第4話 授業初日

 授業は一度受けたことのある高校二年の内容だったので、既視感があり懐かしかった。教科の呼び名が変わったりはしても、内容はさほど変わってはいなかった。十三年の違いはあまりなかったのでほっとした。その分余裕を持って回りの様子を観察することができる。


 ついつい隣の鈴山愛理の方を見てしまう。彼女は前を向いているせいか、視線が合うことはなかったが、他の生徒に気付かれ、勇太はじろりと睨まれてしまった。彼女はこのクラスのマドンナ的な存在なのだろう。マドンナという言葉は古臭いのかもしれないが。


 

 突然勇太の名前が呼ばれた。


 ハッとして前を向くと、社会科の教科担任がこちらを見ていた。中年のその教師は勇太の父親位の年齢に見えた。いつの間にか三時間目の公民の授業になっていた。


「おい、正木君。君は今日転校してきた生徒だね。話しを聞いていたかい」

「は、はい」


「日本の総理大臣は誰だ」

「はい、安倍晋三氏です」


「そうだ。では、現在のアメリカの大統領は誰かな? これは知ってなきゃ困るぞ」

「現在……トランプですね」


「誰だそれは?」


 今、トランプといった瞬間に勇太は激しい眩暈に襲われた。これは、未来の事を言ってはならないという警告なのでは。


 勇太は先ほどの質問の答えを考えた。そうだ、この時代は十三年前だから2007年だった。これで合っているはずだ。先生は政治の話をしていたようだ。一か八かだ。


「ジョージ・ブッシュ大統領です」

「そうだな。あまりきょろきょろしないで話を聞いてくれよ」


「はい、すいません」


 隣を見ていることが一番気になっていたのが地歴公民科の先生だったのだ。勇太は帰りに図書室に寄ることにした。この時代の事を調べておかないと毎日ハラハラして気が気ではない。こんなことがあったなあと、懐かしい気持ちで話の続きを聞いた。

チャイムが鳴り、待ちに待った休み時間が来た。隣の席の鈴山愛理さんに話しかけてみよう。


「鈴山さん、僕さっき先生にアメリカ大統領の名前を聞かれて、変な名前を言わなかった?」

「いいえ、口ごもってしまって、何も聞こえなかった。もう一度聞かれた時は答えられたじゃない?」


「そ、そうだったね」

「変なの。自分で答えたのに、他の人に訊くなんて……」


「ああ、いいや。別にいいんだ、大したことじゃないから気にしないで」

「正木君てさ、ゆきの家に下宿してるんでしょ?」


 まあ、ホームステイを日本語で言えば下宿ってことだ。彼女が興味を持って聞いてきてくれた。これは脈があるぞ。


「はい、そうなんです。純和風の旅館みたいに、いかした家なんですよ。今度遊びに来てください」


 おお、俺にしては今までになく積極的なアプローチだ。彼女来てくれるかな。


「知ってるわ。ゆきの家なら何度も行ったことがあるから。用事があったら遊びに行くわ。いいわね、よその家に下宿するのも。親の目がないところで暫く生活できるなんて、羨ましいわ。この辺は大家族が多いし、生まれた時からずっと一緒だから、近所の目がうるさいのよ」

「そうですかあ。落ち着いていい街だなと思ってたけど、それはそれで気苦労が多いんですね」


「まあ、そうねえ。でも正木君と話すと、大人と喋ってるみたい」

「いや~、そんなことないっすよお。俺なんか今どきの高校生っすよ」


「そうよね。どう見ても高校生だし、都会の人だからあか抜けてるんだわ、きっと」

「おお、マジっすか。嬉しいなあ」


「さて、次は移動教室だから教科書を持って行きましょう」

「じゃあ、案内して下さい」


 すぐそばで話を聞いていたゆきが二人の様子をじっと見ていた。


「あら、もう仲良くなっちゃって。好かったわね、愛理は友達第一号ね」

「そうなんすよ。知り合いになれてよかった」


「じゃあ一緒に移動しようか」

「お願いしあーすっ」


 こんな感じでいいかな、と口調を変えてみたが、勇太のセリフはまだぎこちなかった。女子二人に連れられて教室を移動することにした。男子たちは、羨ましそうに勇太を見ている。勇太は有頂天になっていた。二人とも決まった彼氏はいるんだろうか。今度は鎌をかけて聞き出してみようと思った。


 廊下でゆきを呼ぶ声がして振り返った。小柄ながらすらりとした体形で背筋が伸びた男子だった。


「おい、ゆき。元気?」

「まあね」


「そちらは?」

「昨日から家にホームステイしている正木勇太君」


 彼はこちらを見て挨拶をした。


「こんにちは、桜木です。ゆきと同じダンス部に入ってます」


 道理でスタイルがいいはずだ。ダンスというと社交ダンスやヒップホップなど色々なジャンルがありそうだが、どんなダンスを踊っているんだろうか。


「よろしくお願いします。僕はバレーボールはできますが……」

「ダンスは嫌い?」


「嫌いってことはないです」

「じゃあ、発表会見に来て!」


「はい、絶対見に行きます」

「じゃあ、ゆき。部活で!」


「うん、またね」


 ゆきの踊る姿を想像しながら、勇太は桜木と別れて教室へ向かった。


「男子部員少ないから貴重なんだ」

「少ないって、何人いるの?」


「女子が三十人ぐらいいるんだけど、男子は四人しかいないの。女子の中でよく頑張ってるよね。それで、男子がいるとすぐ目を付けるのよ」

「ああ、入部してほしいんだろうね」


「そう言うこと。さて着いたわよ」


 入った部屋は化学室だった。四人掛けの机が三列、合計十二並べられていた。両サイドには実験で使うフラスコや試験管、ビーカーなどが置かれている。机の上にはガス管が装着されていた。薬品や、機材や、鉱物などが混ざり合った懐かしいにおいがした。

 白衣を着た先生が前にいて授業の準備をしている。


 あっ、あれは担任の吉田はるか先生! 多分まだ二十代だろう。若々しく、初々しい感じさえする。勇太は授業が始まるのが楽しみになってきた。


「正木君は鈴山さんと水島さんと一緒のグループに入って。椅子を一つ持って行って一緒に座って!」


 そう言って、にっこり笑った。席は四人づつ埋まってしまっているので、担任でもある彼女が配慮してくれたのだろう。勇太は自分よりどう見ても年下の女性教師の授業に、期待で胸を膨らませていた。

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