第10話 お好み焼きの味

 帰りは山を歩いて下り、出口に出ると自転車に乗り坂道を降りた。自然公園の中には、様々な花や木があり、自然の息吹を感じることができた。日はだいぶ傾きかけていた。遠く雲のまにまに消えていきそうだった。


 さらに走ると街並みが見えてきた。見慣れた光景が戻って来てほっとした。ゆきの家まではもう十分も走れば着くだろうというあたりで、お好み焼き屋の看板を見たゆきがいった。


「寄って行かない、愛理、勇太君? 遅くなっちゃうけど二人さえよければ……」

「そうね、たまにはいいかな。じゃ寄って行こう。勇太君もいいよね!」


「いいよ。でもおばさんに電話しといたほうがいい」

「オッケー、私が電話するから、心配しないで」


 ゆきが家に電話を入れて、店で食べていくことにした。店の中に入ると、ソースのいい香りが漂っていた。鉄板の前に三人で座り、豚肉の入ったお好み焼きを注文した。カップに入った具材が運ばれてくると、三人は歓声を上げ注がれた麦茶をかちりと合わせた。


「乾杯!」

「お疲れ―っ!」


 汗をかいた後は、勇太はぐっとビールでも飲みたい気分だったが、ぐっとこらえて麦茶で乾杯した。


「今日は楽しかった。案内してくれてありがとう。きっといつまでも忘れないよ」

「そうお。いつまでも覚えといてね」


 愛理がごくりと飲みながら言った。三人とも喉が渇いていたので、美味しそうに麦茶を飲んだ。瓶が置かれていたので継ぎ足した。


「さあ、焼こうね!」


 ゆきが具材を混ぜ油を敷いた鉄板の上にスプーンで丸くなるように置いた。じゅっ、と生地が焼けるいい音がして、湯気が立ち上った。愛理と勇太も鉄板の上に具材を置いた。三人ともほっこりした気持ちで溶いた小麦粉が透明になり、ブクブクと泡が出てくるのを見つめた。


「さあ、そろそろひっくり返してもいいかな?」


ゆきが言った。勇太はお好み焼きは昔よく焼いていて、ひっくり返すのは得意だった。


「俺がひっくり返そう。得意なんだ」


 勇太は立ち上がり、両手にへらを持ちゆきのお好み焼きをひっくり返した。手首をくるりと回転させ、生地はみごと綺麗にひっくり返った。崩れることもなくぴたりと回転して止まったので二人は歓声を上げた。


「ほうっ!」

「やった!」


 勇太は嬉しい気持ちになり、残りの二枚も次々とひっくり返した。上から押しつけると、じゅっといい音がして、湯気が立ち上った。そのまま待つこと五分程でよいにおいがしてきた。切れ目を入れソース、鰹節、青のりをふりかけて、更にひっくり返した。勇太は無性に懐かしい気がして、無心でその動作をつづけた。


 高校生の頃の思い出がフラッシュバックしてきた。ああ、あの頃俺はアルバイトでこんなことをしていたことがあった。休みの日や、学校の帰りにお好み焼きやたこ焼きを焼き、バイト代を稼ぎ、好きな雑誌やCDを買っていた。十年以上も前の事だ。あの店はまだそこにあるのだろうか。もう店の前を通ることもなくなっていた。


 愛理とゆきは手際よく切り分けていく勇太の手元を見ていた。焼きあがると、さっと二人のお皿に何切れか取り分けた。


「は~い! 出来上がりです。食べてみて」

「美味しそう。いっただきまーす!」

「ふ~っ、熱い。ハフハフ、美味しーっ!」


 二人は、ふうふう吹きながら一口、また一口とお好み焼きを口に入れた。


「勇太君、手際がいいわね」

「ああ、休みの日にバイトで焼いていたから……」


 そう言った瞬間目の前がくらくらした。


 あっ、高校生の時にバイトしていたことと、ここにいることは矛盾するんじゃないだろうか! 将来の俺は、ここに来たことなど覚えていなかった。


―――何かがおかしい! 


 自分が住んでいた街とこの街に、同じ時刻にいることなど不可能だ。俺は背筋が寒くなってきた。ゆきが、青ざめて頭を抱えた俺の顔をじっと見つめている。


「勇太君どうしたのっ!」

「大丈夫だっ! ちょっと眩暈がしただけだ」

「急に張り切って自転車をこいで、疲れちゃった?」


 愛理も心配している。お好み焼きは、食べられるだろうか。これは現実のものなんだろうか。俺はそっと一切れ口に入れて噛んだ。ソースの甘酸っぱい香りが鼻腔いっぱいに広がり、口の中で複雑な味が広がった。ああ、現実の味がする。ごくりと飲み込むと、喉の奥に温もりが残った。


「うん、旨いっ! うまくできてよかった」

「ああ、安心した。もう大丈夫? ねえ、美味しいでしょう」

「勇太君、本当に上手だよ」

「旨い! どんどん食べよう。久しぶりでおいしいよ」


 勇太は、感激で涙が出るほどうれしかった。十数年ぶりに食べるお好み焼きの味は、勇太の記憶を高校時代へ引き戻した。地味で目立たなかった高校生時代。休みの日にやっていたアルバイト。それ以外は学校と家の往復だけだった。


 この日は、心ときめくような時間を二人と共に過ごすことができた。太陽は輝き景色はキラキラと光っていた。まるで本物の体験のように。


 勇太は、家に帰って自宅に電話してみた。自分がここにいるのに、本物の勇太は家にいるはずがないと思いながら……。


 ここで買った携帯電話で、自宅の電話番号を押す。しかしいくら待っても呼び出し音が鳴るだけで、誰も出る気配がない。


 勇太は思い出せる限り、覚えている電話番号を紙に書きだした。高校生になってからできた友人の電話番号を押して、じっと待ち続けたが、友人の声は聞こえなかった。高校の電話番号はどうだろうか。そこへかけてみたが、誰も出なかった。


―――一体この世界は本当にあるんだろうか。


 幻の世界なのだろうか。勇太は携帯電話を握りしめながら俯いた。この世界では、ここにいる人以外は誰とも連絡を取ることができない。勇太は暗い闇の中にいるような気持になり、布団をかぶると眠りについてしまった。

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