恋呪~千代川アスタリスク

@seiga49

第1話 再び呪い殺されるとも知らずに

 昼だろうか。太陽が空に高々と挙がっているにも関わらず、辺りは薄暗くなっていた。これだけでもかなり不気味であるのだが、可笑しな現象はこれだけでない。

 空に――ぱっくりと亀裂が入っていた。


 恋呪、二人の一度目の恋は呪い殺された。


「ああ……、痛い……な……」

 何者かに荒らされた村の広場に一人の少女が血を流して蹲っていた。腹部からの出血が酷い。その血は彼女の真っ白な装束と美しい白肌を穢していた。

「なんで……なんで戻ってきたのよ……ッ! お前さえ生きていれば……私は満足だったのに……!」

 感情をむき出しにしていら立つ少女。

 よく見れば少女は男の上半身を抱いていた。下半身は確認できない。男は即死だったのだろう。

「馬鹿……お前はいつもそう……! 間抜け……役立たずッ! 私のことも守り切れてないし!」

 大方、少女に向けられた厄災から少女を庇おうとしたようだ。

「うぐ……ッ……!」

 少女は呻くと血を吐き出した。腹部の傷はかなり深いらしい。

 つまりはこの男、本来なら即死だった彼女を中途半端に庇った結果、自身は即死。少女は即死を免れたものの致命傷を負ってしまったのだ。

「はあ……はあ……、お前のせいで長く……ッ、苦しむことに……ッ」

 少女の瞳はどんどん生気を失っていく。美しかった純白の肌も次第に色褪せていった。少女の命の灯はもう消えようとしていた。

「諦めるな。千歳ちとせ、我と同じ肉体を持つ者よ」

 不意に少女の背後から声が聞こえる。

 どうやら少女の名前は千歳というようだ。

 そして――千歳の背後に、“その存在”はいた。

「すまない、千歳。我が不甲斐ないばかりにこのようなことになってしまった」

 “その存在“は千歳と同様に蹲っていた。外傷は見られなかったが、その両足には植物のつるが巻き付いていて自由を奪っていた。

“その存在”は千歳と全く同じ様相をしていた。美しい黒髪と可憐な容姿。しかし、その肌は不気味な程に美しく、人間でないことを知らしめていた。右目は千歳と同じものであったが、左目には奇妙なバツ印が浮かんでおり、その一部が白く発光していた。極めつけはこめかみから生えた二本のどす黒い角だろうか。

「いいえ……、賢者様は少しも悪くありません……」

「そうか……、しかし我が掟を破ることを躊躇わなければ……千歳も、その男も生きていたかもしれぬ」

 肉体が同じであるためか、千歳と“その存在”の声は全く同じであった。

「そのようなことは……よいのです。それよりも賢者様……前に話していたことを……私に……」

 今にも息絶えそうな中、千歳は言葉を絞り出した。

 その言葉を聞いたとき、“その存在”(千歳が言うに賢者様)は顔をしかめた。

「だめだ……! あれはお前の魂を永遠に呪うことになるのだぞ……! 永遠に捕らわれることになるのだぞ! お前は我の大切な友人だ……ワタシにそんなことはできない……っ!」

“その存在”は悔しさ故にか、下唇を噛んだ。真っ赤な血液が口元を辿る。こめかみから生えた二本の角がせわしなく振動を繰り返していた。

「苦しむのは私だけでよいと……前に話したはずです……。それに―――」

千歳は男の亡骸を抱き寄せた。千歳の頬を涙が辿る。

「私は……彼にもう一度会いたいのです……。だ……ッ……から……ぁ……」

 千歳は再び血を吐いた。目はもうどこにも焦点が合っていない。

 その言葉を聞いて“その存在”は何かを決意したようだ

「分かったよ、千歳。我はお前の魂を永遠に捕らえよう。永遠に呪ってやろう」

 “その存在”はつるに縛られ身動きが取りづらいながらも少しづつ千歳に近づいていく。その瞳に動揺の色は見えず、賢者と呼ばれるに相応しい神秘性を秘めていた。いつの間にか二本の角は消えていた。展開性であったり、振動することを考えるとあれは角ではなく触覚といった方が正しいか。

 “その存在”は千歳の元までたどり着くと、その手で千歳の首筋に触れた。

「千歳……お前こそが滅神に相応しいよ。我の身体を貸してやる。時が来るその日まで……」

 千歳はそのとき優しく微笑んでいた。これから自身の魂は呪われ、役目を終えるまで永遠に捕らわれ続けることを知っておきながら、恋人と再び巡り合うことを夢見るのだ。

「そうだ……千歳に教えておこうか……」

 “その存在”は思い出したかのように語り始めた。

「我の思い人……最も賢者に恋愛感情はないがな。ハルキ、今我を縛っている真面目しか能のないクソ野郎だ」

 “その存在”が千歳に触れている部分が大きく発光する。美しい純白でありながらも、その美しさは常識離れしていて不気味さの方が強い。

「我の名はコハク! 断界に存在する万物の名を定めし四賢者なり……ッ!」

 “その存在”は名をコハクと名乗った。コハクは千歳に自らの肉体を貸し魂を呪った。たとえ一度目の恋は呪い殺されても、二度目はうまくいくことを信じて。


恋呪、二人の二度目の恋も呪い殺される。


 過浜田市かはまた、市としての規模はさほど大きくなく、自然は市にしては多く存在している。生活環境は整っており暮らしやすい市である。反対に交通の便が悪く都心には出にくい。しかし、生活サイクルが市だけで完結しており過浜田市を出ようとする人は少ない。

 2015年8月27日、多くの学校では夏休みが終わり、生徒達は憂鬱な時を過ごすころであろうか。

 そんな憂鬱なときは過浜田市で最も大きい私立蓮逢はすほう学院にもやってきていた。

世祈せきぃ……夏休み終わっちまったよォ……」

 蓮逢学院にも夏休みが終わったことを受け入れられない生徒が一人、親友に泣きついていた。

「そんなこと言ったって終わるものは終わるんだよ。それよりもおはよう、具視。夏休みはどうだった?」

 泣きつかれた男子高生の名は玄村世祈くろむらせき。蓮逢学院2年1組での学級委員長を務めている。東京に本家を構える玄村家過浜田支部の跡継ぎである。学力・運動神経共に優秀で人当りも良いため、男子女子問わず人気がある。

「僕は調子よかったよ。レートも上がったしね。もう少し夏休みが続いていればなァ……」

 そして夏休みが終わったことを受け入れられないこちらの男子生徒は人原具視。世祈の親友である。非常に多趣味で、世の中にはびこる大体のことには手を出している。

「いやぁ~世祈よー、ボクも強くなったぜ? 昨日なんか五連勝だ!」

「お! やるね! でも五連勝で止めてるようじゃ、この先上には行けないと思うぞ」

「世祈は辛口だなァ……まぁ勝てたのも世祈が教えてくれからなんだけどね」

 こんな風にゲームのことを談笑しながら自身の教室へと向かう世祈と具視。

 教室の前にたどり着いた二人を優雅な佇まいをした、いかにもお嬢様らしい女子生徒が出迎えてくれた。

「おお! 富子とみこじゃん! 久しぶり~元気してた?」

 突如として話しかける具視に対して、富子と呼ばれた女子生徒は上品に一礼すると口を開いた。

「具視、お久しぶりですわ! 新学期もよろしくお願いいたしますわ」

 具視と富子は付き合っているわけでもないし、幼馴染なわけでもない。ただなぜか仲がいいのだ。

 富子は世祈に向き直ると一礼した。

「世祈もお久しぶりですわ。二学期は文化祭もあって忙しいと思いますが、ワタシは全力でサポート致しますわ」

有金ありがねさん、二学期もよろしくね。俺頼りにしてるから」

 富子は世祈と同じクラスで学級委員を務めている。

「ふフ……世祈に頼られるなんてなんだか照れてしまいますわね……」

 そう言って軽く頬を染める富子。

「おーい! ボクもいるぞ~?」

 ちなみに具視も世祈と同じで学級委員である。

 有金富子ありがねとみこ。有金財団の令嬢である。有金財団と聞いて知らない人はいないくらい有名だ。なぜ財団の娘が都心ではなく、お世辞にも交通の便が良いとはいえない過浜田の高校に通っているかは不明である。そして、有金財団は蓮逢学院に膨大な投資をしている。それだけでなく、本来ならば経済的に私立高校に入学できない家庭に資金援助もしている。蓮逢学院に過浜田のほとんどの学生が通っている理由の一つだ。

 以前、世祈はそんなに投資をして有金財団に何のメリットがあるのか聞いたことがあるが、富子にはぐらかされてしまった。

「では、世祈。今日の1時間目は文化祭の話し合いですわ。世祈の裁量に期待しますわね」

 そう言って富子は微笑み、教室に入っていった。

 富子と目が合ったとき、世祈は言いようのない不快感に襲われた。これは別に今に始まったことではない。

 富子の右目が世祈を捉えていないのだ。もっと具体的に言うと、左目は生気があるのに右目からは生気を感じないのだ。所謂、目が死んでいるというやつだ。だが、このことを富子本人に聞くわけにもいくまい。

 富子に謎を残したまま、世祈は教室に入るのだった。


 1時間目の開始のチャイムが鳴り、2年1組全員が席についていた。なんでも今日は新学期初めの職員会議らしく、1時間目は自習となっていた。多くのクラスはこの時間を使って、文化祭の準備を進めていくのだ。

「夏休み明けでぼけてるかもしれないけど、文化祭……このクラスの焼きそばの成功のためにみんなで頑張ろう! 盛り上げるための何か案がある人は挙手をお願いします」

 学級委員である世祈、具視、富子は黒板の前に立ち皆の意見を待っていた。

 2年1組の文化祭での出し物は焼きそばと夏休み前に決まっていた。しかし、具体的にどんな焼きそばを提供するかといった中身は保留であるのだ。

「あのー……皆……なんか出してくれないと困っちゃうなー……」

 夏休み明けなのか、ほとんどの生徒は憂鬱そうな顔をしている。夏休み前は結構乗り気だったのに、今は意見が全く出てこない。

 それを見かねてか、富子が口を開いた。

「皆様。夏休みが終わって憂鬱なのは分かりますわ。ですが世祈は文化祭を成功させようと頑張っておられます。今一度、世祈に協力してくださいまし」

 優しく語り掛けるような口調で富子はクラス全体に語り掛けた。

 クラスの雰囲気が変わった。今まで憂鬱そうな顔をしていた生徒の顔に焦りの色が見える。そして、何人かの生徒は必死に挙手をし意見を出し合う。

「おお~書記大忙しだな、こりゃ」

 嬉しそうに生徒の意見を黒板に書く具視。

「貴重な意見に感謝いたしますわ!」

 意見が出るたびに一礼する富子。

「はは……有金さんはすごいや……」

 クラスの変わりように驚きを隠せない世祈。

 実はこのクラスの大半、世祈と具視ともう一人を除いて、有金財団から何かしらの支援を受けている家庭の子供なのである。富子は別にそのことで生徒を脅迫したりすることはないが、支援を受けている生徒側からすれば富子を不快にさせることは危険なことであるのだ。

 そして、有金財団から支援を受けていない“もう一人” はまだ学校に来ていない。

「他に何かある人――――」

 世祈が呼び掛けたときだった。教室の後ろのドアが突如として開いた。

 美しく長い黒髪と透き通るような白肌を持つ女子生徒が、教室の中に姿を現すのだった

「あ――っ」

「うそ学校来るの――」

「目を合わせるな――」

 クラスに不穏な言葉が飛び交う中、“もう一人”は気にも留めない様子で、教室の一番後ろの窓際にある自分の席に着くのだった。

 そしてその“もう一人”に世祈が声をかける。

千代川ちよかわさん、おはよう。今文化祭について話し合ってるんだけど、千代川さん何かいい案ある?」

「…………」

 その女子生徒、つまるところ“もう一人”は世祈を無視した。

「俺無視は悲しいなぁ……。千代川さん、挨拶くらいは……」

「…………」

 もう一度声をかけたが完全に無視。興味がないといった様子で窓の外を眺めている。

 千代川遙ちよかわはるか。有金財団の支援を受けていない生徒の一人。美しく長い黒髪と透き通るような肌を併せ持つ美少女だ。しかし、学校内で友達や人と話している姿はほとんど確認されない。学校生活も無気力な態度が目立つ。

 ここで1時間目の終了のチャイムが鳴り響いた。

「皆様、素晴らしいご意見でしたわ! 後はこちらで、世祈とワタシでまとめさせていただきますわ」

「ええぇ⁉ ボクは~⁉」

 最後は富子と具視が締め、1時間目は終了した。


 千代川遙について情報を追加しておこう。家は千代川神社という神社を経営している。そしてこの神社、過浜田でもその手の心霊スポットとして有名なのだ。遙の態度も何を考えているのか分からないため、話すと呪われるといった噂が立っている。

 よく見れば、遙の肌は異常なほどに美しい。長い黒髪は少しも乱れておらず、人間味がなく不気味である。だから、遙は人間ではなく化け物だという噂もある。中学のときに千代川神社に肝試しに行った連中がいた。その連中は建物内に侵入したらしいのだ。そこには遙がいた。しかし、彼女のこめかみには二本のどす黒い触角が生えていたらしいのだ。

 さすがに嘘もあるだろう。しかし、心霊スポットとして有名な神社の娘と率先して仲良くしようとする者などいるわけがない。遙自身の態度も人を避けるようなものであるため、学校内でも孤立している。

「くそう……、無視されてしまった……」

 蓮逢学院渡り廊下2階男子トイレ。人もほとんど使用せず、今は世祈と具視の休み時間がてらの散歩の目的地となっている。

 ちなみに具視はトイレがめちゃくちゃ近い。いつもこうして世祈を連れションに誘うのだ。

「分かるよ、世祈。話しかけたのに無視されるってショックだよなぁ~」

 具視は用を足しながらうんうんと相槌を打った。

「そうだよな⁉ 挨拶ぐらいはしてもいいよな⁉」

 世祈は珍しく声を荒げ、必死に共感を得ようとする。

 その様子を見て、具視はにんまりと笑った。

「そうだよなァ。つらいよなぁ~。なんてったって好きな人に無視されたんだもん、そりゃあ精神的にもくるよなぁァ~」

 世祈を子馬鹿にするような間延びした口調で話す具視。

 親友の世祈もこれにはさすがにカチンとくる。これが具視の狙いと知らずに。

「あんな根暗女好きなわけないだろう! 俺はただ学級委員長としてクラスに溶け込めるように声をかけただけだ! いい加減なこと言わないでほしいね‼」

 珍しく冷静さを失う世祈。トイレで大声を上げたので声が少し木霊した。

「根暗女は言い過ぎでは……?」

「いいや根暗女だね! 俺を無視するなんて後悔させてやるからな! あの根暗!」

 世祈は実は自尊心がかなり高い。

 世祈は学力・運動神経共によく家柄までよい。告白されたこともあるとかないとか。

 告白されたことがあるかどうかは定かではないものの、少なくとも人気はあり、人間的にはハイスペックな部類に当たる。このことが世祈の自尊心を高めた原因であるのだ。

 だから話しかけたのに無視されるなど世祈にとっては屈辱以外の何物でもないのだ。

「ま……まあ気になってる相手ではあるんでしょ……? ボクは世祈が毎日授業中に千代川さんのこと見てるの知ってるよ……」

 想像以上に興奮した世祈に怯えるように言葉を発する具視。

 その姿を見てか、世祈は自身の態度を反省したようだ。

「すまん……。ちょっと取り乱した……」

 落ち着きを取り戻した世祈に対して具視が畳みかける。

「で? どうなの? 千代川さんのこと好きなの⁉ 嫌いなの⁉」

 自身が優勢となるや否やグイグイ来る具視。

「ノーコメントで」

「いやいや、さっき声を荒げたでしょ? そのお詫びに聞きたいな~? もし世祈が千代川さんとデートしたいっていうならボクセッチングしておくよ?」

「ノーコメントで」

「ダメです」

 具視は世祈に対して鬼気迫るように問い詰める。さすがの世祈も言い逃れはできないようにも感じていた。

「は……はぁ……」

 思わずため息が出る世祈。具視は相変わらず目を輝かしている。

「この感情が恋かどうかは分からないけど気になってる相手ではあるよ。これで満足?」

 この回答を聞いて具視が万円の笑みを浮かべる。

「は~い! 世祈の好きな人いただきやした~! 黒髪純白の少女は毎晩世祈の想像の中でどんな辱めを受けているのやら!」

「お、おい! やめろ!」

「おや? その反応は図星ですかなァ~?」

 すっかり具視のペースになってしまい、世祈は頬を赤らめると同時に悔しさに唇を噛みしめる。

「そ……そろそろ教室に戻ろう……授業始まってしまう……」

 トイレを出て教室に戻ろうとする世祈に具視が声をかける。

「はハはハ! 今日の昼休み、ボクが世祈と千代川さんを教室で二人きりにさせてあげるよ! 人原具視の由来は“人を払う”ってね!」

 そう言って具視も世祈の後を追う。

 世祈は遙のことが好きだった。しかし話したこともなければ、高校二年のクラス替え以前に出会ったことすらない。一目見た瞬間から彼女のことが好きだった。一目ぼれと言われればそうなのだろう。だが世祈にはそれとはまた違った感情を遙に抱くのだった。


 昼休み。部活の練習に行く青春野郎。外の空気を吸いに外に出る者。特にすることがなくて教室に残る暇人。昼休みなんてなくてもいいからその分早く帰らせろ、と思った人も多いのではないのでしょうか。

 そんな昼休みは蓮逢学院にもやってきていた。

 世祈はもっぱら教室に残る暇人である。玄村家の跡継ぎ修業が忙しいため部活動には所属していない。昼休みは具視と駄弁っていることがほとんどである。

 しかし、今日は違った。昼休み前の授業が終わるや否や具視が立ち上がりこんなことを言うのだ。

「皆さんに告知です! 今日昼休みに舎繰やどくり先輩と中庭で漫才をします! 見に来てください!」

 当然教室は静まり返る。冷めた目で具視を見るクラスメイト。具視が多趣味なことは知っていたが、漫才をしているなんて誰も聞いたことがなかった。

 クラスメイト達が即座に“行かない”を選択したときだった。あのお嬢様が割って入ってきた。

「それは楽しみですわ! それに舎繰先輩は蓮逢学院の副生徒会長ですわ。皆様、是非私ワタシと一緒に応援に行きましょう!」

 その言葉にクラス中が凍り付いた。貴重な昼休みをど素人の漫才に費やさなければならないのだ。当然である。

 そしてクラスメイト達がどんよりとしたムードで教室を去っていく。

 教室の去り際に具視がウインクした。どう考えても富子のおかげである。

 さて、教室に残されたのは富子の言葉の影響を受けない者達。つまりは有金財団の支援を受けていないこの二人。

 玄村世祈。一見優等生であるものの、その中身は自尊心の塊である。遙に謎の恋心を抱く。

 千代川遙。心霊スポット千代川神社の娘。美しい黒髪と純白の肌を併せ持つ誰もが認める美少女。世祈曰く根暗女。

 教室内は静まり返っていた。クラスメイト達が出て行ったきりある程度時間が経っているが、二人の中に会話はない。

 二人の席は隣ではないものの意外と近く、世祈にできることは遙の様子を確認して会話するタイミングを見つけることだった。

 見れば見るほどに美しい容姿を持つ少女だった。艶すらないブラックホールのような黒髪。人間離れした純白の肌。観察すればするほど人間のものとは思えない美しさと可憐さ。

 自尊心の塊である世祈も思わず見とれてしまう。

 世祈の視線に気づいてか、遙と目が合った。

「千代川さ――――」

 世祈が声をかけるもすぐに目をそらしてしまう遙。

 世祈はこれではだめだと思った。遙と話すためにはもっと近くから、会話せざるを得ない距離に近づかなくてはならない。

 世祈は自分の席を立つと遙の席の横に陣を取った。

 相変わらず遙は目を合わせようとしない。ペンを持ち、机に置いた紙を凝視している。

 114,101,93,75と紙には暗号のように数字が羅列してあった。世祈には其の数字群に見覚えがあったもののそれが何か思い出すことができなかった。

「千代川さん、何してるの?」

「…………」

 世祈が話しかけるも無視。無視されたことに腹を立てるも、絶対に会話してやると逆に自身を奮い立てる。

「千代川さん、俺は千代川さんと話がしたいだけなんだ……何か困っていることあったら相談に乗るからさ」

 そのとき、遙が世祈の方を向き二人の視線が合った。遙の視線は自分に話しかけてくれたことに感謝するようなものだった。

 世祈は内心でガッツポーズをする。

 しかし、すぐにその視線は世祈に対する嫌悪感を孕んだものに変わった。眉間にしわを寄せ世祈を睨みつける。美しく可憐な容姿であるものの、神秘性を含む彼女に睨まれると思わず足がすくんでしまう。

「……だまれ、私に話しかけるな……!」

 世祈は遙の声を初めて聴いた。体の奥から絞り出されたような声は容姿と同様に可憐なものであったが、重みがあり威厳すら感じられた。

「こんなこと聞いて申し訳ないんだけど……千代川さん学校でいつも一人だよね? 何か俺に協力できることってないかな?」

「…………っ!」

 それを聞いて遙は面食らったような顔をするも、すぐにまた世祈を睨みつける。

「うるさい……黙れ……! 呪い殺すぞ……!」

 どうやら遙にとってこのことは地雷だったようで、美しい純白の肌を赤く染め激怒する。

「ごめん……嫌味を言ったつもりはなくて……。俺は単純に千代川さんのことが知りたいだけなんだ」

 それを聞いてか遙の肌は再び純白を取り戻し、遙は落ち着きを取り戻した。

「そうか。だがお前に話すことなどない。もう私には二度と話しかけるな」

 そう言って遙はイヤフォンを取り出すとスマホに装着する。

 そのままイヤフォンを耳の中に入れる。世祈は一瞬このイヤフォンになりたいと思った。

 この一連の行動は会話の終了を表している。

「千代川さん! 待っ―――」

「~~♪」

 世祈が声をかけたときにはすでに遙はイヤフォンを装着し会話を断ち切っていた。

「千代川さん……」

 千代川遙は意図的に会話を避けていた。何か理由があるのだろうか。何か困っていることがあるなら助けてあげたい。世祈の頭はそのことでいっぱいだった。

 そして世祈の中にはもう一つの別の感情がある。嬉しかったのだ。ほんの数回のやり取りでも、遙の声が聞けたこと、遙と会話ができたこと、それが単純に嬉しかったのだ。

 世祈は自分の席に戻るため、遙の席を後にした。

 戻るときに“千代川さんはどんな音楽を聴くんだろう”と気になり後ろから気が付かれないようにスマホの中身を覗き込んだ。

 遙は音楽を聴いているわけではなかった。遙はMeTubeという動画サイトで動画を閲覧していたのだ。

「えぇ……⁉」

 普段の遙の雰囲気からして、閲覧する動画の内容はあまりにも意外だった。

 世祈はこれ以上見ていると気配を感じ取られそうになるので、自分の席へと戻る選択をせざるを得ない。

 遙に会話を打ち切られてしばらくたった後、クラスメイト達が続々と教室に戻ってきた。顔を見るに漫才が滑っていたことが分かる。

「よっ! どうだ世祈、千代川さんとは――――⁉」

 言いかけた具視の口を押える。

「ぐるしい! は、離して!」

 具視が酸欠しそうになっていたのでさすがに離してあげることにしたようだ。

「はーっ! はーっ! 酷いや世祈! もう少しで窒息しかけたんですけど!」

「ごめんごめん。でも具視もプライバシーを守ろうって気持ちが足りてないんじゃない?」

「ふん! まったく誰のおかげで二人きりになれたと思っているのやら。でもまあいいよ」

 そう言って具視は世祈に耳打ちをする。

「千代川さんとはどうだったのさ?」

 世祈は具視に耳を貸せと合図する。それを見て具視は嬉しそうに耳を世祈に向ける。

「ほうほう……。え……? まじか……⁉」

 それを聞き終えると具視は世祈の方を見てガッツポーズをする。

「やったな! これは仲良くなれるんじゃないか!」

「でかい声を出すなよ……。まだ決まったわけじゃないから……」

「いやいや、確定でしょ! じゃあボクは放課後は例の場所に一人で向かってるから、世祈は千代川さんを連れてきてよな!」

 世祈は遙と仲良くなる突破口のようなものを見出していた。それはうまくいくのか否か。世祈は遙を放課後に待ち伏せするのだった。


 蓮逢学院放課後。部活動のために残るものもいれば速攻で家に帰ろうとする人も多いことでしょう。世祈は玄村の跡取り修行のため部活動には参加していない。そして今日はその跡取り修行が休みな日でもあるのだ。

「ふう……」

 世祈は自分のカバンの中にある物体を丁寧に奥にしまい込む。誰かに見られるようなことは決してあってはならない。

「千代川さんまだかな……」

 現在、世祈は下駄箱で遙を待ち伏せ中。はたから見れば完全に不審者である。

 遙はいつも一目を避けるためか、皆が教室を出てから帰り支度を始める。

 下駄箱の死角からコツコツと人の歩く音が聞こえ始める。歩幅からして女で身長は165cm弱であることが世祈には感じ取れた。

 下駄箱の死角から現れたのは美しい黒髪と純白の肌を持つ人間離れした可憐さを持つ少女。千代川遙だ。

「千代川さん! よっ!」

「な……っ⁉」

 今回は重くならないようにフランクに挨拶をしてみる。遙は世祈が待っていたことに驚きを隠せなかったようだが、すぐに睨みつける。

「私には話しかけるなといったはずだ……! それともなんだ? 呪い殺されたいのか……!」

 先ほどと同様の可憐であっても重みを感じる声色。世祈ですら思わず怯んでしまう。

「千代川さん、もう少しだけお話ししない?」

「私は帰る。これ以上私に関われば滅神めつがみの名において殺す……!」

 とてつもなく物騒なことを言いながら世祈の横を通り過ぎるとき、世祈は遙にある言葉をかけた。

「『なんだ俺から敵前逃亡するのか』」

 その言葉を聞いて遙はピタッと止まった。

 効果あり。世祈は内心でニヤリと笑う。

「『俺から逃げる勇気だけは認めてやろう』」

 さらに追撃をかける。遙の身体が一瞬ビクッと震える。

 遙は恐る恐る振り返る。ちょうど半身になりかけた。

 遙の表情には驚きと期待が混ざったようなものだった。

 そして遙は声を震わせながら世祈に問いかけた。

「バケクリやってるの……?」

「うん、やってるよ。なんなら俺結構な有名プレイヤーだけど?」

「シスゾン様の動画見てたりするの……?」

「そりゃあもちろん。彼はバケクリ実況界のキングですから」

 遙の顔は日の逆光でよく見えない。それでも遙は半身の状態から完全に世祈の方に向き直った。

 遙は両手を大きく広げる。神秘的な可憐さを持つ彼女が日の光をバックに手を広げるさまはとても神々しい。このまま何をされてしまうのだろうか。

「ど――――」

 遙の口から言葉が漏れる。何かの呪いの言葉とか出てきそうな雰囲気で世祈は身構える。

「同志よ―――――っ! 会いたかったぞおおぉ!」

 世祈は自分の目と耳を疑った。

 遙は今までの態度からは想像もできないような笑顔を見せて世祈の元へ駆け寄ると、世祈の肩を持ち前後に揺らす。

「あのねあのね! 居空いぞら節矢ふしや正人まさとさかえもシスゾン様どころかバケクリにも全っ然興味を示さないの! でもねこうして同志に会えて私嬉しいシスゾン様の魅力を語り合いましょう……っ!」

 今までの取っ付きづらい態度は完全に消え、フレンドリーな感じが全身から染み出している。声色も威厳さや重みは消え、年相応の可憐な声色へと変わっていた。

 そして極めつけはこの笑顔。表情を変えないクールな雰囲気に魅力を感じていた世祈であったが、この可憐で素晴らしい笑顔に心臓が高鳴ってしまう。

「千代川さん……まさかここまで好きとは思わなかったよ……」

 先ほど遙はMeTubeでシスゾンのバケクリ実況動画を見ていたのだ。世祈は話すきっかけになればいいなくらいの感じだったのだが、まさかここまで食らいついてくるとは思わなかった。

「は……っ! こ……このこと誰かに言ったら……その……の……呪い殺すから……」

 遙は我に返ったものの、羞恥故にか肌が赤く染まっていた。そして同じセリフだがさっきと比べて覇気が感じられない。

 バケクリ。老若男女に愛される超人気ゲーム。正式名称はバケットクリーチャー。アニメやグッズなど幅広く展開されたコンテンツであり、多くの人を魅了している。バケクリという不思議な生き物を育成することを目的としたゲームで、可愛く・かっこいい姿をしたバケクリたちは子供たちに絶大な人気を誇っている。一見子供向けのゲームに見られがちであるが、そんなことはない。育成したバケクリたちで闘うバケクリバトルは考察すればする程に奥深い戦略性があり、このゲームにしのぎを削っている大人も少なくはない。世祈はバケクリバトルでは常に上位の成績を残し続けるトップランカーであるのだ。

「千代川さんがバケクリが好きで助かったよ。俺とお話ししてくれる?」

「ええ……もちろん。シスゾン様の魅力を語り合いましょう……っ」

 シスゾン。MeTubeでバケクリバトルの実況動画を投稿する所謂実況者。バケクリ最初期から動画を投稿し続けており、巷ではバケクリ実況界の父と称されている。独特の言い回しとマイナーなバケクリを使うプレイスタイルは、若者たちか絶大な支持を得ている。世祈が先ほど放った『なんだ俺から敵前逃亡するのか』と『俺から逃げる勇気だけは認めてやろう』は彼の名言である。普段のプレイングはお世辞にも上手いとは言えないが、重要な試合になればなるほど持ち前の強運で勝利を引き付けている。今年に行われた第二回バケクリ実況者最強決定トーナメントでは三回戦敗退と振るわなかったものの、一回戦で優勝候補を下し、二回戦で前回優勝者を倒す。MeTubeに実況動画を投稿する前はかなり苦労をしていたらしく、その話は悩みを抱える若者に勇気と希望を与えている。ファンは彼のことを親しみと尊敬の念を込めてキングと呼んでいる。現在、東京都在住。

「でさ、千代川さん? 今から俺と楽しいとこ行かない?」

「楽しい……?」

 世祈は自分のカバンからゲーム機を取り出すと遙に見せた。

 画面にはバケクリ最新作のバケットクリーチャー・マーズのタイトルが表示されていた。

 それを見た遙の表情はぱっと輝いたものの、すぐに怪訝な表情に変わった。

「いや……学校にゲーム持ってくるのはいけないのではないので?」

「ばれなければ問題ないよ」

 世祈の開き直った回答に遙は上品な笑い声を漏らす。

「ふっ……学級委員長が校則違反とは世も末よ。だが気に入ったぞ! お前のことは何と呼べばよいので?」

「気軽に世祈って呼んでほしいな」

「では世祈よ。私をその楽しい場所とやらに案内せよっ!」

 再び遙の声色は重圧のある威厳たっぷりなものになっていた。可愛らしくも畏怖を感じさせるのが彼女の魅力だ。

 世祈は嬉しかった。遙と話せたことはもちろんであるが、根暗な彼女ではなく、本当の彼女を見られたこと。それが何よりも嬉しかった。

 初め世祈は遙の何に惹かれたのだろうか。可憐で美しい容姿だろうか。それとも何者も寄せ付けない恐怖に似た神秘性だろうか。世祈に今となってそんなことはどうでもよいことであった。遙に“世祈”と名前を読んでもらえたこと、それだけで幸せであった。

 しかし、世祈は冷静だった。玄村の跡継ぎ修業の成果か、世祈には感情が高ぶってしまっても物事を冷静に分析することができた。こんなにもフレンドリーな態度で接してくれる遙がなぜ学校で人との会話を避けるのか。疑問で仕方がなかった。


 過浜田市第六公園。蓮逢学院から近く、学院が終わる時間には多くの小学生たちの遊び場となっている。

 今日もすでに数人の小学生たちの遊び場となっている。

「おーい! 世祈ー! こっちこっち~!」

 具視は手を振り自分の位置を世祈に知らせると、世祈の方に走り寄ってきた。

 具視の後ろには数人の小学生たちが、同じように世祈に走り寄ってくる。

「な……な……っ?」

 小学生たちが走り寄ってくる光景に遙は驚きを隠せていないようであった。

「世祈兄ちゃん、今日も私たちにバケクリ教えてくれるの?」

 そのうちの一人の女の子が世祈のもとにやってくる。小学校三年生くらいであろうか。

 世祈はその女の子と視線の高さを合わせるために少し屈んだ。

「もちろんだよ。人生は短いからね。技術というものは次の時代に引き継ぐ責務があるんだよ。トッププレイヤーにはね」

 それを聞くと女の子は嬉しそうにゲーム機を世祈に見せた。

 その画面には女の子が毎日対戦で使っているであろう六匹のバケクリが映し出されていた。

「すごいな……。前見たときよりも構築の完成度が上がっているぞ……!」

「昨日は初めてレート1900に行ったんだよ。世祈兄ちゃんのおかげだね」

 世祈に褒められて女の子は嬉しそうだ。

「いやいや、俺はちょっと手伝っただけだよ。結果は全部、夕子の実力さ」

 稲架須夕子はさすゆうこ。近所の小学校に通う小学三年生。世祈からバケクリバトルのことを教えてもらうため、世祈の跡継ぎ修業が休みの日に第六公園にやってくる。呑み込みが非常に早く、次世代の担い手として世祈から注目されている。両親は医者であり、家を留守にすることが多いようだ。血の繋がりがない同学年の兄がいるらしい。

「ねえ世祈兄ちゃん?」

「何かな……?」

 夕子は遙を指さした。

「この女の人は世祈兄ちゃんの彼女?」

 夕子のその質問に世祈は体を硬直させた。遙と恋人に見られることに嫌な気はしないのだが。

「…………」

 無言の圧力。圧力のする方に目を向けると、遙が無表情のまま世祈のことを睨んでいた。

 この眼力にはさすがの世祈も恐怖を覚えざるを得ない。

「いや……彼女じゃなくて……ただのバケクリ仲間だよ……」

「ふーん」

 世祈の回答に夕子はつまらなそうに相槌を打った。

「……とまあ千代川さん? 俺は空いた時間に第六公園で小学生たちにバケクリバトルの基礎を教えてるわけよ」

 公園に集まっている小学生は夕子を含めて5人。夕子以外は全員男子である。

「皆に千代川さんのこと紹介したいんだけどいいかな?」

「あ……ああ。大丈夫だ……」

 世祈が遙に目をやると、遙は少し怯えているようだった。目の瞳孔が開き、指先が震えている。

「千代川さん? 具合でも悪いの?」

「問題ない……っ。身内以外と話すのが久しぶりで緊張しているだけだ……」

 確かに遙が学校で会話をしているところを見たことがない。他人と話すことに抵抗を覚えていることにも違和感はない。

「はは! 千代川さんも緊張するんだねぇ」

 世祈は遙の緊張を解してやるため少し遙のプライドをくすぐってみた。

 すると遙は悔しそうに自身の唇を噛む。

「――――千代川をなめるな。小学生のガキに怯えるものか」

 その声は遙の声であったものの、今まで以上の重厚感と恐怖に似た神秘性を孕んでいた。

「その話し方……皆怖がっちゃうからやめてね……」

「あ……う、うん……」

 遙もどうやら自分の話し方がどのようなものか自覚はあるようだ。

「ちょっとこっち注目~!」

 世祈は少し大きめに声を出し、集まっていた5人の小学生たちの視線を集める。

「今日はお姉さんを紹介だっ!」

 MCのようなテンションで小学生たちの視線を遙に集める。遙の目を見る限り、やはり緊張しているのが分かる。

「……千代川さん、よろしく」

 世祈は遙に小声で自己紹介をするように耳打ちする。

 遙は少し大きめに深呼吸をすると、手を胸に当てて話し出した。

「私の名前は千代川遙。千代川神社の当主よ。皆とはバケクリについて語れたらよいと思う。好きな実況者はシスゾン様。よろしく」

 簡潔で明瞭な自己紹介だ。どうやら人とのコミュニケーションが苦手という事ではないらしい。

 そして注目するべきは自己紹介のときの声色だ。年齢にしては大人びた感じに、神秘性は残しつつも畏怖は感じさせない。今回の声は少しかっこいい。

「遙姉ちゃんだ。皆、仲良くしてやってくれよな!」

 世祈が締めくくったときだった。夕子が遙に声をかけた。

「遙姉ちゃんは普段どんなバケクリで対戦してるの?」

 最もな質問だ。トッププレイヤーたる世祈も遙がどんな構築を使っているかは気になるところである。

 しかし、遙の口から出た回答は世祈の想像を超えた予想外のものであった。

「ああ、私見る専だから。バケクリは実際にはやってないの」

「えぇ⁉」

「えぇ⁉」

 世祈と夕子は同時に戦慄した。

「千代川さんやってないのかよ⁉」

「私はシスゾン様の動画を見るだけで満足だからね」

「…………っ!」

 完全に予想外。まさかあそこまで食らいついた遙がエアプだったとは思わなかった世祈である。珍しく取り乱す。

「じゃあさ、世祈よ。今日は千代川さんにバケクリバトルの熱さを知ってもらうってのはどうだい? ボクのゲーム機貸すからさ」

 今まで黙っていた具視が世祈に提案する。

「おお! ナイスアイディアだよ具視! どう? 千代川さん? 俺と一バトルしてみない?」

 それを聞いた遙が一瞬ニヤリと意地悪そうに笑った気がした。

「え⁉ いいの⁉ やったあ! 私、一度でいいからバケクリバトルやってみたかったの!」

 嬉しそうに無邪気に笑う遙の姿はとても可愛らしい。今日、ここに遙を連れてきて正解だったと思う。

「じゃあ、千代川さんさ。今日はヌーヤンダカルマ使ってみようか」

「ヌーヤンダカルマ? ああ、シスゾン様がおとといの動画で使っていたやつなので?」

「そうそう。使い方は分かる?」

「もちろん! シスゾン様の動画“俺が強いバケクリ使ってみたら最強だった件”はもう十回は見てるからきっと使えようぞ!」

「十回も見てるの……?」

「当然。むしろ少ない方よ」

 ヌーヤンダカルマ。現バケクリバトル環境においてトップメタの構築である。高耐久のヌーバンが相手の場を荒らし、隙をついて高速高火力アタッカーのサラヤンダで相手の場を制圧するという分かりやすく強力な構築となっている。サラヤンダの攻撃を受けきることができる数少ないバケクリのほとんどはデスカルマに弱い。

「千代川さん準備はいい?」

 遙は具視からゲーム機を借り、今対戦の準備が整ったところだ。

「もちろんだよ。世祈、手加減は無用だからね……っ!」

「言われなくても手加減なんてするつもりないから安心してな」

 たとえ相手が初心者といえど、手を抜くことは世祈のポリシーに反する。

「それじゃ、バトルスタート!」

 世祈の掛け声とともにゲーム画面がバトルに切り替わる。

 フィールドに向かい合った二人のアバターが持っていたバケツを投げる。

 バケットクリーチャーはバケツに入る生物、というのが由来らしい。

 お互いが手持ちの六匹を見せ合い、三匹を選出。相手のバケクリを全て倒した方の勝利となる。

 世祈が最初に繰り出したバケクリはヤトノカミル。蛇のような姿をしたバケクリで、頭から一本の角が生えている。ヌーバンに有利が取れるバケクリであり、何より世祈が考案した多彩な技で相手の弱点を突く“牙型ヤトノカミル”は今や環境トップの使用率を誇る。

「どうだ千代川さん、俺の自慢のヤトノカミルを突破できるかな⁉」

 そう遙に宣戦布告をした世祈であったが、次の瞬間には画面にあり得ない事実が広がっていた。

「なん……で……?」

 その事実に世祈は驚愕する。

 なんと遙が先に繰り出してきていたのはサラヤンダであったのだ。

「なんで初手サラヤンダなんだよ⁉」

 ヌーヤンダカルマの初手は七割ヌーバンである。初手にエースのサラヤンダを投げることはほぼないといっても過言ではない。

 実はヌーバンに強く出ることができるバケクリはサラヤンダに弱い傾向があり、トップのヌーヤンダカルマ使いは、初手ヌーバン読みヌーバンに強いバケクリ初手に出してくる読み初手サラヤンダを出してくることもあるが、それはトッププレイヤーの動きであって初心者の遙にできることではない。

 そして爬虫類属性のヤトノカミルは竜属性のサラヤンダにめっぽう弱い。

「よく分からないけど私が有利なので? このままサラヤンダで勝っちゃうぞ~!」

 初手の有利対面に無邪気に喜ぶ遙。だが世祈もこのまま黙って負けるわけにはいかない。

「ふふ……千代川さん甘いぞ! サラヤンダは確かに強力なバケクリ! だがそのバケクリをも受けきれるバケクリがいることを知れ!」

 バケクリバトルでは一ターン消費してしまうが、場に出しているバケクリを手持ちのバケクリと交換することができる。

 世祈は場のヤトノカミルを手持ちのバケクリと交換することを選択。新たに場に出したバケクリはエーアイ%。エーアイ%はサラヤンダの攻撃を受けきることができる数少ないバケクリだ。

「さあ千代川さん! 君のこのターンの行動は何かな?」

 世祈はこのままサラヤンダで攻撃をしていることを予想する。エーアイ%のあり得ないほどに高い耐久力に涙目になっている遙を脳の奥深くで想像してみる。

 しかし次の瞬間、画面内では再びあり得ないことが起きた。

「馬鹿な⁉ 釣り交換だと⁉」

 なんとこのターンに遙も交換を選択していたのだ。サラヤンダを下げ、新しく出てきたバケクリはデスカルマ。エーアイ%は圧倒的に不利である。

 相手の交換を読んでこちらも交換する技術、通称釣り交換。とても今日始めた素人ができる技術ではない。

 ここへきて世祈の疑念は確信へと変わる。

「謀ったな……千代川遙……っ!」

「んー? 何のことなので? 世祈を慕う子供たちの前で初心者のふりをして世祈に恥をかかせてやろうだなんて少しも考えておりませんよ?」

 この女、明らかにやりこんでいる。そこに気が付いていれば世祈もその覚悟でバトルを展開するつもりであった。しかし、遙の初心者という嘘に騙された世祈が、このバトルで勝つには相当苦しい盤面となっていた。

「それにしても世祈のヤトノカミル……もしかしてサラヤンダに有効打がないので? ってことは牙型ですか! あんなの尻尾型の劣化よ‼ 尻尾型ならサラヤンダにやることもあったのになぁ」

 どや顔で宣言する遙。

 尻尾型ヤトノカミル。牙型ヤトノカミルが多彩な技で相手と真っ向から闘うのに対し、尻尾型は嫌がらせの技を多く仕組んだ型である。上位層では有名な型であるが、広く周知はされていない。チヨハルというプレイヤーが考案した。

「千代川遙! お前のプレイヤーネームは何だ⁉ 言え‼」

 騙されたことに激怒する世祈に対し、遙は落ち着いた口調でこう返した。

「えー、人のプレイヤーネームを名乗るときはまず自分から名乗るものでしょう? ねぇアスタリスク?」

「なんで俺の知ってるの⁉」

 アスタリスクというのは世祈のプレイヤーネームである。

「だって世祈が今使っている六匹とアスタリスクが使っている六匹同じですから。オンラインで何度もマッチしてるからさすがに覚えてしまったよ」

 世祈は確信した。この女とはオンライン対戦で何度かマッチしていると。

 千代川遙……ちよかわはるか……チヨカワハルカ……

「千代川さん……もしかしてチヨハル⁉」

「いかにも。気が付くのがずいぶんと遅かったようで」

 アスタリスクとチヨハルはライバル関係である。相手と真っ向から対峙するアスタリスクに対して、チヨハルは相手の嫌がることをするプレイヤーとして有名だ。アスタリスクはそんなチヨハルの戦い方が大嫌いであった。

「よくも騙しやがったな……チヨハル! この試合絶対に負けないっ!」

「くく……大勢の前で恥をかくがいいぞ! アスタリスク!」

 こうして試合はデットヒートするように思えたときであった。突如として世祈の画面に通信エラーの文字が表れる。

「あ……あれ?」

「は……はぁ⁉ なんで電源落ちてんの⁉」

 突如として遙のゲームの電源が落ちたのだ。

「あーすまん。僕昨日、充電するの忘れちゃった」

 電源が落ちた理由は簡単。単なる充電切れ。

「ふざけないでよ! ここからだっていうのに‼」

 苛立ちを隠せない遙とは対照的に、世祈は笑顔で遙に近づく。

「千代川さん? 初心者の君にアドバイスなんだけど、回線落ちは回線が切れた方の負けになるから気を付けてね」

 世祈は騙されたことに相当腹が立っていたようで、皮肉を込めて言ってやった。

「知ってるわ‼」


 世祈曰く、バケクリバトル環境は格差化が進んでいるらしい。強い人と弱い人の間に熱意や知識量の差が開いており、このままではバケクリは衰退してしまうであろうと世祈は考えていた。だから、世祈は地元の小学生たちがネット対戦環境で理不尽な思いをしないために、跡継ぎ修業が休みな日にこの会を開いているのだ。

 世祈はいつもと同じように小学生に立ち回りの指南等をしていた。一方、遙は緊張故か口数は少なくなっていたものの、それでも何人かの小学生と仲良くはなったようだ。

現在、時刻は五時近くになっている。まだまだ明るいものだが、小学生は家に帰る時間であろう。

「皆、今日はここまで! 家に送るから、また来週ね!」

 世祈が小学生たちに号令をかける。

 夕子といったまだまだ幼い小学生もいるので、帰りは世祈と具視で手分けして家まで送るようにしていた。

 ここで具視が口を開く。

「今日はボクが皆を送るから、世祈は千代川さんを家まで送ってあげたら?」

 遙と二人きりになれるチャンスを作ってくれることは非常にありがたいのだが、いつもは手分けをして送っているので、これでは皆の帰りが遅くなってしまう。

「それだと皆を家に送るのが遅くならないか?」

「とはいっても千代川さんを一人で帰えさせるわけにもいかないでしょ」

 具視が世祈に食い下がる。なんとしても世祈と遙を二人きりにしたいらしい。

 そこまでして具視に何のメリットがあるというのだろうか。後で昼飯でもおごらせるのだろうか。

「夕子、今日は門限何時?」

 具視が夕子に問いかける。

「お母さんに今日は六時には帰ってきなさいって言われてる」

 最年少の夕子の門限は六時だそうだ。

「五時半より早い人いる? その人はボクが優先的に送るからさ」

 具視が問いかけたところ、五時半より門限が早い人はいないようだ。

「よかったね、世祈。これならボク一人で送っても全員を五時半くらいには家に届けられるよ。門限も守っているし問題ないよね?」

「いや……そうなると俺と千代川さんが二人っきりになってしまうわけで……」

 それを聞くと、具視はわざとらしく大きなため息を吐いた。

「皆、僕についてきて。二人の邪魔しちゃ悪いからね。早く帰るよ」

 世祈を無視し、小学生を引き連れ具視は足早に去っていく。

「お、おい! 具視!」

「アはハ! 人原具視の由来は“人を払う”ってね!」

 そう言って具視は去っていき、すぐに見えなくなってしまった。

 今、公園には世祈と遙以外誰もいない。完全な二人っきり。もしこの現場を見た人がいるのならば、仲の良いカップルか告白をしようとした男女にしか見えないであろう。

「千代川さん……」

 世祈と遙の視線が交差する。実を言うと世祈は遙を正面からしっかりと見たことがなかった。学校でジロジロ見ることは失礼に値するし、さっきの対戦中も画面に夢中で遙のことは遠目にしか捉えていなかった。

 美しい黒髪と純白の肌。手足は細いながらも、そこには一本の芯が通っているような頑強さも感じられる。可憐で美しいのはもちろんのこと、その見た目には恐怖に似た神秘性と畏怖を孕んでいる。

 正直言って人間とは思えない。

「送っていくよ……千代川さん……」

 世祈は跡継ぎ修業で精神力を鍛えているとはいえ高校生。思春期には勝てない。こんな美少女と二人きりで帰ることができるとあらば心臓が高鳴らないはずがない。

「う……うん。よろしくお願いします……」

 遙もどうやらこの状況に戸惑っているようだった。

 一瞬頬を赤らめ視線を逸らすロマンチックな仕草をしたものの、すぐに悔しそうに下唇を噛んだ。出血しないか心配だ。

「千代川神社でいいよね……?」

「うん」

 千代川神社。地元の人は気味悪がってほとんど近づくことはない怪神社。そこが千代川遙の住まい。


 公園を出て暫くたったころであろうか。世祈と遙の会話は弾んでいた。遙は学校とは別人のように話し、よく笑った。世祈はそんな遙と話すことが何よりも楽しかった。自分の使命を放り投げ、このまま遙と共に居たいとさえ思ってしまう。

「ねえねえ世祈、シスゾン様の歴代の対戦でどれが一番好き?」

「そうだなぁ。やっぱり今年の最強実況者決定トーナメントだね。あれは盛り上がったよ」

 再びバケクリの話で盛り上がる世祈と遙。

「やっぱりそうかぁ! くく……インキヤとペテンはシスゾン様を舐めて見事に返り討ち! あれはもう見ていて最高だったよ!」

 インキヤとペテンは実力派バケクリ実況者である。バケクリ実況者最強決定トーナメントでは決して強いとは言えないシスゾンに敗れ、暫くそのことでネタにされてしまった。シスゾン目線と二人の目線の対戦動画が挙がっているが、双方の思考は見事に噛み合っていない。二人と東京在住。

「千代川さんって意外とよく喋るんだね」

 学校では話すと呪われるという噂が蔓延するほどの根暗っぷりであるが、今は非常によく話す元気な女の子だ。

「なんだ? よく話したらダメなのか?」

「いや、学校だとほとんど何も話さないからさ……」

 話さないというよりは、人との関りを意図的に避けているとしか思えない。

 世祈の言葉を聞いた遙は悲しそうに俯いた。

「私だって皆と話したいけど……それをすると私は……」

 絞り出すように出された言葉。悲壮感が漂ってしまう。

「千代川さん、明日も学校で話しかけてもいい?」

「ごめん。それは無理」

 世祈の顔を真っ直ぐに捉え、ノーと突きつける遙。そこに先ほどまでの悲壮感は感じられず、強い決意のようなものも感じた。

「そうか。千代川さんにも色々あるんだね」

「ああ、色々ある……。でも、まあ……」

 遙は世祈にとびきりの笑顔を見せた。その笑顔は年相応のとても可愛らしいものであった。

 人間とは思えない美しい容姿から放たれた笑顔は、紛れもなく人間のものであった。

「今日は話しかけてくれてありがとう。とても嬉しかったぞ……!」

「どういたしまして、千代川さん。俺でよかったらいつでも話し相手になるからさ」

 世祈は今日という日に感謝した。遙のその笑顔が見れたこと。それが何よりも嬉しい。

 反対に遙は不機嫌そうに世祈を睨んだ。全身から神秘性と畏怖がにじみ出る。

「あれ……千代川さんどうしたのでしょうか……?」

 その圧倒的な存在感に世祈も思わず丁寧口調になってしまう。

 遙の口が開く。そこから発せられる声色は当然、低く重厚感のある神秘性的なものだ。

「お前……今日黙って聞いていれば私のことを千代川と呼んでいたな。私には遙という名があるぞ」

「は、はい分かりました千代川さ……」

「…………」

 遙は世祈よりも10センチほど身長は低い。それでも遙から出るオーラは世祈ですら縮みこませる。

 一般的な男子ならそれでビビってしまうことだろう。だが世祈は玄村の人間。強制的に冷静さを生み出す。

「分かったよ遙。これで満足?」

 玄村の跡継ぎとして女子に怯えるなどあってはならない。世祈はなるべくクールに無感情に答えた。

「うん合格。よくできました~」

 遙の子馬鹿にした口調に多少カチンときたものの、声色が先ほどとは違い可愛らしいものへと変化していたのでとりあえず良しとした。

 道に人気がなくなっていく。どんどん町の外れへと近づいていくことの表れだ。千代川神社は人気がないところにひっそりと建っている。世祈も前を何度か通ったことがある程度で、実際に訪れたことはない。

「そういえば遙って千代川神社の当主なの?」

 先ほど公園で自分は千代川の当主と言い放っていた。てっきり世祈は千代川神社の跡継ぎ娘だと思っていたので少し驚いていたものだ。

「まあね、一応は。といっても名ばかりだけど」

 千代川神社はその成り立ち等はほとんど分かっていない。ネットでは世界を滅ぼすカルト教団だとか根も葉もない噂が流れている。

 世祈は気になったので色々聞いてみることにした。

「千代川神社って何を祀っている神社なの?」

 神社というのだから当然祀っている神様がいるはずである。

「千代川神社ではね……滅神様を祀っているの……」

 自身なさそうに答える遙。

 滅神様。世祈はそんな神様聞いたことがなかった。それに滅ぼす神なんて縁起が悪そうだ。

「そういえば言ってたね、『滅神の名において殺すぞって』」

「うん……ごめんね、ひどいこと言って……」

 遙は世祈に対して言った言葉を悔いているようだった。世祈からしたら、別に気にしていないことだったのでどうでもいい話である。

「大丈夫、気にしてないから。それより滅神様ってご利益とかあるの?」

 それを聞いて遙は困ったように俯く。再び視線を上げるが、その目は泳いでいる。

「滅神様にご利益はない……かな……」

 ご利益がない神様は果たして神様なのだろうか。神仏に無知な世祈には分からない。もしかしたら滅神様というのは邪神であったりするのだろうか。

「滅神様は別に悪い神様じゃないんだけど、ちょっと特殊な神様なの……」

 どうやら邪神というわけでもないらしい。

 そもそも千代川神社に収入はあるのだろうか。神社といえど維持するにはそれ相応の費用が掛かるであろう。世祈の知る限り、千代川神社に信仰心を持っている人物はいない。ましてはこの地にそれなりに長く住んでいる世祈にも滅神様という神様など聞いたことがない。

「それじゃ……千代川神社って……」

 言いかけた世祈を遙が手を振って制止する。

「千代川神社の成り立ちはかなり特殊でして……。もしや世祈? 千代川神社の成り立ちに興味がおありなので?」

 半ば焦ったような口調になる遙。

 世祈にとって千代川神社はそこまで興味をそそられるものではなかったが、ここまで聞くと興味が出てきたのは事実である。

「うん。そのご利益のない滅神様ってのには興味があるかな」

「え? ほんとに興味あるの⁉」

 突如として遙は目を輝かせる。

 そして嬉しそうに自身のカバンの中を漁りだした。

「では世祈よ。是非このイベントに参加していただきたい」

 遙が取り出してきたのは一枚の紙切れのようなポスター。所々折れ曲がっている。

 そこには一言、“千代川神社見学会”と書いてあった。日時は今週の日曜日だ。日曜日なら跡継ぎ修業は休みであるため参加できそうである。

「もう何十年……いや何百年と見学者はいないそうな……」

 遙は不満そうに答えた。

「昔は千代川も信仰されていたようだが……今となってはこのざまよ」

 遙曰く、千代川神社は昔は賑わっていたようである。

 “千代川神社見学会”は本当に誰も参加していないのだろうか。オカルトマニアが真っ先に食いつきそうなイベントであるのだが。

「まあ見学会自体が昔の伝統で残っているだけで……私も積極的に参加者を集めようとしている訳ではないのだけれどね……」

 世祈は聞かずとも遙は答えてくれた。

「となるとこれは遙から俺への招待状というわけだな」

「そういうこと。近頃は肝試しに来るクソガキが多くてね。千代川に来る人はしっかりと私が選別しないといけない」

 選別に合格したことも嬉しい世祈であったが、何より学校以外の遙をお目にかかれることが少し、いやかなり楽しみな世祈であった。

「ありがとう世祈。ボディーガードご苦労さま」

 ふと気が付くとそこにはすでに神社の鳥居があった。

 遙との時間が楽しくて時を忘れてしまった。

 また遙と話したい。しかし、学校で遙に話しかけることは禁止されているので、こうして遙と話すことができるのは日曜日の見学会という事だ。すごく長く感じる。

「じゃあね、世祈。滅神様に呪い殺されないように……!」

 この『滅神様に呪い殺されないように』の部分は遙から発せられたとは思えないほど低く重厚感があるのはもちろんのこと、それでいて邪悪さを強く孕んでいた。

「ひ……っ!」

 突如とした声色の変化に玄村の跡継ぎである世祈ですら恐怖を抑えきれなかった。背筋を悪寒が走る。

「なーんてね! びっくりした?」

 遙は無邪気に笑った。それでいて声色が元に戻っている。

「その突然声変えるのびっくりするからやめて……」

「くく……神社の当主っぽくてかっこいいでしょう……」

 遙はやめる気はなさそうだ。

 今考えれば、これが遙の魅力な気がする。可憐であっても恐怖を司る神秘性、これに惹かれたのかもしれない。

「遙もしかしたらヤンデレゲームの声優できそう」

「分かる? シスゾン様のヤンデレゲーム実況見て練習してるんだよ」

「練習してたんだね……」

 普段の地声とかけ離れすぎているので、練習していることは別に不思議でもない。

「では、私はこれで。日曜日は楽しみにしているね」

 そ言って遙は鳥居をくぐる。境内は木が多くて本殿はうっすらとしか見えない。他にも狛犬が三頭いたりちょっと気味が悪いのも事実である。

「じゃあね遙! また学校で!」

 世祈が呼び掛けたが、遙は手を振り返すばかりで振り返ろうとはしなかった。


恋呪~千代川アスタリスク

第一話「再び呪い殺されるとも知らずに」完




 千代川神社本殿。袴姿に身を包んだ遙は毎日の日課である滅神への礼拝をしていたのだが、今回は全く身が入らない。

「はあ―……! はあ―……!」

 彼女の自慢の純白の肌は赤く染まり、心臓はあり得ないほど高鳴っている。世祈の顔が浮かぶたびに心臓が飛び上がる。一般的な女子高生なら思わず蹲ってしまうほどの心地の良い苦しさ。

「違う……! 私は……千歳じゃない……ッ!」

 しかしそれは遙にとっては苦痛以外のなにものでもなかった。

「嬉しかったよ……世祈……私に話しかけてくれたこと……」

 転生。死んだあと魂は天界へと渡り、そこで何百年とかけて意識の初期化が行われる。そうして意識を失った魂は、再び人の肉体へと宿り新たな意識を形成するのだ。それこそがこの世界、この物語での転生のルール。

「これは私の恋心なの……? それとも千歳の……っ」

 しかし遙の転生は違う。初代千代川当主である千代川千歳は賢者に呪われることを望んだ。賢者は自身の肉体に千歳の魂を縛り付け、強制的に転生させ続けているのだ。時が来るその日まで。これこそが賢者が千代川に施した“呪い”。

「はは……今までとは比べ物にならないほど強いな……」

 二十歳になると千代川の娘は子を宿す。そして出産と同時に死に、その肉体は燃えて消える。生まれた子こそが千歳の新たな転生先となっているのだ。遙も千歳の転生者であり、あと三年後にはその使命を果たし千歳の新たな転生先を作らなくてはならない。

 そしてこの転生には重大な欠陥がある。強制的に転生を行っているため意識の初期化が行われていないのだ。つまり、遙の意識の裏には現在、千歳の意識や全転生者達の意識も残っているということである。遙は幼い頃に母の記憶を垣間見ていた。

「母は……千代川珠記たまきは友人を多く持っていたそうな……。だからこそ死に別れるのが辛かった……私を生みたくなかった……」

 遙は母である珠記たまきの記憶を見て生涯友人を作らないと決めていたのだ。珠記の意識の初期化が行われていないばかりに孤独な思いをすることを選んだのだ。

「千歳には死に別れた恋人がいたと聞く……その恋人と会うために呪われることを選んだ……。その恋人の転生先が世祈……公園で二人きりになったときに確信した……よもや私の代で巡り合うことになろうとは……」

 千歳の死に別れた恋人の魂は天界へと渡り、何百年とかけて恋人の意識は初期化された。そしてその魂の転生先こそが玄村世祈であるのだ。

「千歳……貴方はもう死んでいる……ッ! 自分が成しえなかった恋を私に擦り付けるな……」

 遙の魂に残った千歳の意識が、世祈と結ばれることを望んでいる。遙に強制的に世祈への恋心を抱かせてくる。

「ふざけるな……ッ!」

 遙は今日、世祈が自分を心配し声を掛けてくれたことが嬉しかった。ただ子を産み転生先を作ることでしかない自分を、一個人として、千代川遙として認めてくれたのだ。“遙”と名で呼んでくれたのだ。

 遙が世祈に対して抱いた感謝や喜びの感情ですら、所詮は千歳の意識によるものだというのだろうか。そう思うと腸が煮えくり返る。

「世祈に対して抱く私の感情は……私だけのもの……。だ……ッ……から……ぁ……」

 自分でない何者かに強制的に恋をさせられる。

 遙の肌はより赤く染まり、苦しさのあまり涙が出てくる。震えが止まらない。

 そのときだった。

「………………」

 遙の身体の震えが止まった。赤く染まった肌は徐々にもとの美しい純白を取り戻していった。涙は頬を伝っているが、目の涙はもうすでに枯れている。

 瞳を見れば分かる。今、その瞳は千歳の意識に苦しむ遙のものではないのだ。人間離れした美しさに相応しい、神秘的な瞳。今その肉体の権限は、肉体本来の所持者へと移っていた。

「まさか千歳の恋人が再び玄村を名乗ることになろうとは……」

 遙の意識を押しやり、現れた別の存在。この世界に行けとし生きる全てのものと異なる異質な存在。

 四賢者を名乗るコハクという存在だ。千歳を呪い、その魂を自身の肉体に縛り付けた張本人。

「遙よ、苦しいか。だが安心しろ。お前は我が友人千歳の子。我はお前を愛し、幸せになる道を模索しよう」

 その瞳は苦しむ遙への慈愛で満ちていた。

「……だが、もしお前の代でそのときが来たのならば、お前には千歳の意思を継いでもらう。全ての者に忌み嫌われる存在となってもらおう。それが千歳の願い」

 慈悲はあっても容赦はない。千歳の願いを叶えるためならば遙を犠牲にすることにも躊躇がない。

「さて、我も中間報告をするとしよう」

 そう言ってコハクは本殿に祀られている鏡の前へと進み出る。鏡の上には二本の真っ黒な剣が飾られていた。

「ハルキよ、ついに現れたぞ。お前のドッペルゲンガーが。名は玄村世祈、近いうちに会いに行くといい」

 コハクは鏡に語り掛けるが応答はない。

 コハクは大きくため息を吐く。

「まだ怒っているのか? いい加減に気を直したらどうだ?」

 そのとき、鏡の中から声が聞こえた。

「別に余は機嫌が悪いわけではない。こちらは断界だんかいの整備で忙しいだけのこと」

 声を聴いてコハクは驚いたように目を見開いたが、すぐに不敵な笑みをこぼす。

「嬉しいぞ。我と会話してくれること。我はよくお前に語り掛けていたではないか。もう少し早く反応しても良かったのではないか?」

 どうやらコハクは長らくこの話し相手、ハルキという存在に口をきいてもらえなかったらしい。会話を喜ぶところは遙と通ずるところかもしれない。

「余はお前の戯言に付き合う時間などないのだ。それよりも余のドッペルゲンガーというのはどのような奴だ? 詳しく聞きたい」

 冷たく突き放すハルキ。過去にひと悶着あったのだろうか。

 それを聞いてコハクは頭にきたらしく、相変わらず不敵な笑みを浮かべているが目はガチギレしている。

「ほう……ワタシの話が戯言であると……。戯言なら話す気が失せた。当然、ドッペルゲンガーのこともな」

 コハクはふんと鏡から視線を逸らす。

「いや……それはちょっと余が困る……。どの辺りに住んでいるかくらいは教えてくれない?」

 声に威厳が失われつつある。ハルキの声は明らかに動揺していた。ひょっとして遙のように威厳があるように取り繕っているだけなのか。

「いやだね。そもそもお前がワタシを縛らなければもうすでに決着はついている。全てはハルキ、クソ真面目に掟を守ったお前の責任」

 強気な口調で責任をハルキに押し付けるコハク。

 反対に鏡の中のハルキは押し黙った。

「なんで黙る……? 何とか言ったらどうだ?」

「あのとき……余は……」

 ハルキは少し辛そうにポツリポツリと話し出した。

「確かに余はお前を縛った。そこに掟を守るためという理由もある。だが……」

「なんだ? 早く言え」

「コハク……お前は勝てたのか? いや勝てただろうな、四賢者最高火力を誇るお前なら。しかし無事では済まないだろう。相手は呪い、シクヤの膿」

 ハルキの話を聞き、コハクは暫く俯いていたが、再び視線を鏡に移した。

「では……ハルキは我を心配してくれていたのか? 我が無事でいられるように……そのために我を縛ったのか?」

「ああ、そんなところだ」

 何があったのか詳しくは分からないが、過去に戦があり、そこからコハクを遠ざけるためにコハクを縛ったようだ。なによりハルキにとってコハクは大切な存在であるらしい。

 コハクもそれで納得するように思われた。

「舐めるな……ッ! 呪いごときが我に傷をつけられるものかッ!」

 全く納得していなかった。それどころか彼女の怒りは頂点に達したらしい。

 バキバキと醜い音を立て、コハクのこめかみから二本ドス黒い角ような触覚が出現した。そしてコハクの左目には奇妙なバツ印が浮かび上がる。完全に戦闘モードだ。

「確かにお前なら無事ではすまぬのだろうなァ!」

 美しくも不気味な声を荒ぶらせる。

 美しく可憐な容姿であるはずなのに、触覚の出現によって醜さの方が上回ってしまう。

「余はお前にもしものことがあったらと……」

「黙れ! 不快害虫! 便所バッタがモチーフのくせに!」

「そ…それお前が言うの……」

 コハクは相当気が立ってしまったらしく悪態を突きながら立ち上がると、本殿を後にしようとする。

「待て、コハク」

 本殿を後にしようとしたコハクをハルキが制止する。

 その声色は動揺していた先ほどとは比べものにならないほど落ち着いていた。加えて安心感のようなものも含んでいる。

「まだ何かワタシに言いたいことが?」

 気が立っていたコハクも思わず立ち止まった。

「余は……オレはお前を待っている。物語をオレたち四賢者で完成させよう。だからコハク、自分の身を滅ぼすようなことはやめてくれ」

「…………」

 二人の間に男女の恋心のようなものは全く感じられない。しかし、二人の間には確固たる信頼感がある。それは確実だ。

「悪いがその約束はできない。我は千歳と約束したのだ。共に滅神の依り代となると。千歳の魂をディゾアルに呪わせるため、我は肉体を貸し続けると」

 コハクの意思は固いようだ。

「そうか、分かった。だがこれだけは覚えておけ。その子は滅神には成りたがっていない」

 ハルキはそう言い残すと、鏡によるコハクとの通信を切ったようだ。本殿の雰囲気

が明らかに変わっている。

「……知っているよ。遙は千歳のように滅神には成りたがっていない」

 コハクは自らの胸を撫でおろす。そこに何かが宿っているかの如く。

「千歳、お前は遙をどう思う? まァ聞いたところで答えは返ってこないがな……」

 そしてコハクは再び肉体の主導権を遙に渡すのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

恋呪~千代川アスタリスク @seiga49

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ