


『言いたいことも言えない世の中とかおかしい!』


という話が、単に、自分が他人をサンドバッグにして憂さ晴らしに利用しようとしていることを正当化するための詭弁でしかないことが分かる。


『言いたいことが言えて当然』


なら、アオが悠里のことを世間に自慢できて当然であるはずにも拘わらず、実際にそれをすれば、


<憂さ晴らしの絶好の的>


にされるのだから。


『叩かれるの覚悟でやればいいじゃん』


とか言うかもしれないけれど、だったら、自分も何か発言した時にそれを理由に批判されても当然と覚悟しなければおかしい。


結局、


『言いたいことも言えない世の中とかおかしい!』


と言ってる者は、あくまで自分だけが一方的に言えることを期待してるだけなのだろう。


ミハエルもアオもそれが分かっているからこそ、ただただ自分達の幸せを噛み締める。


見ず知らずの他人とそれを共有しようとも思わない。


世間に公表できないことを辛いとも悲しいとも思わない。


この幸せは、自分達だけのものだ。他人に理解してもらおうとも思わない。共感も要らない。称賛も要らない。<承認欲求>も、自分達の間だけで間に合っている。


ゆえに、『ドラマのテンプレのような幸せな家族像こそが<幸せの形>と信じ、それから少し外れただけで『異常だ!』『不幸だ!』と考える』者達からの攻撃も防げる。


この世には本当に、自分の価値観しか認めない者が多い。


そしてそういう者を説得しようとしても聞く耳を持たないことがほとんどなので労力と時間が無駄に消費されるだけのことも多い。


ならば、その無駄な時間をこの幸せにつぎ込んだ方がよっぽど有意義というものだった。


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