ロサ・ダマスケナの誘惑あるいは神獣たちの甘美なる戯れ

有部理生

実はバラの原種は極東産が多いですが本日の主役はたぶんこの辺が原産らしい品種。ちなみに交雑種であるらしい

山々が薄らと暗く囲む荒地のさなか、みずみずしい葉をつけた低木がまとまって生えている。


風は涼しく、人間ならば長袖一枚か二枚着れば快いだろう気温。空を見上げれば雲一つ無い。


ここはイランがカシャーン州。夜明け近くの薄青の空に、沈む前の月が貼りつく午前4時。


「よっしゃ摘みまくるぞー!」


「お、おー!」


グリフォンもとい鷲獅子シールダールのロスタムが雄たけびをあげる。

私——青竜、名前はひかり——はこのノリについていけるのだろうか……?


ともあれ、新鮮な薔薇水ローズ・ウォーター入手のためには、バラが開ききる前に花を摘まなければならない。できれば太陽が昇り気温が上がる前に。そしてこさえた薔薇水ローズ・ウォーターイラン欧州を問わず適当(※科学用語の意味で)なお菓子を作ってくることが今回のミッションパートナーからのお願いである。


それにしても、同じくダマスクローズロサ・ダマスケナの産地として有名なブルガリアの薔薇の谷カザンラクと比べると、ここは耕地というよりやはり荒地感が強い。周囲にあるバラ以外の植物は、丈の低いイネ科雑草に疎らな茂み、時々ある低木程度。残りは表面が小石で覆われた茶色い土だ。周囲を囲む山も薔薇の谷カザンラクや、ましてや日本のように緑で覆われてなどいない。そこにバラだけいきいきとえている。対比が鮮やかでいっそ美しいと言っても良いが、神経回路ニューロンバグり誤作動しそうな眺めではある。


「ここのバラは野生だからな! だから香りが強いんだ」


ロスタムが誇らしげに告げる。なるほど、確かに植物の二次代謝産物香りや薬効の成分とかは過酷な環境で増えることも多いが……(良い環境の方が多いことももちろんある)。ちょっとたくましすぎやしないかダマスクローズロサ・ダマスケナ、いやここではゴレ・モハンマディムハンマドのバラか。薔薇の谷カザンラクではもっと水とか肥料とかもらってたはずだろう、君たち。何が君たちをここに生やさせるんだ、寒暖差による病害虫からの保護目的か?


益体やくたいも無いことを考えながらけっこう密生しているバラのやぶに入る。近づいてみるとなかなか花と全体の均整が取れ、花以外の細部も好ましい風情。五枚、まれに七枚の小さな楕円形の葉小葉からなる柔らかな緑の葉。モダン・ローズハイブリッド・ティーよりはたおやかな花茎。対して太くかたくしっかりした黄緑色の茎に、剛毛と赤みを帯びたトゲがやはりしっかりとつく。同じく早朝に摘む紅花と違い、こちらのトゲは朝露に濡れても柔らかくなりそうには思えない。幸い集合恐怖症や錯覚的な痛みをもよおすほどびっしりと多くはなく、むしろ茎との対比が美しく思えるくらいな少なめな数が救いか。私たちはトゲに傷つけられるほどヤワでは無いが、ヒトには痛いだろう。……実際は花茎だけ触れるならそこまで心配しなくて良いと言っても。


かつては人手不足で出稼ぎを頼ったこともあるバラ摘み。現在は世界的な人口減少に伴い、多くは我々機械生命がこなす。かつての機械ならともかく、ともすれば人間以上に繊細な感覚を持つ我々なら、人間のできることは大体可能だ。余りこういった作業に向かないように見える四足獣タイプのロスタム鷲獅子でさえも、器用にクチバシを使い、花をちぎり取っていく。花弁に傷は一切ない。木へのダメージも最小限にである。


私たちは最初の方に来たが、後にも何組か本職の機械生命がやって来た。と言ってもバラ摘みをするヒトは0人ではない。レクリエーションや、産品のプレミア高付加価値を目的としてそれなりにはいる。この香りをヒトが愛する限り、例え痛い思いをしても手ずからダマスクローズロサ・ダマスケナを摘みたいヒトは絶えぬに違いない。そう思わせる甘い香が周囲に漂っている。大量の化学センサを収めたひげをこっそりと開きかけの花中に差し込んでみた。打ちのめされるほど強い香。慌てて引き抜く。もう少し感度を鈍くしておくべきだったかもしれない。


「今年は出来がいい、これは期待できそうだ」


「ナッツ食べるかい?」


機械生命とヒト、ヒトとヒト、機械生命と機械生命。ときおり談笑し、時には黙々と手を動かす。沈む月、白む空にかされるように。


やがて朝ぼらけが山々の稜線を黄金に染める。


朝の光に照らされた薔薇のつぼみは青みがかったピンク、鮮やかなショッキングピンクをほんのわずか淡くした色。開いた花弁はさらにもう少し淡い色。


全身薄い金色プラチナブロンドのロスタムに、バラの花も葉もよく映える。ちなみに私は滞在地イランにちなみ、今日のウロコの色はトルコ石色。


早くに開いた花を見る。房になって咲く花は、確かにモダン・ローズハイブリッド・ティーに比べれば小ぶりかもしれない。しかし、豪奢に重なった花弁のおかげで全くそれを感じさせない。花弁は分厚すぎない適度な厚み。時には光を弾き、時にはわずかに光を透かす。


日が登っても、冲天ちゅうてんに太陽が至るまでは作業は続く。乾燥のおかげでヒトも余り汗をかいた風には見えないが、気温は既に30 °Cを軽くこす。ナノセルロースファイバー製透明ゴミ袋いっぱいに詰められた花がいくつも近隣の村に持ち帰られていく。香りの成分は揮発しやすいため、今日中に蒸留しなければならない。


ひと抱えもある銅の釜。いくつも並んだ釜のどれにもバラがぎゅうぎゅうに詰めこまれた。私たちの摘んできた花も。さらに山から降りてきた清廉な雪解け水を加え、火にかけられる。エネルギー効率の改良等はあれど、中世、ひょっとしたら古代より構造も手順プロトコルも変わらぬ水蒸気蒸留。あとはバラの成分が溶け出した蒸気が全て凝結すこごるまで待つばかり。


蒸留完了まで少しく時間がかかる。ローズ・ティー用に蕾を干したり、蒸留器には入れず残しておいたバラの花弁からジャムを作ったりして待つ。菓子の材料も日本から持って来た和菓子の材料や何か以外は買い集め、できる分は下ごしらえをしておく。フィロ中東風パイ生地は市販のものと、私たちで手作りするのとを両方試してみよう。市販のものは解凍のため、手作りの方は寝かせるために冷蔵庫にぶち込んでおく。無塩バターの塊を火にかけて、澄ましバターも用意しておく。小豆とデーツを混ぜて焚いて餡も作る。布で濾してよく練ってこしあんに。


花輪を編み、皆に分けては私たちも首に飾る。誰も彼もが鮮やかなピンクを頭や首に着けて。毎年の恒例行事である村人の皆とは違い、私はついソワソワとしてしまう。


まだ明るいがそろそろ夕刻に差し掛かろうかという頃。透き通る薔薇水ローズ・ウォーターが華やかな香りを放ちながら集められる。


そこから幾分いくぶんか分けてもらう。

炒めた小麦粉に砂糖を入れた薔薇水ローズ・ウォーターを混ぜて固めてハルワを、小麦粉を薔薇水ローズ・ウォーターで練って揚げてハトゥン・パンジェレ貴婦人の窓を。寒天を溶かし薔薇水ローズ・ウォーターを混ぜてバラを封じるように冷やし固めたゼリー。砂糖の量をうんと多くしてキラキラと透き通る琥珀糖。桜餅ならぬバラ餅は関西風、関東風の二種。道明寺粉を薔薇水ローズ・ウォーターで蒸し上げ、あるいは白玉粉と小麦粉を混ぜ薔薇水ローズ・ウォーターで練りクレープの様に焼き。中身は先ほどのあん、イチゴをあんで包んだもの。桜の葉の代わりに咲いたバラをのせて。どら焼きも薔薇水ローズ・ウォーターやバラの花弁のジャムで薔薇風味にしてみる。卵白に薔薇水ローズ・ウォーターを混ぜて薔薇のような焼きメレンゲに。アーモンドの粉を混ぜてマカロン。バラ型のクッキー、薔薇水ローズ・ウォーター入りのマフィン、パウンドケーキ。アイシングも薔薇風味。バラ水と柑橘の果汁を合わせて冷凍庫に。凍ったらかき氷に。


鷲獅子シールダールの立ち居振る舞いはキビキビと。青竜の手つきは堅実に。無線通信でレシピを共有しあい、明敏な感覚器の反応を受けて味を整える。ヒトとはかけ離れた姿形でも互いにできることを確認して役割分担をする。


甘い香り。薔薇水ローズ・ウォーターを砂糖と混ぜて煮て大量にシロップが作られる。作ったシロップは冷まし、温度が下がったら冷蔵庫に入れさらに冷やし。

ピスタチオ、アーモンド、クルミを混ぜて砕きスパイスを混ぜる。澄ましバターを塗って重ねた生地の上に砕いたナッツをのせ、更に同様に生地を重ね。あるいは生地で砕いたナッツを巻き込み。予熱したオーブンで焼き上げ適宜てきぎ冷やしたシロップをかける。バクラヴァの完成。


水で作ったかき氷に薔薇水ローズ・ウォーターのシロップ。白玉を茹でて薔薇水ローズ・ウォーターのシロップで食べる。薔薇水ローズ・ウォーターで練り上げ花弁も混ぜた羊羹。薔薇水ローズ・ウォーターを片栗粉で固めマスアティック。薔薇の形をした飴細工。ハトゥン・パンジェレ貴婦人の窓に似ているが薔薇水ローズ・ウォーターのシロップに漬けるズールヒヤー。アーモンドなどに薔薇水で練った砂糖衣をかけたノグル。砂糖を薔薇水ローズ・ウォーターのシロップで固めてバラ型の角砂糖に。これはローズティーに入れて。タピオカも茹でて薔薇水ローズ・ウォーターと合わせてみる。


私たちはとにかく狂気の様に薔薇水ローズ・ウォーターを用いた菓子を作り続けた。適宜試食し、余った分は村の人に分け、日持ちするものはパートナーへのお土産として十分な量を取っておく。半ば皆が呆れていたのは気にしない。ここいらの人は甘党だから、喜ばれもしたけれど。ちなみに機械生命も、食物のうち炭水化物がエネルギー源にしやすいため大体が甘党だ。ここでは飲まないが、エタノールアルコールも効率の良いエネルギー源なのでだいたい飲兵衛も兼ねる。


ともあれ作った菓子はどれもなかなかの出来だった。全種類食べたら頭の中が薔薇で埋め尽くされる気がしたが。


お腹を一杯にしつつ帰国、パートナーにお土産を振舞う。

学会云々で来られなかった彼女はたいそう喜んだ。

あとは日本でしか作れない菓子も作って使命完了ミッションコンプリート


後日、イランのロスタム鷲獅子の元にお礼と言って、薔薇の香りがするコンペイトウが届けられた。

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ロサ・ダマスケナの誘惑あるいは神獣たちの甘美なる戯れ 有部理生 @peridot

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