第7話
「乃耶……なぜだ」
斎藤は目を剥き、乃耶の細い腕を掴もうとした。乃耶は素早くかわし、斎藤の肩を蹴り倒した。
驚愕と衝撃のあまり、斎藤はあっけなく地で濡れた地面に伏せる形になった。乃耶はそれでもなお表情一つ変えず、無様な格好をした父親のことを見下ろしていた。
「あなたは、ずっと仕事にかこつけて帰ってこなかった。お母さんが壊れても、家が炎に包まれても助けてはくれなかった」
「違うんだ。乃耶、それは……」
「さっき自分でも言っていたでしょう。犯人探しは罪滅ぼしだって。たしかにあなたは警察にも頼らず、一人で執念深くシロのことを追いかけていた。この人がどんな人かも知らないで」
乃耶は斎藤に馬乗りになり、腹のナイフを抜き取った。傷口からは、さらに大量の血液が溢れ出す。
「……乃耶、いつから口が利けるようになったんだ」
「火事から一週間くらいしてからよ。でも、話せると知ったら、あなたは間違いなく私にいろいろ聞いてくるでしょう?だから黙っていたの。――炎にすべての闇を葬り去ってくれた、真っ白な天使。彼を守りたかったから」
乃耶はスーツの懐をまさぐりだす。やがて抜き取った手には、革製のキーホルダーが握られていた。満足そうに眺めると、立ち上がり、スカートについたほこりを払った。
「じゃあね。その程度じゃあ、きっと命に別状はないわ。車は借りるね。あ、そういえば信用できない警察は頼らないのよね。もちろん、このことも公にするつもりはないのでしょう?」
斎藤は口をパクパクと動かしている。うまく声を発することができないようだった。だが、思い立ったようにふらりと立ち上がり、廃材の裏に続く道から、ヨロヨロとどこかへ消えていった。
乃耶は最後に父の姿を一瞥して、小走りで俺のもとに寄ってきた。抱き着いてくる彼女の温度は、もはや感じることができなかった。
乃耶は静かに、俺にささやいてきた。
初めて出会ったあの日よりもずっと、ずっと大人びた声だった。
「行きましょう。私の、救世主――」
シロの救世主 鳴杞ハグラ @narukihagura
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