侵攻開始

「……灯火イルム

 崩れきった建造物はかつての姿を保ってはおらず、瓦礫で光は遮られて真っ暗だ。

 今いる場所が、かつて何の用途で利用されていたのか、入ってすぐの場所だから玄関ではあるだろうが、既に玄関のカタチは為さず、跡形もない。苔が覆い始めたコンクリートの廃墟、深い森の奥にあるそれは退廃を謳い、幻想的にすら見える。しかしティエラにはこの景色すら、醜い瓦礫の山にしか見えていなかった。所内跡の地を足で踏むと、人工物は発さないであろう、若草を踏んだような感覚と音が彼女を包んだ。


 手元に光を灯して捜索を開始する。灯火イルムを引っかけておける場所もなさそうな廃墟を、ティエラは一人進む。踏みしめる床にはどこから来たと見当がつかぬ土だの砂が覆い、瓦礫を除ける度に砂埃が舞い上がる。――自然と同化しつつあるこの研究所だが、まだ動いているというのだ。

「こんなナリになってもまだ何かやってるってのか、クソ……」

 誰にも聞かれない悪態をつきつつ、捜索を続ける。ロビー奥、研究員たちがエレベーターと呼んでいた、機械の昇降機は機能していない。その先はもはや図体さえ保っておらず、木々に侵食されて森の一部となっていた。

 人工的な光はどこにも見えなかった。本当にただの廃墟だ。調べ尽くした末に、ティエラはそう確信して肩をすくめた。少し疲れを感じて砂埃をかぶった待合用の長椅子に腰掛けると、自然と視線が下に向く。その時ティエラは一つ、床に違和感を感じた。

 床に点々とある、隠し収納のような扉。これを見て、床を未だにそこまで重視していなかったことに気がついた。

「……床だったら、確か……」

 足で土や瓦礫粉を除けながら扉のようなものを見つけては、一つずつ開いていく。大抵その奥は何かティエラには分からない物資があるのみで真っ暗だが、一つだけ、この中の何処かには、開くと光をもたらす扉があるはずだ。その予測は当たり、受付カウンターの奥の扉から漏れた光で顔を照らすティエラははん、と笑った。

「……成る程な、どこからどこまでずる賢い連中だ」

 その奥に確かに見える、無機質なデザインの真っ白な空間。躊躇もせずにティエラは飛び込んだ。




 この地下空間は果たしていつの間に造り上げたのだろうか。

 かつてのこの施設と同様の設備、部屋、空間を持つだろうと、ティエラは目測する。ちらりと横目に見る扉、その奥、丸窓から見える部屋は確かに化学薬品置き場のそれだ。見たことがある。これから練り歩く場所にも見覚えのある、懐かしささえ感じるものがあるだろう。無論、それらは全て破壊するつもりでいるが。

 それにしても、いつからここは稼働していたのか。先程思い問うたようにそもそもいつここを造ったのか。

 もし五年前の立ち入り取り壊しの時点からそれを見越して用意していたと言うのなら、それこそ。


「……小賢しい」


 怒り、苛立ちを滲ませ、ぎりと歯軋りするように漏らした。

 前を向き直し、まずティエラは物証を探し出す。クリーチャーの素材、製造過程など、研究所がクリーチャーを生み出しているという事実を示すモノを見つけ次第記録の後に破壊。証拠が見つからなくても研究所は関係なかったとして、施設は破壊。そうプロセスは組んでいる。見つからないように偵察し、時にはハッキングを用いて徹底的に調べ上げた。


 そうして独自に調査を進めた結果だが、結論を言うと、何も無かった。


 やはりあの男――ムーの垂れた情報は妄言だった。奴が嘘偽りばかりの男だとも今ここで確証が取れた。しかしティエラにとってそんなことは百も承知で、この問題は言わば二の次だった。

「……ま、これが主の目的ではないからな」

 一応ここは関係ないと分かったからいいだろう、とメモ帳を懐にしまい、機械が立ち並ぶ施設の裏でティエラは立ち上がった。

 施設の空調や電気システムを管理する場所なのだろう、とティエラは今自分がいる空間を見回して考察する。少なくとも、これらが無ければ研究が滞り、色々と面倒なことにになるだろう。培養システムが稼働するのも、研究対象が健全な環境で保存、育成できるのも、恐らくはここのおかげだ。

 近場の手頃な機械を、長年使い古した相棒に接するように撫ぜる。軽くカンカンと叩いたそれは、とても頑丈そうだった。


「よく働くな、お前達は。少しは休んだらどうだ?」


 手を当てて。そして、力を込めた。

 休ませるための灸を。高圧の電流を、一瞬で機械に流し込む。

 その瞬間、状態を映す簡易なモニター達はエラーを吐き出し、中には完全に黙り込むものも出てきた。一つの機械がエラーを発した途端、けたたましくビービーと鳴き始めたため、ティエラは顔をしかめて即座にその場を後にした。探索の際に覚えておいたモニター前に滑り込み、電流をぶち込むと天井にぶら下がる目のような機械が黙り込む。それを自身の目で認めると、「よし」と息を吐き出し、身体の中の二酸化炭素を追いやった。代わりにあまり新鮮でないくぐもった酸素を取り込み、無理矢理にも頭と体をよく回るようにすると、ティエラは走り出した。



 厄災の種は滅ぼすに限る。傷の破壊の時間だ。





「なんだ停電か!?」

「いいえ、コンピュータ類は何事もなく稼働しています。一部でブレイカーがダウンしたものかと」

「待って、空調システムがいかれた!予備電源は!?再起動を今すぐかけて!」

「ちょっと、いい加減誰かシステム確認しに行って!第三培養室が大変なことになってるんだけど!」


 騒ぐ白衣達を尻目に、ティエラは真っ白な殺風景の廊下を風のように駆けていく。電子機器、電流を与えれば爆発しそうなサンプル、とにかく何でも見境無く電撃を喰らわせて走る。だいぶ派手に行動しているが、白衣達は未だ破壊活動に気がついていない様子だった。奴らの目は意外と節穴なのだな、とティエラは鼻で笑う。


「防犯カメラが作動しておりません……第三者の侵攻の可能性があります!」

「空調管理室確認とれました!ほぼ全てのシステムがダウンしています!原因は外部からの高圧電流による過負荷と見受けられます!」

「電流……?高圧の?」

「緊急アナウンスかけます!急いで!」


 施設全体が侵入者の存在を認め、恐怖や焦燥に駆られ始めた頃。地下深く、最深部に位置する総合管理室に人がなだれ込む。そんな普段と打って変わって騒がしいこの一室にて、その侵入者に興味を示す研究者が居た。いつもの何十倍もの人が出入りし、誰もが慌てふためいて狭い室内を歩き回る中で、彼女だけ一人定位置に座ったまま、胸の前で手を組んで思案していた。

 大きな目を瞬きもせぬままどこか虚空を捉えて、きょとんとした表情で彼女は座っている。彼女にとっては目の前の騒ぎが他人事のようだ。しかし堂々と破壊を振りかざす侵入者と壊れゆく施設で研究者達の頭の中はいっぱいで、誰も彼女を見て何をしているのか疑問に持つ人間はいなかった。やがて彼女の頭の中がある確信へ至ると、口角を上げ、喜びをその身で示すように音を立てて立ち上がった。


「その侵入者、私知ってるかもしれませんね。探してきましょう」

「えっ?……待ってください、事故現場にでも行くつもりですか!?」

「いえいえご心配なく。私にとってあの子はいつまでも可愛い生徒さんみたいなものですよ、大丈夫ですって!」

「えっ、それってどういう」


 彼女は過去の功績により、この研究所の中では高い身分の研究者だった。しかしこの功績が何を指すか、今現在この研究所に務める者は誰も知らず、そもそも今彼女が何を主に研究しているのかすら分かっていない者も多数いた。彼女もまたそんな彼らの話を聞かないために、彼女はちょっとした悪評を伴って研究所内で有名だった。今回も部下の話を塵も聞かずに、彼女は管理室の外へ繰り出した。わくわくと、何かに心躍らせた笑みを浮かべたまま。

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エモーショナル・スカーズ -序- 神埼えり子 @Elly_Elpis_novels

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