裸の王様

大人になる、とはどういうことだろうか。

単にアルコールやタバコが法律で許可される年齢になること?

社会に出ることによって晒される様々なストレスに耐えられるようになること?

僕らの国では、大人になる、ということを後者の意味で定義した。

この国で生まれた人々は20歳の誕生日に儀式を行い、『大人』になる。あるゲートをくぐり、いろいろな日々のストレスに一人でも耐えられるような変化を人体に促すのだ。いわゆる『大人になれる』ゲートである。

そのゲートは国産の、安心安全高品質で有名な***社製であり、この制度が始まってから数十年の間、定期的に行われるメンテナンスに引っかかったことはないというのだから、装置に問題はない。仮にもし失敗したとしたら、ゲートをくぐった人間が『大人』になれなかったとしたら、それはゲートを通る側の問題、すなわち、その人が『大人』になることのできない不良品であったと判明するということだ。

そしてそれはこの国での自由な暮らしの終わり、ある程度の水準の生活が保証される人権の喪失を意味する。

『大人になれない不良品』はそれが判明した時点で『不良品』専用の施設に送られ、3年間の教育を受けた後、もう一度ゲートを通される。この際、左手の甲に『修理』が終了した証である『証明書』が印字されるのだ。

彼らは『修理』されたとはいえ、一度で『大人』になれなかった『不良品』。一度壊れたおもちゃより一度も壊れていないおもちゃの方が高い値がつくように、会社での雇用において『不良品』の経歴は大きく不利に働く。それはどんなに立派な大学を出ていようと関係ない。ある意味、いくらでも詐称し得る書類上の学歴よりも詐称できない左手の甲の方が重要であるのだ。


僕は本日20歳の誕生日を迎える。

儀式を受けるため身なりを整える間、背中に両親の視線をずっと感じていた。そりゃそうだ、この家族唯一の愛息子。心配でないはずがない。

「貴方なら大丈夫、私が保証するわ。だから変に緊張しないで、行ってらっしゃいね」

僕を送り出す時、そう言って母は心なしかいつもよりこわばった表情で笑った。

「帰ってきたら美味しいものをみんなで食べに行きましょう」

「そうだね、楽しみにしてる。行ってきます」

僕の表情筋もいつもより上手く動かなかった。


目の前を歩くヒトの手から漂う副流煙。

満員電車の呼吸すらままならない圧迫感。

長い列の先頭でレジの店員に難癖をつけ始めるクレーマー。

そういったいつもなら不快な気持ちになるモノも、この気持ちを味わうのは今日が最後なんだと思うと気にならないどころか妙にさみしくすら感じられた。


そしてついに、その『大人になれる』ゲートを通った。

効果は、というと、それが、実は全く感じられない。

いつもの通り、今までと変わらず、満員電車の息苦しさは僕を苛立たせ、レジ待ちの列の最後尾で舌打ちをしそうになった。

でも、それは『大人』として『ふさわしくない』。つまり、僕は『不良品』だったのである。その事実にショックを受けながらも、頭はどこか冷静だった。不良品の烙印を押されること、それだけは、避けなければならない。ならば、気取らせなければいい。大丈夫、表に出さなければ『不良品』だとは気付かれない。

その日から僕の『大人』のふりをし続ける日々が始まった。



そんなある日、通りすがったクルマが水たまりを跳ね上げ、頭から泥をかぶった。さらに運の悪いことに、その時着ていた服は前の日に買ったばかりのお気に入りだった。

「君、すまない。大丈夫かい?」

そう言って申し訳なさそうにタオルを渡してくる運転手であろう妙齢の男性に声を荒げたくなるのをぐっとこらえ、僕はなるべく優しい声音で大丈夫です、と告げ、微笑んだ。

すると、彼は少し驚いた顔をしてこう言った。

「この国ではみんな、怒らないのかい?」

聞くと、この男性は世界を点々と彷徨う旅人であり、この国にはつい先日初めて訪れたという。折角だから車で街を散策していたところ、ここ数日の雨で道路に水が溜まっているところが多く、どんなに注意しても水をはね上げてしまう。「君は私の4人目の被害者なんだ、本当にすまない」と彼は頭を下げて言った。

「あの、ところでさっきのことはどういうことなんでしょうか」

「さっきのこと?」

「僕が貴方からタオルを受け取った際、随分驚いた様子をしていたので」

「ああ、それなんだけれど。」

彼は首を傾げた。

「君の前の3人もみんな揃って同じような言葉を言って微笑んだんだ。僕が前いたところではこうも、その、立派に水をかけてしまった場合、ほぼ全員が不服そうな顔をしていたし、なんなら三人に一人は怒鳴りかかって慰謝料を請求してきたのだけれど」

「ああ、そういうことでしたか。それでは彼らは『大人』ではなかったのでしょう。」

するとしばらくの沈黙の後、彼の首は今度は反対方向に傾いた。

「……その、君たちの言う『大人』っていうのはどういう意味の言葉なのか教えてくれないか」

この国に初めて来たのだから知らないのも無理はない。僕は懇切丁寧にこの国の『大人』の定義並びに『大人になる儀式』の話をした。

彼は僕の話を神妙な顔つきで聞いた後、僕にこう聞いた。

「君は、私は『大人』だと思うかい?」

「多分、そうなんだろうと思いますが」

「じゃあ、私という存在に情報を加えよう。私は、今日の君のような状況に出くわしたらおそらく不服そうな顔をしてクリーニング代を運転手からもぎ取るまで動かない。この場合、私は『大人』かな?」

「……『大人』では、ないのかもしれません」

「そう、君の国の定義ではそうなるだろう。でも、この『嫌だ』という気持ちは『子供』だけのもので、『大人』は全く抱かないかと言われると、それは違うのではないかと私は思うのだけれど」

「感情の有無といえば確かにそうでしょう。でも『大人』は『子供』よりその制御に長けている存在です。要は、その感情を表に出すか否かの問題ではないでしょうか」

そう言うと彼はうーむと唸った後、おどけた顔で両手を広げた。

「それは確かにそうだ。ただ、こう考えてほしい。君は私に服を汚されるという危害を加えられた。しかも見た所綺麗で比較的新しい服だ。それならば君は私にクリーニング代という慰謝料を請求する権利が十分あるのではないか?」

僕は思わず吹き出し、声を出して笑った。

「薄々思ってはいましたが、貴方、やはり随分変わっていらっしゃる!貴方は、そうまでして僕にお金を払いたいんですか?」

「いや、まさか!」

と彼も笑って首を振る。

「もちろん払わなくていいなら払いたくないさ!私は定職にもついてない根無し草の放浪者だからね。ただ、君からは随分興味深い話を聞けた。慰謝料をもぎ取る権利があると気付かせるくらいのことはするよ。さあ、どうする?」

もう答えは決まっていた。僕はその場で近所のクリーニング店の値段を調べ、それに少しだけ上乗せした額を彼に請求した。

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短編集 松宮凪 @Acanth

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