201×年5月23日
「体質なんだよ。ずっと眠り続ける、っていう。一日十六時間以上は夢の中らしい」
翌日、新任である体育教師に彼女の事を聞きにいった。
話によると、どうやら高二になってからの転校生らしく、クラス配属はされているものの一日のほとんどを保健室で過ごしているのだそうだ。
唐突に気を失うように眠くなったり、何時間も眠り続けたりなどで、授業にはほぼ参加できない。
あの真っ白な髪は後天性のもので、過眠の症状と同時にどんどん色素が失われていったそうだ。
「体質っつっても、小学生の頃からだそうだが」
「……にしても、十六時間」
それってつまり、一日の活動時間が常人の半分ってことだろ。
そりゃあ勉強も追いつかないワケだ。
一日のほとんどを寝て過ごしているんだから。
「ま、つまりはお前とは真逆ってことだな。なぁ夢寺?」
バレていた。
「その目のクマ、特に異常はないらしいな」
「まぁ、そっすね」
見た目はグロテスクだが、幼少期から続いているもので、ほとんどアザみたいなものだ。
寝不足の身体的症状としては現れているものの、体調には何ら影響がない。
とは言え、この目のクマが不気味なのは確かだ。初対面のヤツからはもれなく心配されるし。
「俺の授業を初っ端からフけやがって……それで、どうだったんだ? 何か話したりは?」
「しました。ほとんど勉強の内容ですが」
「そうか……いや、ならいいんだ。仲良くしてやってくれよ」
デスクの上の書類をまとめながら、彼は言葉を漏らす。
ふと気になったことが頭に浮かび、訊ねてみることにした。
「あの、先生。どうして彼女は、この高校に進学してきたんですか」
「ん?」
椅子の背もたれをギシリと鳴らしながら、顔をこちらに向ける。
「あんな不憫な体質をしているんだったら、もっと入院するとか、施設に入るとか、色々やりようはあったんじゃ」
「ああ」
トントンと紙束の端を整えながら、先生は言う。
「友達が欲しいんだってさ」
なるほど。
とことん、俺とは真逆のようだ。
――
「先生、気分が悪いので保健室に行ってもいいですか」
とか何とか言ってまんまと美術の授業を抜け出す。
例の如く芸術科目はセンター試験に出ないので、今日も単語帳やらノートやらを持ち込んで保健室に向かう。
ドアの前で一つ、深呼吸をする。肺の中の濁った空気を吐き出し、新鮮な酸素で脳内をクリアにしてから扉をノック。
コンコン、乾いた音が予想以上に響いた。
「はっ、はい! どうぞ!」
慌てたような声が保健室から聞こえる。
扉を横にスライドさせると、彼女がベッドの上で問題集を開いていた。
「こ、こんにちは」
「……おう」
少し気恥ずかしくて、そっけない返事になってしまった。
前と同じように、彼女の隣のベッドに腰かける。
「また来てくれたんですね」
「ああ。勉強を教えるって約束したからな」
「あ、ありがとうございます」
真っ白な肌を紅潮させて、ぺこりと頭を下げる彼女。一つ一つの所作が礼儀正しく、育ちの良さを感じさせた。
「……」
しばし沈黙が場を包む。いたたまれない雰囲気に、勇気を出して口を開く。
「夢寺くん、でいいんですよね?」「姫島、でいいんだよな?」
声が被る。同時に互いの名前を呼んだので、しばし天使が通ったような静寂が流れた。
「あの、な、名前……」
「先生に聞いた。前、聞けなかったから」
「わっ、私もです!」
嬉しそうな表情で姫島が身を乗り出す。
俺は彼女のそんな様子を見ながら、あの先生の言葉を反芻していた。
曰く、『友達が欲しいんだってさ』。
手元の単語帳を弄びながら、言葉を探す。
「お前さ、病気なんだって?」
単刀直入に聞くと、姫島は困ったような顔で首肯した。
「小学一年生くらいの頃からですから、もう慣れっこですけどね」
半ば諦念を含んだような表情。元気づけるような言葉は逆効果だろうと思って、別の話題を探す。
「一日中、何して過ごしてんの? まさかずっと勉強ってワケじゃないだろ?」
「ええっと、はい。ラジオ体操とかを、起床時に」
「意外と健康志向だな」
「そうしないと、すぐに身体が動かなくなるので」
二の腕に力こぶを入れて見せる姫島。可愛らしいポージングと裏腹に理由が重苦しいのでまた別に質問を探す。
ええっと、ええっと。
「お、お前さ、なんでこの高校に決めたの?」
「家や病院が近くにあったから、というのも理由の一つですが、その……文化祭が、凄く楽しそうで」
ああ、と俺は本校のホームページを思い出す。
他の高校よりも生徒数が多いため、文化祭も派手になりやすく、そこがアピールポイントになっていた。
校門から教室へ向かうまでの道はほとんど屋台で埋め尽くされ、着ぐるみやコスプレ衣装に身を包んだパリピが闊歩することになる。
後夜祭ではなんと花火まで打ち上げるらしい。
らしい、と俺が他人事のように言っているのは、去年出席だけ取って参加していなかったからだ。
早々家に帰って勉強していた。
「そういうイベントに、ちょっと憧れがあって……皆で夏祭りとか、旅行とか、お泊りとか、ほとんど縁がなかったものですから」
「……な、なるほど」
もう、なるほど、くらいしか言えない。どうしてこの話題を振ろうと決めたのか、自分を殴りたい。
と、ここで姫島が意を決したように口を開いた。
「あの、相葉さんに聞いたんですけど……」
「相葉?」
「あっ、保健室の先生で」
そういう名前だったのか。立場上、会う機会も多そうだし意外と仲が良いのかもしれない。
「で、何を聞いたって?」
ごくり、一拍置いて、彼女が訊ねる。
「夢寺くん、眠らないって本当ですか?」
「……そうだな。かれこれ七年くらい寝てない」
目を見開き、本気で驚いているような表情を浮かべる姫島。
「眠たくは?」「ならない」「不意に睡魔が」「襲ってこない」「寝すぎたりも」「当然ない」
立て続けに答えると、姫島は問題集でバッと顔を覆い。
「羨ましい!」
と叫んだ。何気に初めて彼女の大声を聞いたような気がする。
「そうか? この目のクマ、全っ然とれねぇんだぞ」
チョイチョイと自分の目元を指差す。すると姫島は真似するように髪を弄りながら「こっちも同じようなものじゃないですか」と言った。
「だったら、起きてるほうが得です」
得。確かにそうかもしれない。俺は一日の時間をフルで使うことができる。言わば、人より活動時間が半分多いのだ。
そう考えると、仕事やら勉強やらで時間に追われる奴らからしてみれば、俺の不眠体質はズルいと思われるのかもしれない。
「私なんて、三時間も起きてられないのに」
唇を尖らせ、ジト目で睨んでくる姫島。
ああ、そうだな。俺も宝の持ち腐れだと、常々感じてる。
「夢寺くんは、ご家族の皆さんが寝ている間、何をしているんですか?」
「そりゃあ、勉強だよ」
「勉強……そうですよね。夢寺くんは寝る必要がないから、放課後に友達と遊んでいてできなかった宿題なんかを」
「いや、放課後も勉強する」
「ん?」
姫島が、理解できないという風に首を傾げた。俺は言葉を続ける。
「何なら朝もだ。電車の中でもトイレの中でも風呂の中でも。昼に弁当食ってる時も教師がクソつまんない小話している時も、休み時間も放課後も、体育も美術もサボって勉強する。学生なんだから、当たり前だろ?」
しばし、姫島は言葉を失っていた。そして口を手で覆い、絞り出すように言う。
「か、悲しいです、夢寺くん……」
「んだとテメェ!」
「夢寺くん、友達がいないんですね」
「違ぇよ作らねぇだけだ! 友達なんか必要ないからな!」
「カラオケでの歌の入れ方も知らなそう……」
「知っとるわアホ! アレだろ、う、歌本で曲を探して、番号を入力するんだろ!」
「いつの時代の話をしているんですか」
えっ、今違うの?
「夢寺くん……何が楽しくて高校に通っているんですか」
哀れみの目を俺に向ける。だってしょうがねぇだろ、友達なんて俺よりバカしかいないんだから。
「わかりました、夢寺くん。私が、夢寺くんの初めての友達になってあげます」
「は、はぁ?」
「私も高校に来て、常々友達が欲しいと思っていました。夢寺くんには友達のいる楽しさを教えます。お互いにウィンウィンな関係ですね」
胸に手を当てて優しげな笑みを浮かべる姫島。
「いや、だから俺は」
「社会に出たら勉強よりもコミュニケーションが重要だと思うんです。夢寺くんの人生は大学でゴールじゃないはずです」
「……まぁ確かにそうだな」
ピシリ、指を立てて諭すような口調。思わず納得してしまう。
「そうと決まれば」
言って、姫島がベッド脇の鞄を漁る。取り出したのはスマートフォンだった。俺の目の前でフリフリと振って、にっこり笑う。
「LINE、交換しましょう」
「俺LINE入れてないんだけど」
「えっ! どうしてで……あっ、すみません」
何かを察したように言葉を途中で止める姫島。なんだ、ハッキリ言ってみろよ。怒らないから。そんでたぶん当たってるから。
「あの、家族との連絡とかは……」
「ケータイなんて電話機能があれば十分だろ」
「『ケータイ』ですら死語認定される昨今、加速する情報社会に馴染めていない男子高校生がいるとは思いませんでした……」
一日十六時間以上をベッドの上で過ごしている女子に文明の差で負けていた。
「わ、分かりました。夢寺くん今すぐLINEアプリを入れましょう」
「そうか。で、それはどこで買えるんだ?」
「買うんじゃないんです。ストアからインストールするんです」
「インストール……なるほど。『取り付ける』という意味から察するに、別で備え付けなればいけない装置が」
「ありません。夢寺くんってバカなんですか?」
中学の範囲すら怪しい女子にバカ認定された。
「ほ、ほほう。この俺を……一年の頃から全ての試験において満点をもぎ取り(※スポーツテストを除く)、学年一位を誇るこの俺を、バカだと言ったな?」
「いませんよ男子高校生にもなってアプリのインストールができない人。小学生ですら知ってるんですから」
嘆息し、「しょうがないですね」と俺のスマホを受け取り、何やら操作をし始める。
しばし番号の設定などでケータイを受け取り、入力を繰り返す。そして姫島は自分のスマートフォンで何やら端末を撮影するように動かすと、俺にケータイを手渡す。
「はい、これで友達追加を押せば、いつでも連絡が取れますよ」
「……こ、これって押した瞬間にエラーが発生したりは」
「ありませんから早く押してください」
「爆発したり……」
「しません!」
「わ、分かった……!」
勇気を振り絞って『追加』のボタンをタップ。
特に不具合が発生するワケでもなく、俺の友達欄には姫島の名前が並ぶ。
「こ、これでいいのか」
「はい、大丈夫です。……ふふっ」
ホッと一息ついてケータイから顔を上げると、そこには嬉しそうな表情で俺に微笑みかける姫島の姿があった。
「これでいつでも連絡がとれますね、夢寺くん」
大事そうにスマートフォンを握りしめて、姫島が顔を赤らめる。
「夢がまた一つ……叶いました」
そんなことを口走るもんだから、思わず俺は、らしくもないことを考えてしまった。
「よかったな」
「はいっ」
コイツにどうか、普通の高校生活を送らせてやりたいと。
――
それからしばらく、昨日の続きとして数学の問題を教えてやった。
しばらくすると、また姫島がウトウトと船をこぎ始めた。
「あの……すみません、また、です」
「大丈夫だ。ゆっくり寝ろ」
パタリと本を閉じ、諸々の筆記用具を片付けてやる。
「はい……ありがとう、ございます」
もぞもぞと布団に潜り、寝る準備を始める姫島。と、ここで姫島が毛布からひょこりと顔を出して、口を開いた。
「また明日も……来てくれますか?」
不安そうな表情に、俺は間髪入れず「当たり前だろ」と返事をする。
「ふふ……嬉しい、です」
目を細めて薄く微笑む姫島。そんな彼女を見て俺は思いがけず、こんな質問をしてしまった。
「……なぁ姫島、寝る前に一つ教えてほしいんだが」
「……はい」
「お前が友達と一番したいことって、何だ?」
キョトンとしているのかトロンとしているのか分からない目つき。必死に瞼の重さに抗うも、抵抗むなしく完全に瞳を閉じる。ややあって、姫島が答えた。
「夏祭りに、いきたかったです……花火が、ずっと……ずっと、見たくて……でも、夜なのれ……できなくへ……」
呂律も言葉選びもままならなくなって、姫島は完全に眠りに落ちた。
考えてみればまだ授業をサボったままだったので、保健室を出ることなく単語帳をパラパラとめくる。しかしどれも頭に入って来なくて、思考の中心は目の前の彼女のことばかりだ。
ずっと眠り続けたまま、誰かと関わることもなく、保健室でただ一人、勉強し続ける姫島。
クラスの奴らは、姫島に会いに来ることもないのだろうか。
いや、あったとしてもタイミングが合わないことだってあるだろう。姫島は一日のほとんどを寝て過ごしている。そしていつしか、諦めて会いに来ることすらなくなる。
「……不憫だ」
哀れだ。
本当に気の毒で可哀想だ。
代わってやりたいと切に願う。
もしも俺の時間を分け与えることができたら、どんなに嬉しいだろうか。
――トルコ出身のメメット・イナンチ。彼は八十九年の生涯のうち、五十五年間を眠らず過ごしたそうだ。
彼は不安も精神的な苦痛も抱えておらず、その状況を「神からの贈り物」とすら称した。
曰く、「世界中の時間を独り占めしているようだ」と。
……俺なら。
俺なら独り占めなんかせずに、この時間の半分でも姫島にあげられたらって、本気で思ってるのに。
どうして俺だったんだろう。
こんな下らねぇ俺なんかより、もっと必要なヤツが目の前にいるっていうのに。
「お前の過眠症を、治せたらな……」
――そう考え始めると、もう止まらなかった。
七年間不眠不休で勉学に励み続けた俺の天才的な脳髄は、すぐさま財布の中身を確認するよう指令する。
それから近くの書店まで走って、睡眠障害に関する書籍を片っ端から探してカゴにつっこんだ。
やはり人間、一日に七時間程度の睡眠は必要らしい。
ほれみろ、頭がおかしくなったじゃないか。
医者が治せないものを一学生がどうかしようとするなんて。
どうかしている。
――
本の内容を片っ端から書き写す。重要そうな内容は特に細かく記述していく。声に出して耳で聞き、海馬に一言一句漏らさず叩き込む。
真夜中の自室、もしかしたら俺は、この時のために生まれてきたのかもしれないと本気で思った。
姫島、決めたぞ。
俺は医者になる。
お前の病気を治してやる。
きっとその夢が叶うのは、遅くなるかもしれない。
何年後か、何十年後かもしれない。
でも、必ずだ。
俺の時間の全てをかけて、お前の時間を取り戻してやる。
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