第13話 ゆきにプレゼントした御守り
病院の集中治療室のベッドで寝かされた勇太は、相変わらず意識不明の状態だった。担当の看護師は、一定の時間ごとに点滴の輸液のパックを交換していた。
「あら、こんなところに傷跡があったかしら。先生、正木勇太さんの左の膝に傷跡がありますが、以前はなかったような気がするんです。私見落としたのかしら?」
「ふ~む、そんな傷があったのかなあ。ひざの傷跡までは覚えてないなあ。君の気のせいじゃないのか。大勢の患者さんを見ているから、勘違いしたんだろう。多分元々あったんだろう」
「そうなのかしら。おかしいわねえ。来た時にはなかったような気がするんです……私の目の錯覚かしら」
「まあ、どちらにせよ今の病気の回復には関係ないから、気にしないほうがいい」
「はい、そうします」
この患者の事なら、運ばれてきたときから見ていた。救急車で運ばれてきたわりには、保険証も自分で握りしめていたし、退院するときに着ていく着替えもバッグに詰めて待っていたと聞いた。中には白のワイシャツとシンプルな紺のズボンが入れられていた。あまりに用意がいいので、救急隊員はタクシー代わりに救急車を呼んだのではないかと訝ったという。だがここへ来て診察してみるとかなりの重体だった。最後の力を振り絞って救急車を呼んだようだ。
意識のない状態で着替えさせたのが自分だった。こんなはっきりした傷跡があれば見逃すはずがない。看護師になって以来、気を付けていたことだ。しかもはっきりと縫った跡がある。看護師は、そっと勇太の膝の傷を撫でた。
「いつこんな傷跡が出来たの?」
と、独り言を言った。その時、ピクリと体が動いたような気がした。
「気がついたの!」
耳元で声を掛けたが、勇太は返事をすることもなく眠り続けていた。
「私本当に疲れているのかも。正木さん、頑張って生きるのよ。人生はまだまだこれからよ」
看護師は、ふたたび勇太に声を掛け、立ち去った。
深い眠りから覚めた勇太は、ゆきの家の布団の中にいた。カーテン越しに朝の光が差し込んでいる。ああ、また朝がやって来てよかった。また一日生き延びた。昨日の事故では、危うく大怪我をするところだった。九死に一生を得たような気持で帰ってきた。起きて目覚まし時計を見たが、周りや随分静かだ。そうか、今日は土曜日だった。いつもと同じ時間に起きたが、目覚めはすっきりしていたので、布団から出てカーテンを開けた。
隣の部屋も静かだ。ゆきはまだ寝ているのかもしれない。
「ゆき、ゆきちゃん。まだ寝てるの?」
ふすま越しに声を掛けた。しんとしていた。勇太は布団を片付け一人机に座った。
自分の持っている荷物を一つ一つ見てみた。教科書やかばんはこちらの学校で借りたものだ。ハンガーにかけられた制服は今の学校の制服だ。
着替えは自分でここへ持ってきたんだろうか。抽斗の中に入れられていた自分の私服を一枚一枚確認した。いつの服なのだろうか、誰が用意したのだろうか。眺めていても勇太にはわからなかったが、この時代の服だということはなんとなくわかった。
唯一見覚えがあったのは、仕事に行くときに着ていた服だった。それは入院するときに帰りに着ようと、最後の力を振り絞って鞄に詰めた服だった。その服のポケットにお守りが入っていた。結局所持品は地元の寺で購入したお守り一つだけだった。そこには小さな鈴がついていた。
いつまでこの状況が続くのだろう。死神はどういうつもりなんだ。何も起こらない以上ここでこのまま生活するしかない。
「勇太くん、起きてる?」
あれ、ゆきさん、起きてたのかな。
「起きてるよ」
すっとふすまが開き、ゆきが心配そうな顔をして入って来た。昨日の事をまだ、気にかけているのだ。
「勇太君、痛いところない?」
「もう、へっちゃらだ。心配しないでね」
「後で、後遺症が出るってこともあるからさ」
「ほら、この通り」
勇太は机の前から立ち上がり、部屋の中をぐるりと回って見せた。
「足はどう?」
「まだ、傷口は痛いけど。骨には異常はないからよかった」
実際、縫合した傷口はまだ痛かったが、そのうち塞がるだろう。
「ゆき、これプレゼントする。俺の地元のお寺のお守りなんだ」
「そんな大事なもの、もらっちゃっていいの?」
「お世話になったお礼。俺何にもお土産持ってこなかったから」
「ありがとう。鈴がついてる」
ゆきは耳元で振ってみた。
「可愛い。それに、いい音がする」
鈴は元々ついていた物ではなく、別に買って付けたものだった。お守りはいわば自分だけのオリジナルだ。
「じゃあ、大事に持っててね。これを持ってるといいことがある」
「へえ、何があるか楽しみ」
「それと、災難からいつも守ってくれる」
「ご利益がありそう。私もこれからずっと持ってることにする」
ゆきは、両手でぎゅっとお守りを握り閉め自分の部屋へ持って行った。勇太は、体の力がふっと抜けたような気がした。自分の持ち物は何もなくなってしまった。
再びゆきの声がした。扉が開き、ゆきの悪戯っぽい視線が覗いた。
「勇太君、ここへ来たこと後悔してる?」
「いいや、決して後悔してない。どうしてそんなこと訊くの?」
「時々寂しそうな顔をするから」
「ちょっとホームシックになっただけ」
「そうか。そうだよね。まだ高校生だもん、当たり前だよ」
「ゆきがいてよかった!」
勇太は、ふざけてゆきにタックルした。ジャージ姿のゆきは畳の上に転がって、大笑いした。立ち上がると、今度はゆきの方から勇太にタックルした。肩を勇太にぶつけたり、両手で押したりしている。今度は勇太が畳の上に転がった。
「どう、参ったかあ!」
「ああ、止めてくれえ!」
横倒しにされた勇太の上に、ゆきが体重を掛ける。二人は大笑いして、畳の上に座り込んだ。
「楽しかった」
「寂しかったら、いくらでも遊び相手になるよ」
ゆきが、再び障子の向こうに消えていった。
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