お題:兜(榊原鍵吉)

 先の二名が失敗した。最初の警視庁撃剣世話掛に採用された人物、上田馬之助と逸見宗助である。

 次は我の番だ。

 榊原鍵吉は兜の前に立ち、刀を構えた。



「なんとしても、斬らねばならぬ」

 明治十九年十一月十日。鉢試しが行われる朝、榊原は腹に力を入れ、刀に向き合った。鉢試しは刀、槍、弓の武術を天覧に供するものであり、そのうち刀での鉢試しは天覧兜割りと呼ばれている。

 しかし目の前にあるのは、榊原が望んでいた刀ではなかった。

「あの刀でなければ……」

 榊原には心に決めた刀があったが、ついにその刀は届かなかった。明治の世になっても丁髷を残していた榊原は、その頭を深く下げてから刀を握った。

 ちょうどその時、玄関に刀屋の男が飛び込んで来た。

「先生! お待たせしました! ああ、間に合って良かった!」

 その姿を認めた榊原は、うむ、と厳かに頷き、震える手から刀を受け取った。

 同田貫。この刀でなければ、兜割りを成すことはできぬと信じていた。



 目の前に置かれているのは、明珍作の兜である。頑丈な明珍兜とはいえ、斬れないものではないはずだ。

 心を落ち着かせ、ぐっと力を入れた次の瞬間、兜に大きく斬り込みが入った。

 切り口、三寸五分、深さ五分。

 榊原はその斬り込みを見て、清々しく昇る朝日を思い浮かべた。まるで斬り込みから光が広がってくるようだ。熱い心が静まり、ただ爽やかな光と風を感じている。そのような心地がした。

 榊原は、最後まで侍でいようと努めた男だった。

 廃刀令が出てからも、帯に掛けるための鉤(かぎ)が付いた木刀・倭杖(やまとづえ)と、木製の扇である頑固扇を、刀の大小の代わりに身につけていた。それほど頑固な男であった。

 その男が、ついに兜割りを成し遂げたのだった。



【あとがき】

 榊原鍵吉は、講武所剣術師範役や将軍・家茂の個人教授を務めたほどの人物で、明治十九年の天覧兜割りでは同田貫を使って兜を割り斬ったと言われています。

 明治の世になると断髪令や廃刀令が出されますが、彼は自身のスタイルを曲げることはありませんでした。



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歴創ワンライ作品集 みたか @hitomi_no_tsuki

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