青春に憧れを抱き友達が欲しいと願う過眠症女子と、センター試験に出ないことは全て不要だと考える行き過ぎた勤勉意識が道徳観念を小学生以下にしてしまった不眠症男子

銀髪クーデレ同好会

201×年5月22日

 人間、一日に七時間から九時間の睡眠をとらないと頭がおかしくなるらしい。


 最も長い断眠記録として、十一日間、一睡もしなかったというものがある。

 被験者は二日目から既に精神に異常をきたし、日が経つにつれて被害妄想・幻覚・記憶障害……日常生活も困難なレベルに陥った。


 だが、例外も存在する。


 トルコ在住のメメット・イナンチ氏……彼は八十九年の生涯のうち、そうだ。

 あらゆる不眠症治療、薬物療法から催眠療法ですら治ることはなく、彼はその状況を「神からの贈り物」と称した。


 さて――そんな稀有な症例、一人いるなら二人いたっておかしくないだろう。


 そういうわけで俺は、小学四年の頃から高校二年の今まで、七年間。

 一度も、一度たりとも。


 睡眠を、とっていない。




――




「先生、気分が悪いので保健室に行っていいですか」

「ん? どうした……ええっと、夢寺。ああ、確かに目のクマが凄いな。いいだろう、休んでこい」


 新任の体育教師はチョロいぜ、と心の中でほくそ笑みながら、まんまと体育の授業を抜け出す。


 愚かにもボール遊びに興じる陽キャ共を横目に、校舎に入って真っ直ぐ保健室へと向かう。

 本日の授業内容はサッカー。

 残念ながら体育会系の真逆を突き進む俺にはディフェンス以外のポジションを任されないし、そうなると運動のできるパリピの引き立て役にしかならない。


 よってここは俺も涙を呑んで引き下がる他ないだろう。

 この手に持った数学の問題集やペンケースと共に保健室で休むしかないのだ。


 本校に入学して既に高二の春。


 俺は既に大学進学へと目を向けていた。

 そしてセンター試験に体育実技などという科目はないのだった。






 廊下を真っ直ぐ進むと、突き当たりに目的の保健室があった。

 カラカラと音を立てて扉が開く。薬品のようなツンとした匂いが鼻をついた。


 保健室の中はベッドが三つ。

 奥の一つは使用中らしくカーテンが閉まっていた。


「先客がいたのか……」


 失敗したな。この時間、養護教諭は別件で保健室にはいない。だから堂々と勉強ができる環境だったんだけど。


「まぁ、いいか」


 隣のヤツも話しかけてはこまい。俺のようにサボりで来ているワケでもないだろう。ガチで気分が悪いのなら寝入っているはずだろうし。


 ベッドに横になって問題集を開く。おっと、もう高校三年の内容が終わってしまった。また新しいのを買わなければ。


 残り数ページとなった問題をひたすら解く。カリカリとシャーペンが音を立てる。しかし、このペースだとすぐに終わってしまうな。一応、身体を休めるという名目で訪れたのだから、ベッドで寝てしまうか。


 まぁ、ここ最近、寝れた試しがないけどな。


「あの……すみません」


 ガリッ、最後の問題に差し掛かった段階で、女子の声がした。

 出所は分かっている。隣のベッドからだ。

 カーテン越しに、誰かが話しかけている。


「ああ、ごめん。起こしちゃった?」


 シャーペンの音に反応したのか。意外と神経質なタチなのだろう。


「い、いえ、そこは大丈夫なのですが……あの、もし良ければ、勉強を教えてくれませんか?」


 ガリガリガリガリ、ぴたり。「えっ?」


 大丈夫なのですが、の辺りで既に問題を解く手を再開していた俺の挙動が止まった。


 今、なんつった? 勉強を教えろ?

 まさか彼女も齢十六にして大学受験を見据え、保健室勉強法を? そんな奇跡ある?


「まぁ、いいけど」

「ありがとうございますっ!」


 おいおいちょっとウキウキしてきたじゃねえか。まさかここで同志を見つけるとは。


「じゃあお願いできますか」

「ああ。ちなみに、どこの範囲を――」


 カーテンを横にスライドさせて声の主の姿を確認する。

 彼女の容姿を目にした瞬間、一瞬、心臓が跳ねる。


「え……」

「どうしました?」


 首が傾げられ、サラサラとした髪が肩でゆらりとうねる。


 髪が、真っ白だ。


 頭髪から素肌まで、何から何まで色素が足りない。

 現実離れした様相に、目の奥が揺さぶられる。


「ええっと、この二問目のところなんですけど」

「あ、ああ」


 見た目のインパクトにやられ、若干呆け気味になる俺。しっかりしろ。こんなに派手な髪してんだぞ。驚かれるのは慣れ飽きているはずだ。ならば俺がとるべき行動は、できるだけ普通に接すること。


「よし、二問目。二問目だな……うん。ううん?」


 問題を見て、首を捻る。解けないワケじゃない。が、おかしいぞこれ。


「……なぁ、ちょっと、本の表紙を見せてくれ」

「はい」


『中学レベルの数学が驚くほどわかる本』


「オメーいくつだよ!」

「え、こ、高校二年生です」


 高二!? 高二にまでなって中学の問題やってんの!?


「よくウチの高校に入学できたな……」

「は、はい。なんとかギリギリ、ですけど……」


 この様子だと、俺のようにサボってまで勉強したいから、なんて理由ではなさそうだ。もしかしたら複雑な事情があるのかもしれない。

 だが、しかし。


「……これは別の公式を使うんだよ」


 あまり深く踏み込むのは違うと感じた。


 髪が真っ白だから、保健室で勉強してるから、中学レベルの問題に手こずっているから。


 だからどうした。センター試験に道徳の科目はないのだ。


「……で、分かったか?」

「なるほど。はい、分かりましたっ!」


 ぱっ、と花の咲くような笑顔を向けてくる彼女。ちょ、ちょっと可愛いじゃねぇか……。


「そう、じゃあ俺は――」

「あの、実は他にも分からないところがあって……教えてくださいますか?」

「……どこだ」

「ここなんですけど」


 結局、それから二十分近く彼女の勉強に付き合った。

 とは言え、所詮中学の問題。パッと見れば分かる程度の難易度だった。

 特につまるところも無く、淡々と教えていった。

 が、ここで何やら彼女の様子がおかしくなる。


「…………」

「で、ここの角度とこの角度が合同だから……どうした?」

「……え、あ……すみま、せん」


 こくり、こくりと船をこぎ始めやがった。唐突に。


「教えて、もらってる……立場、なのに……」


 重そうな瞼を必死に開けて、睡魔と戦う彼女。見てて辛そうだ。


「いいよ、別に。眠いんだったら寝ろ」

「でも……」


 言おうか言うまいか迷ったが、諦めて俺は口を開く。


「勉強くらい、また教えてやっから」

「…………ありが、とう、ございます……」


 嘆息し、彼女の問題集とペンを片付けてやる。筆箱を探していると、ベッドの傍らに鞄があるのを見つけた。

「何故ここに?」という疑問と共に、『保健室登校』の単語が頭をよぎる。


「また来るよ」

「……はい」


 その言葉を最後に、彼女はベッドに横になって寝息を立て始めた。

 女子の寝顔を見続けるのも失礼だと思い、カーテンを閉める。


 自分の解きかけの数学の問題集を見つめる。

 けど、続きを解く気にはならなかった。

 カーテンの向こうにいる彼女のことだけが、頭の中をぐるぐると回っていた。


 ……ああ、そういえば。

 センター試験には、『倫理』って科目があったな。

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