第9話 祠に書いた名前
一歩公園の中へ入ると街中とは別世界のようだった。三人の足音だけが聞こえ、しんと静まり返っている。直射日光が入ってこない木陰の道は涼しく、空気は適度に湿り気があった。街のすぐそばに自然があるのは地方都市ならではなのだろう。
「子供の頃はよく遊びに来たんだけど、最近は来なくなったわね」
ゆきが、懐かしそうにいった。
「私ももうめったに来ない。でも変わってないね」
「そうそう、この奥に祠があったような気がする」
「行ってみようか?」
「うん。私ちょっと確かめたいものがあるんだ」
「ふ~ん。何なの?」
「行ってみればわかる」
勇太は、始めてくる場所なので二人の案内に従った。ちょっとした登山をしているような気分だった。道は整地してあるので、山登り程足場の悪いところはなく、木々に囲まれているので空気が新鮮で元気が出てくる。勇太は深呼吸して肺一杯に空気を入れた。こうしていると命が体いっぱいにみなぎってくるような気がする。勇太は一本の木を指さしていった。
「この木樹齢何年ぐらいなんだろう?」
「多分三百年ぐらい?」
「もっとじゃないかな。五百年ぐらい」
「そうかな。とにかくかなり経ってるでしょうね」
時が経っても変わらずにあるものが、勇太の心を落ち着かせ、安らかな気持ちにさせた。十七歳の彼女たちの溌溂とした姿や、若々しい肌を見ているとうっとりした気持ちになった。勇太は二人の姿に感心していった。
「ゆきは歩くのが早いなあ」
「日頃運動部で鍛えてるからね」
「愛理さんは、しっかり踏みしめるように歩いてる」
本当は、ゆきのすらりと伸びた脚に目が離せなくなってしまったし、愛理のぱっちりした目や可憐な口元に夢中になってしまったのだが、そんなことはおくびにも出せなかった。
「どうしたの勇太君。ぼーっとしてるよ。大丈夫。都会っ子だからこういう所を歩くのしんどいんじゃないの?」
「そ、そう言うわけじゃない。大丈夫だ。自然があんまり綺麗なんで感激してただけだ」
「確かにそうだね。そろそろ祠に着くよ」
後ろから歩くと、目のやり場に困ってしまうのだ。勇太たちは、一旦広場に出て、公園によくあるような花壇を見てその後再び山道を歩き始めていた。山道へ入って少し登ると小さな祠が見えた。勇太は神社の様な所かと思ったのだが、鳥居も小さくほんの小さな祠があるだけだった。すると、ゆきが祠の後ろへ回って、ほくそ笑んだ。
「あったよ。秘密の落書き」
「何、何?」
愛理と勇太はゆきのいる場所へ回り込んだ。祠の向こう側には文字が書かれていた。
「ゆき、自分の名前なんか書いちゃって。いけないわねえ」
「これ、小学生の低学年ぐらいの時に書いたの。来るときに思い出して、つい見たくなっちゃったの。名前残っていたね」
勇太も、それをじっと見つめて行った。
「マジックで書いたのかな。消えないもんなんだな。消す人もいなかったってことだ」
「ここへはあまり人が来ないから。そうだ、ここへ三人で来た記念に勇太君と愛理の名前も書いておこう」
「いいのかなあ」
「秘密だよ」
ゆきは、筆記用具の入ったケースを取り出し、油性ペンで自分の名前の隣に勇太と愛理の名前を書いた。
「これでよし。今度いつ来るかわからないけど、思い出した時に見に来れば今日の事を思い出すよ」
「そうね。祠には悪いけど。悪意のないいたずらだから、神様にも目をつぶっていてもらおう」
愛理とゆきはいたずらっ子の方に微笑みながら、祠の前に回った。ここへ来たことがいつまでも残っているのだろうか。勇太には謎だった。
「ああそうだわ、勇太君。」
愛理が勇太に向き合いいった。
「あなたの将来の夢は何?」
「僕は、そうだなあ。僕は絵を描いたり、文章を書いたりするのがするのが好きなんだ。将来は芸術家になりたい」
「へえ。芸術家かあ。楽しそうね」
勇太には趣味で絵を描くのも詩や小説を書くのも好きだったが、とても職業にできるとは思えず口に出していったことはなかった。でもこの時は正直に言えた。
「クリエイティブなことをやってみたい。できるかどうかわからないけど」
「誰でもできるかどうかはわからない。夢はいくら大きくてもいいじゃない」
「ありがとう」
高校生の二人だから行ってくれた言葉だ。大人に言ったら、誰も相手にしてくれないだろう。勇太はすがすがしい気持ちになった。
「いつか実現できたら、二人に連絡するよ」
こんなことまでいってしまった。もう一度この世界で生きることができるかわからないのに。勇太は三人でいる時間がたまらなく愛おしくなった。心まで若返ったような気がしていた。
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