悪魔と少年

雪鼠

プロローグ

「何をしている。人間たちよ」


 田舎町の小さな廃教会で、重々しい声が反響した。


「見ない顔だな。ここが何処であるか、その者が誰のものであるか理解しての所業か?」


 冷たい床の上で、骨と皮しかないような痩せこけた少年が一糸纏わぬ姿で横たわっていた。少年を取り囲んでいた多くの男たちの、その顔から血の気が引いていく。


「これがお前たちの望みなのだろう。ならばそれを叶えるのみ」


 廃教会の奥の何もない場所から、人の姿をかたどった、人智では解すことのできない何かが語りかける。


「っ……、違う!」


 音もなく、ぬるりと移動したそれは、否定した男の眼前で微笑みを浮かべた。まさに悪魔そのもの。悲鳴を上げる間もなく、ふりかけられた息で男の生気は散り、床に倒れ込む身体は衝撃で崩れて塵となった。


「何が違うというのか」


 叫び声は上がらなかった。目の前で塵と化した仲間に他の男たちは息を呑み、すぐに訪れるであろう自分の番を連想した。

 その恐怖に満ちた表情こそ、悪魔へのご褒美だった。悪魔は人間に恐怖を与え、そこから生まれた感情を至上の喜びとする。つまり悪魔の生の根源は、人間の負の感情であり、この世界の淀みそのもの。


「……時間をかける価値もない」


 笑顔を隠した悪魔はひと息で残りの男たちを塵へと還した。彼らの絶望は、悪魔の喜びになり得なかった。


「これでお前は、本当の孤独だ」


 悪魔は横たわる少年に近づき、その耳元で囁く。

 悪魔が男たちへ吹きかけた息は、廃教会の中だけで収まることなく、この辺鄙な町全体へと広まっていた。その場に息づいていた生き物すべてが跡形もなく消え去っていた。

 残っていたのは少年ただ一人。目を覚まさない彼に、悪魔の声は届かない。


「……おめでとう」


 聞き手のいない祝福の言葉は、埃が舞う空気に消える。

 そして悪魔も廃教会から姿を消した。その重々しい声も空気も、まるで最初から存在しなかったかのように消え去った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

悪魔と少年 雪鼠 @YukiNezumi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ