第10話 道具屋さんは美しい少女に出合う



「犬に用はないの。ご主人様を呼びなさいな。殺すわよ?」


「誰が犬だ!? それに殺すだと? このボクを? 面白い冗談を言うものだな」


「はぁ。本当に鬱陶うっとうしいわ。興味は尽きないのだけれど……本当に殺してしまおうかしら?」



 戦術都市マリュケイカに僕が入って聞こえてくるのはそんな口論だった。

 他の住人たちは座り込んでいて生きる気力もないようだ。ワンワンと喚く子供もいるが、会話と呼べるものは先ほどの物しかない。僕は声が聞こえてきた辺りに意識を向ける。



 美しい女性が居た。

 腰まで伸びた漆黒の髪。世界を見据えるのは血のように真っ赤な瞳。少女だ。十五、六歳ほどに見える少女がクルデルスさんと口論している。


「あれが件の少女ですか」


 正直言わせてもらうと外見だけ見れば僕の好みだ。あんな子が娼館に居たのならば僕は間違いなく彼女を指名するだろう。

 挑発的な瞳――すべてを見下しているかのような眼差しも屈服させたいと思う。

 魅惑的な体つき。その発育の良い胸を引きちぎるほどに強く掴みたいと思う。

 長い黒髪。その髪を引っ張って――


「あれ?」



 おかしい。今、何か僕は変だった。

 僕にだって確かに性欲はある。しかし、今のはいきすぎだ。普通じゃない。


 落ち着け。欲望に身を任せるな。

 まだあの子が何者なのかもわかっていない。そもそも、今はそんな事をしている時間はない。

 大事なのは僕の安全。僕の命。僕の平穏。その為ならばなんでもする。例外はない。



「――アハッ」



 その少女は僕の事をジーーッと見つめていた。

 彼女は目の前に立つクルデルスにはもはや目もくれず、僕の方をまっすぐ見つめている。


 そして――


「アハッ、アハハハハハハハハッ、美しいわっ!! いえ、そんな言葉で表現するなんて冒涜ね。なんと言うべきかしら? いびつ? アート? 完全? ダメだわダメね言葉でなんて表せないわ。ああっ! なんという事かしら? なんという運・命・的・出会いかしら!?」


 訳の分からない事を口走りながら、少女はわらう。

 少女は目の前に居るクルデルスを無視して僕へと歩みを進める。

 しかし、そんな事は許されない。



「止まれ! 怪しい奴め。これ以上勇者に近づくことはっ」


 僕の近くに控えていた騎士の人たちが少女の進行を阻もうと立ちふさがる。僕は少し距離を取らせてもらおう。少し後ろに下がる。

 しかし、何か柔らかいものにぶつかる。後ろを振り返ってみると、




「つーかまーえた」


「――!?」


 

 今まで前方に居たはずの少女がいつの間にか僕の背後に居た。僕の行動は自ら少女へとぶつかりにいっただけという無様な結果に終わる。


 まずい。

 まずいまずいまずいまずいまずい。

 計算外だ。こんな事態は想定していない。いや、出来る訳がない。

 考えろ、思考を巡らせろ。

 少女の目的。言動。行動。すべてを計算に入れたうえでここから生き延びることだけを考えろ。

 下手な行動は起こすな。僕は弱い。逃げようとしても逃げられる訳がない。

 


「んっ」


「むぅっ」



 そう考えている僕の思考が真っ白に染まる。なぜか?


「くちゅっはぁっあぁ」


「――っむぅっ」



 答えは簡単。名も知らぬ少女に唇を奪われたからだ。

 舌を交わらせるような濃厚な口づけ。別に初めてだという訳ではない。しかし、主導権を奪われながらのキスというのは初めてだ。



「うっんん、はぁ」


「――っ」



 やっと離れてくれた。少しだけ名残惜しいと感じてしまう。いや、だからなぜそんな事を考えるんだ僕は? まずは現状の把握だろう!!


「……情熱的ですね? 僕に会いたいと仰っていられたようですが、要件は何だったのでしょうか? まさか、今の粘膜接触が要件という事はないでしょう?」


 事務的に答えるように努める。そうすることで冷静に、客観的にこの状況に対処できるようにする。


「ああ、つれない。つれないわ。そんな丁寧語なんて使わないで頂戴。この身、この魂はイービルの為にあるのだから。イービルに尽くし、愛す。それだけが私の存在理由だと今私は確信しているのだからっ!!」



 ……なんなんだろうこの少女は? そもそも、僕の名前をどこで聞いた? クルデルスさん辺りが漏らしたのかな?


「光栄ですね。しかし、僕はこの喋り方が定着してしまっているのでね。我慢してもらえると嬉しいです。さて、僕に尽くす? その理由を伺ってもよろしいですか?」


「あんっ。本当につれないわね。まぁいいわ。まだ会ったばかりだものね。それに、あなたが素敵だという事には変わらないのだから。ええっと、私がイービルに尽くす理由よね? 理由は簡単よ。貴方を愛しているから」



 ……話にならない。



「あなたが素敵だから。あなたが格好いいから。あなたが愛おしいから。あなたが最高だから。あなたを愛しているから――これでは理由にならない?」


「残念ながら信じられませんね」


 この少女とは初対面なのだ。それなのに愛していると言われても信じられる訳がない。


「ええ、そうよね当然よね当たり前よね。あなたは合理性の化け物。これだけ愛をささやいてもあなたにとっては不気味なだけ。ええ、分かってる。分かってるの。でも抑えられない想いだってあると分かって欲しい。理解だけはして欲しい。あなたを警戒させてしまう。そう分かっていてもこの胸に留めておくにはつらすぎたの。ごめんなさいね」


「いえいえ、そういう想いもありますよね。信じるとは言いませんが、理解は示しましょう」



 とは言ってみたが、僕はこの少女の事を全力で警戒していた。

 僕の部下の方々は僕から何の指示もない為か、動こうとはしなかった。ただ、様子を見守っているだけだ。



「……ああ、ごめんなさい。自己紹介がまだだったわね」


 そう言って少女は僕から離れてくれる。少し残念。ほっとした。

 ……まただ。なぜこの少女に対して僕は欲望を隠せなくなっているんだ? 残念? ここは安堵する所であって、残念がるところではないというのに。



 少女は僕の目の前で片手を地面へとつき、臣下の礼をとった。


「私の名はアリィヤ。この身、この魂が尽きるまであなたの為に尽くすわ。あなたになら何をされても構わない。あなたの傍に居たい。あなたの役に立ちたい。もし、私の事が邪魔だと言うのならば死ねと仰って? 私はあなたがそう言うのならば喜んで自害すらしてみせる。だって、私はあなたを愛しているのだから」

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