第2話 新生活始まる
「あのう……ゆきさん」
「なによお、ゆきでいいわよ。これから一緒に暮らすんだから」
「一緒って! 二人きりで! 高校生が、そんなことして、いいんですかあああ!」
「そんなわけないじゃない」
「ああ、びっくりした。凄いことになったなあと思って……」
「勿論家族も一緒よ」
「そうですよねえ」
俺はほっと胸をなでおろした。高校生と二人きりで暮らすなんて、いきなりハードルが高すぎる。
「じゃあ、ゆきって呼びます」
女性を名前で呼ぶなんて照れるな。今まで呼んだことがなかったから。
「そう、それでいいよ」
「俺は……」
「正木勇太君でしょ。聞いてるわよ名前は! 勇太って呼んでもいいでしょ」
「あ、い、いいです」
「あんた、随分畏まっちゃってるじゃない。大人じゃないんだから、もっとざっくばらんにいこうよ」
「そ、そうします」
「それじゃあ、おじさんみたいじゃない。」
「よし! そうするよ」
「オッケー」
俺は何気なく卓上カレンダーを見つめた。卓上カレンダーって文字が小さいんだよな。今何年何だ? あっ、2007年だって! 今から十三年も前だ。そんなことがあるのか!
「このカレンダー……」
「ああ、素敵なカレンダーでしょ。花のイラストが綺麗だから買ったの」
「今日は……」
「四月に決まってるじゃない。寝ぼけちゃってるの?」
「さて、そんな地味なズボン履いてないで、制服に着替えて支度して!」
「ああ、あれが制服か」
ゆきが履いているのと同じ色の紺地のチェック柄のズボンと、紺色のブレザーがハンガーにかけられていた。今はいているパンツは……。これはいつも会社へ行くときにはいていたパンツ。ポケットに手を突っ込むと、お守りに手が触れた。持ち物はこれだけか。正月に初詣に行って買った近所の寺のお守りだ。小さな鈴がついていてちりんと鳴った。俺は引き出しを開けて、そっとしまっておいた。元の世界から持ってきたのはこれだけだった。
制服に着替え、家の中央にある廊下を歩いた。古民家のような家だ。部屋からは庭が見える。隣にゆきの部屋があり、そろそろと歩いていくとキッチンがあった。俺は顔をのぞかせた。俺より一回り年上の女性と目が合った。母親だろうか。
「あら、早く食べなきゃ遅れるわよ。こっちへ来て座って頂戴」
「はい。お、美味しそうだな」
「遠慮しないで食べてね。家へ来て痩せちゃったら、ご両親に合わせる顔がないわ」
「そんな、お気遣いなく」
「まあ、ご丁寧な言葉を知ってるのね。偉いわあ。ゆきも見習わなきゃ」
「そんなことは、ありません。頂きます」
テーブルには魚の干物やお浸しなどの純和風の朝食が並んでいた。健康的な食事だな。いつもは食パン一枚とか、コンビニのおにぎり一個だけだ。
学校へ行く前に、なぜホームステイすることになったのかを知っておかねばなるまい。ここは親戚の家なのかもしれない。
「僕は、どうしてここでお世話になることになったんですか?」
「全く、今頃そんなこと言ってえ。勇太君の学校とゆきの学校は姉妹校だったじゃない。毎年交流があって、こっちで一年間勉強したいっていう生徒がいたから、家が名乗りを上げたのよ」
「あっ、そうでした。僕時々ぼーっとしちゃうんで……」
「私は、母親の美紀、隣はおばあちゃんの……」
「照代です。よろしくね。若い子がいると賑やかでいいねえ」
「一年間よろしくお願いします」
「あら、家には夏までなのよ」
「じゃあ、その後は……」
「別のお宅に行くことになるでしょうね」
いろいろなことがわかってきてよかった。何もわからないまま学校へ行ったら、質問されても答えることができない。
「お父さんはもう仕事に行ってるけど、治といいます。夜には会えるでしょう」
「あのう、ここの滞在費用はどうなっているんでしょうか?」
「もうご両親から全額頂いているから、ご心配なく。それから何か必要なものが出来たら遣うようにって、引き出しの中にお金を入れておいてくださいって、お預かりしたのがあるわ」
「ああ、良かった」
食事が終わってお茶を飲み一服していた。ふうっとため息が出てしまった。サラリーマン時代の癖だ。
「あら、寛いじゃって。お父さんみたいね」
「ああ、僕の父もお茶を飲んで寛ぐのが好きだったんで、似てるって言われます」
「うふふ、出かけるまではゆっくりしててね」
俺は部屋へ戻り、もう一度履いていたパンツのポケットの中を見たが、スマホは入っていなかった。この時代にも携帯電話はあったはずだ。ゆきに訊いてみよう。
隣の部屋のふすまをそっと開けた。
「ちょっとお。レディーの部屋なんだから、ノックぐらいしてよ!」
「ああ、すいません。ゆきは携帯電話持ってる?」
「よくぞ聞いてくれました! 見て、見て! これ最近出たばっかりの、かっこいいでしょ。スマートだし色もきれいなピンク色。写真だってこんなにきれいにとれるんだから! 勇太は持ってないの」
「持ってないんだ。スマホなら……」
持ってたんだけど、と言いかけて口ごもった。この時代にスマホなんてないんだ。
「スマホってなに? 何の道具?」
「い、いいや。何でもない」
「まあ、携帯持ってない子もいるけど。最近少なくなってるよ。そろそろ買った方がいいかもね。時代に乗り遅れないように。そうだ、今度一緒に買いに行ってあげる。私が見立ててあげるからね」
「ああ、一緒に行ってください」
「じゃあ、休みの日に」
携帯もないんじゃ誰かと連絡を取り合うこともできなくなる。これは必要不可欠だし、出費はやむ負えないだろう。俺は引き出しを開けて封筒を取り出した。お金はいくら入っているんだろう。
うーん、十万円かあ。これで夏まで乗り切らなければならない。節約しなきゃな。しかし大人の生活費ではないんだ。食費や光熱費の心配はいらない。純粋に自分で使えるお金がこれだけあるってことは、高校生にとっては十分な金額なんだろう。
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