第11話 ゆきのくれた温もり

 布団の上に朝の光が差し込んでいる。勇太は、薄目を開けてカーテン越しに差し込む太陽の光を見た。この光を見るとホッとする。今日一日が始まり、もう一日生き延びられた気がするからだ。


 目を開けたまま体を横たえじっとしていると、障子がパッと開き、制服を着たゆきのすらりとした体と、怒ったような彼女の顔が見えた。でも、本当に怒っているわけではないんだ。


「勇太君、朝よ! 今日も朝寝坊なんだから」

「今起きるよ」


 勇太は伸びをする。昨日は三人でサイクリングをしお好み焼きを食べた。最高に楽しい時間の後で、闇の中に放り込まれるような孤独を味わった。それからすぐに寝てしまったから、かなり長い時間眠っていたことになる。


「今日も朝が来て、学校へ行ける」

「何を言っているの。早く支度して」


「急いで支度するね」

「今日も自転車飛ばしていくの嫌だからね」


「ああ、昨日は御免。ねえ、ちょっと待って。ゆき」

「なあに。自分がこの場所とほかの場所の二か所で存在するって信じられる?」


「そんなこと、不可能よ。体は一つしかないし、時間はどんどん過ぎていくから。時間を止められたら、可能かもしれない。だってみんなの時間だけ泊めてしまえば、自分だけが移動できる」


「そうだよな。不可能だよな。当たり前の事だ」

「あら、そんなことを考えていて眠れなかったの? それで朝寝坊しちゃったの?」


「そうじゃない。なんとなく頭の中に浮かんだだけ」

「最近なんか元気ないよ。悩み事でもあるの。私に話して?」


「ありがとう」


 ゆきは勇太の手を取った。その手は思いのほか冷たかった。


「勇太君、手が冷たい」

「えっ、どうして!」


「風邪ひいたんじゃないの?」


 ゆきは勇太に顔を寄せて額に手を置いた。


「熱はないみたいだけど、顔色が悪いよ」

「えっ、どうしちゃったんだろう俺」


 勇太は洗面所に駆け込み、鏡に映った顔を見た。その顔は青ざめていた。体は、ちゃんと動くし学校へも行けるだろう。


「念のため体温測ってみる?」

「いいよ。もう大丈夫だ。急いで支度して学校へ行こう」


「無理しないでね」


 勇太は体温を測るのが怖かった。自分の体がもう消えてしまうのではないか、体温などないのではないかと恐怖に駆られていた。勇太はゆきの手を取った。


「俺の手そんなに冷たい?」

「ちょっとね。心配させちゃったね。それほどでもないよ」


 ゆきは、勇太の手をさすってくれた。摩擦で少しだけ温かみが戻ってきた。近くで見るとゆきの顔は愛くるしく、子供みたいに無邪気な表情をしている。髪の毛も染めていないのだろう。黒髪に近く、光に反射したところだけが少しだけ茶色く輝いている。だからなおさら唇の赤みや、くりくりとした目がくっきりと目立つ。自分の事をこれほど心配してくれる。勇太もゆきの手を握り返した。温めようとしてさすっていたゆきは手をすっと引っいた。


「勇太君、やだ。手を握ってたわけじゃないんだからね。勘違いしないで!」

「俺もゆきの手があんまり暖かいから、握ってただけだ。自分の手が冷たかったから。勘違いするなよ」

「じゃあ、あとちょっとだけいいよ」


 再びゆきは手を勇太の手のひらに置き、さすってくれた。ほっそりした勇太の指先まで握ってくれたおかげで、手は温かみを増してきた。ゆきの温もりが嬉しかった。


「もう大丈夫だ。生き返った」

「大袈裟ね。学校へ行けそう?」


「行くよ」


 勇太は、キッチンへ行き並べられた朝食をすべて平らげ自転車にまたがった。



 学校へ行くと、愛理が声を掛けてきた。


「勇太君、昨日は楽しかったね」

「うん、いい思い出が出来た」


「もう、そんな悲しいこと言わないで。思い出だなんて」


 そうだ、数か月で俺はここを出て行かなければならない人間だから、つい口走ってしまったが、彼女たちにとってはずっと続いていく日常の一ページなんだ。


「そんな意味で言ったわけじゃないよ。忘れられないほど楽しかったってこと」

「私も忘れないよ」


 ゆきは、まだ心配そうに勇太の様子を見守っていた。


「勇太君、学校へ来たら元気になったね」

「みんなの顔を見たら、パワーが出た」


 勇太は、ゆきの事を忘れたくないと心の底から思った。ゆきも自分の事を覚えていてくれることを願った。いずれ離れてしまうのは分かっていても、心の奥底で自分の存在を、自分がいたということを覚えていて欲しい。勇太は切ないほどの思いをこの時初めて自覚した。愛理の美しさに魅了されながら、心の中ではゆきの優しさに癒されていたのではないかと考えていた。

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