第7話 これは夢か現実か

 その夜勇太はぐったりと布団に倒れ込み、あっという間に眠りについた。知らない場所で一日過ごし、慣れないダンスを踊ったのだ。じっと目を閉じ体を横たえていた。すると遠くの方でかすかな声が聞こえた。


「先生、この患者さん容体は変わりませんか?」

「君も見ての通り、来た時と全く変わらないな。むしろ悪くなっているかもしれない。自発呼吸はできないし……ここまでよく持ちこたえられているもんだ。この薬を点滴してくれ」


「でも先生」

「何だい?」


「先ほど不思議な事があったんです」

「不思議なこと……」


「意識が無いはずの患者さんの指先がかすかに動いたんです」

「気のせいじゃないのか? この状況で動くはずがない」


「唇もかすかにピクリとしたような……」

「幻でも見たんだろう。連日の夜勤で君も疲れているんだ」


「そうでしょうか……」

「今日はゆっくり休んだ方がいい。そんなことはあり得るはずがないから」


「そうですよね。私の勘違いかもしれません」


 そしてシューシューという音が聞こえ、ガチャガチャいう音がした。


「この薬で、きっと良くなるわ」


 腕の血管から薬が注入された。女性の声がしてから声はもう聞こえなくなった。


 これは夢だ、夢なら起きろ! と勇太の意識が体に念じたが、そのまま深い奈落の底へ落ちていくような感覚があり、そこで意識は途切れた。




 再び遠くの方から声が聞こえた。声ははじめは小さかったが次第に大きくなり、最後には耳元でガンガン響いた。


「早く起きて! もう、起きないと学校に遅れるわよ!」

「……う~ん、あれ」


 目を開けることができるのだろうかと、半信半疑で瞼を開けた。世界が見える! しかも明るい光がさしている!


「俺、生きてるのか?」

「何を寝ぼけてるの。生きてるに決まってるでしょ。だから早く起きて学校へ行かなきゃ!」


「今何時だ?」

「もう七時半」


 ああ、目覚まし時計は七時にセットしておいたはずなのに、知らない間に止めていた。勇太の頭上から、ゆきが見おろしている。腰に手を当てて足をちょっと開いて立っている。制服を着ているので、すらりとした脚が勇太の位置からだと下から見上げるようにそびえている。こんな体勢では足の殆どが見えてしまう。膝上十センチぐらいの丈のスカートを履いたゆきは、下から見上げると半分ぐらいが足のように見える。その上に胸の二つの出っ張りがあり、その上にちょこんと頭が乗っている形だ。何といういい眺めだ。


 もう少しこのまま見上げていたい、と思ったのも束の間、今度はペタンと布団の横に座り込んだ。体育座りのような膝を抱えた格好で座っている。この格好でもすっかり膝が出てしまい、スカートは無残にも腰辺りまでまくり上げられている。ゆきは高校生同士だと思い、気安くこんな格好で話しかけているのだ。何とも罪作りだ。申し訳ないような気持と、もう少しこの生活を味わっていたい気持ちが混ざり合う。


「あの、スカートがめくれてるよ……」

「もう、勇太君そんなところを見てないで、早く起きてってば!」


「そうだった」


 俺が寝ているから、下からスカートを見上げる格好になっているんだ。勇太は体半分を起こした。両手を上にあげて伸びをした。


 窓からは朝日が入り眩しい。太陽を見ると、今日も生きているいるのだと実感することができる。日の光というのはありがたいものだ。勇太は布団からはい出し、ようやく立ち上がった。もう一度伸びをすると、体に力がみなぎってきた。体が一回りスリムになっているから、動くのが身軽になっている。それを見たゆきは安心して、すたすたと部屋を出て行った。部屋の外から声が聞こえた。


「支度して早く食事して。遅れないように行こう」

「急いで支度するよ」


 勇太は大急ぎで支度をし、朝食のテーブルに着き食事摂り始めた。キッチンではゆきが目の前の椅子に座って食事が終わるのを待っている。


「勇太君、昨日はダンス上手だったね」

「いやあ、ダンスやったの初めてなんだ」


「それにしては動きが滑らかだったし、振り付けが変わってた」

「あれは、即興でやったんだ。もう二度と出来ない」


「本当なの? すっごく独創的で、別世界の人が踊ってるみたいだった」

「べ、べ、別世界だなんて。同じ世界じゃないか!」


「焦ることないでしょ。とにかく、また一緒に踊ろう。コーチも見込みありそうだって褒めてたんだ」

「ふ~ん。ゆきは将来もずっとダンスを続けるの?」


「将来って? 高校卒業後持っていうこと?」

「そう。プロになろうとか、考えてるの?」


「いいえ。ダンスは高校までだと思う。卒業後もやれそうだったら続けたいけど、仕事にはしないでしょうねえ。プロになるのは厳しいから」

「でも、出来そうだったら続けたいんだ」


「そうね。プロになれたらすごいわね。無理だと思うから、体を動かすようなアクティブな仕事をしたいな」

「そうだね。きっと向いてると思うよ。ところで、隣の席の鈴山愛理さんは将来何になりたいんだろう?」


「愛理は、医療系に進みたいって言ってた。医師か看護師か、そんなところでしょう」

「凄いなあ」


「派手に見えるけど、人を助ける仕事がしたいんだって。病院見学にも行ってた」

「そうかあ。医療系かあ」


 勇太は、昨日聞こえてきた声が愛理のような気がしてきた。まさか、そんなことがあるはずがない。学校へ行ったら、もう一度彼女の声を聞いて確かめたい。あの時聞こえてきた声は、愛理の声なのではないだろうか。自分と愛理は見えない糸で繋がっているのではないだろうか。そんなことを想うと、愛理の事がますます好きになりそうだった。


「さあ、学校へ急ごう」

「もう、のんびり食べてたのに。はいはい出発!」


 勇太は鞄を肩にかけると、勢い込んで外に出た。

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