~201×年9月1日

 夏休み。姫島から連絡が来ることはなかった。


 一方、俺の睡眠時間は徐々に増えていき、突発的な居眠りも増えてきていた。

 ノートはミミズが這ったような字が目立つようになった。


 家族からも……目に見えて健康になっていく息子の姿を心配することが多くなった。


 最近は目のクマがどんどん取れてきた。七年間の睡眠不足はたった三、四時間程度の継続的な睡眠でも回復に向かうものらしい。

「なんだ自分ってこんなにイケメンだったのか」と毎朝鏡を見て驚きを隠せない。

 日々白くなっていく自分の髪色を隠すため染髪を始めたのも手伝ってか、なんだかチャラいホストみたいになってきた。

 ためしにワックスで髪を弄ってみたら母親に別人だと思われた。


 このまま健常者と同じレベルで睡眠時間の増加が頭打ちになってくれればいいが。




――




 登校日。一ヵ月ぶりに外の空気を吸い、電車に揺られて十分ほどして目的の駅へとつく。


 高校へ向かう道中、なにやら周りからじろじろと見られることがあった。

 保健室での奇行が夏休み中に全生徒へと知れ渡ってしまったのかと怯える。

 早足で校門へ向かうと、何やら人だかりがあるのを発見。


「人を待っているので」と周囲の生徒に断りを入れる声がする。聞きなれた声だった。


 そして人垣の中心には、見慣れた顔。

 真っ白な髪色で、陶磁器のように綺麗な肌。


 何から何まで色素の薄い彼女を、俺は夏休み中だって忘れたことはない。


「――夢寺くんっ!」

「ひぇじあっ」


 思わず変な声が出た。心臓がバクバクと動悸を起こす。


 いつだって彼女の定位置は保健室のベッドの上だったから。


 こうして校門の前で、一般生徒に紛れている姿を見るのは、これが初めてだった。


「ひぇじ、……姫島」

「はい、夢寺くん。夏休み、連絡できなくてごめんなさい。というのも、夢寺くんを驚かせたくて……こうして、待っていました」

「ひ、姫島、過眠症はもう、大丈夫なのか」

「完治……とまではいきませんが、夏休み後半では街中で居眠りすることは殆どなくなりました。一日の睡眠時間も十二時間程度まで抑えられて、段々と回復に向かっているところです。というか、私も驚きました。夢寺くん、顔のパーツ変わりました?」


 ここで俺は真っ先に、どういう言葉を投げかけるべきだろう。


「よかったな」とか「失礼だな」とか「ビックリした」とか「奇遇だな、俺の睡眠時間も十二時間を超したところだよ」とか。


「……姫島」

「はい、夢寺くん」


 俺の言葉を待ち、にっこりと微笑みかける姫島。その姿に思わず涙してしまいそうになる。


「一学期の時、放課後マックだけは、ついぞできなかったよな」


 姫島が「そうですね」と続ける。


「放課後……予定、開けておけよ」

「はい、もちろんです」


 九月一日。

 保健室で初めて会ってから、四ヵ月。

 俺と姫島は初めて二人で、一緒に登校した。




――




「夢寺、お前、保健室でバイオハザードやったんだって?」


 久しぶりの教室。誰に挨拶することもなく真っ直ぐ自分の席につくと、一度も話したことのないクラスメイトに話しかけられた。


「え? あ、ああ、まぁ」

「あー聞いたよ。姫島さんだっけ? あの子と遊んでたんでしょ、授業サボってさ」


 なんか髪をクルンクルンに巻いたギャルっぽい子にも話しかけられた。


「あと花火とプールとカラオケもやったって聞いたけど」

「それマジ? ウケる、キャラ違いすぎでしょ」


 なんかオシャレ眼鏡とピアス女子までやってきて四方を囲まれた。何コレ、逃走経路潰されて俺今から何されんの。


「夢寺って毎回体育とか選択科目サボってどこ行ってんのかと思ったら、女とイチャついてたんだな」

「ねー。ずっと勉強してると思ってた。センター試験に出ないからーとか言ってさ」


 何やら俺をネタに談笑し始めた。さっきから頭の中が疑問符で一杯だ。


「俺さ、ずっと夢寺のこと苦手だったんだよね」

「あ、そう私も」


 ズバズバと言いたいことを切り込んでくるのは陽キャの特徴なのだろうか。どう思われても別にいいが、真正面から言われるとは思っていなかった。


「なんかずーっと勉強ばっかしてて、目ん玉もギョロッとしてて」「クマとかスゴかったし暗かったし」「いっつも一人でブツブツやっててさ」


 これは苛めだろうか。そうであれば早急に担任の体育教師に告発せねばならない。……あーダメだ補習バックれすぎて嫌われまくってるわ。


「でも」とクラスメイトが続ける。


「姫島さんから話聞いてさ。お前、良いとこあるんだなって」

「なんかクマも直ってるしよ、髪も染めたのか。似合ってるぜ」

「ねー、それ」

「話しかけやすくなったっていうかさ」


 予想外の言葉を受けて、俺は思わず目を丸くする。なんだか恥ずかしくなって、顔を俯かせる。耳が熱い。動悸がする。受け答えはちゃんとできてるか、不安で仕方がない。


「今度は姫島と一緒に、俺も遊びに誘ってくれよ」

「お、おう」


 なんだこれ、なんだこれ。なんでコイツら全員、こんなに良い奴なんだよ。

 困惑しきりの俺の脳内に、ただ一つ、ハッキリとした事実が思い浮かぶ。

 俺、みんなから嫌われてないんだ。




――




「夏休みが明けたばかりですけど、もうそろそろ文化祭の時期ですね」


 ダブルチーズバーガーを頬張りながら、姫島はそんなことを言ってきた。

 彼女の真っ白な髪は嫌が応でも目を引き、店内の視線を一身に浴び続けていた。

 しかしそれを意にも返さず、姫島は口の端にケチャップをつけながら「美味しい美味しい」と呟いていた。


「十月の終わり頃だっけか。そっちのクラスは何をやるんだ?」

「創作演劇です。内容は、もしも昔話が全部つながっていたらというストーリーで」

「姫島は何の役を?」

「私は雪女をやります」


 適役だな、と言ってナゲットを口に放る。


 姫島の真っ白な髪も、静かで大人しい声色も、雪女のイメージにぴったりだ。


「初めての演劇で、クラスのみなさんには迷惑をかけるかもしれませんが、できる限り頑張りたいです」


 そうか、姫島は小学生の頃から過眠症を患っていたから、こういうイベント事にはあまり参加できなかったんだ。


「夢寺くん」

「なんだ?」

「……私、今、何もかもが楽しいです」


 姫島はそう言って、残り一欠片になったハンバーガーを口の中に収めた。幸せを噛みしめるように目を細めて、俺を見る。


「次はボーリングに行きましょう!」

「……ああ」


 考えてみれば、姫島がこうしてファストフード店で注文をして、俺をボーリングに誘うなんて、少し前までなら嘘みたいな出来事なんだ。

 姫島が今、心から笑えているのは奇跡みたいなもので。

 だからせめて少しでも足を引っ張らないよう、俺の過眠症については黙っておいたほうがいいのかもしれない。






「姫島、ちょっとコンビニに寄ってもいいか? コーヒーを買いたいんだ」

「あ、じゃあ私も何かホットスナック系を」


 さっきマックから出たばかりなのにまだ食べるの? まぁ、姫島は前まで一日一食とかいうプチ断食みたいな状態だったもんな。細すぎるくらいだからもっと肉をつけたほうがいいとは思うが。胸とか。


 近くのコンビニに入店する。真っ直ぐドリンクコーナーに向かおうとすると、目の端に懐かしいものが見つかった。


「夢寺くん、花火があります」


 俺よりも先に姫島が反応した。安売セールのような形で値引きされた花火セットが並ぶ。長らく放置されていたせいか、袋もくたびれた様子だ。


「夏も過ぎたからな。需要がなくなったんだろう」

「……そっか。もう、九月ですもんね」


 しばらく、姫島は花火から視線を外さなかった。

 何を思い返しているのか知らないが、その間に俺はコーヒーを二缶手に取って、財布を取り出しレジに向かう――足を止め、姫島の方へと踵を返す。

 一つ深呼吸して、声をかけた。


「……姫島、ボーリングはやっぱり明日にしよう」

「え?」

「なんだか、花火がやりたくなったんだ」


 キョトンとしたような表情を浮かべる姫島。なんだか気恥ずかしくなって、俺は視線を斜め下へと外した。


「姫島は線香花火しか知らねぇからな。他にも色々あるから、見せてやりたいっつうか……」


 羞恥を含んだ血液が全身をかけめぐり、顔が熱くなっていた。姫島はそんな俺の言葉の意味を察したのか、嬉しそうに微笑んだ。


「わ、私、手持ちロケット花火を飛ばしたいです。ピューって!」

「初心者が無理すんな。途中で怖くなって手ぇ離すんじゃねぇぞ」

「むっ。夢寺くん、私をバカにしているんですか。過眠症を乗り越え、一つ上のステージにレベルアップした私に怖いものなんてありませんからね!」






「ああぁぁー! 夢寺くん! 火が、火がついてます! あッ、アアァァァー! パス、これはパスです、あっ、ゆ、夢寺くんやばい! 夢寺くん私怖いです! 夢寺くん夢寺くん夢っ、いやぁー爆発するー!」

「やっぱダメなんじゃん!」


 夕方の浜辺、へっぴり腰になって甲高い声で叫び散らす姫島を、俺は慌てて助けに入った。


 重なった手がやけに熱く感じたが、姫島はそんな余裕はないのか「アアアー!」と汚い叫び声を上げる続けるのみだった。

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