お題:星(歌川広重)

「今こそ、花火を描く時だ」

 歌川広重は、そう思った。


 安政五年の夏。広重は、花火に願いを込めた。花火には、疫病をもたらす悪霊を追い払うという、特別な力があると信じられていたからだ。

 これまで見てきた花火の鮮やかで美しい光景が、広重の胸の中に浮かぶ。

 赤一色の花火は、空に浮かべた真っ赤な大輪の花のように見える。そしてその花が開き花弁を散らすと、まるで星が降ってくるかのように思えるのだ。

 人々は空を見上げ、笑いながら酒を飲み、歌い、花火を愛でる。ランプの灯りなどない江戸の町の夜空は、星と花火で彩られ、人々の心に喜びを運んでいた。

 五月末の隅田川の川開きから三ヶ月間、毎日のように上がる花火は、人々の楽しみの一つであり心の支えであった。

 しかし、例年通りの賑わいを見せていた町は、この時分にはすっかり暗闇の中に溺れてしまっていた。コレラの影響である。

 広重は浮世絵で花火を描くことで、人々の心の中に花火を咲かせ、この疫病をもたらした悪霊を追い払ってやりたかった。


 広重は、姿勢を正して机の前に座った。紙をピンと伸ばして、指先を優しく乗せる。筆先を静かに動かしながら、線を丁寧に描いていった。一本一本に、願いを込めていく。

 大地震、大風災に続くこの疫病で、たくさんの人間が死んでいった。その人々がまるで空から見守っているような、そして地上の人々が祈りを込めて見上げているような、そんな絵が描きたかった。


 安政五年八月、広重は『名所江戸百景 両国花火』を発表する。それはこれまで描いてきたような、夜を楽しむ賑やかな花火ではなかった。

 暗闇に上がる花火が、まるで星のように人々を照らす、儚い一枚であった。



【あとがき】

 安政五年の七月末、コレラが流行り始めます。江戸湾沿岸地域から広まり、八月に入ると江戸中に爆発的に広まっていきました。最終的には、死者およそ三万人の犠牲者を出してしまいます。

 そんな中発表した広重の浮世絵は、祈りを込めるような儚い花火の浮世絵でした。その花火は、まるで輝く星のようにも見えます。

 この絵を発表した直後の九月、広重はこの世を去りました。コレラで亡くなったと言われています。

 また、この時代には火薬に化学薬品を混ぜて発色させる技術はなかったため、花火は赤一色でした。


(参考)

EDO-100 フカヨミ!広重『名所江戸百景』/堀口茉純


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