青春に憧れを抱き友達が欲しいと願う過眠症女子と、センター試験に出ないことは全て不要だと考える行き過ぎた勤勉意識が道徳観念を小学生以下にしてしまった不眠症男子
201×年5月24日~201×年7月21日
201×年5月24日~201×年7月21日
「先生、保健室に行っていいですか」
「もはや理由も述べないしお前の『ドンキホーテ』と印字された買い物袋にはツッコミを入れたい所だが、どうせ姫島に会いに行くんだろ。……放課後、補習で許してやる。特別の特例でな」
「ありがとうございます。英単語帳の持ち込みはアリですか」
「お前教師を舐めてるな」
ともあれ、堂々とサボる許可が下りたので、体育の授業を抜け出して保健室へ向かう。
「姫島、花火をやるぞ」
「え?」
唐突な俺の提案に首を傾げる姫島をよそに、早速準備を始める。
近くのドンキで買ってきた黒のゴミ袋をハサミで切って窓に貼り付ける。ガムテープを使って外の光が入ってこないようピッチリと詰める。うん、結構暗くなった。案外、夜っぽい雰囲気は出せてるんじゃないか。
「夢寺くん、もしかしてですけど……」
不意に出火しないようにベッドは端っこに寄せ、空きスペースを作る。ガチャリ、寄せたベッドに棚が触れて甲高い音が鳴る。危ない薬品とかありそうだけど気にしない。気にしたら室内で花火なんかできない。
「――ここでやるんですか?」
「そうだけど」
「やめましょうよ先生に怒られます!」
「そうでもしなきゃ花火できないだろ。姫島は夜寝てるし、保健室を離れるのも危険だ。俺は姫島を抱えて街中を歩く体力はない。体育全部サボってるからな」
「だからって……火災報知器が作動したらどうするつもりですか」
「大丈夫だ姫島。花火程度の熱源じゃ報知器は感知しない。そしてウチの学校のセンサーは煙感知式ではなく熱感知式だ。このタイプはここにカセットコンロ持ちこんで焼肉やったってバレない。念のため、煙が出にくいタイプの花火を買ってきたし……」
「先生にバレたらっ、どうするんですか!」
「俺はよく授業をフける。いわばヤンキーだ。ヤンキーならこれくらいする」
なおも言いたげな姫島を制し、言葉を続ける。
「ヤンキーなら、保健室で寝てる女の子の隣で、勝手に花火を始めたりもする。お前はそれに無理矢理参加させられた。そう言えばいい」
バレた時の言い分としては怪しいかもしれないが、保健室を出られない姫島には逃げ場もない。姫島に責任は及ばないだろう。
姫島はしばし考え込むように「うーうー」唸りながら顔を俯かせる。しばらくして、恐る恐るといった様子で俺の目の前に指を一本立ててきた。
「じゃ、じゃあせめて……線香花火くらいなら、あまり火も飛びませんし、それで」
「よし分かった」
花火セットから線香花火を引っこ抜き、姫島に手渡す。バケツよりは守備範囲の広そうな折り畳み式のタライに水を入れて、姫島の足元へと置く。この上でなら、万が一落としたりしても火事の心配はない。
電気を消す。あらかじめ用意しておいたポケット懐中電灯を取り出し光源を確保。多少の灯りは無いと足を引っかけそうなので、地面に立てて置いておく。
「じゃ、しっかり持っておけよ」
「は、はい」
百円ライターを取り出し、火をつける。姫島の持つ線香花火に引火。
しばらくすると、ぱちりぱちりと音を立てて火花が散る。
「わっ、わっ」
姫島が怖がって身体を揺らす。その様を見るのも楽しくて思わず笑ってしまう。
花火は更に激しさを増し、ばちばちばちと花開くように綺麗な火花を散らせる。
段々と姫島も慣れてきたようで、線香花火の生み出す光景にしばし見とれていた。
「……やっぱりテレビで見るのと違いますね」
「どう違うんだ」
「意外と火花の散る範囲が大きくて、怖かったです」
「そうか」
「でもそれ以上に……迫力があって、キラキラしていて、綺麗です」
「それは良かった」
火花の勢いが消えてゆく。直径五ミリメートル以下の小さな火球が震える。次第に重力に耐えられなくなって、水の中に落ちていく。
「……夢寺くん、もう一回、お願いできますか?」
「ああ、あるだけやろうぜ」
二回目も、三回目も、四回目も、五回目も、六回目も。
姫島は飽きもせずにジッと線香花火の光を見つめていた。
目に焼き付けるように、記憶に焼き付けるように。
そんな姫島の顔を、俺はずっと見つめていた。
「姫島、友達とやりたいこと、二番目はなんだ」
「……カラオケ、とか、憧れてます」
「よし、わかった」
あっ、と姫島が声を上げて言葉を加える。
「まさか、また保健室でやりませんよね?」
「はは。学校でカラオケをやる方法? あったら教えてほしいくらいだな」
――
「姫島! カラオケやろうぜ!」
「ほらやっぱり!」
俺が大量の荷物を背負って保健室にやってきた途端、姫島が手で顔を覆って声を荒らげた。
「昨日ネットで調べてみたら自宅でカラオケをする方法が載ってたんだ! モニターとゲーム機を用意したからセッティングを手伝ってくれ!」
モニターのプラグを学校のコンセントにブッ差し、起動確認。うん、大丈夫。あとプレステ4も準備しなきゃ。延長コードも買っておいて正解だったな。
「夢寺くん……」
喜々として準備を進める俺を冷ややかな目で見つめる姫島。
「これバレたら洒落になりませんからね」
「大丈夫だ。花火よりは危険度が低いし」
「どちらにおいてもすっごく怒られると思うんです。すっごく」
「これはヤンキーが寝ている女子の隣で勝手にカラオケを始めただけだ」
「保健室にテレビゲーム持ち込んでカラオケ始めるアクティブな不良どこの高校にもいませんよ!」
考えてみればそうかもしれない。けどもう手遅れだ。バレた時はバレた時で、まぁどうにかなるだろう。俺が全責任を被ればいいだけの話だ。
「ほら、マイク。俺は盛り上げ役に徹しよう」
ベッドに腰かけてタンバリンとマラカスを装備。合いの手も練習済みだ。全方位隙が無いと言っても過言ではない。
呆れたようにマイクを受け取り、ゲーム画面を見つめる姫島。
けど知ってるぞ。初めてのカラオケにちょっとウキウキしてるだろ。口端のニヤケを俺は見逃さないぞ。
「そういえば姫島。お前、歌は歌えるのか」
「はい、勉強中にBGMとして流してましたから、流行りの歌であれば多少は」
そう言って姫島は、いくつかの曲をピックアップする。大抵は流行に無頓着な俺でも聞いたことのあるような有名ソングである。よし、合いの手を入れることは可能だな。昨日いくつか練習してきたのが功を奏した。
コントローラーで曲を入力すると、すぐにイントロが始まった。俺はマラカスを振ってリズムをとる。
「じゃ、じゃあ歌います」
「おう、思いっきり歌え」
歌い出しに入る。俺は足でタンバリンを鳴らす。
スピーカーからは、姫島の小鳥がさえずるような可愛らしい歌声が――。
ハッキリ言う。死ぬほど音痴だった。
――
「姫島、今日はお泊り会だ! 焼肉しようぜ! 枕投げしようぜ! トランプしようぜ! 自撮りインスタに上げようぜ!」
「姫島、またカラオケがやりたいのか? 分かった、ちょっと待ってくれ。耳栓をつける」
「姫島、海、行きたいって言ってたよな。というワケで子供用プールを持ってきた。この前のゲームハードがVR対応してたから、これで雰囲気くらいは味わえると思うんだ。あっ、水着も俺が用意して――どうした姫島、なにを怒っているんだ。え? 胸がなんだって?」
「姫島ー! 開けてくれー! 俺が悪かったー! サイズも確認せずに買った俺が悪かったから、だからここを開けてくれー!」
「姫島、昨日はすまなかった。ところで姫島、コスプレイベントにも参加したいって言ってたよな。ハロウィンコスが安かったから買ってきたぞ! あ、でもこれサイズの種類があんまなくてさぁ、胸の部分はパッドつめて貰えれば……」
「姫島ー! 開けてくれー! 俺が悪かったー!」
――
姫島に会うため保健室に足しげく通うこと、二か月。
友達としての距離も大分縮まってきたところで、既に八月も目前。
そろそろ夏休みに入ってしまう、ということで、終業式が終わってすぐに保健室へと向かった。
「姫島! 今日は……」
一応ノックして扉を開けたものの、ベッドの上に姫島の姿はなかった。
代わりに今日は、養護教諭がいた。
確か、相葉と言ったか。どこかでサボってるんじゃないかってくらい在室率が低いのに、珍しいな。
「あら、あなた……夢寺くんでしょ。姫島さんならいないわよ、残念ね」
どうして名前を把握されているのかと疑問が浮かんだが、姫島が世間話として俺を話題に出すこともあるだろう。どういう認識をされているのか気になる。
「今日は歌わないの?」
「何の話かさっぱり分かりませんね」
バレてる。ってか姫島が話したのか? なんで話すの姫島?
「あんなに大声で歌っておいて、気づかないほうが無理あるわよ」
「何の話だか」
「あら、別に怒ってないわ。面倒事は嫌いなの。ただでさえ忙しいのに保健室をカラオケに魔改造されてましたなんて、報告するのも面倒だし。誰かに見つかったところで知らぬ存ぜぬを貫き通すのみよ。全く少子化なんて当てにならないわね、もっと年々楽になるかと思ったのに」
なんでこんなヤツが教師やってんだ。助かるけど。
なるほど、今までバレずにいたのは、見逃してもらってたワケか。
「で、姫島はなんで今日登校していないんですか」
「病院、行ってるのよ」
どきり、心臓が跳ねる。一瞬、悪い予感が脳をよぎった。
「何驚いてるの。あんな二つともない奇病を患ってるのよ。定期的に検診があるの」
「ああ、そうか。過眠症って確か、生活指導なんかも受けるんですよね。睡眠時間も細かく記録して提出して……」
「あら詳しいわね。勉強してるの? 偉いわ」
まぁ、あれからほぼ毎日、睡眠障害の本は読み漁っているからな。
だいたい同じ内容だし、めぼしい関連書籍もそろそろ読み尽くしてしまいそうだが。そろそろ医学部受験の為の勉強も始めるべきだろうか。
「姫島、もう七年も通ってるんですよね。薬を飲んでもあまり変わらない、って言ってましたけど」
「そうなのよね。所詮、ナルコレプシーに対する治療は対症療法にとどまるから。モディオダールにリタリンを使った薬物療法も無駄、果ては頼みの綱のオレキシン受容体作動薬に手を出したらしいけど目立った効果は出ず……年々、悪くなっていったって聞くわ」
初めての情報に、思わず困惑する。目の焦点が合わず、相葉の顔がよく見えない。
そんなの、姫島から何も聞いてないぞ。
まさか姫島、平気な顔を見せていたけど、本当は具合が悪かったのだろうか。
心の内がよく表情に出ていたのだろうか。相葉はそんな俺を見て、にまぁと口の端を上げる。
「最近を除いて、ね」
「え」
「知ってる? あの子の睡眠時間、最近は十四時間程度まで落ち着いてるらしいのよ。突発的な睡魔も減ってきたんだって。誰の影響かしら?」
顔が赤くなる。耳が熱い。心臓が早鐘を打つ。
もしかしてだけど、俺は……姫島の支えに、なってあげられていたのだろうか。
「過眠症って、ストレスなんかが原因で罹患することが多いし、それをどうにかすれば改善に向かうのかもね」
「そっ、すか」
このまま、順調にいけば、もしかして、もしかすると。
――
「このノート、無駄になっちまったかな」
真夜中の自室。俺は睡眠障害の本を書き写したノートをパラパラとめくる。
あれから毎晩、書き写しては覚え、覚えては暗唱の繰り返しだったのに。これも姫島の過眠症が治れば、俺が医者になる意味もない。
まぁ、しかし。あの病気も、いつ二人目が出現するかも分からない。
俺の不眠症のように、一人いるなら二人目がいてもおかしくないのだ。
姫島のような患者を増やさないためにも、俺は医者を目指し続けるべきだろう。
よし、と意気込んで今夜もペンをとる。机の上にうず高く積まれた中から一冊抜き取り、付箋部分から続きを――を、を、を。
「あ、あれ……」
意識が遠のくような、眼球が揺さぶられるような、身体から力が抜けていくような、抗えない感覚。
フラフラと頭が揺れる。耐えきれず、顔面を爪でひっかく。
それでも意識は混濁、酩酊、朦朧。
俺はこの感覚を知っている。
久方ぶりの、七年ぶりに。
――睡魔が、襲ってきた。
「ナルコ、レプシー……っ」
どうして今更、こんな。
「時間、を……」
バタバタバタッ! 腕を横に薙いで本の山を崩し、ほとんど置物と化していた目覚まし時計を引っ張り出す。
現在、十二時十二分。瞼が閉じ、目の前が完全に暗くなる。
魂が引っ張られるような感覚ののち、俺は七年ぶりに眠った。
「……!!」
意識が唐突に戻る。
脳内はクリアと言い難く、まだ半分眠気を残していた。
目覚まし時計を確認する。現在、十二時十七分。俺が寝たのは、たったの五分だけか。
眼前がまだクラクラとしている。俺は一旦、顔を洗うために洗面所へと向かう。
蛇口をひねり、冷水で頭を冷やす。
そして、鏡を見る。
「は……」
俺は、気づいてしまった。
恐る恐る、前髪を書きあげる。
髪の根元が、白く染まっていた。
「……マジかよ」
眠気は覚めたのに、まるでボクサーのパンチを食らったかの如く脳が揺れていた。嫌な汗はとめどなく溢れて、俺のシャツをじわりと滲ませた。
そうだ、そうだよ。
一人いるんだから、二人目がいたっておかしくはないんだ。
「何故だ」
いきなり抗えない睡魔が襲ってくる。症状としてはナルコレプシーで間違いないが、髪の根元が白くなるというこの変化は姫島と同じだ。
過眠症というくくりでは同じだが、姫島の病気はやや特殊だ。ナルコレプシーだけでなく、特発性過眠症としての症状も濃く表れている。
罹患する要因として、そのどちらにも共通しているモノは、二つ。
一つは遺伝的要因。発症する確率は常人の十倍だ。が、俺の家族は俺以外、不眠症でなければ過眠症でもない。これは違うと断言できる。
そして、二つ目が。
「……ストレスか」
考えられる原因としては、睡眠不足。
徹夜というのは自身が思っているより脳にダメージが残る。俺なら二千五百五十四徹している状態だ。普通は死んだっておかしくない。
七年間の代償、そのツケを払えというワケだろうか。
「ふざけんなよ……クソッ」
過眠症の主な治療法は生活改善や薬物療法。しかし、事これに関しては二種類の病気の症状が表れている。同じ手が通用するとは思えない。姫島ですら上手くいっていない現状なんだ……いや、アイツのほうは回復に向かっているんだったか。
なら、まだ、希望は。
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