揺さぶりと希望

 どっと濁流のような疲れが、断続的にティエラを襲っている。

 いつにも増して姿勢が悪い彼女を、プリエールは半ば心配そうに、半ば怪訝そうに覗き込んだ。

「……昨日、ちゃんと寝れた?」

「寝れてないよ、めっちゃだるい」

「先生来るまで寝てれば?まだ時間はかかるでしょ」

 小さく鳴き、机に置いた腕に顔をこすりつけるその様は非常に怠そうだ。プリエールは口を動かしながらそこそこ寝転がるには良さげな長机を指差しだが、ティエラは怠さによりそれを見てはいないだろう。しかし存分に顔を拭った直後、ティエラはぐっと腕に力を込めて立ち上がった。

「先生か。……今日も用があるんだ、あの人に」

 大きく伸びて扉の方に目を向けるが、大きなそれが動く気配は、一向になかった。だだっ広い、千は優に超えるプラティヌベルの全校生徒、その四分の一は余裕で収容できそうな多目的講義室はたった三人で浪費され、一人の担任を待ち続ける。赤みある暗色の木材と漆喰の壁で成り立つ聖堂のようなそこは、今日も大きな窓から柔く太陽の光を引き込んでいた。

 光はまだ白く、眼前の大黒板を照らす。そんな光に目を眩ませ、ティエラはどずんと座り直すと、腕を組んでそのまま俯いた。

「……先生来たら、起こして」

 そう隣の友人に言い残して意識を飛ばしたが、彼女が待ち望む人物は意外にも早く大きな教室へとやってきた。




 授業が始まり、各々の報告が飛び交う。

 生徒からの情報を、担任達はリアルタイムで共有しているようで、時折担任が少女達の議論に口を挟むときがある。しかしやはり告げる言葉の歯切れは悪く、事態は依然深い霧に包まれたままだ。

「……あの、この前の巡回の時の話なんですけど」

 結局あまり情報はまとまらず、情報収集の為に一時解散となった。級友が校内中を聞き込みに走る中、おずおずと、ちょっとあの場では言い難くて言えなかったのですが、と断りを入れてカルドへ持ちかけた。

「この前遅く帰ってきて、ナンパ男に付きまとわれてきたと報告したじゃないですか」

「そういえばそうでしたね……それがどうかしたの?」

「その男が、召喚士を名乗っていたんですよ、……ムーという名前の男だったのですが……」

「ムー……」

 珍しくティエラの態度には覇気がなく、不安そうに俯き、時折カルドの顔を覗き込んでいる。カルドとはいうと深く考え込んでいた。何か心当たりがある様子で、顔つきは少々険しい。「ちょっと待ってね」と断りを置き、魔法によって他の教師と情報をリンクされたクリップボードを構えてティエラに向き直った。

「ティエラさん、知っていることがあるならなんでも言ってちょうだい。事件のことでも、その彼のことでも何でもいいから。きっとどんなことでも為になるわ」

「えっ……先生……何かあるんですか?その、ムーのこととか」

「……ティエラさん。ムーは、素性の知れない大魔法使いよ」




 そこでティエラは初めて、ムーという少年についてを知った。

 彼はその見た目通り、ティエラと同じ年に出生したとされていること、サフィール郊外のとある森の村の出身だが、彼が八歳ほどであろう時期に、彼の両親とされる夫婦がそこで変死体となって発見されていること。彼の足取りはそれ以降把握されておらず、行方不明者扱いであること。

 そんな彼はこの都市の裏で起こる様々な事件に関わっていると思われていること、そして揺るぎない事実として、彼がその歳で至れるものではないとされる、全ての属性魔法を操る元素制覇者エレメンタリーマスターで、魔界の王、その幻影をも召喚してみせるほどの、多大な魔力と召喚の技量を持つ召喚魔法使いであることを。


「……そんな奴がいるなんて今まで知らなかった……」

「……仕方ないわ、……貴方は経歴的にも、彼のことを知れない。変死体の件とかも耳にしてこなかったでしょう」

「そう……でしたね。結構大きなニュースになってたんですか、それ」

「ええ、連日報道されていたかしら」

「……元素制覇者エレメンタリーマスター……それが……」


 あんな変態野郎だなんて。

 言葉にはしなかったものの心の中で毒づいた。

 ともかく、足取りがつかめないそれと遭遇したなんて経験は、子どもたちを危険から守るべく日々動いている都内の教師達にとって喉から手が出るほど得たい事象であった。ティエラは何が何だか理解できなったが、カルドの食いつきようからして、これは質問攻めに遭うなとだけ察した。


「ティエラさん、ムーとどんな接触があったのですか?なるべく詳細にお願い」

「……アイオライト市場近くの広場、あそこって少し奥に行くとちょっとした森に差し掛かるじゃないですか、あそこでいきなり話しかけられました。……何でも、私を探していたみたいで」

「……貴方を?」

「それで……翌日食事に誘われたので、そこで色々吐かせました」

 昨日に聞いたムーの話をどうにか伝えようと試みたが、やはり支離滅裂でぶっ飛んだそれはいくら考え抜いてもうまく伝えられなかった。色々教師側が持つ情報と照らし合わせていくも、話のほとんどがほらであると切り捨てられていき、まともな証拠として使えそうなものは一握りもなかった。

「あいつ、自分が召喚士の端くれだとか言ってましたけど……絶対嘘ですよね」

「嘘ですね……」

「そうですか……」

「はぁ……まあそうですね、彼はまともな話をしないこととほら吹きだということが分かったので、それだけで十分ですよ。ありがとうティエラさん。そして、お疲れ様……」

「いいんですかそれで……」

 話に疲れ切って互いに息をつき、カルドはふと抱いた持論を零した。



「……でも、あのクリーチャーを倒したことで彼が貴方に興味を持ったこと、これは真実だと私は思うわ。きっと貴方は、これからも彼に執着され、翻弄されてゆくかもしれない」


 翻弄。その言葉が脳内を反響する。



 そうだな、私は既に、彼の掌の上なのかもしれない。



 彼の発した数々の特徴的なフレーズ。研究所のことも、一応捜査は都に申請しようということになったが、それだけでこころからすっと消えていくものではない。

 蜘蛛の糸のように奴は彼女の感情を絡め捕り、弄ぶだろう。否、今、既にそれは始まっているのかもしれない。


「彼が貴方をどう思っていても、貴方は何も変わらなくていい。だけどもし、彼があなたに与える衝撃を辛いと感じたときは、何時でも私達に言いなさい。きっと私達は、貴方の心を護ります」

「……? それは、どういう……」

「私に話しかけてきたとき、貴方、かなり辛そうな顔をしていましたよ」

「……」


 距離を詰めてきて生温い吐息が首をなめる感覚、生理的嫌悪。頭にはなかったはずだが、経験は嫌でも情景を反復する。自身は気付かずとも、表情として心はSOSを発していた。そして、それを拾ってくれる誰かがいたこと――、それは、荒れる心に差した希望の光だった。


「それはまあ……男にあんな風に言い寄られることなんて、ありませんでしたし……」

「……貴方、前のトルマリン魔法高校との合同演習のときに言い寄ってきた男を返り討ちに」

「いやいやいやあれは何というかまあ」

 彼、だいぶ気持ち悪かったけどね、とカルドは零す。ティエラは笑っていた。いつも級友に向けるような、屈託のない笑顔だった。


「……とまあ、そういうことだから。そろそろあの二人も集ま……あら」

「あ」

 カルドが腕時計を見るのにつられてティエラが端末に見た時間は集合時間をとうに過ぎており、そしてカルドは大きな扉の隅に、アコールとプリエールを見た。


「……ごめんなさい、途中から、聞いちゃいました」

「ねえティエラそれって本当……?立派なストーカーじゃんそいつ!ほんとマジに何かあったら絶対言って」

「アコールちゃん!!流石にそうがっつくのはよくない!!」

「いやいいよ全然。分かったよアコール、一緒に衛兵にチクリに行こうな」



 本当に頼もしい奴らだ、と。ティエラは笑いながら言った。

 歪んでうねる感情も、心の傷も。この支えがあれば乗り越えられる。彼女達は、希望の運命の子と呼ばれたティエラの、希望であった。






 空には白い月が登り、星々が月と共に地を照らす。これらが束になろうとも昼の太陽には遠く及ばないが、灯火イルムに頼らずとも進めるほどには幻想的に明るく、ティエラを導いた。

 森では真っ暗な木々がざわめいている。そこでは今まで道を照らした月と星々が木々を黒く染め、辺りを影で埋めつくしている。それでもその隙間から溢れる光は、歩む足元を見るのにちょうどよかった。

 この道のことはよく覚えていない。しかし、かつて自身が生まれた故郷より、森に入り、石造りと呼ぶには些か人工的すぎる造物が見えるまで歩いていけば、そこに着けることは知識として備わっていた。真夜中、音を立てず家を出て、周囲の目を盗みながら今は決して短くない道を歩いた。故郷は変わっていなかった。森の入口も、何もかも。


 古びた建造物の前で足を止める。瓦礫から、錆びた鉄棒が飛び出ている。この鉄棒を覆う石を、コンクリートと呼ぶらしい。この世界と工学世界がひとつだった頃に生まれたとされる、人類の叡智、頑強な人工の石だ。

 身近にあるのだろうがあまり日常の中で見かけたような感覚のしない、砕けたそれの山を眺める。隣の門のような石塀に、錆びた表札が少し砕けてかかっている。読まずとも、ティエラはそこに書かれた名を知っていた。



 クラシュケイヴ研究所。ムーが指し示した、そして、ティエラ達姉弟から子ども時代を奪った、悪夢の檻だ。

 死んだはずの地獄ここが、まだ生きていると云うのなら。ティエラはそれを殺しに来た。自身の過去と、感情の傷と共に、かったものにするために来たのだ。



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