本当にあった恐怖体験〜雨の中うごめく老婆〜

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題名:落ちた


 「これは、私が大学二年生のある日の深夜、実際に経験した話です。


私は最寄駅のロータリーで一人、雨が止むのを待っていました。

 広いロータリーを見回しても、私の他には誰もいない。ただ不気味な静けさと暗さに、少しの恐怖を感じていました。


しかし、そんな不気味なこの駅から立ち去れない理由が、私にはありました。


 傘を持っておらず、家までの距離を考えると歩いて雨の中を帰るのは厳しい。


ネカフェや漫画喫茶も、田舎の駅なので期待できず、もちろんタクシーさえ見当たらない。


私はただ、右の頬に出来た大きなできものを気にしながら、ぼんやり、雨のふるのを眺めることしかできませんでした。


そんな、暗い夜の中一人でぼんやりしていると、どうしても考えなくても良いことまで考えてしまいます。


就職難のこの時代、就活はうまく行くのだろうか。安い時給でのアルバイト生活が、これからも続くのだろうか。そんな、暗い現実が次々と頭に浮かびます。


そんな事を考えていると、ふと、視界の端でなにかが動いているのに気が付き、意識が現実へと引き戻されました。


ロータリー端の花壇の中、その中で、なにかがうずくまるようにうごめいていました。

最初はネコか、それか、ゴミが風でたなびいているのかと思いました。


しかしそれは、猫にしては大きく、ゴミというには、両手両足があり......。


『人間だ』


気づいた瞬間、全身にぞわりと悪寒が走りました。花壇の中で、人間が、なぜか蠢いているのです。


その場から逃げ出すか、それとも。私は恐怖で凍りつく思考回路を必死に働かせ、そして、思い切ってその花壇の人へと近づき、近づき、その人の全体像が把握できる所まで距離を詰めました。


「......」


その人、いや、その女は、白髪頭の、まるで猿のような老婆でした。


その老婆は右の手にビニール傘を持って、花壇の花一つ一つを覗きこむように眺めていました。


私は六分の恐怖と四分の好奇心とに動かされて、暫時は呼吸をするのさえ忘れていました。旧記の記者の語を借りれば、「頭身の毛も太る」ように感じていたのです。


すると老婆は、ビニール傘を花壇の土に挿して、それから、今まで眺めていた花に両手をかけると、丁度、猿の親が猿の子のシラミをとるように、その長い花を一本ずつ抜きはじめました。


「......」


 その花壇の花が一本ずつ抜けるのに従って、私の心からは、恐怖が少しずつ消えて行きました。


そうして、それと同時に、この老婆に対するはげしい憎悪が、少しずつ動いて来ました。


いえ、この老婆に対すると言っては、語弊があるかも知れません。むしろ、あらゆる悪に対する反感が、一分毎に強さを増して来たのです。


そこで私は両足に力を入れて、いきなり花壇の外から中へと飛び入りました。


そうして持っていた太刀に手をかけながら、大股に老婆の前へ歩みよりました。老婆が驚いたのは言うまでもありません。

 老婆は、一目僕を見ると、まるで弩

(いしゆみ)にでも弾かれたように、飛び上がりました。


「おのれ、どこへ行く。」


 私は、老婆が花壇につまずきながら、慌てふためいて逃げようとする行く手を塞いで、こう罵りました。


老婆は、それでも僕をつきのけて行こうとする。私はまた、それを行かすまいとして、押しもどす。二人は花壇の中で、しばらく、無言のまま、つかみ合いました。


しかし勝敗は、はじめからわかっている。私はとうとう、老婆の腕をつかんで、無理にそこへねじ倒した。丁度、ニワトリの脚のような、骨と皮ばかりの腕である。


「何をしていた! 言え! 言わぬと、これだぞよ!!」


 私は、老婆をつき放すと、いきなり、太刀の鞘を払って、白いハガネの色をその眼の前へつきつけた。


けれども、老婆は黙っている。両手をわなわなふるわせて、肩で息を切りながら、眼を、眼球の外へ出そうになるほど、見開いて、唖のように執拗(しゅうね)く黙っている。


これを見ると、私は始めて明白にこの老婆の生死が、全然、自分の意志に支配されているという事を意識しました。そうしてこの意識は、今までけわしく燃えていた憎悪の心を、いつの間にか冷ましてしまったのです。


後に残ったのは、ただ、ある仕事をして、それが円満に成就した時の、安らかな得意と満足とがあるばかり。そこで私は、老婆を見下しながら、少し声を柔らげてこう言いました。


「俺は警察官などではない。今し方この駅を通りかかっただけの者だ。だからお前を警察に突き出して、どうしようと言うような事はない。ただ、今時分この花壇の上で、何をして居たのだか、それを我に話しさえすればいいのだ。」


 すると、老婆は、見開いていた眼を、一層大きくして、じっとその私の顔を眺め始めました。まぶたの赤くなった、肉食鳥のような、鋭い眼で見たのです。


それから、皺で、ほとんど、鼻と一つになった唇を、何か物でも噛んでいるように動かしました。その時、その喉から、鴉の啼くような声が、喘ぎ喘ぎ、私の耳へ伝わって来たのです。


「この花を抜いてな、この花を抜いてな、花束にしようと思うたのじゃ。」


 私は、老婆の答が存外、平凡なのに失望しました。そうして失望すると同時に、また前の憎悪が、冷やかな侮蔑と一緒に、心の中へはいって来たのです。


すると、その気色が、先方へも通じたのであろう。老婆は、片手に、まだ花壇から奪った花を持ったなり、口ごもりながら、こんな事を言いました。


「成程な、花壇の花を抜くと云う事は、何ぼう悪い事かも知れぬ。じゃが、ここにいる花どもは、皆、そのくらいな事を、されてもいい植物ばかりだぞよ。現在、わしが今抜いた花はの、わしが払った税金で役所が植えた花じゃ。わしのモノと云っても間違いはないじゃろう。わしは、行政のした事が悪いとは思うていぬ。せねば、景観を保つため、仕方がなくした事であろ。されば、今また、わしのしていた事も悪い事とは思わぬぞよ。これとてもやはりせねば、年金が足りずただ饑死をするだけじゃて、仕方がなくする事じゃわいの。じゃて、その仕方がない事を、よく知っていた行政も、大方わしのする事も大目に見てくれるであろ。」


 老婆は、大体こんな意味の事を言いました。私は、太刀を鞘におさめて、その太刀の柄を左の手でおさえながら、冷然として、この話を聞いていた。


しかし、これを聞いている中に、私の心には、ある勇気が生まれて来ました。


「きっと、そうか。」


 老婆の話が終わると、私は嘲るような声で念を押した。そうして、一足前へ出ると、老婆の襟上をつかみながら、噛みつくようにこういいました。


「では、我がおぬしの傘を奪おうと恨むまいな! 我もそうしなければ、家に帰れない体なのだ!!」


 私は、すばやく、老婆の傘を奪い取った。それから、足にしがみつこうとする老婆を、手荒く花壇の上へ蹴倒した。私は奪い取った

透明なビニール傘を素早く差し、またたく間に夜の街へとかけて行った。


 しばらく、死んだように倒れていた老婆が、花壇の中から、その体を起したのは、それから間もなくの事である。

老婆はつぶやくような、うめくような声を立てながら、花壇の中から這って出た。そうして、そこから、短い白髪を振り乱して、夜の街を覗きこんだ。外には、ただ、黒洞々たる夜があるばかりである......」

















『はい、以上で面接を終わります』


面接官のその一言を合図に、私は座っていた椅子から立ち上がった。


『大学生時代に一番頑張ったこと』を完璧に発表出来た。これはもう、あれだ。ここが将来の自分の職場となる、そんな未来が既に頭の中に浮かんで消えない。私はかつてない手応えと共に、面接室を後にした。









その行方は、誰も知らない。

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