第3話 声なきシャウトが闇に溶けていく

 とは言っても、やはり気になるものは気になる。


 表子ひょうこはいい子だ。幼い頃から遊んでいたから人となりは知っている。私が勧めたら丸眼鏡をやめてスクウェアタイプを掛けてくるくらい素直だし、音楽はサブスクにした方がいいよって言ったらすぐにそうした。ファッション誌も私と同じのを読むようになったし、米津よねづ玄師けんしも聴くようになった。そう言えば教えてあげたあと「ハチのことなんだね」ってわけわかんないこと言ってたけど、養蜂に興味はないから「多分そう」って適当に返しておいた。そしたら満足げに笑ってたな。あとシャンプーとトリートメントも変えた、はず。

 とにかく純粋でいい子なんだ。だからそんな友達の平穏を脅かすド変態野郎(多分男でしょ)は是非とも警察に通報してあげなくっちゃあいけない。もともとお化けは信じてないんだよね。


 塾の帰り、進路を変更してわざと遠回りしてみた。

 夜の帳はもう完全に落ちきっていて、街灯の隙間を縫って星空もぼんやり輝いていた。ウイロウよりも粘質的な空気がぺっちり張り付いて、シャツの裾をパタパタしてお腹の中に風を迎え入れた。昼間にもくもくしていた雲は月と山の間に筋を引いている。


 ——ジャッ、ジャッ、ジャッ、ジャリ。


 砂を素早くかき回すような音が響いてきた石垣の方を見る。

 この住宅地は丘をコンクリートで覆ったようなところだから、公園は斜面に出っ張るような形で作られている。私は下から坂を上るように公園を目指してきたので、音の正体が解らない。でも確実になにかが居る。


 ニューバランスでつま先立ちをして、足音を殺す。少しずつ少しずつ近づいていく。ゆっくりゆっくり登っていく。フェンスの下から公園を見る。だけどそこには葉を茂らせた紫陽花がこんもりと咲いていて、良く見えない。と、茂みの隙間から激しく動き回る革靴が見えた。


 足。足がある。良かった。人だ。

 あ、いや最初からわかっていたことだけど。


 あとはなにをやっているのかを確かめないと。学生がダンスの練習やってるだけで通報したらかわいそうだし。同じ学校とかだったらあとでめちゃ気まずくなる。


 足音を潜めて、坂を登っていく。


 そこにはサラリーマン風の男がいた。公園の四隅には外灯が在って、スポットライトのように中央にいる彼を照らしている。彼を中心に四つの影が伸びていた。


 その影が激しく狂いだす。


 男はヘッドフォンをしていた。それごと頭を左右から押さえて激しく振り乱す。高速ヘッドバンギング。首の骨がこんにゃくみたいにブルンブルン波打つ。前髪とバサバサと暴れる。まるで自分の中心がヘッドフォンにあるみたいに、彼の脚はふわふわふらふらと前に後ろに右に左に、それでも確実に縦のリズムを刻みながら公園の土をザリザリと踏み荒らして、騒がしく踊った。


 ダンスと言うわけではない。ただただ音楽に乗っているだけ。というか音楽に乗っ取られているような動きだった。そこには彼の意思がないように。ただひたすらに暴れ回っている。無音で。


 ——ジャッ、ジャッ、ジャッ、ジャリ。


 私の耳に届くのは砂利を軋ませる音だけ。

 彼の両手が不意にヘッドフォンから離れる。自分の顔面を覆い、掻き毟るように指が蠢いた。両手を離し、胸を反らせて夜空を見上げて、大きく口を開きながら痙攣していた。声なきシャウトが闇に溶けていく。


 ——うん。やべえ奴だ。通報通報っと。


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